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87 白月石と心の声




 ウフマに乗ること数秒、目的地に到着した。


 グリパレには基本、「ゆっくり周囲の景色を楽しみながら移動する」という概念がないようで、いかに早く到着するかに全ての能力を注いでいる。全フリというやつである。


 そのため、宮殿を上空から眺めて「わぁ、景色が綺麗! 遠くには海も見えるわ。あの山は空から見るとあんな形をしてるのね」的な会話は、今回も私たちの間には生まれなかった。


『到着しましたよ、異世界の乙女。泉に来るのは初めてかしら?』


 青々した芝生が生い茂る泉のほとりは広く、開放的な場所だった。


 そよそよと吹く風が木々を揺らす音が優しく聞こえる。泉の水面が太陽の光を反射して、美しい湖面には周囲の景色が映り込んでいた。


 吹く風に混ざる草と土と水の匂いが、心を落ち着かせる。


「初めて来ました。落ち着く場所ですね」

『あれを見て。白月石はくげつせきが浮かんでいるわ。取ってくるから、ここで待ってて頂戴』


 あれ、と言われた先を見てみると、確かに湖面にうっすらと白い昼の月が映っている。


 青い空を溶かしたような水面に浮かぶ月は幻想的で、風に揺られる度にその姿を隠していた。


 でも、石?


 どういうことだろうと考えている間にウフマは湖面へと飛び、そのまま湖面にふわりと翼を振り下ろす。すると水面が盛り上がって、白い小さな石が現れた。


 そうだった、ここ魔法とファンタジーの世界だった。


 脚か口を使って取ってくるのかと思ってた。全然違った。


 浮かんだ石をそっと背中に乗せると、ウフマは戻ってきた。


『これが白月石よ』


 そういって背中から浮かび上がって、私の前に石がやってくる。グリパレは風を操るのが得意だと言うから、ウフマの魔法かもしれない。


「白月石……」


 確かに見た目は、ほんのり黄色がかった白くて丸い石っぽい。表面には月っぽいクレーターのようなものもある。ごつごつした、非常に硬そうな見た目だ。


 これが、鉱物、違った、好物。


 石を食べるなんて、旧生物は不思議な生き物だ。


『ツディーネには半分残しておけば良いわ。半分はせっかくだからいただいちゃいましょう』


 言い終えると同時に、強い風が空を切る音が聞こえた。恐怖を感じるほどのびゅんっという音の後には、目の前に浮かんでいた白月石は見事に半分に割れていた。


 どんな威力の風を操っているのか。


 恐怖に一歩後ずさってウフマから距離を取りつつ、機嫌良さそうに口を開いて食べる様子を眺めた。


 やっぱり口から食べるんだ。


 旧生物だからファンタジーらしく食べ方も特殊なのかと思ったけれど、食べるのは口かららしい。

 硬い石をかみ砕く音がするのかと思いきや、口の中に入るやいなやシュンッと白月石は煙のように消えてしまった。


『ああ、やっぱりこの泉の白月石は格別ね』


 何が格別かは分からないが、味ではなさそうだと思う。だって一瞬で消えちゃったし。味わうどころじゃなかっただろうし。


 実は硬そうな見た目に反して食べると空気みたいに消えちゃうとか?


 好奇心がうずいて、目の前に浮かぶ、ほのかに白く輝く石にそっと触れてみた。


「え」

『あら』


 触れた途端に、まるで溶けるように形を崩し、石は跡形もなく消えてしまった。


 え、こんなにもろくて繊細だったの!?

 というか、消えた石はどこに!?


 焦る私にウフマはのんびりと『あらあらあら』と困った様子もなく言っている。


「ご、ごめんなさい! 勝手に触ってしまいました。これ、触ると溶けちゃうんですね!?」


 知らなかったとはいえ、せっかくのツディーネの好物を消してしまった。


『それより、異世界の乙女、どこか体に異変はない?』


 石が消えたことなんてどうでもいいと言わんばかりのウフマの問いかけに、慌てて自分の体を見下ろす。


 ウフマからしてみれば、異世界産の人間が魔法の石に触れたことで体に異常が出ていないか心配なのだろう。


 特に異変は感じない。驚きで心臓はバクバクしてるけど。


『大丈夫そうね。まさか吸収されるなんて思っていなかったけれど、そうよね、そういうこともあるわよね』


 あるあるなんだろうか。


「消えちゃったけど、大丈夫ですか?」

『ええ、大丈夫。白月石は、神の力だから、もともと大地に溶け込んでいるものだし』


 ……異世界では神の力が石になるらしい。


 私の戸惑いに気づいたのか、ウフマはさらに詳しく説明してくれた。


『神々の力、と私たちは呼んでいるわ。神の力が大地に、空に、海に、川に、空気に。全ての中に神の力は宿っている。それを結晶化させたのが石ね。だから、石には魔力が凝縮されているのよ』


 この世界は魔力に満ちている状態が通常だと言ったのは、ユエジンさんだった。だとしたら、あらゆるものに魔力が宿っているのは普通なのだろう。


「その、白月石っていうのは? 月鏡石げっきょうせきとか、せ、せいきょうせきっていうのとはどう違うんですか?」

『この地には魔力が満ちているの。月や星の光も魔力を宿しているけれど、それはこの世界にはない魔力なのよ。それがこの地の魔力と交わって結晶化する、という表現が一番近いかしら。月鏡石は水面に映った望月が結晶化したもの、星鏡石は月のない夜に水面に映った星屑が結晶化したものよ』


