心重ねて
枩田星呼。
この人物が俺にとって唯一と言える、唯一人の人物になった。
差別はしても、区別なんてことをしたことはなかったのだが、そうなっていた。
そもそもこの世界に存在しうる人間全ては自分よりも劣っているという、子供っぽい感覚をどこかで軸にして生きてきた節が俺にはある。
そんなだから、区別なんてことをするなんてありえないどころか頭に浮かんだ事すら無かった。
真実というものがあるのならば、そのことが、そこに近づいたような気がした。
「なんだ? 一層明るく成ったっんじゃないか? その表情」
コイツと生きて行けば。
まるで、今までの自分の人生が偽物で、この時、コイツと出会った瞬間に本当の、本物の人生を歩むことが出来たような。
生まれ変わるという、ふざけた言い様を、実体験している有様だ。
「でもどうしてなんですか? あなたは人前に現れたことがないと言われてるくらいで、人間嫌いという噂まで出回っているというのに」
「・・・」
「・・・こうして今私達の目の前にいらっしゃるというのには何か要件があるからなんですか?」
「・・・」
「・・・あの・・・その・・・聞いてます?」
「・・・」
マネージャーの質問に返答しない。返答する気がないようだ。
「風間さん。私って無視されてます?」
ヒソヒソと、わざわざ近くまで来て雑音を立ててまで質問をしてきた。
無視だと? コイツがわざわざそんな自分の感情をいちいち働かせるようなことをするわけがない。
コイツは、この枩田星呼という女は、人間を認識するという概念が違っている。
さっきは顔を見合わせてまでして、この女と私をおちょくっていたのにも関わらず、今はまるでそこに存在していないように振る舞っている。
普通の人間はそれが違和感やら、勘違いやらの類いで認識しようとする。でなければ、目の前で、今回で言えば、体験してしまっている時点で、その異常性を把握することが出来ないからだろう。
でも到底、把握やら、理解するやらの正解へには絶対に到達できない。
だが私には分かる。
それは到達するまでもなく、そこに私自身が居続けているからだ。
「お前たち同世代なんじゃないのか?」
私の言葉でギヤが変わったかのように枩田星呼の表情が変化するのが分かった。
そんなことをした理由は、さっきのバカにするような態度を取った二人に後悔させるためだけだという、体の良い仕返しというやつをしたかったからだ。
「んっ!? なんだ? お前? いつからそこに居る?」
こんなこと、普通な人間にとって絶対に理解できない。とかいう問題ではなく、理解することなんてしてはいけないことだといっても過言ではない。
一瞬で、関わってはいけない人だと判断すべきだろう。
「えっ!? はっ!? それって、一体、どういったことで?」
これこそ誤魔化すという欺瞞だというその台詞に、「無理しなくても良い。」そう思った。
「お前が入ってきた時から居ただろう」
居た堪れなくなったこともあるが、自分のしようとしたことの低等さ加減に後悔してしまったことのほうが勝った結果のフォローだった。
「なんだ、また元のなんの魅力もない、生きている価値ゼロの顔にもどってるじゃないか」
とんだとばっちりだ。こちとらお前の生きている次元とは違った世界での時間進行の中での繋がりで手一杯なのに、そこにきてそんなリアクションは、いくら私の寛大な許容をもってしても、その器から溢れてしまう。
「・・・・・」
「ところで、そちらが君のパートナーかね?」
ふうーという吐息と同時に「もう勝手にしてくれ」と口から漏れるように鳴った。溜息の音というものはこれだと初めて聞いた。
「ん? なんだって? よく聞こえなかったが?」
諦めたことによってコイツの呪縛のようなものから抜け出せることが出来た。
マネージャーはこれでも人間で、一時的だとしてもコイツは意気投合していた瞬間があった。
それでもってのこの顛末での現状だが。
そんな女が私の道具に興味が湧いている。それもパートナーだと。
一瞬、マネージャーと同じ経緯での結末を想像して、そうではないと誤魔化そうとしたが、そんな自分が変で次には無かったことにしたのだけれど、パートナーだと言われたことに対しては素直に嬉しかった。その感情はしっかり自分の中に留めておくことにした。
「私自身楽器というものに縁がなかったんでね。まあそんな理由もあってここを作ったんだが」
普通その場合、建てたという言い方になるんじゃないのか?まあいいが。
「そんな私から見ても、その楽器がいかに大切にされているか、まるで自身のように扱っているのかが十分に理解できるよ」
余計なお世話だ。
楽器に縁が無かったやつが、どのツラさげて、そのどの口が言っているんだ。
実際使ったことなんて絶対にないだろうから楽器というものがどういったものかなんて知る訳がないだろうに。
「その子も喋るのかい?」
聞き間違いならばどれだけ楽だっただろう。
「枩田さん、あんた今なんて言ったんだ?」
「なんだ? 君は腐っても音楽家というやつだろうに。こうして喋り合っている相手を目の前にして聞き間違いとは、いったいどうゆう了見だ?」
そう言った表情からは、一切の感情の変化のようなものは感じ取れない。あくまで、コイツからしてみれば普通で、なんの変哲もない、他愛も無い、ただの話の流れから来る間繋ぎな、世間話にもならないような内容で無責任な言葉だった。
「それに、「枩田さん」とはまたなんとも君らしく聞こえなかったのだが! そこは「お前」もしくは「あんた」など、ほかに言いようがあっただろうに、キモチワルイったらありゃしない。」
本当にどうでもいいらしい。
確かにコイツが喋った内容を私が勝手にそう解釈しただけだったが、この、それこそどうでもいいことを大真面目に、最優先事項だと修正しようと躍起になっている様子を目の当たりにしてしまえば、その考え方が正解だと嫌でも思い知らされる。
「やれやれ、困ったもんだ。不本意だけれどもう一度言うぞ。良いかい、こんなことをするなんて君だけなんだからね♪」
いやいや、そんなキャラクターを出されても困惑するだけだ。
もしかして、終始ふざけているだけなのか?
