61 ツディーネと救世主
ふと室内に静寂が訪れた。
ああ、嬉世ちゃんのピアノが止まったんだ。すっかりBGMだった。
しかし結構な騒ぎだったような気がするけど、嬉世ちゃんのピアノに対する集中力が神がかってる。
そしてそんな中でも眠り続けるとおくんの脳天気さよ。いや、きっと疲れてるんだ。そしてしこたま嬉世ちゃんから癒やしを受けたんだ。
「あれ、エクランくん? どうしてここに」
嬉世ちゃんの声に、エクランくんの背筋がピンと伸びる。
「キヨ!」
おや。
エクランくんの背後に大きな尻尾が見える気がする。
しかも引きちぎれそうなくらい全力で振って残像しか見えないような尻尾が。
半端じゃないなつきようだ。嬉世ちゃん、ハンドラーの才能があるのかもしれない。
「キヨは優しくて品があるだけじゃなく、リュージーネリアまで堪能なんだな! 素晴らしかった」
「褒めてもらって嬉しいです。私たちの世界にも同じ楽器があって、小さいときからずっと習ってるんです。弾いてるときは集中して周りが見えなくなっちゃって……エクランくんが来たのも気づきませんでした。ごめんなさい」
親しげな二人の様子に視線を外せずにいると、輪音ちゃんがそっと寄ってきて解説してくれた。
「最初の遠征のとき、エクランくんこっそり騎士団長の荷物に紛れ込んでついてきちゃって。その間、嬉世ちゃんがいる部隊でお世話してからこんな感じ。嬉世ちゃんも年の離れた弟いるから、一緒にいるの楽しかったんだと思う」
「弟」
「うん。……あ、うーん? 血の繋がった弟じゃなかったんだ。えーっと、おじいさまの弟の息子? だったかな。そんな感じ」
家族関係が複雑だって言ってたけど、弟からして訳ありだった。
「エクランくんはどんな曲が好きですか? この世界にどんな曲があるのか、教えてもらえると嬉しいです」
「それなら楽譜をお持ちいたしましょうか」
アマヴェンナさんの提案に、嬉世ちゃんとエクランくんは目を輝かせて応じている。
うん、仲良しだ。笑顔の二人に癒されていると、何ともいえない複雑な感情が頭の中に流れ込んできた。
『あれが、エクランが最近ずっと話していたキヨね。へー、ふーん、とっても仲よさそう。それにまっすぐな黒髪が美しい子ね』
うん、これはツディーネですね。
『そうよね、私にとってお友だちはエクランだけだったけど、エクランにとってお友だちはたくさんいるもの。その方が良いに決まってるのに、どうしてこんなにもやもやするのかしら』
ツディーネの独り言だろう思いが次々に流れ込んでくる。
エクランくんが笑っていて嬉しい、という感情と、ツディーネのいないところで笑っていることが寂しい、という感情と、その輪には入れないという諦めと。
ツディーネを見れば肩を落として、そっと窓辺から離れようとしている。
待って、と声をかける前に、真楯くんが私に話しかけた。
「おねーさん、あのさー、このツディーネに、俺も友だちに立候補していいか聞いてくんない?」
通訳の依頼だった。驚いたのは私だけでなくツディーネもだったようで、振り向いた瞳は信じられないものを見るように真楯くんを凝視している。
「あ、俺の言葉聞こえてる? こっちの言葉は通じるのか。じゃあさ、イエスノーで答えられる質問だったら話できたりする?」
戸惑いながらも、ツディーネはゆっくり慎重に、その大きな頭をごてりと縦に動かした。
何が起こっているんだろうか、と現状を把握しようと忙しなく感情が揺れているのが伝わってくる。
『わ、私に話しかけてるのよね? 目が合ってるものね? ね!? 名を伏せしもの!』
戸惑いのあまり、私に向けられた血走った目は、助けを求めているようにも見えた。
「真楯くんはツディーネとお友だちになりたいようです」
冷静に真楯くんを紹介していると、それを見ていた輪音ちゃんとはるくんも窓辺にやってきて、ツディーネと会話したいと声を弾ませた。
「キパールとお話できるなんて素敵! 私は輪音。よろしくね」
「俺ははる。さっきからずっと思ってたんだけど、これ筋肉だよな? 触ってみてもいい?」
「俺も触ってみたいと思ってたんだよな~。この毛、意外と柔らかそうじゃん?」
「ふわふわ大好き!」
窓の間際に佇むツディーネにそっと手を伸ばそうとする三人を、ツディーネは現実逃避でもしているのかぼんやり眺めている。
はるくんの手がその毛に触れる、というところで、ツディーネはビクゥッと毛を逆立て、大きな身体からは想像もできないほど素早い動きで後ずさった。
『だ、ダメっ!! さ、触った!? 触ったの!?』
「うわっ! びっくりした。悪い、急に触ろうとしたから、嫌だったよな」
挙動不審にオロオロしながら六つの瞳をかっぴらいて三人、特にはるくんの様子に注目しているツディーネは、何かを恐れているようだった。
『どうもしない? 触ってないのね? ああ良かった。あのね、私の身体、無意識に人間に有害な毒を出したり、毛が毒針になったりするから、うかつに触ると命を落とすの。エクランも私に触れたり乗ったりする時は分厚い防護服を着てもらってるし。だからごめんなさい。怖い思いをさせたわね』
説明しながら、ツディーネの様子はどんどん落ち込んでいく。
『あの、だから、やっぱり私とお友だちは無理って思ったら、気にしないで言ってね』
ゾウの五倍はあろうかという大きな身体は、確かに見上げるほどの威圧感を放っているのに、見るからに気落ちした様子のツディーネの背後に、不安に俯く小さな女の子の姿が重なって見える。
「悪い、何か言ってくれてるんだろうけど、くみ取れなくて。おねーさん、ツディーネ、何て言ってるの?」
はるくんの質問に、さっきのツディーネの言葉を伝えると、輪音ちゃんが一歩前に進み出た。




