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89 可愛いの呪い




 旅立ちは、一週間晴れの日が続いた翌日に決まった。いよいよ明日終末の地に向かう。


「早く出発しなきゃって思ってたけど、いよいよとなると緊張するな-」


 壮行会というわけではないけれど、離れに遊びに来てくれた救世主諸君が談話室で寛いでいる。真楯くんなんて、緊張すると言いながらソファに全身を預けて、体は完全にだらけている。


「そうだね。とりあえずこないだの遠征みたいに休憩こまめに入れてくれるといいんだけど」

「どうだろ。とおはまた騎士団長と相乗りじゃん?」

「やだよ。あの人雑なんだよ、支え方が」


 真楯くんから少し離れたソファで寝転がるとおくんは今日もだるそうだ。お茶を飲むときだけ起き上がり、それ以外の時間はほぼソファと一体化している。

 ……うん、明日から大丈夫かな。


「おねーさんは宮殿から遠くに行くのも初めてだっけ? 大丈夫?」


 三人掛けのソファの端に座ったはるくんが、同じソファの端に座る私に話しかけてきた。わざわざはるくんがここに座るのには意味がある。


 部屋には四つのソファがあり、三人がけのソファ二つは男子二人によって占拠され、一人がけのソファには輪音ちゃんが座っている。必然的に残る一つのソファをシェアしなければならないのだ。


 おそらく女性が苦手だろうはるくんにとっては辛いのではないかとできるだけ端に座ってるんだけど、逆に気を遣わせてしまったのかもしれない、はるくんの方から話しかけてくるなんて。


「うん。このときのためにグリパレに乗る訓練もしたし、足引っ張らないように頑張るね」

「グリパレに乗れるの? すごいじゃん」


 話を聞いていたらしい真楯くんが会話に入ってくる。


「ふふふ、きみたちに遅れは取らぬよ、安心したまえ」

「めっちゃ不安!」

「うん、不安しかない。おねーさん、とおと一緒に騎士団長の後ろ乗せてもらったら?」

「え、やだよ。三人も乗ったら不安定じゃん」


 なぜだ。

 しかもなにげにとおくんがひどい。聞くにどうやら一人でグリパレに乗るのもやっとのようなのに。


「ねぇ、私、引率の先生よ? この扱いは一体どういうこと?」

「え、マジで言ってる? 引率!?」

「……前々から思ってたけど、おねーさんって結構思い込み激しいよね」


 とおくんの冷静な口調が胸に刺さる。思い込みって……。


 私が不満げなのに気づいたのか、それとも話題を振った立場としての使命感からか、気遣い男子であるところのはるくんが、慌てながら話題修正した。


「俺たちは遠征で行ける範囲までしか行けてないけど、とりあえず当分は宿に泊まれるみたいだし、普通の旅と変わらないと思う。おねーさんが危険な目に遭うことはないと思うから」


 ——ああ、これ、違うな。


 はるくんは、私がその道のプロということを知らない。


 だからうっかり口にしちゃったんだろうけど、このはるくんの発言は、私に対して向けられたものじゃない。輪音ちゃんに対して言ったものだ。


「うん、ありがとう、はるくん。安心した。ね、輪音ちゃん」


 黙って私たちの会話を聞いている輪音ちゃんにも振ってみる。輪音ちゃんは話を振られるとは思っていなかったようで、少し驚きながらも、私に向かって微笑んだ。


「うん、私も頑張っておねーさん守るね」


 ぐっ!


「え!? おねーさん、どうしたの? 大丈夫?」

「……ほっとけ、輪音。どうせ感激して動悸激しくなってるだけだから」


 ねぇ、真楯くんもひどくない?


「可愛いものに悶えるのは、これはもう不可抗力じゃない?」

「はいはい。分かった分かった」


 いつもながら私の迷言をばっさり切り捨ててしまう真楯くん。強い。さすが大剣の主だけある。


「分かってない! いい!? 胸をキュンとさせる存在がいるかいないかで人生の充実度は変わってくるんだから!」

「おねーさんってさー、思い込みが激しいだけじゃなく暴論っぷりもすさまじいよねー」


 ソファに寝そべりながら、顔も上げずにとおくんが呆れたように言った。


「おねーさんにとって、私は可愛い?」


 とおくんの発言に憤慨していると、静かな声がその場に落ちた。


 声の方を見れば、輪音ちゃんがじっと私を見ている。いつもの笑みを消した、真剣な、どこかすがるような目だった。


「うん、可愛い」


 間違ってはいけない気がする。けれど誤魔化す方法も分からなくて、率直な気持ちを伝えた。すると輪音ちゃんは笑った。


 笑ってくれたのに、その笑顔はどこか痛々しく映った。


「じゃあ、可愛くない私は嫌い?」


 それは違う、ととっさに口から出てこなかった。その一瞬が全てだったかのように、輪音ちゃんはきゅっと唇を結んだ。


「輪音、お前……」

「あ~、ごめん! ごめんね。何か変な空気にしちゃった。明日出発だからナーバスになってるのかも。私、部屋に戻ってるね」


 このまま行かせてはいけないと、多分誰もが思ったんだと思う。一番早く動いたのは、はるくんだ。ソファから立ち上がろうと腰を浮かせ、でもそのまま、一歩が出ないようだった。


