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97 ビュトージ領の領主さま



 記念すべき旅初日の宿泊地は、王都から北に二つの領地を越え、さらに山を越えた麓の村だった。


「ようこそ、ビュトージ領へ」


 出迎えてくれたビュトージ領の領主と名乗る年配の男性は、顔に疲労が色濃く滲んでいた。


 この地域の特産だと学んでいた、フランネルのような毛織物で仕立てた長いチュニックのボタンシャツを着ている。その生地も、しわがよってくたびれている。


 領主と騎士団長が話してどこの宿を利用するか決めている間、私たちは野宿隊の荷下ろしを手伝うことにした。


『何だか不思議な気配がするわ』


 職場では重いものも平気で持っていたので腕力には多少自信があったけど、騎士たちは遠慮してか、それともおまけである私でも救世主と同じ扱いをせよと厳命されているからか、決して重い荷物は持たせてくれなかった。


 そのため軽い荷物を運びながら、もしかしてこれは逆に仕事を増やしているのでは、と親切が裏目に出ている可能性に思い当たっていたところで、ウフマが近寄ってきた。


「不思議な気配、ですか?」

『ええ。まぁ、終末の地に近づけば近づくほど魔のものの気配というか、王都では感じられない気配がするものだけれど、これは一体どういうものなのかしら』


 立ち止まり、ウフマはじっと空を見つめた。

 夜が迫る空は、白く浮かぶ雲の狭間から闇がにじみ出している。風は弱く、穏やかな空だった。


「山を越えたからか、少し気温が低いですね」

『ええ。これからもっと北に向かうから、基本的にはさらに寒くなるわ』

「基本的には?」

『終末の地は不思議な土地なの。北にあるからといって寒いだけでなく、熱かったり、ジメジメしていたり。一貫していないのよ』

「不思議ですね」


 同意の相づちを打つと、ウフマは視線をふっと私に向けた。


『そう、不思議。同じだわ。魔のものの気配とは少し違う、北の地の、切り替わる季節の気配と、この地の気配は少し似ているわ。なぜかしら』


 北の地、終末の地と似ている気配。でも魔のもののものではない気配。


 謎かけのようなウフマの言葉に首を傾げていると、ウフマは気分を変えるように首を振った。


『私が知らないだけで、もともとこういう気配だったのかもしれないわ。この場所で留まることなんて滅多にないから』


 降りたことも初めてよ、とウフマは続けた。そこに、アマヴェンナさんがやってきた。


「おまけさま、お待たせしました。お泊まりになる部屋の準備ができました、こちらへ」

『嫌な予感はしないから大丈夫だと思うけれど、気軽に外に出歩かない方がいいと思うわ』

「分かりました。じゃあウフマ、また明日」

『ええ、ゆっくり休んでちょうだい。異世界の乙女』


 さすがグリパレ版アマヴェンナさん、外に出るなとちゃっかり釘を刺すのは挨拶代わりのようなものだ。


 別れを告げてアマヴェンナさんの後ろに続く私をウフマがじっと見つめていたことなど、このときの私は気づきもしなかった。



◇◇◇◇



 案内された宿は、領主館の一部だった。

 本館に繋がった二つの棟があり、一つは訪問客用らしい。そこに、王太子殿下をはじめユエジンさんたち神官や救世主が宿泊する手はずが整っているのだそう。

 通された部屋は誰かと相部屋かと思いきや、意外にも広々とした個室だった。


 歓迎会を兼ねた夕食会の後、部屋に戻ろうとしたときだった。


 階段を上ろうとしていると、向かいから領主さまがやってきた。


 夕食会の乾杯の音頭の後は忙しいのか姿が見えなかった。王太子殿下や騎士団長、神官長であるユエジンさんも見えなかったから、一緒に話し合いでも行っていたのかもしれない。


 疲労具合は落ち着くどころか、今も難しい顔をして歩いている。


 あんまり気を遣わせるのも、と軽く会釈して通り過ぎるのを待っていたら、領主さまの方から声をかけられた。


「救世主さま、館の居心地はいかがですか? 元いた世界とは勝手が違って、戸惑うこともおありでしょう。行き届かない点がありましょうが、どうかご容赦ください」


 丁寧に腰を折る姿に、私は職場で唯一尊敬している先輩を思い出した。気遣いの人と呼ばれたその人は、いつも笑顔で誰に対しても平等に接してくれていた。

 

 まぁ目の前の領主さまの表情は笑顔どころか、かなり険しいけれど。


「いえ、大変良くしていただいてます」


 救世主ではなくてそのおまけだと申し出ても良かったけれど、話が長くなっても申し訳ないのでそれだけ告げて歩を進めようとしたのに、領主さまは先を行かせてくれない。


「あなたは、救世主さまとは異なる使命を持ってこちらにいらしたと伺いました」


 救世主とこの世界を繋げる橋渡しとしての役目を担っているのではないかと、王族周辺ではそういう見解になっているみたいではある。


「あなたは、私の娘に少し雰囲気が似ている。もしお疲れでなければ、お茶でもいかがですか?」


 険しい表情はそのままだ。しかし、その目はほんのわずか親愛の情が浮かんでいるように見えた。


 旅の初日、移動時間のほとんどは車に乗っていてそれほど疲労も感じていない。興奮もあいまって、まだ眠気は訪れそうになかった。


 この難しそうな顔をした人の娘ってどんな人なんだろうという少しの好奇心も手伝って、私は快くお茶のお誘いを承諾し、領主さまの案内のもと、執務室へと向かった。


 執務室は広く、正面には今はカーテンがかかっているものの、広い窓があることが分かった。きっと眺めもよく、風通しも良いのだろう。


 落ち着いた調度が並び、執務机の手前には両端の壁に沿うように机がそれぞれ向かい合わせになるように置かれている。


 秘書の机かな? 


