62 握手
「毒や毒針に触れなきゃいいんだよね? なら、防御壁を身体にかければ問題ないんじゃないかな。あ、ツディーネにかけたら自衛の毒の意味がないから、私たちが防御壁を身体に纏わせれば触れると思うんだけど。ちょっとやってみてもいい?」
左腕に通した金の腕輪に触れた輪音ちゃんは、一見してどこにも変化がないように見えた。
伸ばした手はまっすぐツディーネに向けられ、ツディーネは微動だにしないまま、怯えた目でその手が触れるのを待っている。
「あ、柔らかい」
緊張に耐えられなかったのかぎゅっとツディーネが目をつむったのと、輪音ちゃんが弾んだ声を出したのは同時だった。
ああ、こっちも緊張した。
良かった、とりあえず輪音ちゃんの防御壁があればツディーネに触っても大丈夫そうだ。
「わぁ! もっと硬いのかと思ってたけど、手触り良いんだねぇ。ぎゅってしてみたーい」
『ぎ、ぎゅっ!?』
「ツディーネの背中って、エクランくん専用?」
答えて良いものか迷いながらも、輪音ちゃんの目が自分にだけ向けられていることを悟ったのか、ツディーネは首を横に振った。
「じゃあ、私も背中に乗せてくれる?」
『ほんとうに、何ともないの?』
ぎゅっと掴まれた腕を見つめながら、ツディーネは放心したように呟いた。
「ん? 何か今言ってた?」
「輪音ちゃんがツディーネに触っても平気そうにしてるから、本当に何ともないか心配してるよ」
通訳を買って出ると、輪音ちゃんは長いまつげを二三度瞬かせてにっこり笑った。
「うん、大丈夫! 私、防御特化型だから、どんな毒でも刃でも、平気だよ! しかも私も無意識に自分や周りに防御張っちゃうから、ツディーネと一緒だね。あ、みんなにも触ってもらおう。ねぇ、ツディーネの毛、すっごい気持ち良いよ!」
どれどれ、と輪音ちゃんの売り込みが正しいのか確かめようと、はるくんと真楯くんが窓から手を伸ばしてツディーネに触れる。
「うわ、見た目よりすごい筋肉!」
「だな! すげぇ、鉄かってくらい硬ぇじゃん」
「見て真楯さん、硬いだけじゃなくしなやかさもある。どうやって鍛えたらこんな筋肉になんのかな」
男子二人に至っては触り方に遠慮がない。
その上そのまま筋肉談義を始めてしまってる。
私も欲望に負けてそっとツディーネのお腹の辺りを触ってみんと手を伸ばすと、隣でわきあいあいと筋肉談義していたはずの真楯くんが、にっこり笑って私の手を掴んだ。
「おねーさん、ほんとうっかりだねぇ。すっかり忘れてるでしょ、自分が加護が効かない身かもしれないって。嬉世の癒やしも効かなかったんだから、輪音の防御も効かないかもしれないでしょ。今回は諦めて。ね?」
こ、こんなところでもおかん属性発揮してる!
もっともな指摘にうぐぐ、と握りこぶしを作ると、代わりに解説してあげるね、と親切なのか嫌味なのか計りかねる提案をされた。
おかげでツディーネの毛は硬質そうな見た目に反して柔らかく、その奥の皮膚らしきものは、筋張った硬さは感じるものの弾力があり温かいことまで知ってしまった。触りたい。
悶々としたままツディーネの様子を見ると、目の前の地獄の番人は機能を停止したかのように静かだった。
何も言わず動かず、高ぶりそうになる感情に身体がついていけていないようにも見えた。
六つの瞳の視線はそれぞれ、触れられた場所に注がれている。
『触れる、の?』
小さく震える声は不安を、揺れる瞳は喜びと期待を滲ませていた。
「うん、みんな平気そうだよ。あ、エクランくんにも触ってもらう?」
「なぁツディーネ、ちょっとそっちの手貸してくんない? 爪も見てみたいんだよな」
「私も気になってた! 肉球とかあるのかな?」
『ま、待って待って。ほんとに何ともないの? 息苦しいとか、フラフラするとか、吐きそうとか!』
状況についていけずに狼狽えるツディーネの言葉を三人に伝えると、そろって大丈夫という笑顔が返ってきた。
その笑顔に、ツディーネはまたしても機能停止する。
「友だちならボディタッチは自然だろ。それともツディーネは嫌だった? ツディーネが嫌なら俺たちもしないようにするけど」
残念そうにそう言う真楯くんに、ツディーネがゴルンゴルンと頭を横に振った。
