55 魔法を使いたい
「あの、私にも使える魔法があったりする?」
そうか、とまるで目からうろこが落ちたようにルドは呆けた。
「盲点だったな。さっきも魔法が見たいって言ってたし、魔法に興味がある?」
「それはもちろん! 私の世界では魔法は想像上のもので、空を飛べたり、物を浮かせたり、火や水や風や土とか自然現象を操ったり、その魔法の使いかたも呪文であったり、魔方陣であったり杖を使ったり色々なんだけど……そういえばさっきの『雲』の魔法はどうやってやったの?」
「あれは見たいものをイメージして手に魔力を込めるんだ。それほど魔力は使わないから、多少の魔法の心得があるもの、例えば神官なら誰でもできるものだ」
「へぇー。私にもできたりする?」
異世界人は魔力がないってさっき言ってたけど、もしかしたら魔力なしでもできる魔法っぽいものがあるかもしれない。
日常生活のほとんどで魔法が関わってるとはいえ、ゴリムレラは伊蕗さんの生活環境に似せてシステムを構築したようで、現代日本の電気ガス水道の仕組みとほとんど変わらないのだ。
せめて何か魔法っぽいものを感じたい! という私の欲望をぶつけると、ルドは困ったように笑った。
「そこまで魔法に興味があるとは思わなかったな。ならこの館も、もう少しチヨコの言う魔法っぽいものを感じられるようにしようか?」
出た、王族特権!
きっとハイパーでエグゼクティブなメイドさんたちに突貫工事を押しつける気だ。あのサンルームだって、恐ろしいくらいの出来映えの良さだった。
宮殿に突如現れたサンルームに意識を飛ばしていると、アマヴェンナさんと相談し始めてしまって、慌てて二人の会話を止めることになった。
ダメダメ、滅ぼしの救世主の可能性はほぼ皆無とは言え、だからこそそんな特権使う気はないのだ。
「いいですいいです、私はこのままのこの離れがとっても気に入ってるので、もし良ければこのままでお願いしたいです! どちらかというと自分で魔法を使ってみたいです」
うっかり敬語に戻ってルドの目が不満そうだったけれど、今回は見逃して欲しい。
「そうだな、魔力がなければ魔法は使えないけれど、チヨコは確か、しるしを付けられたんだったね? それなら、術者の魔力を吸い取ってるはずだ。それを使えば、魔法が使えるかもしれない」
わ、ほんとに?
期待で思わず背筋を伸ばすと、ルドが立ち上がって私の席の背後に立った。
「しるし、見せてくれる?」
「ルドレキオ様」
それまで静かに見ているだけだったアマヴェンナさんが、制止するように声を発した。
けれどルドは気にした風もなく、私の肩にかかる髪を優しく持ち上げる。
「別に何もしないよ、アマヴェンナ。お前は心配性が過ぎるね。ああそうだ、お茶を入れ直してくれないか」
「先ほど新しくお茶は入れ直して参りました」
「次はコーディロムが飲みたいんだ」
「……仰せつかりました」
コーディロムがどのようなものか発展途上の私の異世界言語録には記載がないけれど、予想するにとんでもなく手間がかかる代物感がプンプン漂っている。
そこまでしてアマヴェンナさんを追い出したいのか。やっぱり横暴殿下といい、王族は権力持ってるだけあって恐ろしい存在だ。
私が王族認識を歪んだ方向で深めていると、ルドがふっと私の背後で笑った。
……耳の側とか、止めて欲しい。な、何かそわそわする!
いや、相手は十二、三の子どもなんだけれども! いかがわしい気持ちなんて一切ないんだけれども!
誰にともなく言い訳していると、背後に立ったルドの指が私の襟元にかけられた。くい、と軽く背筋側を引き下げられる。
「ごめん。苦しくない? 少し触るね」
「うん」
アマヴェンナさんがいないっていうだけで、ものすごく不安だ。
アマヴェンナさん、早く戻ってきて!
「ああ、やっぱり術者の魔力がかなり残っているね」
とん、と首の後ろの背骨の付け根とおぼしきところに触れられる。
「それにしても…………こんなに深く、受け入れたの?」
すり、と撫でる動きが止まると、これまで聞いたことのないような低い声が、ルドのいる場所から聞こえてきた。
え、これルドの声だよね? あの可愛い顔から想像できないような低さと不穏さなんですけど。
「え、と、ごめん、何かある? 自分では全然違和感とかないから、魔力が残ってるって言われても分からないんだけど」
「うん、魔力は残ってる。随分深くまで許したみたいだから、術者も焦っただろうね。チヨコは今、一時的に魔力を宿している状態だ」
「しるしを付けるって、私の居場所とか特定するためだって聞いたけど、魔力の受け渡しもできるってこと?」
「しるしは魔力を付与し、付与した魔力をたどることで位置を把握するものだからね。基本的にはわずかな魔力でいいんだけど、まれに魔力を渡しすぎてしまうケースがあるんだ」
淡々と説明してくれるルドの声は、いつも通りのようでいて少し低く、感情が見えない。
「あの、ルド」
「このまま、前を向いてて。魔法を使いたいんでしょう? この術者の魔力を使ってもいいけど、それだと私がうまく誘導できないから、私の魔力をのせるね」
ささやき声が耳に落とされる。
かすれた声は甘やかで、潜めているからかいつも以上に色気を滲ませている。
まるで王太子殿下の声のように。
うん、と頷くこともできないまま固まる私の両肩に、ルドの手が添えられる。かすかに身じろぐ気配がして、さらりと髪が触れる気配がした。
背中全体でルドの気配をたどっていると、不意に温かい呼気がさらされたうなじに触れて、思わず肩が揺れた。
「動かないで、チヨコ。加減ができなくなる」
肌のすぐ近くでささやいている。うなじが熱い。
チリチリとした熱感の後、人肌の湿ったものがうなじに触れる感覚が襲ってきた。
こここここれ、もしかして唇!?
ドクドクドクと凄まじい勢いで心臓が鳴り響いている。
一体何が、と混乱する私の耳に、切羽詰まったようなルドの吐息が飛び込んできた。
「っ、しまった……っ、チヨコ、振り向かないで」
呼吸は乱れ、苦しそうなルドの声からしか判断できないけれど、何か不具合が起こったらしい。私の両肩を掴んだまま、力なく私の背中にもたれかかってきている。
「あの、横になった方が……」
「大丈夫。少し加減を間違えただけ。自業自得だ」
息のようにかすかに吐き出された声は苦しそうで、上手く声を出せないのかくぐもって聞こえる。
下を向く私の頭と首の角度がちょうどいいのか、ルドの顔が私のうなじにもたれかかっている。
おかげで、息づかいまではっきりと聞こえてきた。熱い呼気が髪をくすぐって、肌を焼くのを感じた。
身じろぎもできずにいると、両肩にあったはずのルドの手が外れて、なぜかそのまま私の首の前で交差した。
これは俗に言う、バックハグでは……。
いや違う、あれだ、ついに身体を支えていられなくて、私にもたれかかった結果なだけだ。うんそう、絶対そう。ていうかルドの腕ってこんなにがっしりしてたっけ?
思わず首元にあるルドの腕に手を伸ばすと、慌てたように腕は外された。
「ごめん、今日はこのまま失礼する」
え、と振り向いたときにはもうすでにその姿はなく、私は誰もいなくなった部屋で、アマヴェンナさんが戻ってくるまでずっと、一人ソファに座っていたのだった。




