73 ゴリムレラとイブキとリーンフェルド
使えるようになった魔法のこと、ゴリムレラと訪れた美しい場所のこと、可愛い生き物に囲まれて過ごす日々への思い、ページを繰るにつれ、その文面は穏やかに、大人びたものに変化していく。
そして記録のない間隔が長くなっていく。一年空いてから思い出したように何週間か続けて書き、と思ったら唐突に二年空いたり。
そんな風に途切れ途切れの記録が続き、おそらく十年くらい経過した頃に、「リーンフェルド」という文字が現れる。
そこからは、リーンフェルド一色になっていく。
リーンが何かをして可愛かった、リーンが初めて立った、リーンが初めてママと言った、リーンづくしのリーンましましリーンのせの、リーンこってり仕立てである。
ようやく登場したゴリムレラの情報は、『リーンに子守歌を歌ったら、レラがとても気に入ってくれた。昔おばあちゃんがよく歌ってくれた歌だ。私も懐かしくなって、久しぶりに日本を思い出した』の一文に収まっていた。
メインはどちらかというとリーンくんとおばあちゃんだ。ゴリムレラの存在感の薄さよ。
そこからはまた飛び飛びの記録になり、メモ書きのようなものへと変化し、その後は余白だけだ。何ページかを残して、「なんでも帳」は終わっていた。
ふぅ、とソファの背もたれに体を預けると、思っていた以上に体に力が入っていたことに気づかされた。
一気に何年も経過したような、浦島太郎が乙姫からもらった箱を開けたような気分だ。
「お疲れ様です、おまけさま。読んだ感想を伺っても?」
脱力し終わって体を起こそうとした絶妙のタイミングで、ユエジンさんが声をかけてきた。
「まずこれは、伊蕗さんの個人的な記録です。表紙には「なんでも帳」と記されていて、日記や雑記などがメインのものです」
「そうですか、ゴリムレラのことは何と?」
「始まりはどうであれ、ゴリムレラと一緒になって幸せそうでした。ゴリムレラと一緒に暮らせることへの喜びと感謝で溢れています」
「……そうですか」
どういうわけか、意外そうにユエジンさんは言葉を詰まらせた。
「意外でしたか?」
「いえ、そういうわけでは。他に何か書かれていましたか?」
ユエジンさんにしては珍しく歯切れが悪い。話のそらし方もぎこちない。
「あとは、そうですね、リーンフェルドくんが可愛いという話が半分以上を占めます。後半はほとんど我が子自慢です。よっぽど可愛かったんですね、リーンフェルドくんのこと。一行に最低二回は可愛いが出てきます」
それにしても神様との子どもって、どういうことになるんだろう。その子どももハーフだけど神様だから、成長したら神様になる?
いやいや、確かこの世界の王様になったって聞いた。多大なる魔力でこの世界を治める王様に。
でも待って。その役割自体、神様の代わりってことにならないだろうか。ってことは、ゴリムレラはもうすでにこの世界にいないのでは——?
