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人ぎらいの慣性ドリフト。  作者: 西薗上美
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車と、女子高生と、クズ【改定済】

「君の言い分なんてどうでも良いから、名前。城戸自動車って看板に書いてあったから、城戸何さん?」


自分でも驚くほど積極的な、それに増して強引に乱暴な聞き方をしてしまった。

だけど、それは不可抗力だ。


なぜならオレは、その顔を知っているからだ。


「き、城戸千歳です、けど」


こんな返答。


それもそうだ、相手はまだ未確認で進行中だとしても間違いなく年下。

それも女の子だ。

責任転嫁のような一方的質問をして怖がらせてしまったことに後悔しかなかった。


でも、だとしても、どうしても、その事を確認しなくてはいけない理由がオレにはあった。


「お姉さんはいる?って、そんな訳ないか・・・はは・・・」


どうかしている。

目の前にいるこの娘は名字も名前も、多分性格も全然違う。


頭が変になりそうだ。いや、もう昨日からどうかしているんだ。

自分で自分を未確認なくせに・・・。


「いませんけど、一人っ子ですから。でも、どうしてそんな事を?・・・まさか・・・始めから私のことが目的で・・・」


そう思われる可能性がない事はない。

けど、もしもそのことが目的でここに来ているとしても、それはオレのほうが先行して思うことで、彼女自ら口に出してまで言ってしまうことはなかなかな事だと思うのだが。


「いいや、全く違うよ。」

オレは平然を取り戻し、平穏だとそう返答した。

この娘もなかなかの個性を持ってるなと、自分の事を棚に上げながらもそう思えた。


「千歳ちゃん、オレは本当にこの車に用があってここにまた来たんだ。だから、この車の事について知っていることがあるのならば何でも良い、教えてくれない?」


「初対面の女子高生に会ってすぐに強引に名前を聞き出したのかと思えば、ちゃん付け呼び。気持ち悪いですし、気分が悪いです。挙げ句に、この車が話す?常識的に考えれば、頭のどうかした変質者が女子高生を不法侵入した古い倉庫でナンパしているという、とてつもなくヤバい、言い逃れの出来ないシチュエーションにしか思えませんが」


他人が見れば、確実に、間違いなく、その言葉そのもののシチュエーションだ。


このまま話せば話すほど、本気になればなるほど、マイナスにしかならない気がする。


「荒唐無稽な事は百も承知だけど、オレの言っていることに嘘は無いから。君が今のオレのことをどう思うとそんなこと関係のないことだから。オレの要件にオレ自信が納得するまでここから出て行くことは、ましてや、逃げ出すことなんてあり得ないから」


誤解を解くこと、自分の意思を明確に保つこと、そこらへんがこの状況を打壊するに至る行為だと判断するしかない。


変な言い方だが、誠意を見せることが出来れば目の前の年頃の女の子を納得させることができるのだろうと自分に言い聞かせた。


この駆け引きに終止符を打たなければ、そして、結果は勿論オレの勝利がマストだ。


「いいか、君が・・・千歳がオレの事をどう思おうが、オレはオレの要件を済ませる!君が、じゃない、千歳が千歳のしたいことをなにしようがオレには関係ない。さっきも言ったけれど、『この車』にオレは用があるんだから」


「・・・車じゃない・・・」


「えっ?」


「車じゃないから」


そう聞こえるか聞こえないか、まるで独り言のように、自分に言い聞かせているかのような言葉を絞り出すように言うと、突然オレの横を全速力で駆け抜け、ガラガラとシャッターを勢いよく軽々と開け、どこかへと走り去っていってしまった。


室内からもあってかその音は、必要以上に大きく、重く響き渡った。


彼女の声量、シャッターの重量。正反対な音と重さの量があの子心情と妙にシンクロしていてオレは一瞬、彼女の、千歳の心の中見てしまったような錯覚を起こしていた。


「あの子、よくここに来てるんだな」

あの手付きは、その辺の女子高生が普段の生活でそうそう身につく動作ではない。

でも千歳のあの行動は貧弱な体を上手く使い、流れるように、どこにも無駄な力の入っていないような、彼女にとっては当たり前のような動きだった。


「全く、開けっ放しで出ていくなよな。大切な物なんだろこの車・・・。良いよなお前は、あんなかわいい、それにすごくいい匂いのする女の子に大切に思われて」


「手を出したら殺しますよ」


突然の殺害脅迫は昨日聞いた声だった。


「んなっ!?お前、やっぱり喋れるんじゃないか!」

「そんなことよりも、あの子に少しでもちょっかいを出したら殺しますよって言っているんですよ」


どの口が・・・。うーん、ラジエターへの吸入効率を考えたフロントエアロの開口部分になるのだろうか。

というか、「言っている」なんて、それでこそ昨日のオレの考えがドンピシャで当たっているとしか思えない。


「お前、自分が車だってこと分かっててそんなこと言っているのか?」


その言葉を言ってしまった瞬間、まるで時間が止まってしまったかのように周りの音が一切聞こえてこなくなってしまった。

オレの何の気無しに言ってしまった言葉は、自分が想像していたよりも重く、軽く口に出してはいけない言葉だった。

目の前の存在を傷付けるだけの実に分かりやすい、最悪なことをしてしまった。


ちなみに、傷つけるというのはこの場合、車相手になる訳で・・・、車を傷つけるということは、そういうことではないということだ。心を傷つけしまったということだ。


「そんな事を言ってしまうような人だったんですね。あなたみたいな人に話し掛けてしまった事を情けなく思いますよ」


いっそ、オレのことを貶してくれれば楽だったものを。

自分に責任があるような言い方をされて、ただでさえ嫌われてしまったということに『嫌だ』という感情が溢れてしまった。

暗幕を閉じる。そんな行動をすれば自分のことを憐憫になると解っていても、そうすることしか出来ない自分が情けなく、感情を通り越して、マッチポンプは重々理解できていても辟易するだけだった。


