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41 イヴェリーンの片割れ


「あの、イヴェリーン教について、って書いたんですけど、何か別の意味に読めたりするんでしょうか?」


 問いかけにも答えてくれない。ただじっと文字に目を落としている。


 しばらく経ってから、メイドさんは気が抜けたようにすとんと椅子に腰を落とした。


「おまけさま。この文字を、日本語とおっしゃいましたね?」


 質問のような確認のような、独り言のように落とされた言葉。


 答えを求めないうわごとのよう、という表現が一番ぴったりくるかもしれない。それほど力のない声でメイドさんが問いかけてきた。


「言いました。私の世界では百を超える国があって、その一つに私たちの暮らす日本があります。そこで使われている言葉です」

「……いぶき、という名前は一般的でしょうか?」


 突拍子もない質問に、少しばかり戸惑う。


 そういえば日本に関することってこれまでこの世界で誰にも言ってないかも。救世主が来たことが重要で、どこから来たのかっていうのは「異世界から」っていう言葉で済んでいたから。


「いぶき、ですか? そうですね、名付けにも使われると思います。息吹でいきづかいっていう意味で、比喩的な意味として使われることが多いですかね。男女問わず似合う名前だと思いますよ」


 説明をじっと聞いていたメイドさんは、聞き終わるとはぁーっとそれはそれは大きな息を吐いた。


「え、どうしました、大丈夫ですか?」

「おまけさま、お願いがあります」

「はい!」

「次回大神殿に赴く際は、わたくしも同伴いたします。その際、わたくしにお時間をいただけませんか? 神官長には話を通しておきます」

「え、あ、はい、分かりました」

「この文字は、失われたイオヴェ語にそっくりです」


 全く意図していなかった言葉が飛び込んできた。


 え、だって失われたイオヴェ語って、神の言葉じゃなかったっけ?


「おまけさまは、神官長からお聞きになったのではないでしょうか。大いなる神イヴェリーンは創世神ゴリムレラによってこの世界に連れてこられたのだと」


 私が神妙に頷いて是と示すと、メイドさんは言葉を続けた。


「イヴェリーンが人だということもお聞きになりましたね?」


 何故だか声を出してはいけない気がして、もう一度頷いた。


 メイドさんの雰囲気が、これから重大事項を話すという重みを醸し出していて、その重みにすでに押しつぶされそうだ。


「イヴェリーンが使っていたとされる言葉が、失われたイオヴェ語です。これは百年使用された形跡がありますが、おそらくこの言葉を完璧に使用できていたのはイヴェリーンただ一人でしょう」


 言葉は、その習得に関して年齢が非常に大きな条件になる。臨界期というものが関わってくるからだ。


 母語と同じように第二外国語を習得しようとするなら、その習得が臨界期内であれば完璧な発音、文法が身につく可能性は高くなる。


 もしこの世界に失われたイオヴェ語を話す存在が一人しかいなかったとしても、幼子がいれば接する中で身につけていけたのではないだろうか。


「失われたイオヴェ語は全ての言語の祖と言われています。なぜなら全ての新生物の祖であるイヴェリーンがその言語を話していたからです。当時どのような言葉が話されていたのか、私たちは知ることができません。しかし、文字に関しては想像が可能です。ただ、現在残されている失われたイオヴェ語の文献をどれだけひもとこうとも、現在までに残るどの言語にも受け継がれた形跡のない全く系統の異なるものであり、根本的に全く別の言語としか言いようがないのです」


 それはなぜなのでしょうか、と問うともなしにメイドさんが言った。


「わたくしはずっと考えてきました。言葉とは話し言葉と書き言葉が互いに繋がり合っているものです。話した言葉と書いた言葉は、少なからず相似点がある。しかし、失われたイオヴェ語にはそれが全く見つけられない。それが不思議でした。奇妙だとさえ思えるほどに」


 一呼吸置くと、メイドさんはそっと視線を外に向けた。


 風が木々を揺らしているのか、それとも木自体が揺れているのか、ざわざわと葉擦れの音を立ててほんのりと染まった紅色が心地よさそうに揺れている。

 舞い上がった風が連れてくる大地の匂いも鼻に届きそうだった。


「しかし、それがもしおまけさまと同じ状態であったとしたら、どうでしょう」


 一つ瞬きをして、メイドさんが私を見つめた。


「さきほど、おっしゃっていましたね。話す言葉は、元いた世界の言葉を話しているつもりだと。文字は勝手に翻訳されると。だからこちらの世界の文字の組み立て自体分からない、書けないのだと。同じことがイヴェリーンにも起こっていたとしたら、どうでしょう」


