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98 ビュトージ領の魔のもの


「いや、すみません。こんな話、突然で戸惑うのも当然です。ただ、魔法を使える身であるなら、気をつけた方がよろしいでしょう」

「え?」

「魔のものは魔力に惹かれます。そうして、いつの間にか体に入り込んでいるのです」


 いつの間にか、体に。


「自覚症状なしにですか?」

「娘は、器がいっぱいになるまで魔のものの存在に気づくことはありませんでした。私たちも、まさか娘が魔のものを取り込んでいるとも知らず、気づいたときには、もう……」


 ちょっと思っていたのと違った。


 魔のものに襲われるようにして体の中に入り込まれ、恐怖の中で内側から魔のものが暴れたり食い破ったりするのだと思い込んでいた。


 どうやら、気づかない間に普段通りの生活を送る中で徐々に体は蝕まれ、気づいたときには魔のものが身体いっぱいに取り込まれているという状態になるらしい。


 どちらも嫌だ。


 どちらも嫌だけれど、では、魔のものに出くわしたときにどうすれば良いんだろうか。勝手に取り込まれて、なおかつ自覚症状がないなんて、そんなの、娘さんはどうやっても助からなかったんじゃなかろうか。


「あの、魔のものを勝手に入り込まないようにするには、何か方法があったりしますか?」

「分かりません」


 無念そうに弱々しく首を振って、領主さまはうなだれた。


「今でも、私は後悔しています。あのとき、もっと早く気づけていればと。けれど同時に、気づけていたとしても、できる手立ては何もなかったとも思うのです」


 ですから、と領主さまは顔を上げた。強い意思を感じさせる瞳が、私を見ている。


「もう二度と、娘のような犠牲は出したくないのです。魔力を宿しているのであれば、魔のものは真っ先にあなたを狙います。ですからどうか、魔のものが現れた際は近くに寄らず、気づかれないようにしてください」

「……それで見逃してもらえるでしょうか」

「分かりません。しかし、何の対策もしないよりはましでしょう」


 魔のものがどういったものか、今ひとつ分かっていない私としては、できるだけ接触は避けた方がいいんだろう。ゴリムレラも厄介なものを作ってくれたものである。


 魔力がある状態が通常という、この世界の正常化装置として魔のものは存在するそうだけど、とどのつまりは伊蕗いぶきさんを見つけるためのもので、伊蕗さんが存在しない今ではどうやって鎮めれば良いのか甚だ謎だ。


 でも救世主が召喚されたからには、どうにか打ち勝つ方法があるんだろう。未だ謎だけれど。


「二十年前、娘が犠牲となることでこの辺境の地から魔のものは消え、それから十年前の『テュリウスの魔禍』でも被害はありませんでした。けれど、終末の唄がうたわれた今、魔のものの動きは活発化してきています」


 私は、と領主さまは振り絞るような声で言った。


「娘が守ってくれたこの地を、守りたい。あなたにこんなことをお願いするのはお門違いだとは承知の上です。ですが、どうか、この世界をお救いください」

「あの、もしかしてこの地でも、魔のものが現れたりしているんですか?」

「北にある森では、何度か目撃されています。すぐに姿が消えてしまうため、どれくらいの数が生息しているのかは不明ですが」

「私も一度目にしたことがあるんですが、やっぱり魔のものって、こう、ふわふわした、空中に浮かぶアメーバ……じゃ伝わらないか、えーっと、煙のような、水蒸気のような」

「おっしゃりたいことは分かります。魔のものは実体がないように見える、不思議な生き物です」

「じゃあ、やっぱりそういう生き物なんですね。個別判定もできませんから、正確な数を把握するのも難しそうですね」

「ええ。そもそも彼らの生態は謎に包まれています。どのように繁殖するのかも分かっていない」


 アメーバのように分裂して増殖するタイプなら大変だ。水蒸気系でも厄介にちがいない。


 でもきっと、救世主の何かが魔のものに効果があるんだろう。おそらく、きっと。


「ですから、魔のものを目になさったら、すぐに逃げてください。魔のものは魔力を宿したものにすぐ気づく。どうかお気を付けください」


 娘さんを重ねているんだろうか、何度も念押しする領主さまの様子は必死で、気楽に「大丈夫ですよ」とは言えなかった。


 同時に、自分の危機感のなさを思い知る。周囲にどれだけ心配されようと、自分自身の危機管理がなっていなかったらきっと迷惑をかけてしまう。


 魔のものに出くわしたら、足手まといにならないうちに、すぐに逃げよう。そう心に刻んだのだった。


「ご心配、ありがとうございます。気をつけ……」


 言葉を続けられなかったのは、どこからか悲鳴のような声が聞こえたからだ。


 何事か、と耳を澄ませる私と対照的に、領主さまの動きは素早い。


 すぐさま扉の向こうにいる騎士から情報を収集している。


 騎士も状況が判然としないようで、戸惑っている気配が扉越しに伝わってきた、そのとき。


 ピーッ! と空気を切り裂くような高い音が響いた。


「っ、どうぞお隠れください、救世主さま! 魔のものが出ました! 私どもは離れますが、何が起こっても、決してこの部屋から出ないように!」


 鋭く早口で言うと、領主さまは騎士とともにどこかへと向かった。外では再度ピーッ! と先ほどの高い音が響いている。


 魔のものが出た。


 領主さまの言葉がじわじわと実感を伴って身体中に広がっていく。思わず手が震えて、肩にまで伝わっていく。


 全身が震え出す前に、ぎゅっと両腕で身体を抱きしめるように抱えて、ソファにうずくまった。


「大丈夫、大丈夫……」


 目を瞑ると、以前出くわした魔のものの姿が浮かんで、思わず頭を振った。


 得体が知れなかった。あんな生き物、見たことがなかった。黒っぽいのに透明で、不思議な動きをする生き物。


 ゴリムレラは、いつまで伊蕗さんを探し続けるんだろう。


 この世界を創った神なら、伊蕗さんがもうこの世界にいないことなんて、分かっているはずなのに。


 表ではガヤガヤと人のざわめきが聞こえる。その中に真楯くんや輪音ちゃんの声も混じっているような気がして、落ち着かない。


 私、ここで待っているだけでいいんだろうか。


 いいに決まっている。足手まといになるだけだ。


 怖くて仕方ないのに、このままではいけないような、訳の分からない使命感のようなものが突き上がってくる。


「大丈夫、きっと、大丈夫だから……」


 救世主たちは魔のものに打ち勝てる能力がある。だから、大丈夫。


 きっと誰もケガなんてしない。大丈夫。


 ざわめく心を静めるように何度もそう言い聞かせる。


「大丈夫……」


 ピーッと甲高い音が響いている。笛のような音だ。


 危険を知らせる音なのかもしれない。変に心がざわめいて、落ち着かない。


「この音、嫌だ……」

 

 魔のものを寄せ付けない周波数の音なのかな、と思っていると、不意に音が止んだ。


『わたしも、いや』

「え?」


 全ての音が、遠くに聞こえる。


『わたしも、このおと、いや』


 かすかに聞こえる声は、頭の中に入ってきた。


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