「ごめん、悪かった。オレの事をそんな風に思わないでくれ」


どうしようもなく声にしてしまったことは、恥の上塗りだ。

でも、何よりもこれはオレが生んだ結果だ。


昨日出会った目の前のこの存在に、ここまで感情が移入してしまったいたことに当惑し、やってしまった自分の行動に、大人なりの小さなプライドを持っているのは、ただの残滓でしかなかった。


「あなたという人間を知ることが出来て良かったですよ。まあ、結果オーライということで、ここは手打ちにしましょうか」


思ったよりも軽い返しだった。


オレがこれ以上の重みを自力で持てないと思っての判断だったんだろう。


さっき聞いた殺害脅迫もそれなりの違った重みを持っていたが、今回のこの言葉は、『生きている』という概念をボヤけさせているオレに、その理由を考えさせられる、課題という、さらなる重荷になった。

それでこそ人間界風に翻訳すれば、

「責任を持て」

と、言われているみたいだった。


「わかったよ・・・。」

そうだ。あの子も、重さ(責任)をもっていたんだな。


「それで、あの娘とお前の関係は?「車じゃない」なんて、どう考えても普通の会話じゃないだろう。そんな事言っている以上それなりの関係なんだろう?それにさっきのお前の殺気・・・普通じゃなかったし。お前にとってどういう存在なんだ?」


二人(?)の関係性が重要だった。もしかしたらあの娘もオレと同じ感覚を持っているのだろうかという興味を持ってしまったからだ。


「あの娘じゃないですよ・・・城戸千歳です。千歳とは彼女が生まれた時からの付き合いでして。とは言っても、今の私がこんなでは彼女を悲しませてしまうだけの存在なだけですが・・・」

普段のハキハキ、しっかりとした口調とは違う。

その声には、使い方が間違っているのかもしれないが、迷いが漂っているという感じだ。


「出来る事ならば、私自ら治療にあたるようにしたいところですが・・・」


ギャグの類なのか、マジなのか、もう判断することは不可能だ。


「ふーん、そうか。それであの、じゃない、千歳はどんな子なんだ?もしかして、オレと同じってことか?」

オレは無視して、先に進むことにした。これ以上のストレス(それだけではないが)は、ただの毒にしかならないと判断してだ。


「いいえ。千歳は至って正常な、それでいて清楚で聡明で清純などこにでも居るいち女子高生に過ぎませんよ」


正直、引くレベルだ。


言葉の端では別にそうではないような雰囲気を出したところで、よっぽど気持ち悪いぐらい溺愛しているだろう感じがビンビン伝わってくる。


昨日調べたところによれば、それなりの経年劣化のような老いは感じる。

けれどそれは、歳は取っているが、未だに現役を貫き通し、シニアオリンピックの100メートル走で優勝出来てしまうような、エネルギッシュな、おじいちゃんといった雰囲気だ。


こうして冷静にマジマジとコイツを見ていれば、オレよりもどう考えても年上だと気づくことが出来る。

それも親以上歳の離れた存在なのだけれども、『生きている』もしくは『生きたい』という素晴らしくも恥ずかしい意欲に溢れている。


「でも、千歳は『車じゃない』って」

「いいえ。私は千歳とは一度も会話した事はありません。一方的に彼女がそんな風に感じて、思っているだけです。どんなに私が話しかけようとその言葉は絶対に千歳の耳に届くことはありませんから」


意外な答えだった。

オレは、コイツはすでに人間では無くとも生命体として認識していると思っていた。

ここまでのコイツの言葉使いはその一番の要因だし原因でもあったのだが、そのコイツが真逆と言っても良いような考えを言って、それも、千歳を相手にしているにも関わらずにそんなことを言ってしまっている。

自分はあくまで車だと、ただの『機械』でしかないと、そう言ってしまっているようだ。


「それならオレのこんな特殊能力みたいなもんあの子にあげたいくらいだ」

「そんな言葉この先絶対に言わないようにしてもらえますか。あなたが今のこの状況をどういうふうに解釈しているのか知りませんが、あなたのそんな他人をなんとも思っていないような、平気で傷つけていることに気付いてさえいないような考えを持っていようと、それでも、そんなあなたにしか私の声は届かないんですから」


この時のこの車の声は正直、オレにとってなんの叱責にも、注意にすら聞こえることはなく、どっちでも良いような言葉だった。

他者ならまだしも、他車にそんな事を言われようが知ったことじゃない。オレはオレの思ったことを正直に包み隠さずなんの変換をすることなく真っ直ぐ言葉という音にして発するだけだ。


どうしてこんな考え方を出来るような人間になったんだろうな。

まだ大人になったばかりのオレは、俯瞰で自分を見れているような偽物の感覚と、達観しているようでそうでない誤魔化した実感がある。

人生というにはたかが知れている経年時間が、その感覚に拍車をかけて、焦りという誤魔化しの効かない現実として少なからず後悔を生んでしまっている。

けれど、自覚せず、意識せず、認識しない『なにか』でその全てを跳ね返し、無かったことにしてしまう。


「それは約束できない。というかオレの使う言葉を他人が抑制するなんてあり得ないんだよ。オレはオレにしかコントロール出来ないんだから。お前みたいに、自分意外にコントロールされることしか出来ないやつにそんな事を言う資格なんてあると思ってるのか」