私の顔は多分、大きく歪んでいたのだろう。こんなに表情をコロコロ変えるようなことなんて、ここ数年無かったことだ。
「この子と、君の関係はどういったものなのかな?」
違う音を発してはいるのものの、求めている回答は同意味だった。
「・・・その前に。おい、お前は部屋から出てくれ」
私はこの空間に三人の人間がいると認識している。
だからここに、私に関係のない人間が居ることに我慢がならないし、正直なところ不都合が生じる可能性がある。
「わたし、で、す、よね。解りました。」
そう言うとマネージャーは、マネージャーらしく部屋から納得したように、音も立てずに、部屋を出ていく最後まで私を気遣いながら退出ていった。
その姿を、コイツは確かに目で追っていた。
私が話しかけたことで認識し直したのか、もしくは、単になにかが動いたということに反応しただけなのか、そんなことは定かではないが、そのことに私は少しばかり安心していた。
「それでは、話の続きを・・・、答えを聞こうか」
「ああ、色々ごちゃつく会話は好きじゃないんだ、端的に済ますぞ。答えはイエスだ。確かに、このバイオリンは喋る。」
「やはりね! そうだと思った! 君の雰囲気がそうだと言っているようなものだったからね! 実際に今日君の演奏を見させてもらって確信したよ!」
「見せるものじゃない。聞かせるもんだ。」
「なんだ? 思ったよりも細かいところを気にするんだな。わかった、わかった、そこのところは謝罪させてもらう。でも、そうだな、確かに、そんなところが、楽器の声が聞こえてしまう要因なんだろうな」
そう言った枩田星呼の表情は、寂しそうでもあり、しかし顔貌は、笑顔といえる形で出力されていた。
「そういえば、さっきこの楽器もと言ってたよな。だとしたら、私みたいな人間がほかにも居て、あんたは、そんな人達を知っているということなのか?」
「ほう、耳の良さというものはそういう意味でもあるんだね、感心感心。でも、君は本当にその答えを望んでいるのかい?」
コイツの態度はその質問をされることを解っていたようだった。
私自身、こんな力を持ち合わせている人間が自分だけだなんて思ってもいない。望んでにしろ、そうでないにしろ、こんな明らかに特殊能力としか言い表せないようなもの私一人な訳なはずがない。
それに、世界で私だけにこんな力があったところで、どうということもない。だから、この質問をして、その答えを聞いたところで確かに私には影響がない。そのことをこの女は見透かしていた。
「いいや。私にその答えは必要なかった・・・」
「だよね♪ うんうん、素直でよろしい!」
全くもって気に入らない。こんな話していて疲れる相手は今日まで生きてきて初めてだ。
「感心したところで、私の確信を確証させてくれないかい?」
「実際会話させろと?」
「そういうことだ! いいだろう? ぜひ頼む! わたしに、その子を演奏させてくれ!」
「別に構わないが、お前、楽器使うの初めてだろう?」
「んっ? ああ確かに初めてではあるが、今日実際君の演奏を見させてもらえたからね! そこのところは大丈夫だ!」
「大丈夫だ!」って、世間的に天才と言われている私だとしても、今の状態までになるのにそれなりに時間は必要だった。
「君、もしかして私には無理だと思っていないかい?」
「あたりまえだ。使うだけならまだしも、演奏となれば話は別だ。だからさっき俺は使うと言ったんだ。お前が演奏させてくれなんて言うからな」
「やはり細かいな。君の言う『使う』と、『演奏する』とはどこが違うんだい? 音というものとの関わり方に於いては同意味だと思うのだが」
「あほか。全然違うんだよ。関わるなんて大袈裟な言い方なんてしなくても実際にその行為をするという時点でそんな心持では話にならない」
「話にならないとは、それはそれでまた大袈裟だね」
相変わらずな馬鹿にしているようでそうでないような態度でそう言った。
自分で言ったその言葉を聞いて本当のところは驚いた。
私が私でないような。と同時に、本物の私はこれなんじゃないのかということに。
こうしてコイツと口論のような会話を続けるということは私にとって日常から逸脱し、繰り返される普通というものから遠ざけていってくれる。
重なっていきたい。
重なっていくにつれて、私という人間が薄まっていく。それにつけて、また濃く、心の底に元々あったものがジワジワと体を染めていく。
私は初めて恋をしていた。