 伸ばした手が振り払われるのは、怖い。


 好きな相手ならなおさらだ。


 だから、せめて元凶の私がつなぎ止めておきたい。輪音ちゃんの心が、離れてしまう前に。


「ま、待って! まだ、まだ答えてない!」

「ううん、いいの。大丈夫、分かってるよ。おねーさん、私のこと好きだもんね。いっつも可愛いって言ってくれるの、嬉しいよ」


 伸ばした手は、輪音ちゃんを掴む。掴まれた手に触れ、さりげなく外そうとする輪音ちゃんの行動を、引率担当が気づかないわけがない。


「分かってないよ。輪音ちゃんの可愛いはね、見た目だけじゃないんだから!!」


 いい? と私は輪音ちゃんをソファに再度座らせる。その前に膝をつき、輪音ちゃんと視線を合わせた。


「自分のことは客観視できないと思うので、僭越ながら私が説明します。輪音ちゃんの可愛さを!」

「……おねーさん、多分そこじゃない」


 頭痛でもするのか、額を押さえながら真楯くんが意見してきた。


「まず、雰囲気!! この柔らかで気品のある雰囲気は、ちょっとやそっとじゃ出せません! ふわふわと漂う穏やかで優しい、花のような香りさえ感じる癒やしのオーラ! え、もしかして花の精!? と錯覚する人も一人や二人じゃないでしょう」

「ねぇ、輪音固まってるよ。誰か止めたら」

「無理だろ、一回突っ走らせた方が早い」

「事故んなきゃいいけど」

「あー……」


 とおくんと真楯くんが何やら話し合っている。奥には、心配そうな目で見つめるはるくんがいた。


 ひとしきり輪音ちゃんの可愛さを紹介したところで、私はそっと輪音ちゃんの手に触れた。


「輪音ちゃんは、可愛いって言われるのいや? 輪音ちゃんがいやなら、もう言わないよ」

「え、おねーさん、できない約束はしない方がいいんじゃない?」


 ちょっと外野がうるさい。


 鋭く視線を走らせると、察したのか黙ってくれた。


「できます! されていやなことを、気づかずにしてる方が嫌だよ。だから教えて欲しいの。輪音ちゃんが嫌なこと。あ、でも、いやだって言うのもいやだったら、無理にとは言わないよ。うん」


 察することに徹しよう。大丈夫、空気を読む達人、真楯くんも引き込めばなんとかなる気がする。


「輪音ちゃんにとって、居心地の良い場所を作りたいな」


 何気なく出た言葉だった。ぽつりとこぼれた、つぶやきにも近い声に、輪音ちゃんは嗚咽をあげた。


「ど、して……っ」

「え、あ、ご、ごめっ、輪音ちゃん!?」

「期待、したくない……、愛されてるかも、なんて、思い上がりたくないっ。どうせそのあと、勘違いだったって……っ、傷つくもんっ」


 引き絞るように出された声は、嗚咽に滲んで、小さな悲鳴にも聞こえた。

 胸が張り裂けそうになるほど、悲痛な声だ。


 感情を、必死でコントロールして、わめきたいほどの感情を全部押し込めて、それでも抑えきれなかった感情がこぼれ落ちていく。どれだけの我慢を重ねて、声をあげたんだろう。


 きっと、本当に伝えたかった相手には、伝えられなかった。


「じゃあ、待ってる」


 ぽろぽろと涙が粒になってこぼれ落ちていく。そんな様子も可憐で、庇護欲をこれでもかと刺激する。


 いけない、ここは我慢。抱きしめたいけど我慢だ。大丈夫、私はできる子。


「輪音ちゃんが信じられるまで、ずっと待ってるから。……信じられないのは、信じたいからだよ」

「ずっと……?」

「うん。ゆっくりでも、時間は進んでるように、少しずつ進んでいってるんだよ。だから、そのままでいいんだよ。怖くなったら、何も見たくないし聞きたくなくなるけど、大丈夫だって輪音ちゃんが思えるまで、待つよ」


 今はまだ、怖くてうずくまってしまっていても、周りがわいわいしてたら、もしかしたら気になって顔を上げてくれるかもしれない。


 そのときまで、側でそっと待ち続けたい。輪音ちゃんが、もう大丈夫だよって出してくれたサインを見逃さないように、側で。


 涙をいっぱいに溜めた瞳が、まっすぐに私を見ている。


 すごい、下まつげの上に乗った大粒の涙が珠になったまま落ちない。表面張力!

 

 余計なことに感動しながら、純真無垢なその瞳で見つめられていることに照れてしまう。



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