あーあ、またやってる。本当に大概な奴だよオレは。


もしかしたら、その『なにか』ですら言い訳にしてしまっているのかもしれない。

一般社会という世界からしてみれば、ただの、コミュ障で、不適合者なだけだというのに。


「確かに、たしかにそうですね。確かに私はその程度の、それなりの存在でしかありません。これは絶対に覆らない当たり前のことですよね。だからなんですよ」


「あっ?」

この時、オレは怒ってはいない。

それは、オレから出た言葉を肯定されて、混乱し、どうして良いのか分からずいる不安への反発のようなものなだけだ。


「私は正直うらやましいんですよ。自分の力で自由にどこへでも行けるというあなた達人間が。勿論、私にだって力はあります、それこそ比にならないほど。けれど、最終決断をすることは私達には出来ないことなんです。思っていることを表現することも、実際にこうして会話をすることも、許されないことなんです。私達に出来ることがあるとするならば、一言に、負担をかける事くらいですから」


その言葉を聞いてオレは確かにそうなんだろうなということしか思うことはない。

相変わらずで、むつかしいことは頭に浮かんでこなかった。


実際に車を所有してオーナーになったことなんてないし、ここまでの人生、人間はおろか、車のことなんて真剣に考えたことなんて皆無だ。それなのに、次に思い浮かんだオレの考えは、損得抜きの、良し悪し無視の、

       

        「コイツの事は真剣に考えても良いな」

                             だった。




「それで?その日はそのまま帰ってきたってことか?なんの進展もなく」

「まあ、そんな感じですね。いま思うとどうしてあんな奇行をしたのか不思議なくらいですけれど」


昨日はあれから特になにかしらあった訳でもなく、店長の言う通り進展はおろか、自分のしていることがよく分からなくなるような状態になるまであいつとは話し込んでしまう始末だった。とは言っても、何ら特別な内容なんて全くなく、確信を突くようなお互い自身の事なんて以ての外、変な言い方にはなるが世間話のような雑談をしたくらいだった。けれど、そんな時間がオレはとても心地よかった。


「そういえばお前、また携帯持って出かけなかっただろう。今日の仕事内容の追加があったからその事を伝えようとしたのに。つうか、いい加減買い替えろよな、うちのバイト代そんなに安いことないからな。特にやることもないのに家出した挙げ句、生活費のためにうちでバイトして、休みの日は暇人決め込んでるんだろう?そこに、昨日みたいな非現実的なことが起こったんだ、何かのきっかけなんじゃないのか?」

「よくもそう他人の傷口をえぐり削るようなことをスラスラ言葉に出来ますね」

「よくも自分のバイト先の店長に向かってそんな口の利き方が出来るな」


自宅から徒歩十五分のところにあるこの古本屋。オレの生命線と言っても過言ではないここがオレのバイト先『太極堂』だ。


古本屋とは言ったが、その他に雑貨・古着・骨董・etc。店長が買い取れて売れると判断出来た物をオレからすればどんな基準で判断しているのか分からないが、手当り次第店に詰め込んでいるっていう感じの店だ。


「別に特別忙しくなるような仕事量じゃなかった訳だし、店長の私情を仕事という名目でバイトに都合押し付けないで下さい。内容だって実際趣味の道具整理だった訳だし。オレにだって色々やることだってある訳だし」


「そんな都合あるか。それに、ワケワケって、そんなもん全部言い訳だろうが。訳の使いかたから勉強してこい!これだから学の無い奴は・・・」


店長の言う通り大学を中退し、こうしてフリーターになって、やること無く、かと言って特にやりたいことだって見つけられていないような現状だ。

諦めて、納得している自分を、誤魔化しという言い訳でボヤッとさせてしまっているオレには、その店長の遠回しの憐憫な言い方がもろにゴリゴリとプライドを削り取っていた。


そんな店長はオレにとってバイト先の主人であり、雇い主でもある。そして、目の前にいる現段階での最大の敵であり、自由奔放、悠々自適なフリーター生活にとって唯一のストレスにもなっている。

ここで働くようになって、プライドを削り取られることが、ストレスを生む原因になっていることを初めて知った。


七草晴海さえぐさはるみは、現在四十歳、バツイチ。

子供は一人男の子がいて、親権は前夫が持っているため、実際この店を寝蔵に悠々自適な四十路人生を過ごしている。

確かに、こんな母親とマンツーマンで暮らしてなんかいたら、ろくでもない大人に育ってしまうに決まっている。オレがそう思うのだから間違いない。片親の先輩としてバランスの崩れた生活環境は人間を腐らせるのにそう時間が掛からないのだから。


「そういえば最近春樹くん来ませんね。店長の子供とは到底思えない天使のような、いいや天使そのもののあの子がこの荒んだ店内の空気を一掃してくれたのに。これじゃ一層オレの心が荒んでいくだけですよ」

「はぁー全く。その、他人のことをなんとも思っていない性格なんとかしたらどうだ。親の顔が見てみたいよ」

「会えばオレを構成してるアイデンティティの要因が良く解りますよっと」


ここまでの会話中、オレは一切店長と顔を合わせて喋ってはいない。一心不乱に追加された仕事を着々と遂行していただけだ。


「・・・。なぜなんだろうな、春樹のやつ、お前に妙に懐いたよな。あいつの人見知りっぷりは中々のもんなんだけどな。この前店に遊びに来た時の第一声が「お兄ちゃんは?どこにいるの?」だからな。良かったよ」

