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74 ツルさん来訪



 もしかしたら王太子殿下が乗り込んでくるかも、という不安もどこへやら、いつも通りの離れに戻りいつも通り輪音ちゃんと夕食をともにし、いつも通りの寝支度をした頃。


 濃い一日だった、と寝室のバルコニーに出て景色を眺めていると、ふと今日読んだ伊蕗さんの手記で気になった一文が脳裏をよぎった。


『ツルとカメをつくった。とっても可愛い!』


 というものである。この一文だけが書かれていて、前後には特に繋がりのある文章はなかった。リーンフェルドくん一色の中にひょっこり現れた文章だ。


 状況から考えるとリーンフェルドくんに作ってあげた折り紙とかぬいぐるみとか、そういうものなのかなとも思ったんだけど。


 引っかかるのは、ツルとカメが、日本で有名なあの生物を指した総称ではなく、個別の名前だった場合。そうすると、思い浮かぶのはあの姿だ。


「ツル……」


 ぽつりとかすかにこぼれた名前が闇に消える前に、ふっと吹いた風がかき消していった。


『呼んだか?』

「ひっ!?」

『うわ、やめろ。大声を出すな、取り乱すな、平常心を保て』


 そう言って私の頬をハタハタと羽毛でくすぐってくるのは、まん丸くて小さくて可愛い——。


「ツルさん!」

『何だ? なかなか呼ばれないから、すっかり忘れられたと思ったぞ。まぁ、こんなかわゆいツル様を忘れるなんて、できなかろうがな』


 今日も絶好調に可愛い! 今日も絶好調に意味なく偉そう! あぁ、もう、もう、なんって——。


「かっわいーい!! かわっ、かわぁ!! はっ、いけない、はー、落ち着いて、私、息を吸って。ああ動悸が、ちょっと待ってくださいね、ツルさん、ちょっと落ち着かないと、可愛い成分過剰摂取で危なくなりますから」


 吸ってー、吐いてーと意識して呼吸を整えることに専念する。左肩にほんのりと温かい重みと羽毛の先が髪に触れている気配がするけど、平常心平常心。


 可愛い成分過剰供給による心拍数の増加で飛び出すんじゃないかという心臓を物理的に上から押さえてようやく一呼吸吐いたところで、それまで左肩の上で大人しくしていた温もりが動いた。


『相変わらず、情緒が忙しないな。まぁ、これも私の持って生まれたかわゆさゆえというならば、誰を責めるわけにもいくまい』

「つ、ツルさん、なんてご褒美っ!」

『うん? ああ、すまない。淑女に対する距離ではなかったな』


 紳士的に呟いて、ふわりと左肩から飛び立つと、いつかのように欄干にちょこんと止まり、『これでどうだ?』と言わんばかりにコテリと首を傾げた。


「あざとありがとうございますっ!」

『何に対する礼か分からんが、喜んでもらえてるようなら問題ないな。さて、右手を出せ』


 乞われるままに手を差し出すと、今もうっすら傷痕が残る手の平に羽毛が触れた。


 ツルさんが両方の翼を伸ばして私の右手を持っているのだ。何これ、そんなことできるんですか、その羽は。


 羽毛の心地よさと温もりに可愛さレベルがマックス値を告げようとしていたところで、ふっと手が離された。


『やはり生身では加護が効かないな!』


 なぜか胸を張ってツルさんが納得いったように頷いている。


「えーと?」

『救世主たちに自動で付与される加護は基本的にチヨコにも効果があるはずなんだが、どうにも反発しているらしい。上手くいかないものだな。まぁ、緊急時の対処については処置できておるから問題ないとも言える。そもそも、チヨコには必要ないものであるし』


 なんだか顎に羽を当ててブツブツ呟いている。何をしても可愛い。


 穴が開くほど見つめていられる。何なら瞬きすらせずに見ていられる。


 私が眼球の乾燥とまぶたの開閉の限界に挑戦していたところ、ツルさんがふとこちらを見た。


 きゅるんと黒いつぶらな瞳と目が合って、私のまぶたはこれほどまでに可動域があったのかと自分を褒めてあげたくなるほどに目を見開いてしまった。


『チヨコ、怖い思いをしただろう。痛い思いをした時に側にいてやれず、すまなかった』


 一度離した右手に再度触れながら、ツルさんは言った。


『大切な仲間も一人、帰ってしまったな。突然のことで、驚いただろう』


 ツルさんは、何でもお見通しらしい。


 力をなくして落ちそうになる手を支えながら、ツルさんは労るようにその柔らかい羽で手のひらを撫でた。


『チヨコのなすべきことはここにある。だから、もう少し、この世界にいてくれないか』


 その瞳に浮かぶのは、慈悲深さだ。


「ツルさんは、一体……」

『加護だけでもどうにかならないかと思っているが、どうにも理をいじらねばならないみたいだな。ふむ、どうにか手立てがないか考えてみよう。しかしいじると歪みが生じるのか? なに、このツル様にかかれば、少しくらい、まぁごくわずかには加護が効くようにならんこともないだろう、うむ』


