2話
柔らかい布団に包まれているのがわかる。布団に寝たのなんていつ振りか思い出せない。もう少し寝ていたいが、ダメだ。もう空腹で死んでしまう。何でも良いから飯だ。横になっていた布団から勢いよく立ち上がった。
「お目覚めのようで。お身体は大丈夫ですか?」
部屋の入り口から旨そうな……、もとい偉そうな小柄で年老いた豚が杖をついて部屋に入ってきた。手元に種火が無いのが悔やまれる。
「私はこの町の町長兼商会のトップを務めます。オーク族のニークと申します。急にお倒れになったと聞いて急いでここまで運んだのですが、どうも皆の者がご無礼を働いたようで、申し訳ありませんでした」
俺の目の前で肉、いや、ニークが丁寧に頭をさげている。クソッ。火だ、火さえあればーー。
「どうかされましたか?お急ぎで無いようでしたら、食事を用意しておりますのでお話はその席でいたしましょう」
仕事のできるご老人のようだ。俺は言葉が出せず大きく頷いた。もしも今、口を開けてしまうとニークを食してしまいそうだからだ。
案内された部屋のテーブルには所狭しと料理が並べられている。
「我ら魔族の食事ですので、人間であるあなたのお口に合えばいいのですが」
席に案内されて座る。目の前には飯の山がある。もう我慢はできなかった。俺は大きな音を出して手を合わせた。
「いただきます」
これまで生きたなかでも渾身のいたたぎますを言えば、あとは無我夢中で食べるのみ。取り分けられた肉を口いっぱいに詰め込み噛み締めた。……やばい。……旨すぎる。
何だ?この肉は?鳥では無いのは確かだ。確か聞いた話では南蛮では牛を食すと聞いたことがあるがそれなのか?
「いやはや、凄い食欲ですな。まだまだ、ありますのでたらふく召し上がってください。」
食べ終わった皿を下がるたびに部屋の奥から次から次に新しい料理が運ばれてくる。しかもそのどの料理も今まで見たことのない物ばかりでおまけに美味いことこの上ないのだ。
「ホゴホゴモグッ!モゴモゴダブッ!」
「……はは。だ、大丈夫ですよお話は食事の後で」
やはりニークはなかなか話が分かるやつのようだ。ご馳走されている手前、話をしようとしたが、本来食事は没頭及び没入して行う神聖なる儀式。その間に話をするなどもっての外だ。空腹時に限りだが。
「フゥーー。よく食った。美味かったよ、ありがとうな肉さん!」
「ご満足いただけたみたいでよかったです。ですがニークをです。……それであなたはここには何用でいらしたのですか?」
残念ながらここには爪楊枝の文化は無さそうだ。それならばと懐に入れた物を出そうとしたが無い。と言うよりも服自体が変わっている。
「ニクさん、俺の服はどうした?あと刀は?」
「ですからニークです。服は血で固まっておりましたので今洗わせています。刀をとはあの刃物ですね。今の持ってこさせます」
ニークに命じられた豚の女中さんが小走りで刀を持ってきてくれた。を抜いて確かめたが変な細工はされて無さそうだ。
「ゴホン。話を戻させて頂きますが。この町には何用で?」
手をテーブルの上で握り神妙な面持ちでニークが問いかけてくる。
「用?んーー。食事と情報だな」
「食事は分かりますが、情報ですか? 一体どういった」
「さあな。気づいたら森で目が覚めて何が何やら分からん。ひとまずこの場所が何処なのかを知りたい」
「森とは、深縁の森ですか⁈」
余程驚いたのかニークは椅子から飛び上がり叫んだ。
「そもそもお前たちは天狗や河童のような妖の類なのか?ここは日の本ではないのか?」
俺の話を聞いたニークは何やら1人でボソボソ話すとこの部屋で待つように伝えて、部屋から出ていった。部屋には俺1人が残されて手持ち無沙汰になってしまった。
さっき部屋にはあった時には食事にしか目が向かなかったが、改めて部屋の装飾品や家具などを見ると驚くほど精巧に作られている。こんな物は都で見た舶来品の中にもなかった。
それに加えてさっきの食事だ。あんな美味い物、殿や姫たちの晩餐でもお目にかかったことがない。そしてトドメが人ならざる異形の者たちだ。ここはやはり黄泉の国なのか?