「良かったって何がですか?なんとなく大体の予想はつきますけれど」


ここまで店長と会話が続いたのは久しぶりだ。

この人との関わりは、大事にしなければいけないということはオレ自身で把握出来ている。そういうことだと納得している。生命線というところは、そういうことだ。


「お前にこれ以上会えば、そのどうしようもない毒に当てられて天使が悪魔に・・・堕天使になってしまうからな」

「堕天使って・・・、どれだけ親バカなんですか。一度、悪魔にって言っておいてその名称が気に入らないからって言い直ししてまで堕天使って。まあ、オレにとっては悪魔は悪魔で、堕天使は堕天使で、それはそれでまた違った可愛さはありますけど」

「自分のことを毒扱いされたことには言及なしか。お前も大概だな」


私的で有利な嘘はつかない。それが信頼関係を築けているという事になっている。


「そろそろ上がっても良いぞ。残業までさせて私的な理由でお前を拘束させるほどうちはブラックではないからな。きっちり時間内労働さえしてくれれば私は満足だ」


その言い分は、とても私的で、自分勝手な、紛れもなく今の店長にピッタリの言葉だった。

そもそも、この追加された仕事の前にすでにオレは規定の量の仕事を終わらせている。

昨日店長からの連絡を受け取らなかったもオレにも落ち度はあるのだが、客層を広げたいという理由で開店時刻を最近早めたことによって昼過ぎからのバイト時間が、朝の八時に強制的にズラされている。

けれどオレは雇われの身だ。その事について、とやかくどんな文句を言ったところで、そんな意見が通る訳がないことは重々理解している。

だがしかし、だがしかしだ。

その事によって単純にオレのバイト時間が長くなってしまった。なのに、その事に対する金という対価のバランスがは据え置きという、ハチャメチャな労働環境になってしまった。

まさにブラック、いや、漆黒な企業だ。この親ならば、その子供は悪魔に間違いないだろう。


「勿論、すぐにでも切り上げて家でのんびりしたいですし。だけど、この仕事だけは切りにしたいという几帳面な性格が邪魔をしていますから、これだけ終わらせてもらえますか?残業代はいりませんからっ」

語尾を強めに強調することで反論していることをアピールするべく、後ろで何かしらの作業をしていた店長のほうに、その意見と同時に勢いよく振り向くと、すでにそこに店長の姿はなかった。


元々オレは、思考スピードが他人よりも早いほうだと自覚していたのだが、ここのバイトを始めてからその能力に更に磨きが掛かったことを実感している。

その原因が店長にあることはここ最近気付いたことだったが、未だに、というか、店長のスピードに追いつくことは一生出来ないだろうということも、その時同時に理解させられた。

だがしかし、だがしかしだ。

諦めという考えは絶対に持てない。

オレは人間だと認識している人間に劣っているという事を認める。

そして、そのことを表に出さないように意識して、実際それが出来ている。

だからこそ、あの車との出会いはオレの中で特別のような事になりかけていた。


「城戸自動車ね・・・。狭い商店街だ、店長ならばなにか知っているかもしれない・・・。でもなぁ・・・貸しを作るみたいで気が進まないし」


「んっ?なんだ、城戸自動車がどうかしたのか?」


その声はすぐ隣、と言うには近すぎる、オレの左耳の真横で言葉と同時に発せられた吐息をはっきり感じられる距離で聞こえた。


「はぁー。店長、そのくノ一みたいな能力発動させるのをやめてくださいって前にも言いましたよね?何度かやられてますけど、未だになれないんですから」

表面上は落ち着いた対処が出来てはいるのだろうが、実際オレの心臓はバクバクもんだった。

人生の折り返しと言っていいような年齢になってはいるが、この店長、実のところ、商店街では、美人、もしくは、綺麗という、そして、そのどれもが、最大級の賛辞として言われているほどの有名人だ。

オレの倍生きている(こんなことを直接言ってしまった日にはクビどころか、本人もしくは、その賛辞を贈っている男性陣に一瞬で殺されてしまうだろうが)店長が、一瞬にして至近距離まで音もなく近づいてくることには慣れたのかもしれないが、そんな事よりも、他人の大事な情報を絶対に聞き逃さないということが、この場合、オレの言うところの特殊能力に当たり、心臓に悪いし、誰にどう思われようと止めてほしいことなのだが・・・。


「なんだ、お前の言っていた車屋っていうのは『城戸自動車』のことだったのか」


「知ってるんですか?さっきの車っていうのがそこに置いてあったんですよ。赤い・・・、というか確かに赤いんですけど、そうじゃないというか、単純な赤色じゃなくて・・・うーん何というか色が無いっていうか、とにかく不思議なやつだったんです。出来事自体もそうだったんですけど、それ以上にあの車自体の存在感が有り過ぎてそれ以外のいろんなことが薄まってしまったんですよね・・・」


自分で言っていて妙で変な気分だ。

あいつのことを考えるとこんな気分になる。

別に嫌なわけではない。

それどころか、進んであの車の話を誰かにするということが嬉しいという気分を体験させられているくらいだ。


「知っているも何も、あそこの店長と私は幼馴染だからな、同級生だし」

「へえー・・・」

「言っておくがお前の思っているような関係は一切無いからな。それにあいつの結婚した相手は私の親友だし、私の認めた唯一のカップルだからな」

「ぷっ、なんですかそれ、どうして上から目線なんですか?聞いた事無い日本語ですよ。これから聞くこともないような台詞ですし。でも、そうだったんですね。営業もうしてないみたいですけど、今は何しているんですか?」


