80 ゴリムレラの子孫
◇◇◇◇
光の輪がまぶたの裏で揺れている。一つ、二つ。軽やかに、優しく、揺れて戯れてはそっと包み込んでくれる光だ。
心地良さに全身の力が抜けていく。
ここは安心する。ここなら何も心配要らない。
ふと浮かび上がった意識の端で、身体に触れるものを感じた。全身を包み込んで、背中を優しく撫でてくれている。
触れるか触れないかのかすかな手の温もりが、ゆっくりと落ち着かせるように、なだめるように背中を滑り落ちていく。
ああ、私、この手好きだなぁ。
大きくて、優しい手。
そうだ、知ってる。
以前にもどこかでこうして寝かしつけてもらったことがあるような気がする。いつだっけ。
まどろみの中で、背を撫でていた手が離れてぎゅっと、慎重に力を加えるような、壊れ物に触れるような遠慮がちな手つきで抱きしめてきた。
——お父さん。
ふと浮かんだ言葉に、そうか、お父さんだと納得する。
嬉しくて、温もりに包まれていることに安心して、私はそのまま意識を手放した。
◇◇◇◇
陶器がぶつかる高い音がした。それはかすかなものだったけれど、浮上しかけていた意識を覚醒させるには十分だった。
「目が覚めた? チヨコ」
テーブルを挟んだソファには、優雅に座ってお茶を飲んでいるルドがいた。
こ、この状況は。
覚醒したばかりの頭で何とか最適解を導きだそうとするけれど、初動で遅れをとってしまう。
気づいたときにはソファで寝てたとか、ブランケットまで掛けられてるとか、部屋の住人すでに目の前にいるとか、失態のフルコースである。
そっとブランケットを丁寧にたたみ、ソファに置いた上でルドの前に立つと、精一杯頭を下げた。
「ごめんなさい! 勝手に部屋に入ってしまいました。さらにはソファで寝てしまうなど、本当に申し訳、」
する、と手に触れるものを感じて言いかけていた言葉を引っ込めて頭を上げると、ルドが私の手を取っていた。
「どうして?」
ん? どうしてとは? あれか、なぜ部屋に入ったのかか。
「あの、扉が開いてるのを見て、中を覗いたらキラキラ光るものが見えたので、好奇心で中に入ってしまいました」
「違う、部屋に入ったのを責めているのではないよ」
なぜそんな悲しげな表情を!
お互いの立ち位置的にソファに掛けているルドは必然的に上目遣いになり、私の心臓にとどめを刺しに来ている。
「どうして、そんな他人行儀に話すの? せっかく、仲良くなれたと思ったのに。今日だって、アマヴェンナからチヨコが私に会いたがってるって聞いて、楽しみに帰ってきたのに」
しゅんと眉を下げ、視線を下げて元気をなくしたルドを前に、心臓がバクバクと轟きを上げている。
「う、あ、ご、ごめん。あの、ごめんね、ルド」
言葉がたどたどしくなってしまうのも無理からぬこと。今私は自分の心臓と目からの情報とそれを記憶する脳の処理に忙しい。
「謝らないで。チヨコは何も悪いことはしていないよ。この部屋だって、チヨコならいつでも入って構わないんだから」
さっきまでとは打って変わって笑顔になるルドに、私の脳が麗し成分の供給過多を訴えてくる。過剰摂取したところで特に困ることはないとニコニコする私を、ルドの手がソファへと誘った。
うーん、あの王太子殿下にしてこのルドあり。さすが王族、恋愛詐欺師研修が必修なのかもしれない。
「お茶を入れるから待ってて」
「え、私が入れるよ!」
「ダメだよ。チヨコが火傷したら私が悲しい」
……子どもだと侮っていたけれど、もしかしたら私よりも恋愛経験豊富なのかもしれない。これは騙されないようにしなければ、と心を強くしている間に、ルドはお茶を手に戻ってきた。
「ありがとう」
一口含んで、寝起きで身体が水分を欲していたことに気づかされた。ごくごくと一気に半分近く飲むと、隣に座ったルドがニコニコと微笑んでいる。
まるで庭先にやってきた野良猫が、自分の目の前で餌を食べていることに喜んでいるおじいちゃんだ。餌付け成功の喜びが滲んでいる。
「あの、ルド、ここの扉って、いつも鍵がかかってるの?」
「そうだね、基本的には鍵がかかってるけど、チヨコが入りたいならいつでも入れるようにしておくよ」
鍵穴ないから鍵かけられないと思ってたけど、この世界、魔法の世界だった。きっとルドの部屋だからルドの魔法で鍵がかけられるようになってるんだろう。
「いや、大丈夫。私が来たときは鍵が開いてたんだけど、それって大丈夫なの?」
「そうだね、防犯の意味で言えば、問題ないよ」
「そっか、だから閉じ込められたのか!」
なるほど、犯人を部屋の中から出られないようにすれば、捕まえたも同然である。
「扉開かなくなっちゃったから、どうしようかと焦ったよ」
焦ったわりにはソファですやすやと寝てしまったわけだけれど。
口にしてからちょっと説得力に欠けるかも、と思わずルドの反応を見てしまった。意外にも冷たい視線は飛んでこず、どういうわけか気まずそうにしている。
「ああ、うん。ごめん。何だか勝手に作動したみたいで」
「作動? 泥棒ホイホイみたいな?」
「うん? いや、そういうのじゃなくて」
何だか珍しくルドの歯切れが悪い。どうしたんだと見つめていると、口に手を当て、言葉を探しながら視線を下の方でさまよわせている。
「その、チヨコを私の部屋に閉じ込めたいって思ったら、勝手に魔法が発動しちゃったみたいだ」
……そっか、ルドは王族だから、ゴリムレラの子孫だったっけ。うん、まぁ何でもかんでも閉じ込めたくなっちゃう年頃か。
多感な年頃だろうし、ちょっと見知った異世界のお姉さんなら暇そうだし一緒にいてもらえると思ったのかもしれない。
「誤解しないで! チヨコにしかしないよ!」
沈黙する私の態度をどう解釈したのか、ルドは盛大に間違った方向に言い訳しだした。
違う、そもそも誰かを監禁してはいけない。
ゴリムレラの遺伝子、間違った方向に強すぎではなかろうか。
「あのね、ルド。これは私だからまだ許せるけど、これから本当に好きな人ができたときに同じことしたら、怖がられるかもしれないよ。相手を閉じ込めたくなっちゃう気持ちは分かるけど、自由を奪って自分だけを見てもらうんじゃなくて、自由の中で自分を見てもらえるように努力しよう? それが自分にとっても相手にとっても幸せだって思える関係を築けることこそ、理想だと思う」
隣に座るルドが正面にくるように座り直し、まっすぐ目を見て伝える。
反発されちゃうかな、と思ったけれど、精神年齢が高いらしいルドは怒ることも気まずげにすることもなく、静かに私の話を聞いてくれた。
その瞳は、ほんの少し傷ついているようにも見えて、胸が痛かった。
「ごめん。部屋から出られなくて、怖かったよね。もうしない、……と思う」
「うん。じゃあ、約束ね。私も勝手にルドの部屋に入ったりしてごめんね」
ちょっとルドの隠せていない言葉尻が不安だけど、まぁ大人になるまでまだ時間はあるだろうし、大丈夫だろう。
お互いに謝罪を終え、そういえばと私はルドに会いたかった本来の理由を切り出すことにした。




