25 救世主の神託
「個人的な話で恐縮ですが、十年前わたくしは魔のものを目にしました」
突然の告白に、私は目をむいてメイドさんを見た。
感情を感じさせない、淡々とした表情だ。
どんな顔をすれば良いのか分からなくて、私はただ予期せぬ言葉に動揺しないように意識して息を吐いた。
「騎士団の偵察隊に随行し、終末の地に向かったのです。そのときはまだ被害もそれほどではなく、魔のものらしきものが終末の地付近の村に現れると言うので、その調査を行いました。それまでわたくしは魔のものを黒い霧のようなものと認識しておりましたが、わたくしの目には陽炎のようなもの、蜃気楼のように見えました」
「陽炎……」
陽炎というとあれだ、真夏に少し離れた場所の景色が揺らいで見える、あの現象だろう。
「空間がゆらりと揺らいで、歪んで見えるような、撓んで見えるような、目の錯覚とも思えるものでした」
「つかぬことをお伺いしますが、そのときの季節は?」
「真冬でした。終末の地は北の果てなので、永久の凍土とも呼ばれています。真冬であればなおさら。凍えるような、という表現が生やさしく感じられるほどの極寒の地です」
うーん。てことは、ほんとの陽炎じゃないってことで。
でも、陽炎じゃないからといって魔のものは自然現象の何かだってことが否定されたわけでもない。
そうメイドさんに質問してみると、神妙に一つ頷いて見せた。
「もしかしたら陽炎のような、我々のまだ知り得ない自然現象も何か関係しているのかもしれません。しかし、これだけははっきりと言えるのですが、陽炎のようなそれは意思を持っていました。何がどう、と明確に言えないのがもどかしいのですが、そのとき出会った魔のものは何か目的を持ち、計算した上で行動しているように感じたのです。我々のように、知能を持った何かであると感じました」
このメイドさんは、感情論で話をすることは滅多にない。だからこそ、自分の感じたことを論理的に説明できないことをひどくもどかしく感じている様子が伝わってきた。
実際に魔のものを目にしたメイドさんでも魔のものが何か、感じ取る以外にできないのであれば、それ以上の情報を得られないのも仕方ないのかもしれない。
でもだからこそ、そんな不可思議な現象に立ち向かう手段なんて、全く想像もできない。
大丈夫かな。救世主だからといって、ほんとに魔のものに立ち向かうことなんてできるんだろうか。
「メイドさんは、知ってますか? 救世主の神託ってやつ。あれ、ほんとに予言だと思います?」
「救世主の神託は限られた者しか知り得ません。大いなる神の御言葉を言い伝えたものであると言われ、これも失われたイオヴェ語で書かれ、古ルヴェルシュベイン語に翻訳されたものです。わたくしは語学学習の際に読んだ原書で知りましたが、この世界のほとんどの人間はその存在すら知らないでしょう。そしておまけさまの疑問にはこうお答えします。——真である、と」
そもそも、とメイドさんは続ける。
「かつて神がこの地に存在したとき、失われたイオヴェ語が使用されていたと言われています。大いなる神と呼ばれるイヴェリーンは、神であると同時に人であり、旧生物とは別にわたくしたち人はイヴェリーンがこの地に生んだ子どもの子孫だと言われています。失われたイオヴェ語は神の言語とも呼ばれ、神が生きた時代に神の言葉で書かれたものであるという見解が多数を占めています。実際、この言語はすぐに衰退してしまう」
どこか悔しそうに、珍しく熱を込めてメイドさんは話を続けた。
「失われたイオヴェ語は非常に難解で知られており、使用されていたのは百年にも満たなかったことが明らかになっているのです。ですから、失われたイオヴェ語は、神と限られた者のみが理解したものであり、救世主の神託も神自身が言い伝えたものではないかと私は思っています」
いろんな情報がちりばめられすぎて、メイドさん博識だなぁくらいしか感想が出てこない。
いやほんと、この人どうしてメイドなんてやってるんだろう。絶対もっと能力生かせる職があるはず。
思わずメイドさんを上から下まで眺めてみる。この世界の美的基準がかなり高めということを差し置いても、ものすごい美女である。
その上この知識量。冷静沈着、礼儀正しく、仕事も的確で、何より速い。もっと中枢で働くべき人なんじゃ。
それともこの世界、こんなレベルの人がゴロゴロしてるとか? あり得る。恐ろしい世界である。
「おまけさま? 少し休憩されますか?」
私の思考が飛んでいったのに気づいたようで、さりげなくメイドさんはお茶菓子を追加してくれた。