 そもそも、この世界には魔力があり、いつでも旧生物は魔力を補給できるのだそう。だから、月鏡石や星鏡石といった結晶化した魔力は、完全な嗜好品らしい。


『結晶化させられる場所や条件は決まっているの。以前はそれほど条件が厳しくなかったのよ。どこの泉でも、ただの水たまりさえ石は取れたものだったわ。でも、そうね、どれくらい前からだったかしら、気づいたときには、もう数えるくらいの場所でしか、こうした結晶化した石は取れなくなったのよ』


 大体、とウフマは続ける。


『月鏡石や星鏡石は濃度が高いのよ。だからより多くの魔力を宿せる旧生物が好むものであって、それほど魔力の補給を必要としない生物には過ぎたものなの。かえって調子が悪くなるって聞くわね』


 どんなに栄養価の高いものでも、過剰に摂取すると体に悪いという話は良く聞く。旧生物も同じなんだな、と親近感を覚えた。


「でも、ツディーネはこれが好物なんですよね? なくなっちゃってたら、悲しみませんか?」


 思いもしない言葉を聞いた、という風にウフマが私を見つめた。


 きゅるっとした黒目は、「そんなこと考えもしなかった」とはっきり伝えてくる。


『悲しむ……そうね、そうかもしれないわね? いえ、どうかしら? ツディーネのことだから、それほど気にしない気もするわ。だって、以前オデジイラの丘に落ちていた星鏡石をあげたら、いつまで経っても食べていなかったし。きっと今でもとってあるのよ。だからそれほど執着はないと思うわ』


 いやそれ、大事にしすぎて食べられなかっただけでは? むしろものすごく執着しているのでは?


『え? そうなの?』

「……前々からちょっと思ってたんですけど、もしかして私の心、筒抜けですか?」


 ツディーネと話してるときも、何度か口に出していないことが伝わってるってことがあった。


 エクランくんとも口に出さずとも会話してるシーンを見たことがあるし、テレパシーってそういうものだとは思うんだけど、基本的に私は口に出して会話してるつもりになってたから、心まで読まれてるって実感がない。


 それでも、心の中で相手に伝えようと意図したものが伝わるならわかる。


 でも今のは、絶対私の心読みましたね?


『あら、知らなかった? 心の中で呼びかけられれば、基本的に伝わるわ。この距離だし』


 ウフマの説明では、心に相手を思い浮かべながら思い浮かんだことは、近い距離に相手がいれば全て伝わるらしい。


 伝わって欲しくないことがあったらどうすれば良いのか。筒抜けだとまずいこともある気がする。


『心を閉じるのは、……あなたには難しそうね』

「心を、閉じる……」

『ええ。そういう手段もあるわね。基本的に私たちと意思疎通できる人は、心を閉じる術も身につけているの。あなたは魔力操作の訓練も受けていないようだし、難しいと思うわ。心の中でなく、思ったことを言葉にするようにすれば困らないんじゃない?』


 ほうほう、考えたことを言葉にする……それって。


「思ったことすぐ口にしちゃう方がまずい気がします」

『そうなの? 人の子は大変ねぇ』


 この件に関しては打開策が見つからない。もう旧生物に心が筒抜けなのは諦めるしかないのかもしれない。


『あなたの心は、繋がっていても嫌な気持ちは全然しないから、私たちとしては全く問題ないけれど』


 これはあれだ、喜ぶところだ。私も美幼女に付けられたしるしなら喜んで受け入れるって言った、あれと同じだ。


 喜ぶべきところだと思うのに、なぜか複雑な気持ちになってしまう。


 こう、私の心の中覗いたところで邪悪さも天真爛漫さもない、つまり面白みがないと言われているようで。


『異世界の乙女の心は面白いわねぇ。それゆえに、名を奪われてしまったのかしらね。確かに野放しにしておくと、危ない気がするもの』

「慰めてくれなくて大丈夫です。それに名を奪われたのとは関係ないような。危険人物でもないって、ちゃんと王太子殿下も断言していましたし」


 ウフマの発言を訂正すると、なぜか黙りこくってじっと見つめられた。何だか憐憫の情が込められている気がしてならない。なぜだ。


「何ですか、可哀想なものを見る目してますよ」

『ええ、そう、一応伝わってはいるのよね。だけど、そこからの発想の飛躍が残念なのよ。これは下手に口を出すと、こちらが大怪我しかねないわ』


 しみじみとした声で独り言のように呟くと、ウフマは改めて私をじっと見つめた。今度は何だか慈愛に満ちた目だ。幼子を見る目と近い気がする。


『世界の命運がかかっているというのに、どうにも危機感がないのよね。まぁ、こればかりは仕方がないことだけど』


 ぽつりと落とされた言葉に首を傾げると、ウフマは翼を大きく広げ、言葉をかき消すように風を起こした。

 可憐な花々が風に煽られ、細い茎を揺らしている姿は、健気にも映る。


 どこまでも平穏で、のどかな景色が広がっていた。


 まるで危機感を覚えないけれど、世界を駆け回るウフマが言うのだから、この世界は確実に危機に瀕しているのだろう。


 旅立ちはもうすぐだと、改めて実感したのだった。




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