不用意に、そして、無責任に聞いていいような質問ではなかった。

オレはまだ小さい。大人なのに小さい人間だ。

責任なんて取れる以前に、持つことも出来ない人間だ。

でもなんだろう、自分のことがどうでも良いようで、いざそんな状況になればオレは自分の保身に懸命になるだろう。

実際まだそんな状況になったことはないのだけれど。


「お前、今年でいくつになる?」

「歳のことですか?」

「・・・いちいちお前は。そんな生き方してるとろくな事ないぞ・・・。二十いくつになった?成人はしてるんだよな、そうならば自分の言ったこと、というか、生き方、生き様に責任を持っているか?安い言い方だがプライドは在るのか?」

「どうしてそんな事今聞くんですか?・・・今年で二十一ですけど」


店長の質問の意味はなんとなく分かっていた。

言葉の奥にあるカモフラージュされた内容を聞き取れていた。


けれど、すぐにオレはその事を誤魔化すことに必死で、自分の保身に懸命になっていた。


「ほーう、そうかぁ・・・。その割にはー」


何を言われるのかは一目瞭然だ。当然目視では確認出来ない。が、今ならそんなことが視えるような気がする。


「・・・」

「・・・・」

「・・・・・ふーーーーー。全く。まだガキか・・・」


なにをしてもここで恥をかかないと約束してもらえるのならば、すぐに両耳を両手で塞ぐことをしたい。


「あいつら・・・、夫婦は事故で二人共死んだんだ・・・。あいつが事故なんてするわけない。それも自分で整備していた車でなんて・・・」


「・・・」

「おい!聞いてるか?」

「・・・はい・・・」

「私からすれば絶対にあり得ないんだ。家族三人で旅行に出掛けた先での事故だったんだが、子供一人を残して自分達だけ死ぬなんて。そこのことだけは許せないけどな」


見たことがない店長の表情。

オレの責任で、いや、オレのせいでこんな話をさせている。


店長がここまで感情を表に出したところを初めて見た。

だからこそオレにはその感情を読み取ろうなんて決してしないし、その全てを受け止めることなんて出来るわけない。

なぜなら自分のことで精一杯な小さな人間だからだ。


「城戸千歳、ですか?残された子供って?」

「千歳のこと知っているのか・・・。それは車から聞いたのか?」

「いえ、直接昨日会いましたけど」

「何!?会ったって城戸自動車でか?」

「はい。ちょっとした口論にはなりましたけど、一応は、多分、色々な誤解は解けてオレがあそこに居た理由も通じたはずです。オレとしては、あの車意外に気になることが増えただけで、昨日城戸自動車に行ったことは後悔しか残らなかったですけど」


「そうだったのか。お前みたいなもんと言い争えるくらい元気だっったのなら安心だ」

「大の大人に食ってかかって来たくらいですからね」

「ふっ。それなら結構。あの子がまだ中学に上がるくらいの頃だからな、あいつらが死んだのは。私はもう何年も会っていないよ。よくうちの店にあいつと一緒に何か買うわけでもなく冷やかしの遊び来ていたっけ。とにかく元気な子で物だらけの店の中を走り回っては色々壊していたっけ」


その表情は、さっきとは打って変わって、とても優しく楽しそうで、その顔をみたオレまでも嬉しくなってしまうような温かい顔に変わっていた。


「でも、昨日会った感じそこまで元気には見えませんでしたけど。あの子の両親がどんな性格だったか知りませんけど、結構、中々な感じでしたよ。初対面、それも年上の男に向かって一切気後れせずに、対等どころか上からな物言いでオレを攻め立てたくらいで」

「千歳の家だ、上からは当然だろう。それよりもお前、年下の、それも女の子にちょっかい出そうとしてないだろうな?車の事意外に気になることが増えたって言っているくらいだし」


確かに彼女のことがあいつ以外に更に出来てしまった悩みのタネになったのだが、店長や、昨日あいつに言われたような色恋につながるようなことは全くない。見当違いも甚だしい。

気になったというのはあくまで、オレ個人の問題だったなだけだ。


「可愛い子だったし、キツめのあの性格も中々どうしてオレは好きですよ。もしも同学年なら異性としてしっかり対象にしてターゲッティングしているところですよ。それに・・・」

「それに?」

「いや、別に。良い子だということは解りましたから。両親も素敵な人達だったんだろうなって」

「・・・本当に変な目で見ている訳じゃないんだろうな。今はそんな感じなんだろうが、ここまでの物言いだけだと全く信用出来うるに値しないが」

「あいつと同じような事言うんですね」


他人の事をここまで話したことなんてここまで生きて来て初めてかもしれない。というか、ここ数日間そんなことばかり考えている。

異常事態だ。オレはオレがなんだかを知っている。

他人に干渉することがその事を最も輝かせ、存分に実力を発揮できる。

それが全てマイナスで・・・というでなのだが。


城戸自動車の人達と店長の関わりがそれなりに深かったという事は十分に分かった。

その関係に巻き込まれてしまっているという解釈を一瞬しようとして、それがどれだけ馬鹿な考えか気づいた。

とんでもないそんな考え方がオレの中に残ってしまう可能性があったことにゾッとした。

よしよし成長しているな。と、これもまたバカな考えにまとまってしまっていることには気付くはずもなかったが。


「そろそろ上がりますね」


思慮深い(笑)考察と共に、オレの手はブラックな仕事内容をそつなくこなしていた。


「ああ。別にいちいち報告しなくてもいいから・・・な」


数秒の嫌な間があった。

言葉の流れに引っかかりがあった。

これから店長が何を言おうとしているのか何となく気付いてしまう間が。


「・・・それじゃ、また明日来ますね」

オレは、一目散に無駄なく流れるように今すぐここから居なくなろうとした。が、それがまずかった。大人同士でいうところの経験則の違いをまざまざと思い知らされた。


「明日、もう一度行ってきてくれないか?」

「・・・城戸、自動車ですか?」


バックヤードまであと半歩。予測通りの店長からの申し出だった。




「あーあ。行きたくねぇなぁ」


バイトの時間まであと三十分。普段の家を出る時刻よりも少し早く家を出てきていた。

昨日の店長からの時間外労働とは決して名打っていない追加作業だが、上司からのお願い事はしっかりとした仕事ということになってしまう。だからこそ、任された以上責務を全うしなければならない。


