40 失われたイオヴェ語
「ゴリムレラは、自分も信仰の対象になろうとは思わなかったんですかね? イヴェリーンと一緒に、二柱の神々として信仰される方法もあったんじゃないですか?」
「ゴリムレラがどのような意図でイヴェリーンだけを信仰の対象としたのか、詳しいことは分かっていません。イヴェリーンの言葉と言われるものは資料として数多く存在しますが、ゴリムレラの残したものはほとんどありません」
「何でしたっけ、失われたなんとか語がイヴェリーン言葉なんでしたっけ?」
「はい、失われたイオヴェ語です。非常に難解な言語として、現在も研究対象となっており、正確に読み解けるものは残念ながらいませんが。実はわたくしの研究対象が失われたイオヴェ語なのです。いつかこの言語を完璧に読み解くのが目標です。残された資料はほとんどがイヴェリーン自らが書いたと言われる書物で、大神殿の宝物庫に現状維持の魔法のもと保管されています」
「……メイドさんって、本職は研究者なんですか?」
失われたイオヴェ語の話になった途端、メイドさんの目が輝いた。ものすごく可愛い。
かなり本格的に研究してるみたいだから、趣味とかではないだろう。知識量も半端ないし。
「基本的には神殿の職員として王宮に奉仕しております。わたくし同様、ここにメイドとして働いているものの多くは神殿関係者です。今回大神殿が召喚の場だったこともあり、神殿関係者が救世主様方のお世話をすることとなったのです」
普段は王宮にお勤めだと聞いた気がするんだけど、何だか大人の事情が裏に隠れていそうだ。
これは余計な詮索をすると蛇が出てきそうなので、頷くだけにとどめておいた。
「では、教典の続きから進めましょう」
「あ、あの、何か書くものが欲しいんですけど、どこかにありますか?」
昨日は話に夢中で書き留めることをしなかったから、忘れないようにいつでも書けるようにしておきたい。
そう思って聞いた途端、メイドさんがさっと紺の綴じ紐のついた冊子とペンを出してくれた。
いや、さっきまで両手に何も持ってなかったのでは。
もしかして魔法の一種なのかもしれない。
「あ、ありがとうございます。……今のって、魔法ですか?」
「この世界に魔法を扱えるものはほとんどおりません。王族は別ですが、神官でもごく一部の者しか魔法を自由に操れません。こちらはおまけさまがご入り用かと思いまして、すでに用意しておいたものです」
いや、出し方プロの奇術師でしたけど。狐につままれたような気分になりつつも、ありがたく冊子とペンを押し頂く。
製本技術は日本に負けず劣らずなのか、白くて綺麗な紙はなめらかで書き心地も良さそうだ。
ペンはインク内蔵型の万年筆のような形になっている。グリップは上質な木でできているのか、持ったときの感触も心地良い。
嬉しくなって早速ページを開いて書いてみることにした。
何て書こう。まぁ無難にイヴェリーン教について、かな。
わぁ、万年筆って筆圧難しいイメージだけど、普通のペンと変わらない! むしろ書きやすい! この世界の万年筆が特別なのかな?
すらすら書けることに喜んでいると、向かいに座っていたメイドさんがガタンと椅子を揺らして立ち上がった。
音を立てるなんて、珍しい。
普段は気配すら消してしまうメイドさんの珍しい挙動に目を向けると、メイドさんは唖然とした表情で私を見ていた。
正確には、私の手元、ペンの先だ。
「え、あ、書いちゃダメでした? 何か作法がありました? 書き始めは必ず書かなきゃいけない教典の一部とか、断りがいるとかでしょうか?」
すみません、と尻すぼみになっていく言葉にもメイドさんは反応してくれない。
ただ呆然とノートを眺めている。
どうしよう。これはいよいよもって、ものすごい失態を犯してしまったのかもしれない。これで投獄とかになったらどうしよう。
え、ちょっと証拠隠滅してみる?
そっとペンを置いてノートを閉じる。
それを教典の下に隠して何事もなかったかのように振る舞おうとすると、ようやく我に返ったらしいメイドさんがぴくりと動いた。
「おまけさま、今一度その冊子に書いたものを見せていただいても?」
声は冷静だ。冷静すぎていつも以上に堅くなってる。いつもは浮かべている微笑みも見えない。これは絶対やらかした。
とりあえずすっとぼけてみることにした。
「え? 冊子ですか? えーっと、ちょっと書き損じてしまいまして。恥ずかしいので、お目にかけるのはちょっと」
「おまけさま、先ほどの文字は、おまけさまの世界のものですか?」
質問が変わった。いや、話題は変わってないのか?
「えーっと、そうですね、日本語というものでして。あの、私たちこの世界の言葉は聞き取れるししゃべれてるみたいなんですが、実際は日本語しかしゃべってない状態です。文字に関しても、こう、勝手に文字が翻訳されるというか。自動的に日本語に変換されるので、こちらの文字をちゃんと文字として認識できていないし、文字そのものの書き方も分からなくて。なので日本語で書いたんですけど、こっちの言語で書かなきゃダメってことでした?」
話しながら何が問題なのか分かってきた気がする。こんなに書く文字を気にするってことは、この世界の文字で書かなきゃいけなかったのだ。どうやって勉強しよう。
一人壁にぶち当たって悩んでいると、メイドさんがそっと手を差し出してきた。
「おまけさまの認識にはいささか誤りがあります。が、今はそれを正している時間が惜しいのです。どうか先ほどの文字を見せていただけませんか? お願いいたします」
流れるような美しい所作でメイドさんが頭を下げた。思わず見惚れてしまって、慌てて言葉の意味を解釈する。
「あの、特に罰されることはないんでしょうか?」
「その点に関してはご安心ください。何を書いていただいても全く問題ありません」
「安心しました。でしたらどうぞ」
不安は払拭され、ほっとしながらメイドさんに冊子を手渡す。
なぜかメイドさんは緊張しながら冊子を受け取り、慎重な手つきでページをめくった。そうして、息をのんだ。




