58 エクランくんとツディーネ
ここでもメイドさんたちの手腕は素晴らしく、エクランくんとともに輪音ちゃんたちが戻ってくると、すっかりエクランくんの席が整っていた。
お茶の用意も完璧で、おそらくはエクランくんが好きなのであろうお菓子も増えている。
外は冷えるとは言え毛皮を着込むほどではなく、もこもこの毛皮を纏ったエクランくんは部屋に入るなりメイドさんに毛皮をむかれていた。
……思ったより小さいな。七歳くらい?
美幼女よりは大きく、ルドよりはずっと小さいという感想が浮かぶ。
「勝手に泉に来てご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。一人で帰れます。父上には言わないでください」
むすっとした表情のまま、エクランくんは同じ文言をさっきからずっと繰り返している。
真楯くんや輪音ちゃんがどうやってここまで来たのか、キパールとの関係を聞いてもその質問には答えず、さっきのフレーズを言い続けている。
叱られたくないというよりも、余計なことを言って迷惑をかけるのを恐れているように見えた。
キパールに。
だってさっきからずっと、窓の外に隠しようもない存在感でうろうろおろおろしているキパールが見えるのだ。
なのにエクランくんは、横顔に注がれるキパールの熱い視線を全て無視している。
「もうここには来ません。約束します。だから今日のところは見逃して帰してください」
『えっ……! もう、私には会いに来てくれないの!? 私のこと、嫌いになったの? さっき背中から落としちゃったから!? ご、ごめんなさい。怖かったわよね、今度からはちゃんと魔力でくっつけておくから、もう来ないなんて言わないで!』
顔は怪物そのものなのに、悲壮なキパールの声が胸を締め付ける。
声だけ聞いていれば、優しげで可愛い女の子だからこそ余計に。
「ってもなぁ。一応ここ、許可が必要な場所らしいから、どうやって来たのかだけでも教えてもらいたいんだけど」
『私よ! 私が連れてきたの! いつも門番の仕事が終わったら泉で休むんだけど、都合が合えばエクランを誘っていたのよ。ああ、こんなことになるなんて』
キパールは窓の中を食い入るように見て、その後ふらふらとうずくまった。声だけでなく姿までも悲愴感に満ちている。
エクランくんはその声が聞こえているのかどうか、全く無視して硬い表情のまま膝に乗せた手を強く握りしめている。
「……一人で来ました。探検していたらいつの間にか。だからもう一度来ることもできないと思います」
『エクラン……! どうしてそんなことを言うの!? ねぇ、また会いに来てくれるでしょ?』
俯かせていた顔を上げて、キパールは叫んだ。六つの瞳はまっすぐにエクランくんを見つめて、潤んでいる。
「じゃあさ、質問変えるわ。そのキパールとはどういう関係なの?」
『私はエクランの親友よっ!! エクラン、言ってやって! 私とエクランは唯一無二の親友だって!』
人とキパールとの友情を目の当たりにして、目頭が熱くなる。
エクランくんの答えを固唾をのんで待っていると、何故だかちらりと真楯くんの視線を感じた。
『エクランっ! どうして言ってくれないの!? 私、あなたの親友でしょ!? 一緒に泉でユヴィーグ獲りした仲でしょ!? びしょ濡れになって、裸でオディギアの野を駆け回った仲じゃない! あなたがもっとおちびちゃんだった頃から私ずぅっとあなたの側にいたわ! お漏らしして泣いたときだって、私の魔法で浄化乾燥してあげたの、忘れちゃったの!?』
ほほーぅ、随分親密な仲だ。
親友というより、お母さんみたいな。そしてお漏らしの記憶は忘れさせてあげてほしい。
「っ、もう!! ツディーネは黙っててよ!」
これまでキパールの言葉はことごとく無視してきたエクランくんだけど、ついに我慢ならなくなったようで、声を張り上げた。
その吠えるような声を聞いた瞬間、エクランくんより何十倍も大きいキパールはびくっと身体を震わせて、できる限り小さくなろうとしょげている。
「ツディーネって、そこにいるキパールのこと?」
『そ、そうよね。ごめんなさぁい』
「知らない。あのキパールとは何の関係もない」
しん、と場に沈黙が落ちる。
誰も一言も発しない中、変わらず嬉世ちゃんのピアノの音が流れてくる。
賑やかさの中で完全にBGMだった。それにしてもこの騒動の中でも集中力が切れない嬉世ちゃん、ただ者ではない。
『ああ、あんなに楽しみにして来たのに、リュージーネリアの音も今となっては悲しい調べにしか聞こえないわ』
ぽつんと小さなぼやきが聞こえた。
ちなみに曲調はどちらかというと明るく、光り輝く音の粒がテンポ良く跳ねているイメージだ。
その調べに影響を受けたのか、沈んでいたはずのキパールからはしょんぼりという擬態語がすっかり消えている。
『思えばエクランって結構怒りんぼなのよね。私、いっつも怒らせちゃうのよ。でも、怒らせるつもりなんてぜーんぜんないのよ、誓って』
ぶつぶつと、キパールのものらしき繰り言めいたものが頭の中にそよそよと入ってくる。
ちらりとキパールに視線をやると、いじけているのか地面にどっかりと座り込んで、いじいじと土いじりをしているご様子。
エクランくんの方を見ると、キパールの声が聞こえているはずなのに全く無視して、親の敵のように紅茶カップを睨んでいた。
『ライエゾールが遠征で、家にずっとこもってばかりだろうから、たまには羽を伸ばすのもいいだろうなって、思っただけだったのに』
キパールの声はどんどん沈んでいく。何だか私の胸も苦しくなってきた。
『エクラン、笑ってくれると思ってたのに……やっぱり私じゃ、お母様になれないわね』
その声は溢れんばかりの母性で満ちていて、聞く者の胸を締め付けるほど。
『あ、違うわ。違うのよ、エクラン。これは同情なんかじゃないわ。だってエクランだけが私の言葉を聞けるもの。エクランだけが、人間の中で唯一、私を分かってくれているのよ』
キパールは思いを視線でも届けようと思っているのか、熱い眼差しをエクランくんの横顔に送っている。
一方のエクランくんは、膝の上で握りしめた拳を緩めることなく、じっと真正面を向いていた。
キパールの視線も言葉も、頑なに拒み続けている。