 うむうむとあごに羽を当ててうろうろと欄干を行き来するひな鳥の愛らしさに、いつもの私なら飛びついている。でも、頭の中には伊蕗さんの書いた文字が浮かんでは、ツルさんの姿に重なる。


「ツルさん、伊蕗さんを知ってますか?」


 気づけば、するりと言葉が出ていた。


 ふさふさの羽毛の中からちょこちょこと忙しなく出たり入ったりしていた脚がピタリと止まって、黒い瞳が私を見上げた。


 ごくり、と唾を飲み込みながらツルさんの反応を待つ。


『なんだ、イブキのことを知っているのか!』


 声は喜色に満ちている。ぴょこんと飛び跳ねる様子も、思わず飛び跳ねてしまった感じでとんでもなく可愛い。


「え、あ、知っているというか、今日知ったというか、伊蕗さんが書いたノートを読んだんです」

『ああ、大聖堂の地下にしまってあるあれか。ちょっと待て、イブキは何て書いていた!?』


 何でそんな訝しそうなんだ。


「え、『ツルとカメをつくった、とっても可愛い!』 です」

『それだけか。他には?』

「それだけ、です」

『何ともあっさりしておるな。イブキらしい。まぁ、特に書く必要もないといえばないのかもしれないが』


 何だか不満そうだ。他に何が書いてあったか聞かれたので、ゴリムレラとのなれそめとリーンフェルドくんのことを話したら、途端に苦いものを食べたような顔になった。


 片羽だけで口を覆って嫌そうな表情を見せるツルさんにきゅんきゅんしていると、ツルさんはふるふると全身を震わせた。


『チヨコの言う通り、イブキが私をつくった……という表現が正しいのか良く分からんが、とりあえず名付けたのはイブキだ』

「カメさんというのは?」

『可愛さは私ほどではないが、同じようにイブキに名付けられたものだ。今はどうしてるか、イブキがいなくなってからとんと見ていないな。まぁ消えた気配はないから、どこかで元気にしているだろう』

「カメというからには、こう甲羅があって? にょきっと頭を出す感じですか?」

『どちらかというとウミガメだ』

「ははぁ」


 そうか、やっぱりツルさんは鶴で、カメさんは海亀らしい。見てみたいなカメさん、とまだ見ぬカメさんへの思いを強くしていると、ふっと視界の端に何かが映った。


 何だろ、何か光ったような。


 顔を上げて周囲を確認すると、暗闇の中で光る目玉を見つけた。


 ひぃっ! 火の玉ならぬ火の目玉!?


 異世界に来て怪物みたいな生き物やら魔法やらいろんなもの目にしたけど、火の目玉まで現れる世界だとは。改めて異世界の奥深さにおののいていると、その火の目玉の数が増えた。


 一つ、二つ、数えられるだけで全部で六つ。揺れる目玉の周りには、ゆらりと揺れる尻尾も見える。そしてかすかに聞こえてくる、透明感のある可愛らしい声。


『ウフマ、こっちよ!』


 うん、これはツディーネだ。あの目玉、夜だと光るんだなぁ。


 ツディーネの声に導かれるように、ふわりと銀色に輝く生き物がどこからともなく飛んできて、吸い込まれるようにツディーネの側に降り立っていく。


 あれは、昼間の見た目と随分違うけれど、グリパレだ。


 グリパレ! そうだ、乗る練習するって決めたんだった。


『宮殿のキパールとグリパレか。確か宮殿のキパールとは馴染みになったんだったな。ふむ、私は転移も得意だ。行ってみるか?』


 どういうわけか私の心を読んだように、ツルさんが私をそそのかしにくる。


「え、いや、勝手に出て何かあったらまたご迷惑かけちゃいますし」

『私が一緒にいて危険な目に遭うはずがなかろう』


 なぜかツルさんの方が不機嫌になってしまった。


 でも怒ってるツルさんも可愛い。地団駄踏むように脚を大きく動かすの、不器用でほっこりする。


「じゃあ、連れて行ってくれますか?」

『もちろんだ』


 言うが早いかツルさんはその両羽を大きく広げ、あっという間に私を包み込んでしまった。





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