「あ、ありがとうございます。そういえば魔のものに出会ったときって、メイドさんは大丈夫だったんですか? 何も起こりませんでした?」
今日のお茶菓子はかりんとうのような焼き菓子だ。堅くて素朴で味わい深く、口に運ぶ手が止められなくなるのが要注意なお菓子である。
「ご心配いただきありがとうございます。現地調査といえど、それほど危険はありません。魔のものの動きは緩やかで、多くの場合、戦う意思がないものに対してすぐに襲うということはしません。とはいえ、その一週間後にはその定説も覆されてしまいましたが」
メイドさんが語る『テュリウスの魔禍』では、それまでの魔のものの動きとは異なり、見境なく人を攻撃し、甚大な被害をもたらした。
結果として、この世界の全人口の三分の一を失ったと言われている。メイドさんも身近な人を多数失ったそうだ。
十年前なんてつい最近だ。まだ傷も癒えてないだろう。
「残念ですが、わたくしではこれ以上魔のものについてご説明できることはないかと存じます。もっと詳しい方はいるにはいますが、許可が下りるかどうか」
申し訳なさそうにメイドさんが言う。いつもハキハキ喋るから語尾を濁すなんて珍しいな、とメイドさんを見つめていると、ノックの音がした。
「こんにちは、おまけさま」
メイドさんの誰何の声も無視して入ってきたのは、ユエジンさんだった。
あれ? 遠征随行班じゃなかったっけ。
疑問が顔に出ていたんだろう、ユエジンさんはにっこり笑って答えてくれる。
「王都の警備が手薄になってしまうのは問題ですからね。遠征には騎士団長が随行していますから、安全上問題ありませんよ」
「そうですか。今日はどうされたんですか?」
まさかユエジンさんが王都の警備を一手に引き受けているなんてことはないだろうけど、騎士団長がいないのであればより一層忙しくなるであろうユエジンさんがわざわざ訪ねにくるなんて、一体何の用だろう。
「お一人で残されたおまけさまが心寂しくお過ごしでないか気にかかりまして。よろしければ気分転換に大神殿にいらっしゃいませんか?」
ご案内しますよ、という言葉を途中で遮ったのは、メイドさんだった。
「事前にお伺いしておりません」
聞いたことのないような鋭い声だった。
慈悲深い微笑を浮かべてこちらを見ていたユエジンさんが、ついと視線を動かしてメイドさんを見定める。
「神官長である私が、異世界からのお客人にお話があるのです。おまけさまも暇を持て余しておいでだ。もてなすのは異世界から招いたものの責務というものでしょう」
「え、いや別に暇ってわけじゃ……」
「猊下、勝手な行動は慎まれた方がよろしいでしょう。もちろんこの件はご報告させていただきます」
いや、二人とも私そっちのけで話進めないで。
私行くなんて言ってないし、暇持て余してつまんなーいとも言ってないよ?
ねぇちょっとと声をかけようとして、朗らかな微笑とは裏腹に目が全く笑っていないユエジンさんと、表情筋が死んでしまった上に冷気まで漂わせだしたメイドさんに圧倒されて口をつぐむしかなくなった。
「どうぞ。私に二心はありませんから、報告されたところで困ることはありません。あなた方の手間が増えるだけでしょう」
「猊下はあの方の御心を見くびっておられる」
「おや、まるであなたはあのお方の御心全てを把握しているような口ぶりだ。とんだうぬぼれですね。一つ忠告してさしあげましょう。あなたこそあの方の御心を見誤っている。何でもかんでも報告すれば良いものではありませんよ」
朗らかにお話してるけど、これ絶対ケンカ売ってるやつだよね?
突然始まった不穏な雰囲気に戸惑っていると、そんな私の様子に気づいたメイドさんがちらりと私を見て、呼吸を整えるように一つ息を吐いた。
「二度とこのようなことはないように計らっていただきたいものです」
「あなたを困らせるようなことは二度としないと誓いますよ」
「神官ともあろうお方が軽々しく誓いを立てるなど、言語道断です。——おまけさま、いかがなさいますか? お出かけになるのでしたらお支度をいたします」
ユエジンさんに向ける冷たい眼差しを一瞬にして消して、メイドさんは私を見て言った。
え~、行かなきゃダメかなぁ。むしろ行かない方が良いような。
「不本意ながら、魔のもののことを最も良く知っているのは神殿です」
迷う私に、悔しさを滲ませる声でメイドさんはそっと耳打ちしてきた。
絶好のタイミングでやってきたユエジンさんを利用しろと!?
はっとしてメイドさんを見つめると、メイドさんは大きく一つ頷き、「ではご用意いたします」と素早く準備してくれたのであった。