「オレってもしかしてすごく真面目な性格なんじゃないのか?」


この二日でオレの置かれている環境は変化してしまっている。

運命なんて気色の悪い考えはしたくもないし、そんなよくも分からないものに頼るなんてありえない。

「オレ、O型だからな」

自問自答からの正解を出すことで、短絡的にここでこの考察を無理矢理そう言って強制終了させることにした。


「・・・時間の無駄遣いか・・・」

そうやって、ため息交じりの後悔を口にしていれば、すでに目的地の前まで辿り着いてしまったいた。


悩みの種のようには言ったものの、実際そんなことはないのかもしれない。

自分の中で折り合いをつけることが出来ていないということへの、気持ちの悪さがそうさせているだけなのかもしれない。


「なんの変わりもなく、昨日と同じように、当然だと、そこに居るんだろうな」


今日で三回目。

何らかの成果というか、答えのようなものを導き出したい。

どうして車と会話が出来てしてしまうのか?

その意味は何なのか?

やっぱり悩みの種は尽きない。


「来たぞ。相変わらず古臭い形してんな、こんな埃っぽいところにジッとしてしかいられないんだ、とっととスクラップにでもされてリサイクルに貢献でもしたらどうだ」


前回、前々回とは違う。その意気込みが、この第一声に存分に十分含まれていた。


「そんな挑発・・・まるで私を怒らせて無理矢理にでも話しがしたいとしか思えませんが」


完璧に図星だった。

結論を急いでいるということに気付き、気付かれてしまった。


「な、なんだ、今日は喋る気になったのかよ。昨日は全然そんな素振り無かったのに」

「昨日は千歳が居ましたからね。彼女にはこうして私が喋れることを知られたくないんですよ」

「どうしてだよ。んっ?というか、どうしてお前の声が千歳ちゃんに聞こえるってわかるんだ、これって特殊な力なんだろ?」


そうは聞いてはみたものの、何となく答えは分かっていた。

昨日のあの子の残した言葉がその理由に十分過ぎるほどになっていたからだ。


「またまた、そういうところですよ。人間、思っていることを素直に口にすれば良いんですよ。あなた達には『言葉』というものが存在するんですから。それこそ特殊な力ですよ、それを使わないのは勿体ない、嘘ですよ」


特殊な力を使わないのは嘘になるのか。

そんな考え方したことなかった。

人以外の存在からの言葉で新しい考え方を教えられた。


『話してみるもんだな、車と』

訳の分からない納得だけれど、違和感が無かった。

それが当たり前のように感じ取ってしまっている自分になんだか、それでも良いんじゃないか、これこそが自分の質で言うところの、本質なんじゃないのかと思い始めていた。


「それなら、オレたち人間には情報っていうもんもある。昨日、ここの人達の知り合いの人に色々聴いて自分なりに結論みたいなもんが出たよ」

「ほう、そうですか。なぜこうして私の声があなたに聞こえてしまっているのかという答えでも出たんですか?」

「お前、オレにさっき自分達には言葉の力は存在しないような言い方をしておいて、十二分にその力を使いこなしてるじゃないか。オレよりもよっぽど饒舌だよ」


えーと、舌ねえ。舌・・・普段から表面上に見えていない部位を当てはめるのは流石に難しい、うーん、そうだなあ、強いて言えばラジエターか?ラジエター液もあるし・・・。


「何言っているんですか、今、こうして、会話が成立している以上、人間であろうが、車であろうが、対等なんですよ。意外と細かい事に引っかかりますね、そんなことでは、小さな人間にしかなれませんよ。大人のくせして」


その言葉の口撃は、オレが言われたくない言葉のチョイスを完璧に捉えている。

さすがに、ここまで完璧な攻撃を真っ向から喰らってしまうと、怒るという感情よりも、自責の念のようなもののほうが勝ってしまう。

ここまで生きてきたことへの甘さというものに気付く羽目になってしまう。


「結果・・・ですか?」

「えっ?」


「一応私のほうが年上なんでね。ここに今日来たことの理由くらい何となく予想がついただけです。大人のくせにと言っておいてなんですが、あなたくらいの年の男の子が行き着くところが解ってしまうんです。特にあなたの場合はとっても分かり易い人でしたから、ここに入ってきた時の表情でその事に確証を持てましたよ」


