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96 防御の加護



 グリパレの牽く車はほぼ振動がない。けれど、着陸のときだけはわずかに地面と接する重力を感じる。


 あれ、着いた? と思っていると、小さく三回ノックの音がした。

 

 向かいで横になっているとおくんは深く眠っているようで、反応はない。起こさないようにそっと扉を開けると、アマヴェンナさんが立っていた。


「おまけさま、休憩場に着きました。予定より遅い出発でしたが、無事に先行隊と合流できました」


 さすがグリパレ、空の覇者。きっと先を行ったグリパレに遅れを取りたくなくて頑張ったんだろう。


 ちらり、と視界の端に見える車を牽いてくれている名も知らないグリパレに視線を向けると、なぜかグリパレもこちらに視線を向けていた。


 深淵もまた、こちらを……。


 あの有名な一節が頭を過ぎって、身が震えた。


 気のせいかもしれないけど、思い過ごしかもしれないけど、——心が読まれてる気がしてならない。


 え、ウフマ以外のグリパレにも私の心読まれてる? 呼びかけてないけど、もしかして私の心って全グリパレに筒抜け!?


 それは困る、と青ざめていると、グリパレの視線がふいと逸らされた。


 あれ。私の思い過ごしだったようだ。良かった。


「おまけさま、ご気分でも? 外の空気でも吸われますか? 喉が渇いておいででしたら、飲み物を用意して参ります」


 アマヴェンナさんのホスピタリティの高さは、どんな場所でも発揮されるらしい。


「では、飲み物をいただきたいです。とおくんは眠ってるようなので、そっとしておきたいと思うんですが」

「それがよろしいでしょう。出発後の車内でも飲めるよう、水筒を用意しておきましょう」


 降りた場所は、近くに川が流れる草原だった。太陽が真上から照りつけている。光は柔らかく、風は心地良い。


 見える範囲には建物はなく、ただ草原が広がっている。


 川の周辺や木陰には騎士たちが集まり、グリパレから鞍を外して櫛のようなもので毛並みを整えている姿が見えた。


「綺麗なところですね」

「本日の目的地までは半分ほど来ました。これ以降は急峻な山を通るため、休憩を取るにはここが一番適しているのです」


 説明しながら、アマヴェンナさんはお茶の入った素朴な木のカップを渡してくれた。


 程よい温度のお茶が、体の芯から温めてくれる。


 ついに救世の旅が始まった。

 

 空は青く、風は爽やか。光で満ちた光景は、どこにも異変を見つけられない。それでも、この世界は危機に瀕している。確かに魔のものが存在し、人々に死の恐怖を与えている。


 以前目にした魔のものを思い出して、思わず体が震えた。


「おまけさま? 体が冷えておりませんか? どうぞマントを」


 最近のアマヴェンナさんの過保護ぶりは王太子殿下をしのぐ勢いだな、と思いながら、肩にかけてもらったマントが外れないように前でぎゅっと握りしめた。


「あの、川の方に行ってみてもいいですか? この世界に来て川を見るの初めてで」

「わたくしも一緒に参りましょう」


 アマヴェンナさんの先導のもと、五十メートルほど先にある川へ向かう。


 川幅はそれほど広くない。深さもそれほどないようで、川底の砂や石が透けて見えた。


 水面に反射する光がキラキラと踊っている。川の匂いが風に舞っていた。


「綺麗……」


 自然を前にしたときに感じる圧倒的な力と美しさに、息をのむ。


「この川には特に危険な旧生物は生息しておりません。手を触れていただいても結構ですよ」


 アマヴェンナさんは私が尋ねることが分かっていたかのように、先回りして答えをくれた。


 では早速、と川の間近でしゃがみ込み、手を伸ばして水に浸してみた。

 うん、冷たい。気持ち良い。


 川の流れは緩やかで、流れをせき止める私の手をさらさらとすり抜けていく。光を跳ね返し、水の中が屈折して泡立ちのような水の渦が見えた。


 しゃがみ込んだ姿勢のまま身を乗り出して夢中になっていたのがいけなかったのか、チャプンと小さな音が聞こえて視線を向けると、地面に広がるマントが川に浸かっていた。


 まずい、濡らしちゃった!


