30 ある日森の中美幼女に連れられて
情報過多と内容の重さにぐったりしながら聖なる広間を後にすると、廊下で待っているはずの騎士とメイドさんが見当たらない。
戸惑っていると、隣に立つユエジンさんの元に神官がやってきた。
「猊下、こちらにおいででしたか。お探しいたしました。実は、困ったことが起こりまして」
耳打ちするように会話を始めたので、聞いちゃいけないかもとそっと距離を取った。
廊下はほの暗いけれど、不安をかき立てるほどの暗さではない。巣穴のような、不思議と落ち着く暗さだ。
ぼんやり廊下の先にある木の扉を見つめると、その扉が少し開き、光が差し込んでいるのが見えた。
神官さんはここから入ってきたのかな。慌てて来たから、扉が閉まりきらなかったのかもしれない。
「おまけさま。お待たせして申し訳ありません。少し問題が発生しました。おまけさまの騎士とメイドもこちらの問題に対処してくださっています。申し訳ありませんが、今一度広間でお待ちいただけますか? そちらであれば、悪しき者は近づけませんので」
非常事態が発生したらしい。慌ただしく言いたいことだけを告げて、ユエジンさんと神官さんが廊下の向こうに去ってしまった。
さて、広間に戻って芸術鑑賞でもしようかな。
そう思い、踵を返そうとしたそのとき、カタンと小さな物音が響いた。
音に導かれるように振り向くと、外に繋がる木の扉が揺れている。
そこから、臙脂の布が覗いていた。天鵞絨のように肌触りが良さそうな、それでいて重そうな生地だ。
ゆうらり、とたゆたう布に視線を奪われていると、声が聞こえた。
「みつけた」
ささやくような、小さな声。なのに、ドキッとするくらいはっきり聞こえた。
「え、布がしゃべった?」
異世界、不思議があふれすぎじゃなかろうか。
布までしゃべるのか、へぇーなんて感心していると、波が引くように、ゆらりと布が動いて元の場所へと戻っていく。
「こっちよ。こっちに来て。あなたを待ってたわ」
有無を言わせない、自信に満ちた声だ。声質だけで言えば、四、五歳くらいの女の子。
なのにこれだけ尊大な色を出せるなんてと感心していると、木の扉が開いて光で満たされる。
まぶしさに目を覆い、目が慣れるのを待っていると、そこに何かの気配がした。
「異世界からのお客人。あなたがわたくしの待ち人なのね」
光がその輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。
草原、木々、可憐な草花。背景はものすごく牧歌的なのに、光の中に佇むその姿は、戦いを前にした獅子のよう。
「あなた、は……」
「ゆっくり説明している時間はないの。こちらに来ていただける?」
目の前に、声の通り四、五歳くらいの女の子がいる。
それも、とびきりの美幼女。末恐ろしいくらいの美貌だ。
まつげなんて、瞬きするごとにバサバサと風を起こしている。陶器のよう、と表現するのも足りないほど透き通ったなめらかな肌。
頬はふくふくとして、触れなくても弾力が伝わってくるほど。絶対柔らかい。つきたてのお餅のようにもちもちふっくらしていることだろう。
柔らかいといえば、毛先がくるんと丸まった濃紫の髪の毛も絶対柔らかいと思う。さらに瞳は、アメジストをそのままはめこんだように澄んだ煌めきを放っている。
着ている臙脂色のドレスは胸元の刺繍が素晴らしく、装飾はそれだけという極めてシンプルなものなのに、美幼女が身につけるとそれだけで豪奢に映る。
リアルビスクドールを鑑賞しているような、ふわふわした気分で引き寄せられるままについて行くと、森の中へと入っていった。
ゆらゆら揺れる臙脂のドレスが描く軌跡は美しく、その後を付いて歩くだけで楽しい気分になってくる。
しばらく歩いたところで、美幼女は不意に足を止め、綺麗なターンで振り返った。