オレってわかり易い人間だったのか・・・。

自分の事を理解するという行為を人よりも多くこれまでしてきていたつもりだったが、こうして第三者・・・第三車に言われて答えが決まってしまった事に素直に驚いた。


「そうだよ。もっと簡単に言えば今日で決着を着けに来たんだ。これ以上今のオレの暮らしにイレギュラーな出来事ばかり起こされたくないんでね」

「そこまでの質の高い日常を暮らしてきた自負があるんですね、意外です。さすがの私にも見抜けませんでした」

「・・・わざとだろう」


その瞬間、目の前の車がニッと笑ったような気がした。

その表情は皮肉にハニかんだようでいながらも、穏やかな温かい優しい無垢で無邪気な子供のような笑顔だった。


ここまでの会話もそうなのだが、昨日一昨日と、初対面から今日この時までのこいつとの会話は楽しい。

決して外に漏らす事はあってはいけないが、実際そうだということがいつかバレることになるのだろうと自分でも分かってしまうほどにだ。

考えることだけでも恥ずかしくなってしまうが、運命の出会いというものを感じざるを得なかった。


「免許は持っていますか?」


急なその質問に本音で答えることが「オレの運命を決めることになる」そう思った。


「持ってるよ・・・。鍵は在るのか?」


生まれて初めて自分の運命を決めた気がした。

自分のことは自分で決める。そんなことが簡単に覆されたのに納得した。


「ありますよ。助手席側のフロア下、マグネットで張り付いているケースがあります、その中です。元々オーナーがキーインした時用に非常用として備え着けていたものです」


オレは言われた通り助手席の下回りに潜り込むかたちで頭を入れた。

けれど、時間帯的に日の明かりが入ってこなかったこともあって、そのやり方をすぐに諦め、手探りでスペアキーの入ったケースを探す事になった。


「こんなところに鍵が在るなんて、他に誰か・・・それでこそ千歳ちゃんは知ってるんじゃないのか?」


ゴソゴソと、当てずっぽうに手探りで言われた通り、鍵入のケースを探しながら、なんの気無しに思ったことを間繋ぎがてらに聞いた。


「・・・あの子はまだ免許を取れる歳ではないですからね・・・」


少し考えれば分かるような返答が返ってきた。

でも、馬鹿にしているような言い方ではなかった。


「・・・そうだよな。・・・・・・んっ?」

「ありました?」

「ああ、あったよ。これだろう?磁石が強力過ぎてボディの一部みたいになってたよ」


そのケースにはおそらく、これを購入して、この場所へ取り付けたであろう日付が手書きで書かれていた。

丁寧な字なのだが、筆跡はなんとなく男の文字のような、そんな感じがした。


「ここまでしておいてなんだけど、千歳ちゃんにはちゃんと断ったほうが良いんじゃないのか?」

「それもそうですね」

なんとも気のない返事だ。


「今思ったんだけど、この状態を維持できてるってことは、誰かが整備してなきゃダメだろう?一体誰が。それに、事故した時の車ってお前のことだろう?大きな事故だったのなら、こんなカチッとした状態で今ここに居るのがおかしな話しだろう?」


ここまでの会話で少しの違和感があった。

この話の持っていき方はコイツらしくない。

自分の事しか考えていないような。それがオレには気にいらなかった。


「うーん、らしくないですね。いや、うーん・・・。」

「・・・・・」

「すみません。改ますね」

流石だなと思った。


「ここから話す事は全て事実で、それが故に嘘のようで残酷ともいえる話になります。それでも聞いてもらえますか?」


ここにはオレしかいない。

だから当然その『言葉』はオレに向けて発せられたものだということになる。正直、厳し質問だ。素直に怖かった。


「聞くよ、勿論だ。決めたからな」

「?、そうですか、分かりました。話しとは言いましたけど、実際なところ、簡単なことです」


まあ常識の範囲だろう。

そう、また、誤魔化した。


「事故内容なんですけど、正面衝突だったんですよ」

「だったんですよって、他人事のように。でも、それじゃ致命傷だろう、エンジンだって無事じゃないだろうし・・・」


「ええ、フロント周り全部グシャグシャで即廃車コースでした。そんなことで、オーナーと奥様は亡くなってしまいました。当然私も、これで自分の車生が終わってしまうと観念しました」


「って事は、修理したってことか・・・、それなら誰が・・・」

「千歳ですよ」

「はっ?」

「千歳が一から全て自分の手でこの状態まで私のことを治してくれたんです」


あり得ない。

あの子はまだ高校生だ。

違う。年齢とかそういった常識的なことじゃない。

単純に時間的な問題だ。


確か店長の話じゃ、事故にあったのが中学に上る前だと言っていた。だとすれば少なく見積もっても、三、四年しかない。

プロからすればそれだけの時間があれば修理することは十分可能だろう。だけど、小学生の、それも素人が廃車行きの車を一人で新車同様に修理するなんてあり得ないことだ。技術的なことは勿論、精神的な状態を考えれば、あってはいけないことさえ言える。


「幸い、修理に使う道具や設備はここには嫌っていうほどありました。千歳は、葬儀が終わると着替えもせずにそのまま黙々と作業に取り掛かってくれました。それからは・・・」

「ちょっと待て、それじゃあの子はその日から毎日お前の修理をしていたってことか?」

「ええ、勿論です。」


その言葉はとても機械的で、血の一切通っていない機械そのもで、当然で、いたしかたない返答だった。

それがオレにはとにかくすごく嫌だった。最もコイツらしくない、わざと、敢えて言っているとしか思いたくなかった。


確かに環境のみで言えば、この場所でなら作業は出来る。

だが、今のこの場所には道具はおろか、電気、水道といった設備さえ備わっているのか判断しかねるような状態だ。実際、道具と呼べるような物は一切置かれていないし。


「作業、というか、それ以前に技術的な指導もなく全くの独学でそうしてきたってことだよな・・・。自分の意思で行動を起こして、その信念を貫いたってことだよな・・・」


いち女子高生が。

かわいそうだとか、悲惨だとか、そんな感情はとうに超えて、只々、畏怖することしか出来なかった。


「オーナーの横でよく一緒に作業の真似事していましたから多少の知識や技術は備わっていたのかもしれません。修理を始めてから一年後くらいには、私達、車という存在の構造はほとんど把握していたようですから」