 さっと立ち上がるとマントの裾もひるがえり、川へとしずくを落とす。


「あちゃー」


 これはかなり染みこんだだろうな、とマントを持ち上げてみると、そこは濡れた様子もなく乾いていた。


「え?」


 ここじゃなかった? あれ、どこ?


 マントをたぐり寄せ、裾全体を確認するもどこも濡れていない。別のところかと思いマントを脱いで全体を確認したけれど、それでも濡れた様子は見当たらなかった。


 どういう魔法。魔法のマントだった? あり得る。ここは魔法の世界だ。


「おそらくモトネさまの加護でしょう」


 次から次に湧く疑問に悩んでいる私に答えをくれたのは、例に漏れずアマヴェンナさんだった。


「防御の魔法ですか?」

「ええ。今回の支給品には全てモトネさまの加護がかけられています。対物であれば、モトネさまの加護は五日間効果が継続するという結果が出ており、一日にかけられる量には限度があるものの、こうして終末の地へ向かう人間の装備品全てに加護をかけることは問題ないようです」

「知らなかった。輪音ちゃん、すごいですね」


 マントには防汚や防刃を含め、あらゆる害から防御してくれるらしい。効果は五日間とは言え、すごいマントである。


 だから水に濡れなかったのか。


 洗濯したいときはどうするんだろうと思ったけれど、あらゆる汚れから守ってくれるなら、そもそも洗濯する必要はないのか、と納得した。


「ん……? じゃあ、こうして水に入れたらどうなるんだろう」


 思い立って、私はマントで手を覆い、そのまま川に浸してみた。


 マントで覆われているからか、水の冷たさは感じない。


 じっと待つことしばし。そろそろどうだろうかと手を引き上げ、マントをいで手を見てみた。


「濡れてない……」


 水に浸けなかったもう一方の手で触ってみる。濡れている感触はしない。さらさらしている。


「どうされました、おまけさま」

「濡れてません」

「そうですね、マントでくるんでいたからでしょう」


 さっき言ったではないか、という雰囲気もなく、アマヴェンナさんは淡々と説明してくれる。

 でも、そうじゃない。


「私、加護が効かないって言われてるんです」


 私の発言に、アマヴェンナさんははっと目を見開いた。


「多分、私の体には防御の加護は効きません。でも、防御の加護がかけられたものを身につければ」


 もしかしたら、という期待で言葉が続かなかった。


「試してみても、よろしいですか」


 言うが早いか、アマヴェンナさんは一歩私に近づいた。


 その纏う雰囲気が、いつもと違う。


 何か、視線が強い。射貫くようなというか、臨戦態勢というか、上手く表現できないけれど、とにかく危険だということだけは分かる。


 頷いて良いものか迷っている間にアマヴェンナさんは距離を詰めて私の手を取り、マントをかぶせた。


 そうして、どこから取り出したのか長い、どうみても裁縫用ではなさそうな尖った針を取り出し、マントの上からゆっくりと刺した。


 針の鋭さは、マントを貫くまでには足りないようで、生地には傷一つ付いていない。


 その様子を確かめながら、アマヴェンナさんはさらに力を込めていく。その力の加え方が、細心の注意を払っていることが伝わってくる。


 決して傷つけないように。けれど防御のマントがどこまで私を守れるのか、正しく把握するために。


 さらに力は増していく。マントの生地は針の刺す方向に歪むけど、アマヴェンナさんが一層力を入れると、それ以上の進行を防ぐように針が止まった。


 その変化に、アマヴェンナさんも気づいたようだ。


 より強く、力を込めている様子は分かる。けれどマントを通した手には針の先端の感触すら覚えない。


 しばらくして、ふっと腕が軽くなった。


 アマヴェンナさんの手が離れたからだ。


「確かに、防御をかけたものを身につければ、防御の加護を受けるのと同等の効果が得られるようです」


 声は淡々としているが、アマヴェンナさんの瞳は興奮で輝いていた。


「なら! 私、ツディーネに触れるってことですよね!!」

「……、そうですね」


 興奮のまま返した私の言葉に、なぜかアマヴェンナさんはいつもの冷静さを取り戻して返事したのだった。


 おかしい。一緒に喜んでもらえると思ったのに。


 アマヴェンナさんの温度のない反応にちょっとがっかりしながらも、できればしっかり触れるように手袋に加護をかけてもらおう、それから全身覆うマントにも加護をかけてもらって、抱きつくのも試してみたい、と夢は膨らむのであった。



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