「ちょっと質問なんですけど、ゴリムレラって神様ですよね? この世界に私たちを召喚したのって、ゴリムレラってことですか? ゴリムレラ、生きてます?」
ふと湧いた疑問を、何も考えずに口にしていた。
「そうなりますね」
穏やかな微笑みはお手本のような慈悲深さだ。その笑みに全ての感情を隠してユエジンさんは続けた。
「魔のものがこの十年で数を急激に増やしたのは、ゴリムレラが目覚めたからです。神は長い時を生きる。ゴリムレラはイブキが死をもってこの世界を去った後、悲しみのあまり眠りに就きました。彼女のいない時を生きるのは、ゴリムレラにとっては苦痛で、彼女が愛し、彼女とともに過ごしたこの世界を破滅させかねなかったのでしょう。自身の能力を息子に譲り、王とすることでこの世界を守ることにした——、と言われています」
淡々と語る口調からは、教義の一端を繙いてるようにしか聞こえないけれど、すごい事実を話している。
ユエジンさんがこうやって突然イヴェリーン教裏話を披露するのには慣れつつあるけれども。
「眠りの中にあったはずのゴリムレラは、十年前目覚め、そこからずっと、魔のものを使ってイブキを探しているのです」
それが、とユエジンさんは薄く笑って言う。
「この世界に起こった破滅の始まりです」
シン、と部屋は静まりかえっている。部屋の中は心地良い温度に保たれていたはずなのに、突然あの螺旋階段に放り出されたような肌寒さと心細さに襲われた。
思わず二の腕をさすりながら、両腕で体を抱える。
「とはいえ、神託通り救世主は現れた。この世界は救われます」
約束された未来を語るように、揺るぎない自信を感じさせる声でユエジンさんは断言した。どこからそんな自信が、と怪しむ私をよそに、ユエジンさんはご機嫌だ。
「正直、救世主様方が召喚されるかどうかは賭けでした。来てくださって本当に良かった」
拍子抜けしてしまうほどの明るさでユエジンさんは愛想良く言うと、テーブルに置いたままのノートに手を伸ばした。
慎重に表面をなぞり、記憶を読み取ろうとしているかのようにノートの中央に手を置いたままにしている。
サイコメトラーの能力でも持っているんだろうか。
あり得る、と熱い視線を送っていると、ユエジンさんがまっすぐに私を見た。
「イブキの手記はこの世界では誰も解読できませんでした。おまけさま、内容を教えてくださり、感謝します」
ノートから手を離すと、ユエジンさんは言葉だけでなく頭を下げて感謝の意を示した。いつもは口八丁で調子の良いユエジンさんがそんな態度を見せると驚いてしまう。
「えっ、頭を上げてください! 私でなくても召喚された子たちは誰でも読めたわけですし、むしろ私これまで何の役にも立ててなかったので、少しでもお役に立てたのなら嬉しいです」
そっと背後に控えているアマヴェンナさんに視線を向けて続ける。
「アマヴェンナさんとも約束しましたし。こちらの文字は私も書けないので、文字に書き起こしてもらえるなら読み上げるので、いつでもおっしゃってください」
「おまけさま……、感謝いたします。あの、これはわたくしのわがままですので、聞き流してくださってよろしいのですが」
そう前置きして、アマヴェンナさんはいつもの毅然とした態度ではなくどこか自信なさげに視線をうろつかせ、口を開いた。
え、なに。あのアマヴェンナさんがもじもじするとか、今私夢の中か。
常日頃から表情をあまり変えない美女の分かりやすい動揺に、私も釣られて動揺してしまう。
「もし、おまけさまの負担でなければ、お時間があるときで構いませんので、わたくしに失われたイオヴェ語を教えていただくことは、できま」
「喜んで!!」
気持ちがはやるあまり、アマヴェンナさんが言い終わる前に言葉が出てしまった。
「……おまけさまは、本当に、何というか、心配になりますね」
アマヴェンナさんが喜びで頭を下げるのを慌てて止めていると、背後でぽそりとユエジンさんが呆れたように呟いたけど、アマヴェンナさん相手に拒否するとか、できる人がいるなら会ってみたい。
「相手がアマヴェンナであるだけまだマシですが、そんなに簡単に安請け合いをするとは。あまり軽はずみな行動をされると、後々自らの首を絞めることになりかねませんよ」
どこの姑だ、と言いたくなるようなありがたい忠告の後、ユエジンさんはふとどこかを見るように宙に視線を逸らした。
「そろそろ時間切れですね。おまけさまはアマヴェンナとともに急ぎ離れにお戻りください。私は殿下の足止めでもしておきましょう」
どうやら王太子殿下に気づかれたようだ。多分魔法的な何かだろう、きっと。
え、これ大丈夫かな。正攻法でちゃんと手続き踏んでから出かけた方が良かったような。ハラハラする私に、大丈夫ですよ、とユエジンさんが笑う。
「私には掌中の珠が味方についておりますから」
いつの間にかあの美幼女を手懐けたらしい。
久しぶりに耳にする美幼女の話題をさらに深掘りしたかったけれど、アマヴェンナさんがさっと私の肩に上着を着せ外へと促したので、それ以上聞くことはできなかった。