「ここまで来ればいいかしら。自己紹介する時間も惜しいわ。用件だけかいつまんで話すわね。わたくし、ずっとあなたを待ってたのよ。できればもっと早く会いたかったのに、なかなかあの宮殿から出てくれないからほんとうにやきもきしたわ。まったく、あの子もあの子だわ! 一体何を考えているのかしら。もしこれが上手くいかなかったら取り返しがつかないのよ? でも良かったわ。こうしてここに来るのでさえ最後のチャンスだと思っていたの。間に合って、ほんとうに良かった」
用件というより愚痴ではないかと思ったけれど、黙って聞くことにした。
ヒステリー持ちの上司への対応法だ。とにかく傾聴。言いたいことだけ言わせてすっきりさせる。これに尽きる。
「さぁ、ここに座ってちょうだい。これからあなたにしるしを付けるわね。でないとわたくしの動けるときにあなたに接触するのに時間がかかってしまうから」
木立の中の大きな岩の影に座らされる。
直に座らせることに抵抗はないようで、さっさと座れと腕を引かれるまま座らされた。
そのまま肩を撫でるように触ったかと思うと、突然美幼女が激昂した。
「どういうこと!? どうしてこんなものがっ!」
な、何でしょう。
なぜ私は肩を撫でられた上に力一杯捕まれて至近距離でお叱りを受けているのでしょう。
まるで見当もつかないことで理不尽に叱責されるのは慣れているとはいえ、こんな美幼女にお叱りを受ける経験はないので、反応に戸惑う。
「ああ、なんてこと! まったくいまいましいわ、時間がないっていうのに!」
怒りのまま叫び、それでも怒りが収まらないのか、私に背を向けさせ、なぜか背中の編み上げリボンをほどきだした。
え、何事。なんで私美幼女にワンピースはだかれそうになってんの。
今日の装いはレース素材のスカラップハイネックのワンピースだ。全体的に生成り色で、首元と袖元、裾にカラフルな糸で刺繍が施されている。
その上背中は編み上げなんて、一人では絶対に着られないところに胸を射貫かれた。日本では絶対選べない稀少感。ときめきをありがとうございます。
そんなお気に入りのワンピースを、美幼女が親の敵を目の前にしたような剣幕で引き剥がしにかかっている。
戸惑ってるうちに、さっさとリボンをほどいてハイネック部分のくるみボタンに取りかかり始めた美幼女。
優雅で美しいはずの顔は、怒りで真っ赤に染まっていた。軽く地団駄も踏んでいる。
「あーもう! 怒らせたわね!」
これ以上イライラさせてはなるまいと、私もワンピースを脱ぐのに協力することにした。
アンダードレスも薄手のワンピースのようなものなので、上のワンピースを脱ぐだけならここが外であっても抵抗はないし、客観的に見ても問題ない。……はずだ。
少なくとも私の感覚では露出しすぎではないと思う。だから大丈夫だ。
「いいこと、全て終わったら絶望するといいわ。そのときになってわたくしに頭を垂れても遅いのよ! 未熟なくせになによ、しつこい魔法のかけかたして!」
キーキー怨嗟の声を投げながら美幼女は私からワンピースをひんむき、背中に回って首の後ろ、うなじから少し下の背骨に触れた。
柔らかい手だ。
すり、と背骨を撫でたかと思うと、その部分が熱を持ったようになる。
その熱が、だんだん放射状に広がっていくのを感じた。
ぽわんと、ぬるま湯に浸かっているような感覚に満たされる。
「っ、しるしを付けるだけなのに、どれだけ吸い取る気なの!? ああもう、なんてこと。まだまだ伝えるべきことがあるのに。これじゃあ、どうやって守ればいいのかわからないわ。それもこれも、ぜんぶ……っ、……が、……のよっ」
ああ、何だか身体中に熱が広がって、まっすぐ座っていられない。
美幼女の声も、何だか遠い。
ふらりと身体が傾ぐ感覚がして、くらりと世界が回って、私の意識は途切れた。




