34 優しさを受け止めるには
去った後もキラキラと星の光の残滓が残っているような錯覚に陥りながら、メイドさんがいれてくれたお茶を飲んで一息吐く。
「殿下の前では随分緊張なさっているんですね」
ほっと息を吐いている私に声をかけてきたのは、ユエジンさんだ。
メイドさんが冷たい視線を送るのを華麗に無視して私に笑いかけてくる。
この二人、一体どういう関係なんだろう。どうも因縁があるみたいなんだけど。
「お言葉を返すようですが、緊張しないでいられるほど私心臓強くないです。相手は王太子殿下ですよ? ただでさえ異世界で勝手が分からない上に、地位と権力は怖いという生来の刷り込みがあります。その上あの美貌。私みたいなのがあの美しい目に映り込むかと思うと恐ろしくて」
「そうですか。おまけさまはどうも美しい顔がお好みのような気がしますが、殿下の顔は好みませんか?」
「質問が突飛すぎて、お答えしかねます。私などが王太子殿下の美醜を断じるのも不敬ですし、私の好みを知っても誰も喜ばないのを知っています」
「おやおや、どうにもおまけさまは疑心暗鬼が過ぎるようですねぇ。しかし、ずいぶん打ち解けてくださったようにも思います。まぁ、今はこのくらいにしておきましょう」
そう言ってユエジンさんもお茶を飲み始めた。
私もお茶請けに用意されたお菓子をつまむ。
甘みの強いチョコレートのような練り菓子で、一口食べると身体中に糖分が染み渡る気がする。ああ、おいしい。
甘味を堪能していると、次第に脳の機能が動き始めたのか、一つの疑問が浮かんだ。
ちらりとユエジンさんを見ると、同じタイミングで私の方を向いたのか視線が合った。聞くなら今だ、と思った。
「あのーユエジンさん、つかぬことをおうかがいしますが、あの美幼女って、もしかして王太子殿下のご息女だったりします?」
かなり突っ込んだ話だという自覚はある。
でも考えれば考えるほどに娘というのがしっくりくる気がしてならないのだ。
ユエジンさんを見ると、驚きのあまり声も出せないという表情をしている。
これは——どっちだろう。「なぜそれを知っている」という驚愕の表情なのか、それとも「何て荒唐無稽なことを」という呆れ果てた表情なのか。
しばらく経ってから回復したらしいユエジンさんが、這々の体といった様子で声を発した。
「一体なぜそのようなことを思いつかれたのか伺っても?」
あ、これは後者の「何て荒唐無稽なことを」の方だな。
なんだ、娘じゃなかったのか。
少し自信があっただけに残念に思いながら、私は考えを整理して言葉に変換していく。
「その、貫禄というか、動じないところといいますか、人に命じ慣れた感じがかなり高位のお嬢様なんじゃないかと思ったんです。で、さっきの王太子殿下の様子を見ていて重なるものがあるように感じて。それに何といっても美しさのレベルが! 系統は違うので似ているわけではありませんが、殿下のご息女と聞いても驚きません。それくらいの美貌でした。それに掌中の珠って表現、基本的に自分の子どもに対するものでしょう?」
「なるほど、おまけさまなりに根拠はあるとおっしゃりたいのですね」
「……違いました?」
答えは違っていても、解答までの道筋で何かしら当たっているものはないだろうか。
「どうでしょうか。殿下に関する個人的な質問はご容赦ください。ただ、一般知識を申し上げるなら、現在殿下にご息女はいらっしゃいませんよ。ご結婚もまだです」
淡々と私の期待は打ち砕かれていく。
そうか、結婚もまだなんだ。
隠し子っていう線もないのかな、って質問はいくらなんでも不敬に当たるか。
「そうですか」
「残念そうですね」
「ええまぁ。何となく、今日は勘が冴えてる気がしたんで」
滅ぼしの救世主だなんて異世界パワーワードがスムーズに出てくるくらいだし。
「おや。それでしたら、誘拐される前に少しは警戒するくらいの勘は発揮していただきたかったですね」
ユエジンさんは微笑みながら、決して笑っていない目で私を見据えた。
あれ、何だか雲行きが怪しいぞ。
「おまけさま。私の記憶では、最後に別れる際、広間に戻るようにとお伝えしたかと。なぜ森の中などへ入っていったのでしょう? それとも私の記憶違いでしょうか?」
おかしいですねぇと首をひねる仕草が、演技がかって見える。
ユエジンさん、そんな真綿で首を締め上げるような責め方もできるんですね。
新しい発見にちっとも喜べないまま逃げ道を探す。
「幼子だからと油断なされた? 美貌の主は心も美しく透き通ってるとお思いで? 大神殿の森だから滅多なことは起こらないと慢心なされた? まったくもってお話になりません。いついかなるときも警戒心だけは忘れずにお持ちください」
これはユエジンさんも相当のお怒りのようだ。だって笑ってるもん。
笑いながら怒る人は、怒りを抑えつける理性を忘れないほど冷静だ。
