三.ヴァンパイアの暗示に効くモノ
そこに偽アデルが訝しげに、私の質問に対して、問いかけた。
「その、昔の古い文献なんですが、それに暗示のことが書かれていたのを思い出したんです。暗示を防ぐ方法にその二つのパターンよりも効果的な方法で、初めから暗示事態を効かなくするやり方です」
偽アデルは瞬きをして不思議そうな顔を向けて、ユリウスは訝しげに眉を寄せた。
「文献、ですか?それにはどういった方法が書かれていました?」
「えっと、ヴァンパイアの暗示効果を効かなくさせるお守りのようなもので、人間が日常茶飯事に使用している原油であります。植物から取れた脂を人間が対象に塗り込めば、皮膚から全身に回り、その都度、暗示を防ぐ事ができます」
「植物の脂?それは、ランプに灯す油や女性の化粧…料理にも使えますが、植物と言っても一つではありませんね。どの植物のことでしょうか?」
ユリウスが考えるように腕を組み、質問をぶつける。
「文献で見た限りでは、『エミエミ』と呼ばれる植物です。これには保湿成分が含まれており、体全体に使用できます」
現代のあの世界で愛されている保湿力あるシアバターの事だ。それに似た物がこの世界のどこにあるのか不明だが、それが一番効果的な物だと断言できる。
「エミエミ?…聞いた事がありません。本当にそのような物があるのか?」
ユリウスは知らないようだ。こちらに向ける目が厳しくなった。
「どこに生息されているのか、詳しく記載されていませんでしたが、効果はあります。実際に使用された方を見た事があるからです」
今思えば、アレがシアバターの代わりとなる植物だったのだと気づいたわけだが、現在のこの世界に、それがどの場所に生息するか分からない。
何百年も経てば植物の生態は変わり、生息する場所も移動しているかも。
「分からないなら、使用は不可能ですね。あるかも分からない植物を探し出す時間もありません」
ユリウスは時間の無駄だと思ったようだ。
「ちょっと待て。その、植物エミエミだが、俺ならそれの生息地がわかる」
止めに口を割ったのは、意外にもトールだった。
「薬として移住民族が昔に栽培していた物で、今はその民族がいないため、作る者がいないとされていた。しかし、ある国で実験として、百二十年前に再び栽培されたと聞いた。その国が三百五十年ほど前に、殿下と会ったグランディアラだ」
「グランディアラ…っ?その国は今は存在しないはずです。三百五十年なら、その百年後に戦争が起きて、敵軍に負けています。今はセラール王国と言う名前となり、エンジニア帝国の配下になっています」
トールの言葉に眉を寄せたクリスさんが、現状を告げた。
グランディアラには私も行った。六百年ほど前だ。そこの貴族院に入り、人間の王族達と関わっていたことがある。
「当時は西大陸を治めるフルーラス帝国と和平を結び、グランディアラ国の国王の息子、第三王子と親しくしていた。だが、そこにグランディアラの宰相がクーデターを起こして、魔術を知らない国民達は魔術師の闇魔法の餌食となった」
トールの話はその戦争が起きた、六十年ほど経った後。
「しかし、グランディアラの王子…フリーデルトが奇跡の力を持っていた。まだ知名度が低かった魔術師の一人が国のクーデターに関わった事で滅んだが、その王子が魔術師の闇魔法を祓い、人々に希望を与えた英雄となる。その時に我々の種族が巻き込まれ、人間はそのときエミエミという植物で、我々の力を無効化した」
「トール。その話より、その植物はどこにあるのです?」
ユリウスがトールを睨みつけ、昔の話題から元の話に戻るように口を挟む。
トールはハッとしたように偽アデルを、彼の顔色を伺うようにそちらを向いたが、偽アデルに特に変わった様子はなかった。
トールは小さく息を吐き、
「えー、そうだな。俺が何が言いたいのかと言うと、そのエミエミはまだ存在し、セラール王国の裏組織が関与する闇市に、希少価値の高い薬として売られているようだ」
「闇市?そうか、セラール王国の王族は、パメーリスが知っていたな」
クリスさんの横にいたジェイクが思い出したように呟いた。
私はセラール王国の前の国、グランディアラにいた時のことを思い出し、深いため息をついた。
「闇市は買手か仲介人、その紹介状がいる。奴隷制度のない世の中となったが、あの国はそうじゃない」
偽アデルが首を微かに傾げ、思い出すように告げた。ユリウスがそれに頷き、トールを振り向く。
