九.疑り深い
「何故……のような…」
低く、掠れて出た言葉。
聞き取れず、「何?」と怪訝な顔をすると、眼鏡の奥の目が妖しく揺らぎ、その綺麗な顔が歪んだ。
「お前のような小娘が、何を知っている?」
続けて彼は微かに口元から牙を覗かせ、唸るように小さく告げる。睨むように鋭い視線をこちらに向ける。
「…っ、ユリウス様…っ!」
次の瞬間、ボッ!と音がして小さな炎が彼の周りに浮かぶ。
「ユリウスっ!?」
椅子に座っていた偽アデルがすぐさま異変に気づき、さっと私をユリウスから守るように、立ち塞がる。
「退いて…。この娘、危険です」
身体に流れるヴァンパイアの異能。ユリウスの能力だ。敵に向けて生まれた炎で攻撃する。その現象が今、まさに起きていた。私をどこかのスパイだと勘違いしたのか、突然の殺意ある敵意を向けられ、顔面蒼白。足が動かず、視線も逸らす事ができない。
「ユリウス!止めなよ!何を本気で怒っている!?」
偽アデルは言葉で彼を止めようと説得している。
「退きなさいアデル様。この娘はエンジニアのスパイです!」
私とユリウスの間にいる偽アデルに、ユリウスは叫んだ。
「何を言ってるの…っ?彼女は違うと言ったじゃん!エンジニアでは、人間がスパイになどなれない」
どうして、彼がそれを知っているのか…。
必死に止めようとしているのか、出てきたその言葉に、怒りに燃えていたユリウスの表情が固まり、周りに浮かぶ炎が消える。
「ユリウスっ、落ちついて!エンジニアは…あの魔術師は、人間の子供には手を出さない。それは前に調査済みのはずだよ」
なんとか落ち着かせようとする彼だが、何故そんなにもエンジニアに詳しいのだろう。
私がいない間、何があったのか。
「ユリウス」
偽アデルが彼の横に立ち、その耳元で何かを囁いた。途端にユリウスの顔から血の気が引き、冷たい表情に変わる。
「ですがアデル様…!アレは…」
偽アデルの言葉に対しユリウスが何かを言い返したが、偽アデルが首を振り、「やめろ」と強い口調で呟いた。
「こんなことでお前が取り乱してどうするの?今回の会合の目的はエンジニアではない。レオルドのことだ」
「…ええ、わかっています」
「彼女は客だ。あちらの思惑は分からないが、少なくともこの娘を使ってまで情報を聞き出すなんてことしない」
「…ええ、それも…この娘を見ていればわかる」
チラッとユリウスが私を見て、苦虫を噛み潰したような顔をして、答える。
「だったら止めなよ。まだ、会合は終わっていないし、こんな風に取り乱して僕らがみっともないよ」
呆れたようにため息をついて、偽アデルが肩をすくめた。取り乱していたというより私を疑って警戒しているのだ。
ユリウス、悪いが偽アデルが言った通り、人間の娘に対して過敏になり過ぎている。
前世で見てきた彼はいつも冷静だったのに…。
こんなに反応を見せてくる姿は、ヴァンパイアとしてじゃなくても、少しみっともなく見える。
「アデル様…」
ユリウスがフッと彼から一歩離れ、軽く頭を下げた。
「申し訳ありません。久しぶりの会合で少々、過敏になっていました」
その素直に謝る姿に偽アデルは軽くため息をついて、「もういいよ」と許す。
「僕より、こんな態度を取った彼女に謝って。せっかく君に美味しいスイーツを作ってくれたんだ。失礼だよ」
そして、私に向けて、謝れと促した。ユリウスは素直に従い、私に向き直り、頭を下げた。
「せっかくのご好意を無駄にしてしまい、大変失礼した。この会合やレオルドのことで過敏になり、大人気ない態度を取った」
もう怒っていない様子で真正面から真剣な顔で謝る。私はもう疑われていないのか、と安心して、その謝罪を受け入れた。
「私も、すいません。再会に喜んで、あなたたちに馴れ馴れしい態度をとりました。あの…もう、怒っていませんか?」
私も正直な気持ちで、ユリウスに問いかける。
ユリウスは一瞬固まったように無表情になったが、軽く首を振り苦笑して、「怒っていません」と答えた。今の表情が少し違和感を感じたが、怒っていないと言うならそうなのだと、彼を信じようと思った。
「うん…ユリウスらしくなってきた。それで、落ち着いたことだし、君の話に戻すけど」
私達を和解させた偽アデルは満足そうにして、再び話題を戻すようにした。
だけど、私はあんなユリウスをまた見たくないし、これ以上ギクシャクするのも嫌だった。出来れば今すぐに解決したいところだが、日を改めて、またこの話をしようと決めた。
「いえ…もういいです。こうして再びユリウス様に会えたんですから、それだけで充分です」
この気持ちも、本物だ。
再会できた事は本当に嬉しいので、にこりと笑って答えると、ユリウスは少し言葉を詰まらせたように息を呑み、居心地悪そうに視線を逸らした。
……今は、それでいい。
まだ会ったばかりでこれ以上、彼に厄介な娘だと思われたくない。
そういうことにして、今後の発言は気をつけようと思った。