だからこそ余計にたちが悪いのだと、経験上知っている。
「あなたはまだこの世界に来て日が浅い。この世界の危険がなんたるかも理解できていないでしょう。あなたは大切な異世界からのお客人です。どうぞこれからは護衛は必ずつけ、忠告には真摯に耳を傾けるように。よろしいですね?」
このたびはほんとうに、ともごもご定型謝罪文を口にしようとしたところで、ユエジンさんと目が合った。
笑顔ではない。
真面目な、どこか悲しそうな顔だ。
「森の中で倒れていると聞いたとき、心から心配いたしました。あなたの身に何かあったらと。私だけではありません。殿下も、あなたに仕えるメイドも、みな不安に胸を締め付けられたのです。救世主様方がこの件を聞いたら、まず間違いなくあなたを叱るでしょう。それは同郷だからでしょうか。いいえ、おそらく彼らは違うと答えるでしょう。私たちもです。暮らしてきた世界が異なるだけで、この世界でも、もうすでにあなたは一人の人間として周囲に影響を与えているのです。あなたはもう少し、自分の存在の大きさに気づいた方が良い」
ユエジンさんが視線を私から外し、メイドさんへと向ける。その視線の動きにつられるように、私の視線も自然とメイドさんに向かう。
メイドさんは視線が合うと、かすかに頭を下げた。
「わたくしがともに参るべきでした。今後はお側を離れず、決して危険な目には遭わせないと誓います」
一つ呼吸を置くと、メイドさんは続けた。
温かい、労るような微笑みを浮かべて。
「お戻りを神に感謝いたします。ご回復なされたようで、よろしゅうございました」
この言葉で、ついに私の涙腺は決壊した。
「ごめん、なさい……」
たくさんの優しさを受け止めるには、私の器は小さすぎる。
そんなに多くの優しさを受け取るなんて思いもしていないからだ。
受け止めきれなくて、溺れそうで、慌てた感情がついに涙をあふれさせる。
とりあえず泣くことに集中して感情の波が落ち着くのを待てば、あふれだした器の対処はできるだろう。
ぽろぽろと涙をこぼす私に、ユエジンさんとメイドさんは慌て出す。
まぁそれはそうだ、急に泣き出したんだから慌てもするだろう。けれどその慌て方が、予想を超えていた。
「っ、おまけさま、どうぞこちらをお使いください! そっと優しく撫でるように拭うのです。決して擦ってはなりません! 念のため服で拭くのもお控えください」
いつも冷静なメイドさんが叫ぶようにそう言って、肌触りの良いハンカチを差し出してくれる。
ありがたく涙を拭いていると、ユエジンさんはいつの間にか扉の前に立ち、外の様子をうかがっているようだ。
焦っているのか、何かぶつぶつと呟いている。耳を澄ましてみたけれど、どうにも意味が判然としない。もしかしたら魔法の呪文なのかもしれない。
「異常はありません。気づかれてはいないようです」
一足早く落ち着きを取り戻したらしいメイドさんが、冷静にそう宣言した。
「そうか、良かった。きっと情報が錯綜していて混乱しているからでしょう。僥倖だった」
「……まだ分かりません。あのお方のことですから、後日判明することもあるでしょう。ことによればそちらの方が問題かもしれません」
胸をなで下ろすユエジンさんに、まだ不安そうな表情を残すメイドさん。
一体何が。
「ええと、何かまずいことでもありました?」
「そうですね、ひとまず危険は乗り越えました。あわや魔の王が降臨するかと思いましたが、我々は運が良かった」
「この世界、魔王もいるんですか」
「ええ、まかり間違えば魔のものより恐ろしい存在となるものです」
真剣そのものといった表情で告げるユエジンさんの言葉におののいていると、呆れたようにメイドさんが間に入った。
「言葉の綾です、おまけさま。この男の言葉は話半分に聞いた方がよろしいでしょう。しかし魔の王という表現は、これ以上なく適したものだと私も断言できます」
何だか急にユエジンさんとメイドさんが意気投合している。二人で魔の王なるものから無事に逃げおおせたからだろう。
「さて、おまけさまも落ち着いたようですし、少し今後についてお話しても?」
「今後、ですか?」
「せっかく勉強の機会を得られたのですから、次の機会もしっかり決めておきませんと。できれば間をおかずにお話したいのですが、あいにく明日は外せない予定が入っておりまして。次回の講義は、救世主様方がお戻りになってからと考えております。少し時間が空いてしまいますので、それまではこちらのメイドから教典における創世を予習しておいてください」
有無を言わせない圧を背中に背負って、にっこりユエジンさんは宿題を課したのであった。
一体ユエジンさんは私をこの世界でどうしたいんだろうか。
イヴェリーン教異端者筆頭に育て上げたいのではないかという疑惑が、沸き起こるのであった。