 机の上には、書類が束になって積まれていた。その書類を目にして、私は部屋の中に進めていた足を止めて、後ずさった。


 え、ここ、私が入って大丈夫? 機密とか、漏らしちゃいけない秘密とかあるんじゃないの?


 狼狽える私に気づいたのか、領主さまは私の視線の先にある書類と私の表情を見比べて、ああ、と頷いた。


「ご心配には及びません。重要な書類はきちんと目に触れない場所にしまってあります。ここは執務室ですが、客人も招く場です。どうかお気遣いなく、気楽に過ごしてください」


 良かった。もうこれ以上秘密めいたものに触れて慌てふためきたくない。心臓がもたない。


 ほっと胸をなで下ろして向かい合ったソファに座ると、向かい側に領主さまは座った。ほどなくして、メイドらしき人がお茶を持ってきてくれる。


 この匂いはきっと、すっきりした飲み口が特徴のリルボウマだろう。


 お茶を一口含んでから深く息を吸って吐くと、領主さまは緊張を解いたようにかすかに笑った。しかし眉間のしわはくっきりと刻まれている。


「よく、ここまで来てくださいました」

「いえ、私は、ただのおまけですから」


 深い感慨を滲ませる声は、待ち望んで焦がれた時間の長さを感じさせるものだった。


「そうであっても、です。異世界からいきなりこちらに連れてこられて世界を救えだなどと、私たちの身勝手な願いを、よく引き受けてくださいました」


 悔しげに、領主さまは言った。またしても眉間のしわが深く溝を作ってしまう気がして、私は慌てて両手を振って、もうやめてください、と懇願した。


「あの、そういうお言葉は世界を救ってからにしてもらえるとありがたいです。そして私は世界を救う立場にはないので、過剰な謝罪や感謝の言葉をいただくに値しません。どうかそうした感謝や謝罪は、全て、救世主たちに」

「そうですか。来ていただけただけでも感謝や謝罪に値すると私どもは考えていますが、そうした価値観を押しつけるのはかえって失礼になりますね。おっしゃる通りにいたしましょう。それにしても」


 眉間のしわを緩ませ、じっと領主さまは私を見た。


 疲れた顔をしていたから気づかなかったけれど、一般的に言えばおじいさんと呼んでも差し支えなさそうな見た目にも関わらず、さすが顔面偏差値の異様に高い異世界、薄くなった白髪は簡単に櫛を通しただけで、髭は整えられていないけれど、思慮深い青の瞳は濁りがなく、鼻筋もすっと通っていて、刻まれたしわを含めてこのおじいさん、かなりの美形である。


 この年齢でこうもかっこよく見えるとか、若作りとかでなく元々の素材の良さが引き立てられてるとか、異世界の美しさのレベル、怖い。


「あなたは、私の娘に似ている」


 それ、さっきも言っていた。けれど私は勘違いしたりはしない。遺伝子レベルで異なるのだ、絶対に顔は似ていないと言い切れる。


「髪型とかですかね」


 うちの上司は若い子を見ると髪型で判断する。同じような髪型をしていると、もう見分けがつかない。それと同じ現象が起こっていてもおかしくはない。


「つかぬことをお伺いしますが、あなたは魔法が使えるのでは?」


 私の質問は聞こえてもいなかったらしい。髪型説、結構いい線だと思うのだけど。


「魔法は、まぁ、本来は使えないんですけど、今は使える状態にあります」


 言ってから、随分ややこしい言い方をしてしまったと反省した。


「本来の私の力ではありませんが、今は使えます。もしかして、お嬢さんは魔法が使えたのですか?」

「ええ。この辺りで魔法を使えるのは、娘ただ一人でした」


 言葉は重く、表情は暗い。そして、過去形で語られる娘さんの思い出。


 察したくないけれど、もしかしたらこの領主さまの娘さんは、もう————。


「娘は、二十年前に亡くなりました。魔のものの器になったので、亡くなったという表現が正しいのかは分かりませんが、娘はもう、いません」


 ぎゅっと胸が締め付けられた。領主さまは感情を含まず事実だけを伝えようとしているのだろうけど、声にはどれだけ時を重ねても癒やせない痛みが滲んでいた。


 魔のものの器とは、あれだろう。魔のものをその身に取り込み、内側から食い破られるとかいうあの。


 重苦しい空気を変えるように、領主さまはカップに口を付けて、ふぅと息を吐いた。


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