23 ノーポールの魔女
「そう、彼女はノーポールの魔女と呼ばれていました。類い稀なる魔力量を誇り、その魔力に魅入られた魔のものは彼女に封じられた。この地から魔のものがほとんど滅せられてしまうほど、彼女の封魔の人柱としての能力は優れていました」
ユエジンさんはそっと窓の外に視線を向けた。
リビングから一望できる宮殿の庭は長閑で、室内の鬱屈とした雰囲気との落差が激しい。
癒やしを求めるように私も視線を向けるけれど、心のざわめきは消えなかった。
「十年、よく保った方でしょう。たった数日で魔のものは人柱を食い破ってしまうことが続いていたのですから。彼女の能力はもうすでに限界を迎えつつあります。私たちに残された時間は、それほど多くはない」
指先がキンと冷えている感じがして、思わず握り合わせて体温を取り戻そうとする。
「ノーポールの魔女って呼ばれてたってことは、人柱になったその女性はもう、亡くなってるんですか?」
人柱としての機能だけを持ったまま、生きながらえているのだろうか。
「おまけさまは、お優しくていらっしゃる。ノーポールの魔女が儚くなったとお思いなのですね。かの女性は人では持て余してしまうほどの魔力を持っております。この世界の魔のものほぼ全てを収めてもなお、十年生きながらえるほどに」
いつもの微笑みを浮かべながら、ユエジンさんは淡々と言う。
いつもの微笑みだけど、どこかその瞳が優しい。きっとそのノーポールのま、魔女を思い浮かべてるんだろう、うん、まだ異世界パワーワードに勝てる気がしない。
私が一人敗北感を味わっている側で、ユエジンさんはさらに話し続ける。
「彼女が本気を出せば、この世界の全ての魔のものを滅せられるでしょう。彼女の命と引き換えに。けれど、この世界にはまだ魔のものは蔓延っている。この世界に魔のものが残っていることが、彼女がまだ生きていることの証でもあります。そして、たとえ彼女がどれだけ魔のものとの滅びを望んだところで、そうできない理由があるのです」
一瞬、その人がいれば救世主なんていらないんじゃって思ってしまった。
いや、命を引き換えにするのは後味が悪いけれど、この世界に何の縁もない私たちを召喚するくらいなら、それだけの力を持つこの世界の人が魔のものを倒した方が理にかなっているというかなんというかごにょごにょ。
「さて、ノーポールの魔女と呼ばれていた、と過去形で呼んだ件ですが、その答えは簡単です。彼女がより相応しい肩書きを得たからです」
目元を和ませながら、ユエジンさんは言う。きっとその女性を思い浮かべているんだろうなと思うほどに、優しい表情だ。
「ああ、封魔の……ええと、なんとかっていう?」
さらっと封魔の人柱って言おうと思ったのに、羞恥心が邪魔して言い切れなかった。ごめんなさい、私にはまだハードルが高いようです。
「いいえ。かの女性にはもっと相応しい敬称があるのですよ。——王妃殿下、という」
え、と固まったのは私だけではなかった。周りの様子もどよめいている。
この情報は頭の中に入ってなかったのね。
「ああ、みなさんも知らなかったのですね。そうです、現在の封魔の人柱は今代の王妃殿下なのです」
「王妃?」
「ええ。王妃殿下はその身をもって魔のものを捕らえ、災禍を抑えた。十年この世界が平和だったのは、王妃殿下の献身によってもたらされたものです」
それを献身と呼ぶか、犠牲と呼ぶかは議論の分かれるところだろう。
「え、王妃ってことは、じゃあその人、王太子殿下のお母さんってこと?」
輪音ちゃんが思いついたとばかりに声を上げる。
「そうです。リーンフェルド殿下が十四歳の時に、王妃は封魔の人柱となりました」
てことは、王太子殿下は今二十四歳か。
十四歳なんて多感な時期に母親が人柱になるなんて、将来世界を治めることになるであろう人にとってはどうということはなかったんだろうか。
そんなことはないだろう、と思う。
たとえ為政者としての教育を受けていたとしても、母親を失うということは少なからず傷になるだろう。
あのキラキラした完璧王子からはそんな傷の存在どころか、順風満帆な人生を歩んできたっていう余裕すらうかがえたのに。
王太子殿下の知らないところでプライベートな背景を知ってしまった後ろめたさと同時に、勝手な印象で王太子殿下の人となりを知った気になっていた自分自身に恥ずかしさを覚えた。
「あの時は、王妃殿下に封魔の人柱になっていただく以外方法がありませんでした。当時も私どもは救世主の召喚を待っていた。もし救世主が訪れるのであれば、封魔の人柱は必要ないからです。しかし、神のご意思は是ではなかった。そのため、私たちは封魔の人柱を立てることで、時間稼ぎをしたのです。いつか救世主が訪れ、魔のものに打ち勝てる時が来る、その時を待とうと。——そうして、あなた方が召喚された」
感無量といった表情で、ユエジンさんは眩しそうに救世主たちを見る。
そうして、最後に私に視線を合わせた。
「この世界の全てのものが待ち望んでいた、救世主。あなた方の存在が、どれだけ私どもに希望と勇気を与えてくれるか、お伝えする方法を私は知らない。心より感謝と謝罪を。心の準備も整わないままに魔のものとの戦いに駆り出してしまうことをお許しください」
この世界に来て初めて、ユエジンさんが頭を下げた。
これまで言葉だけなら何度も感謝や謝罪は聞いたけれど、態度で示してきたのは初めてだった。
公式の場でないとはいえ、これはとんでもないことなのでは、と冷や汗が出てくる。
というか、王太子殿下といい、この世界の偉い人たち、簡単に頭を下げすぎでは!? いや、人としては正しいのか。私の権力者アレルギーからの勝手な思い込みか。
「魔のものの倒し方が分からない現在、あなた方を危険にさらしてしまうこともないとは言い切れません。おまけさまのご不安もごもっともです。神殿でも神のご意思を承れるよう、神域に常時神官を配置して神託を受けられるようにしております。神が我々の願いを聞き届けてくださるなら、この遠征中に応えてくださるはずです。ですので、遠征が終わるまでは、どうかお待ちいただけないでしょうか」
ユエジンさんの視線はこの場にいる全員に平等に向けられているけれど、きっと話の内容は私に向けているんだろう。
これ以上文句を言うのもはばかられて、私は口をつぐんだ。
この世界の事情を聞けば聞くほど、身動きが取れなくなっていくようだった。