「お待たせ致しました。ニーク様がお待ちですのでこちらにお越し下さい」
女中さんに連れられ別の部屋に案内された。移動した廊下にもこれまた見事な絵や鎧などが飾られている。それを見てますますここが何処か分からない。案内された部屋は蔵書室の様で、ニークが机に本を広げて待っていた。
「お待たせしてすいません。少々調べ物をしておりました」
「ニクニクさん知ってる事があるなら教えてくれ」
「ですからニークです。結論を申しますと恐らくあなた様は異界からこちらの世界に迷い込んだ迷い人と思われます」
「迷い人?確かに道には迷っているが」
「そう単純な話ではなく、あなた様の世界と私たちの世界。本来交わる事のない世界にあなた様は迷い込んでしまったのです」
何を馬鹿な。本当ならその言葉を最初に口から出していたはずだが、ここまで世話になったお人好しそうなニークがあまりにも真剣に話すと言うのは今の所信用せざるを得なかった。
「と言うことは?ここはあの世ではないのか?」
「あの世とは死後の世界ですか?そうであるなら違います。この世界はあなた様がいた世界とは別の世界です」
「ハハハッ。そうか、そうか!それならばよかった。俺はまだ約束を違えてはいなかった」
ここが死後の世界ならその内、あの方が鬼の形相で現れるかとヒヤヒヤしたがどうやらその心配は無さそうだ。
「大丈夫ですか?急にこんなお話を聞いては気が動転しているでしょうし、今日はもう休まれては?」
「ありがとうニック。だが大丈夫だ。だから少しでもこの世界の事を教えてくれ」
「お強いお方だ。……ですが、名前はニークです」
そこからは延々とこの世界の説明が始まった。今俺が居る場所は魔族の土地で、その中でも辺境の土地である事。この世界は人間と魔族が別々の土地に住み、互いに過度な干渉を行わない取り決めがある事や、魔族領、人間領のどちらもその中で更に国が分かれていること。
それ辺りで俺の頭は処理能力を失い煙を上げた。その為、この日はここで話を終わりニークの部下でカツパ族のサッラが町を案内してくれる事になった。
「はじめまして、サッラと申します。以後お見知り置きを」
困った事に何処からどう見ても、だいぶカッコいいカッパにしか見えない。忍びの様な服装こそしているが、その顔の大きな目でキリッと俺を見つめるが、顔の作りは間違いなくカッパのそれだ。髪こそあるが手には水かきもある、カッパだ。
「……こちらこそよろしく頼む」
サッラの隣に立つニークが急に思い出した様に話をした。
「そういえばまだお名前を聞いていませんでしたな。いつまでもあなた様と言うのも味気ない、お名前をお聞きしてもよろしいですかな?」
確かにそれどころでは無かった事もあり名すら告げていなかった。だが名前か。せっかく新たな門出だ。ここは名を変えて新たに生きるのもいいだろう。
「そうだな。……不兜そう、俺の名はフツだ」
「フツ様ですね。ではそうお呼びさせていただきます」
「あんたの方が年長者だろ、ただのフツにしてくれニックン」
「わかりました。あなたがそうおっしゃるならそうしましょう、フツ。……ニークです」
話終わると早速サッラに連れられて町を案内された。町を行き交う人たちを見ると驚くほど多くの異形の者たちが行き交っている。我ながらこれに気が付かなかったとは余程腹が空いていたのだろう。
最初に案内されたのは多くの人で賑わう出店が集まる通りだ。所狭しと並んだ店には食べ物から装飾品、よくわからない薬草など何でもござれと言ったところだ。
「ここでは他所から来た旅人も店を出していますので見ていて飽きませんよ。もしも何かご入用の際はここにくれば大抵のものは揃います」
ちょうど通りかかった店に見惚れるほど見事な皿があった。手に持ち太陽の光にかざすと純白で艶がありまさにその為の皿が。そっとサッラの頭の上に添えた。
「……あの。フツ様、何をされているのですか?」
「……いや、申し訳ない。つい」
皿をかざしたその姿は伝説通りの姿だった。