「トール。あなたなら可能じゃありませんか?闇市に出向き、エミエミを入手するのなら」
「…俺はいいが…そうなると、レイは?レイヴィンが帰ってきていない」
「レイヴィンは他の要件を任されています。あの子は、あなたがいないとしても、一ヶ月は待てます。なんなら、私から…」
「いい。俺がパッと行ってこれば…」
トールはユリウスの言葉を遮り、首を振った。
ユリウスはため息をついて、
「なら、任せます。…クリス殿、エミエミはこちらで入手しましょう。それなら、可能ですか?」
ユリウスは話題を元に戻し、進めた。クリスさんは周りのみんなと目線で合図し、ユリウスに向けて頷いた。
「我々もそれなら大丈夫でしょう。保証はあるのですよね?」
ユリウスは真剣な表情で頷いて、
「ええ。こちらもあなた方をサポートします。もし、エミエミという植物がない場合や、暗示効果に変化がない場合は、他の方法を探します」
「…いいでしょう。では、そのようにこの件は任せます。あと、レオルド=コールデントなのですが…彼が、この国に出没するのが気になります。この街にも現れた事で、我々はひどく警戒しています。人民の中にも、彼の事を知っている人もいます」
「クリスさん、赤髪の情報は他の街でも聞きます。先月の頭にはコトーランド国の外れの森で狩りをしていた猟師が、その半月前には二つ先の街のレベカに、その隣のデリスでは逸れもいたそうで、魔術師が近くにいた情報もあります」
クリスさんの後、情報屋のキナリさんが応える。
レベカとデリスと聞いて仲間が微かに不安げな表情を浮かべ、騒ついた。
「それなら心配ないよ。一掃したからね」
騒がしく不安な彼らに、なんて事ないみたいに、偽アデルが言った。
「ゴホン!一掃…一応、レオルドを警戒し、我々もあの男が人間に危害を加えないように、各地にいる仲間が対処に当たっています。デリス街で起きたのは、こちらの魔術師が対応しました。強力な結界を、このフルーリオ国とその周辺の国を守るために」
解決したのだと、ユリウスは答えた。偽アデルは軽く頷いて、
「これは今まで通り、僕らが君らを守る。でも、こちらもタダでは動かない。その条件となるのが『宝探し』だ。僕は記憶を無くして過去を知らない。ただ感じているのは、レオルドが盗んだ始祖の宝石は、僕らにとって何より重要な物であり、それを手にしたヴァンパイアは、世界を手に入れると云われている」
「えー…アデル様があなた方に仰りたいのは、先月の会合でも話題に出た、この宝石の事です。我々にはこれが如何に大切な物か、皆様にお話しをしたと思います。またこれは、我々ヴァンパイアだけでなく人間側にも影響を及ぼすもので、それが闇魔法と呼ばれる古来の魔術です。それこそ先ほど話題に出た、グランディアラ国を滅ぼす原因となった魔術…闇魔法ブラッディホール。人々を操り、支配する強力な精神魔法です」
偽アデルからユリウスが告げたその闇魔法は、私には分からないものだ。だが、その話に奇妙な違和感を感じた。
闇魔法は私がまだアデルだった頃の、五百年前にもあった。
ヴァンパイアを一掃しようとした人間側、古から魔術と呼ばれるモノを使う魔術師集団に。
彼らの使うそれは、ある始祖が原因だ。
その始祖から与えられた力を、人間に与えてしまう能力。精神をマインドコントロールする能力。それはヴァンパイアが始まりに身につけた能力と言ってもいい。それが当時の魔術師達を刺激した。
「僕に協力して欲しい。暗示が効かないようになったら、レオルド達が奪っていった宝石を取り戻す、手助けをして欲しいんだ」
過去の闇魔法関連について、思考を巡らせていると、偽アデルがいつの間にか皆の前に立って、頭を下げていた。
「あ、アデル様!」
トールが慌てたように叫び、ユリウスがギョッとして止めに入る。しかし、彼はそのまま微動だにせず、頭を下げていた。
数秒間、静寂が包まれ、次の瞬間、ジェイクがパチン!と腕を鳴らした。
「…いいだろう。俺たちも奴らには手を焼いている。互いに協力して宝探しとやらをしようじゃないか!」
意外にも、偽アデルの真摯な姿勢から、ジェイクが一番初めに賛成した。その言葉に他の仲間たちも次々と声に出し賛成し、クリスさんが腕を組んでため息をついた。
「どうやら皆、あなたに賛成のようです。私も、過激派から民を守れるなら、協力しましょう」
クリスさんの最後の賛成に、偽アデルはようやく顔を上げて、ほっとしたように笑みを浮かべた。