間幕1.⁇⁇side
広々とした殺風景の薄暗い室内、大きなベッドの上に腰掛ける一人の男。窓から風に乗って、微かに聞こえてきたのは、人の息遣いだった。
彼はため息をついて、手に持っていた書物をベッドに放り投げ、立ち上がった。黒いガウンの裾が揺れ、ふわっと軽く跳躍し、一瞬で窓の外、テラスに移動した。
そこから下を覗けば、庭の木の近くに、誰かが立っていた。
男はその侵入者を見て、うんざりしたようにため息をつくと、ヒラリと手すりから飛び降り、一瞬にして侵入者の背後に降り立った。
「…何をしている?」
男がその者に話しかける。途端、驚いたように上を向いていた侵入者は振り向きざまに剣を抜いた。男は舌打ちして剣を避けると、侵入者の腹部を思い切り蹴り付けた。
ゴキッ、と骨が折れる音とともに侵入者が後方に吹き飛び、芝生の上に転がった。
「うっ…な、なんでわかっ…ゴホッ」
侵入者は震えながら上体を起こし、血を吐いた。
「消すのが下手だな。その服に気配…アイツの差金か」
アイツ、と男が口にすると、その侵入者の折れた体が見る見るうちに元通りになる。
「…彼の方から、伝言だ。『いつまで、逃げるつもりなのか』と」
侵入者はふらつきながら立ち上がり、男に要件を伝えた。男は微かに眉を吊り上げ、再び蹴りをお見舞いしたが、侵入者は後方に飛んで、蹴りを回避する。
男は蹴りが当たらなかった事に軽く舌を鳴らし、
「目障りな…。貴様らにいちいち答えるつもりはない」
それだけ告げると、男の体からゆらゆらと霧が立ち込め周りの気温が低下し、次の瞬間にはその侵入者の足元がパキパキに凍りついていた。
「くっ…!」
身動きが取れなくなった侵入者は危険を感じ、指を鳴らす。刹那、男の周りに十人の他の侵入者が姿を現した。
「……」
お決まりのパターン。前にも何度かこんなふうに囲まれたことがある。
男は露骨に顔をしかめ、軽くこめかみをもんだ。
「あぁ…本当に、うんざりする…っ」
それを合図に、男の頭上に氷柱のような鋭い氷の矢が出現し、それが一斉に侵入者達に向かって飛翔した。
氷柱の矢は逃げ惑う侵入者達を襲う。
それは一瞬の出来事で、気づくと、新たに現れた十名の侵入者は氷柱の餌食にされて、地面に倒れ込んでいた。
「ひっ…!」
生き残りがいた。いや、男はわざと、初めの侵入者だけを残したのだ。
勝てないとわかった侵入者は逃げ出したが、男はそれより早くその侵入者の前に飛び、行く手を遮った。
「ま、待て!俺を殺せば彼の方が黙って…」
侵入者は青ざめながら、目の前に立った男に告げる。
「ハッ!まったく情けないな。まぁ…だが、今回は見逃してやる。俺の質問に答えたらな」
命乞いをした彼に男は冷たい眼差しを向けて、氷柱の矢をちらつかせながら告げた。
その問いに、侵入者は勢いよく頷いた。
「じゃあ聞くが…あの男の『宝石』が、一部がなくなったらしいな。俺はそれに関与してないんだが…正直に答えろよ?あの男はあと、どのくらい…寿命がある?」
男の質問は、この侵入者を送ってきた主人についてだった。
「じゅ、寿命…?いや、俺はそんなこと知らない!」
侵入者の彼は、答えれなかった。
「知らない?…隠してるなら…」
ヒュッと、氷柱の矢が、侵入者の目の手前で止まり、侵入者はそれに悲鳴を上げて、
「ほ、本当に、知らないんだ!私は何も、聞かされていない!」
大声で叫ぶように答えた。
その様子からして、本当に彼は知らないようだ。男は僅かに眉を寄せる。
「本当に、知らないんだな…?」
もう一度確認すると、
「ああ、知らない!ただ、あんたを監視するように言われていただけで、『宝石』のことは何も…」
正直に全部、侵入者は告げた。
「はぁ…そうか、残念だな」
嘘をついているようには見えず、男は侵入者の答えに、ため息をついた。それと同時に氷柱の矢が再び男の頭上へと戻っていく。
「ああ、そうなんだ。何も知らない」
それを見て、見逃してくれるのだと、侵入者はほっと、引き攣った笑みを浮かべた。だが、次の瞬間、男は不意にニヤリと口元に残虐な笑みを浮かべた。
「…っ!?なっ、や、やめ…っ!」
刹那、侵入者が命乞いをする間もなく、氷柱の矢が、それも先ほどよりも多くのソレが、いつの間にか侵入者の頭上に現れ、落ちていった。
悲鳴が上がることなく、侵入者は男の目の前で、串刺しにされた。
「…ちっ。汚い」
目の前で息絶えた侵入者の返り血を浴びて、男はゴミを見る目で、その死骸を一瞥する。そこには何の感情もなく、無機質だ。
だが、ふと、男は我に返ったかのように目をパチパチして、庭に倒れ込む十名の侵入者達の死骸に、しまった!と顔を顰めた。
「あー…これ…。奴が見たら怒るな」
綺麗に刈られていた芝生と、木々や花壇。そこに咲く花も、今のやりとりで無惨に散ってグシャグシャだ。
丹精込めて作り上げたあの者を思い出して、面倒臭そうに息を吐く。
「サーシャを呼ぶか。…だが、妙だな」
庭から再び屋敷内に戻ろうとした男は、不意に立ち止まり、初めの侵入者の方に視線を戻す。ゆっくりと懐に手を伸ばし、グッと襟を広げた。
そこから見えた真っ白な肌と鎖骨から綺麗に引き締まった胸筋。その左の鎖骨の下に、刺青のような痣があった。
紅い月と、黒い太陽。その痣に男が触れると、そこから太陽の痣がリアルに皮膚を持ち上げるように浮かび上がって、光を放った。そして、光の中からポロっと紅い玉が落ちた。
「…やはり、これは…」
それは拳ほど大きな、本物と同じ真紅の宝石。だが、その宝石にはまったく輝きがなく、黒く変色していた。
「奴には、時間がない…?だが、昼間に見たあの女。奴の気配と、似てた。どうして…いまさら…」
男の呟く問いは、誰にも届く事はなく、静かな夜の闇へと消えていった。
彼はため息をついて、考えすぎか、と再び足を動かして、三階を見上げ、音もなく跳躍した。