 その質問に、答えるには勇気がいった。


 簡単に答えて良い問題ではない。そんな気がして黙ったままでいると、メイドさんは言葉を継いだ。


「イヴェリーンはこの世界ではない場所から連れてこられた。おまけさま、わたくしはイヴェリーンはあなたと同じ世界から来た人間ではないかと考えます」


 途端に息が苦しくなって、慌てて息を吸い込んだ。頭を使いすぎて、呼吸が浅くなっていたようだ。


「同じ世界の、人間ですか?」

「そうです。人間です。神官長から聞いたでしょう? イヴェリーンは一組の男女だと。イヴェリーンという名は、この二人の名前を組み合わせたものです」

「名前……」

「おまけさまには読めるのではないでしょうか。これがイヴェリーンの、異世界から連れてこられた女性の名前です」


 そう言ってメイドさんは冊子を開き、私がイヴェリーン教について、と書いた下に文字を書き出した。おそらく漢字だ。


 だけど向かい合った状態で逆さに見ていることを踏まえても、書き順がとんでもないことになっている。

 続けて書くところも切ってたり、切るべきところを続けてたり跳ねないところを跳ねてたり。


 文字というより、図を書いているようにも見える。

 

 書き終えたのかメイドさんが手を止めて見えやすいようにこちらに向けてくれた文字は、確かに漢字だった。


「これをおまけさまの世界ではなんと読みますか?」


 おそらく忠実に再現されているのであろうその文字は、少し丸みを帯びた可愛らしい字だった。


 画数が多いからか、最初の文字はほとんど潰れてるけど、多分この文字だろうと推測する。


「人名は読み方が特殊なことが多いので自信はないんですけど、齋髙伊蕗さいたかいぶき、と読めます」

「おまけさまと同じ世界の人間の名前だと思われますか?」


 おそらくメイドさん自身も確信を持っているんだと思う。私に尋ねるその声と瞳は、すでに答えを知っているようだった。


「この文字は漢字……えーっと、日本語の文字の一種ですが、それに間違いないと思います。漢字を使う国は他にもあるんですが、おそらくこれは日本人の名前だと思います。だから、そうですね、先ほどの質問の答えとしては、はい、です」

「イヴェリーンの残した手記はそのほとんどが解読されていません。イブキ、という名前は最古の古文書にかろうじて記されているだけで、あくまでも仮説としてイヴェリーンの名前からイブキが女性のイヴェリーンであろうと推察されていただけなのです。しかしこれで、確信が持てました。おまけさま、ありがとうございます」


 メイドさんはすっきりしたような表情をしているけれど、私としては混乱の極みである。


 イヴェリーンが同じ日本人だなんて、どんな共通点だろう。もしかして救世主として日本人が召喚されたのも、それが理由なんじゃ。


 考えがまとまらないままにメイドさんに質問すると、深い頷きが返ってきた。


「その推察は正しいのではないでしょうか。ゴリムレラは、ひいてはこの世界はイヴェリーンを求めています。そのためかつてイヴェリーンがいた世界の住人であるあなた方を求めたとしても、それは自然な成り行きと言えるでしょう。イヴェリーンと同じ世界に生きるあなた方だからこそ、この世界を救えるのかもしれません」


 イヴェリーンがいないなら同じ世界の人間でもいいか、と連れてこられたのであろうか。


 ゴリムレラ、執着の方向が間違ってる気がする。


 いやむしろゴリムレラならイヴェリーンの生まれ変わりとかでも見つけて連れてきそうな気がする。生まれ変わりがあるとするならだけど。


「ゴリムレラが求めているのがイヴェリーンただ一人……えーっと、実際には二人なんでしたっけ? だとしたら、どれだけ求めても叶わないんじゃ」

「ゴリムレラが求めているのはイブキ様ただお一人ですよ。ですから、そうですね、どれだけ代わりを求めようと、結局この世界に待っているのは破滅だけなのかもしれません」


 暗い雰囲気の中で、しかし、とメイドさんは闇の中にかすかな光を灯そうと希望を口にする。


「イヴェリーンと同じ世界から来たあなた方を、ゴリムレラは決して傷つけはしないでしょう。救世主によってこの世界が救われるという言い伝えは神々によるものです。ゴリムレラは異世界からの救世主を決して粗雑には扱わない。もとより、あなた方を喚ぶ力を持つものはゴリムレラだと考えるのが妥当です。もしかしたらゴリムレラ自身が、この世界の救世を望んでいるのかもしれません。イヴェリーンを執拗に求め続けるこの世界の救世を」


 かすかな光は、今にも消えてしまいそうなほどの願いの灯だ。


 なんとなく、メイドさんの口ぶりは破滅へと向かうこの世界の姿を、遠からず向かうべきものとして受け止めているような気がした。


 それでも、かすかに残された希望の灯火を見いだそうとしている。


「あなた方こそが、この世界の唯一の光なのです。イヴェリーンとの縁もこれではっきりしました。やはりあなた方にしか、この世界の救世は果たせない」


 メイドさんがそっと、ノートに綴った文字をなぞる。


 「齋髙伊蕗」と書かれた文字は馴染み深い漢字のように映るのに、どこか遠い異国の文字のようにも見えた。






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