1 救世主ご一行、異世界へ
その日は金曜日だった。
日中、今夏最高気温を叩き出した日で、午後八時になっても猛暑日の名残から、肌を掠める風さえも熱を孕んで涼からはほど遠い。
うだるような暑さ、と表現するにふさわしい、酷暑とも呼ばれる夏のある夜のこと。
私はいつものようにサービス残業を終え、終わりの見えない仕事量に嫌気がさしながらも、帰るための余力を残してどうにか席を立った。
高校を出て専門学校に一年通い、健全・安定の公務員に念願叶って就職できたとはいえ、一年経った今ではこの選択が正しかったのか自信がなくなってくる。
正規職員の数が減らされ、非正規職員ばかりが入ってくる現状は、双方の負担が増えるばかり。負担だけでなく双方いがみ合いまで始まって、職場の人間関係にも頭を抱える日々。
それでも健全・安定の公務員であることには変わりないという結論に至って、そこからいつも思考は停止する。
さらに最近ではプライベートにも打ちのめされ、実際問題、転職活動する気力もない。
明日も出勤だったなぁと思いながら、いつものように駅までの道をヨロヨロと歩いていた。
最寄り駅から職場までは、徒歩五分という立地。大通りから一本入った細い道沿いにある。
大抵の職員は大通りにすぐに出る道を選ぶけれど、オフィス街で賑わうこの界隈は夜になると一本通りを入っただけで途端に静かで交通量も少なくなる。
時には一人もすれ違わないで駅まで到着するほど人通りの少ないこの道を、私は好んでいた。
だからこの日も、いつものようにオフィス街の細い路地を通り、疲れた心と体をつかの間の静けさに癒そうと、そう思っていた。
そんな私の思惑とは裏腹に。
なぜかその日、いつもの通りには人影がちらほら見えた。
連れだって歩いている人もいるようで、格好から判断するに学生のような子もいた。うん、あの白いセーラー服は確か名門お嬢様校で有名な学校の制服だった気がする。
金曜だから? それとも夏休みだから?
有名塾のテナントもある表通りならいざ知らず、どうしてこんなうら寂しい路地にわざわざ入ってきたんだろうと不思議に思いながらも歩みを進めていた、そのときだった。
ふわ、と空気が動いた。
風ではない。身体が浮かんだわけでもない。
ただ、身にまとう周りの空間がそのまま揺れたような気がした。
「えっ?」
私ではない、高くて澄んだ声が聞こえた。
目を開いているはずなのに、景色がはっきり見えない。
一瞬の違和感ののち、ふらっと身体が揺れた。
目を開いていたのか閉じていたのか分からないまま、落ちた視線に意識を向けると、見慣れた自分の靴があった。
「え、何、ここ——」
誰かの声につられるように視線を上げると、さきほどいた学生らしき子たちがいた。
不思議なことに、みな視線を同じ方向に向けている。そのまま視線を巡らせると、およそ見慣れない格好の人たちがいることに気づいた。
お、おおぅ、これは——。
人は驚き過ぎるとお口ポカンで思考が一時停止するって、ほんとだった。
およそ現代日本ではコスプレ会場でしかお目にかかれないような、甲冑や騎士服のようなものを着た人、マントをまとった人、きらびやかな衣装の人……それからえーっと、語彙力に乏しい私ではこれ以上の表現が難しいけど、ともかくどれも髪色も鮮やかな人たちがこちらを取り囲むように一列に並んでいた。
これは何か、ドッキリ的な?
どっかの撮影に私紛れ込んじゃった? それとも疲労のあまりいつの間にか眠っちゃって、夢の中とか?
うーん、と悩みながらもさらに辺りを見回してみる。どうやらここはどこかのホールのような広い空間らしい。
ホール……いや、神殿とか教会とか聖堂とかが近いかも。広くて天井が高くて、清らかで整えられた空間だ。
大人三人が手を繋いでようやく囲めそうなほど大きな柱が、そこかしこに立っている。直径だけでなく高さもある円柱が支える天井は仰ぐほど高い。
一際高く開けた部分の下には、祭壇のようなものが見えた。石造りの壁には、名のある職人の手だと一目で分かるような、繊細で麗しい彫刻が施されている。
こんなとこ、日本にあったっけ? 映画のセットとか? こんな大きいの作るってことは、制作費相当かけてるんじゃ。
映画制作会社の懐事情にまで思考を飛ばしながら、目から入ってくる情報と肌で感じる厳かな雰囲気に圧倒され、心が震えた。
何十年、何百年と歴史を刻んだ建築物だろうということを肌で感じるくらい、濃密で清められた空間。
すごい、こんな場所、来たことない。
ガラス窓の天井から降り注ぐ月光が、淡く発光するように空間全体に行き届いている。空に近づいているような錯覚さえ覚えそうなほどに明るい。
透明度が高いガラスを使っているのか、外がはっきり見えた。ちょうど月が真上に見える。
ここが神殿だとしたら、太陽崇拝とか関係してるのかな?
特に宗教に造詣が深いわけでもないのにそんなことを考えていたんだから、完全に現実逃避していたんだろう。
職場の仕事内容は一人で黙々とこなすものがほとんどだから、作業に集中するため必要な情報以外は遮断するようにしていたのが裏目に出た。
しかも結構な時間、逃避していたらしい。
気づけば「おねーさん」と呼ばれ、みんなの視線を一身に受けていた。