『そんなこと、ないわ。お友だちだもの。触られるのは、緊張するけど、嫌ではないわ。あの、じゃあ、私からも触っていいかしら?』
ところどころ言いよどみながら、言葉を探して尻すぼみになるツディーネが可愛い。
見た目は地獄の門番なのに、夢見る乙女のような可憐さを感じる。
ツディーネの言葉を伝えると、三人は目を見合わせてそれぞれ片手をツディーネに伸ばした。
「私たちの世界には握手って文化があるんだけど、こっちでもあるのかな? えーっとね、仲良くしましょうって意味を込めて、お互いの手を握り合うの。私たちもうお友だちでしょう? だからツディーネとも握手したいな」
「そうそう。で、ついでに爪触らせてくれ」
「ツディーネの指どうなってんのか気になる」
私もそっと手を伸ばす。
触れないけど、気持ちだけでも手を差し伸べたかった。窓の向こうでツディーネは言葉をなくしていた。
「ツディーネ、手を出して」
ゆっくり伸ばされる手は大きくて、空気も切れそうなほど鋭い爪が五本覗いている。
毛に覆われている指は人間と同じで五本あって、ずんぐりむっくりしている。女性二人くらいの身体なら片手でぎゅっと掴めそうなくらい大きい。
もう少しで手が届く、というところでためらうように止まった手を引いたのは、輪音ちゃんだった。
「はい、握手。これから仲良くしようね。ほら、ツディーネが触っても大丈夫でしょ?」
「やーっぱ見た目通りすげー爪! あれ? これ素材、はるのアームポールの刃に似てない?」
「ほんとだ。詳しいこと聞いてないけど、もしかしたらキパールの爪が刃に使われてるのかもしれないな」
『あ……、ええ、そうよ。キパールの爪は伸びすぎると自然に折れて生え替わるの。よく切れるから、刀とか素材にも使われているわ』
ツディーネの言葉を伝えると、はるくんは興奮気味に笑った。
「じゃあ俺のアームポールのも、ツディーネのなのかもしれないな」
うわ。
はるくんて、普段あんまり笑わないから気づかなかったけど、笑うと破壊力がものすごい。顔面偏差値異常な異世界でも目を見張るほどの好青年ではないか。
そんなはるくんの魅力が炸裂した笑顔を向けられたツディーネは、見事に時を止めている。
はるくん、必殺技これにしたらいいんじゃないかな。時を止める破顔光線。キラリーンスマイルと良い勝負かもしれない。
ネーミングセンスのなさに落ち込みつつツディーネとのふれあいを楽しんでいると、ふっと意識を浮上させる音が耳に流れてきた。
『あ……』
時を止めていたツディーネも、意識を取り戻して食い入るように音の発生源を見つめている。
「これ、初めて聴く。嬉世ちゃんのピアノはほとんど聴いてるけど、これは初めて」
輪音ちゃんも呆然としたように呟く中、流れるように音の煌めきがその場を支配する。
『これ、聴いたことがあるわ。昔よ。もう弾ける人はいなくなったの。……エクランのお母様よ。ああ、もう一度この曲が聴けるなんて』
感極まったようにこぼれ落ちたツディーネの言葉をみんなに伝えると、真楯くんが思案するように視線をさまよわせた。
「雑談で小耳に挟んだだけだから俺の推測が大部分なんだけど、騎士団長の奥さんって、有名な武力派の家柄出身だったとかで、奥さん自身も武人だったんだってさ。エクランくん生んだ後も魔のものの討伐に駆り出されて、そこで亡くなったって聞いた。ピアノが弾けたかは知らないけど、ツディーネが言うならまぁそうなんだろうな」
『そうよ! とーっても上手だったんだから! それだけじゃないわ。素晴らしい人だった。強くて、優しくて、いつも心に温かさをくれる人。私の憧れよ』
会いたい、という声が聞こえた気がした。
嬉世ちゃんが奏でる音の煌めきが心の内側に響くほどに、もう会えない人への憧憬を募らせる。
『これはエクランのお母様が、エクランのために作った曲なの。お母様が亡くなってから、この曲は誰にも弾かせなかった。けれどもう、十分ね』
複雑な音の重なりが一つのメロディになって胸を突き動かす。
嬉世ちゃんの表現力なのか、それとも曲の持つ魅力なのか、嬉世ちゃんが静かにピアノから指を離すまで私たちはじっと聞き入っていた。