相変わらず冷たい、機械のように、いや、車という機械なんだが、そうオレには聞こえ続けた。


「色々無理な事だってあっただろう、ここの維持だってそうだ。それに技術だけじゃお前をここまで治すことは出来ないだろう?」

「金銭的な事ということですか?それならば、オーナーたちの残した遺産と、彼女のバイト代で賄ってきましたから。いやはや、オーナー達家族には感謝しても仕切れませんよ」


「だからその言い方はやめろ!!!!!」


オレは怒鳴ってしまった事よりも、他人のことで自分がここまで親身になって、感情を起伏させる人間だったということに驚いてた。

相手が『機械』だったからなのかもしれないし、ここは怒るべきところだと脳が冷静かつ利己的に、オレらしく答えを導き出したせいなのかもしれない。けれど、だとしても、どれにしたって、全て正解だ。ここでコイツのことを正さなければ、間違っているとハッキリ言ってやらなければ後悔する。だからオレは怒った。


「赤の他人がこんな事を言うことはおかしな事だとは思う。けれど、それにしたって、一人の女の子がそうまでしてやったことだ、一人で決断して、一人で考えて、一人で耐えながら、一人でやり遂げた事にそんな言い方はおかしいぞ!機械のお前に言ったところでどう変わるか知らないけれど、冷静に、普通に、常識的に考えれば、もしかしたらそれが正論なのかもしれない、でも、オレはそうじゃない!その考え方は間違ってるぞ!!」


怒号とまではいかないものの、そのオレの声は外にまで届いていたのかもしれない。

近くを通りかかった人がいれば、何事だと、建物の中に確認するため入ってくる可能性だってあった。

この機械とオレが会話している事に気付くことは無く、ただオレが独り言を、独り怒声を荒げている不法侵入の不審者だと思われてしまうかもしれない。

でも、だとしても、そうなったとしても、この行動はオレの中で正当化出来ている。

オレが正義だ。それが今思うことだった。


「いいよ。解ったよ。この鍵でエンジンかけてやるよ。怒ってるとか、迷っているとか、怖がっているとか、そんな色んな感情に塗れてお前に火を入れてやる!良いか、これはオレの意思で決めたことだ、お前に言われたからとか、千歳のこととか関係なく、オレがそうしたいからそうするだけだ!良いな。解ったか!!!」


妙な清々しさがあった。

自分でも驚く程早口だった。

自分の全てをさらけ出したような言葉な気がした。



オレは、勢いよく鍵の掛かっていないドアノブに手をかけ、運転席側のドアを開け運転席に乗り込むと、フロア下から手探りで探し当てたスペアキーを鍵穴に入れイグニッションをオンにした。その瞬間だった。


「えっ!?」

「えっ!?」


エンジンはかからなかった。

あれだけの啖呵を切った挙げ句、コイツに火を入れることが出来なかった。


「おい、どういうことだ!?修理は終わってるんじゃないのか?」


その時、オレに出来た唯一のことは責任の転嫁だけだった。別に転嫁と点火を掛けたつもりはない。


「エンジンがかからなかった事にでも掛けたつもりですか?そこまで生き恥賭けることはないとは思うんですが」

「うるせぇなぁ、何が「生き恥賭ける」だ」


よく出来た?漫才のような掛け合いが成立した瞬間だった。


「うるさいのはあなたの方です。気持ち悪い」


最悪な再会だった。

誰かに気づかれ、ここに入ってくるかもしれないとは思ってはいたものの、それがよりにもよって彼女だなんて・・・。


「千歳ちゃん、どうして?」

「どうしても何も、ここは私の家です。不法侵入の変質者にとやかく言われる筋合いはありません。昨日の今日で・・・、どういう了見なんですか?この車に用があるようなことを昨日は言ってましたけれど、今回の件で、完全犯罪者となってしまった以上、あなたには何を言っても駄目なようですね」


見知った顔に、不法侵入の変質者で完全犯罪者に認定されてしまった。

前回の時点で、灯火同然だった希望の炎は完全に消火されてしまった。


「だから何回も言ってるだろう、コイツに話があるって。聞きたいことがあって今日もここに来たんだって」

「そういえばこの間もそんな事言ってましたね。流石にここまで執拗に同じ内容を喋られては疑ってかかることも少しばかりですけれど、本っ当に少しですけれど真剣に聞く必要が嫌でも出てきます。このまま頭ごなしでは私自身で見極めることが出来ませんから」


その受け答えはなんとも滑らかで、そんな態度はとても年下の女子高生とは思うことが出来ない。年上の経験豊富なちゃんとした独立できている大人の女性と会話しているみたいだった。

正に理想の女性のように。


「これ、何か分かるよね?」


運転席に座り続けながら、スペアキーを見せる事が、オレと千歳、それにコイツを繋ぐ唯一の物であり、その理由にもなりうると思ったが故の行動だった。


「どうして・・・?なんでそれを持っているんですか・・・それをなぜあなたが持っているんですか」


ここで決めるしかない。

ここで納得させなければこの先オレの信用は回復することはないだろう。コイツとの関係をはっきりと認識してもらう。

最初で最後、千載一遇のチャンスだ。


「コイツに聞いたからだよ」

そう言いながらオレは、ハンドルを握ったままだった右手を離すと、ポンポンと軽くハンドルを叩いた。


「出来るんですか会話・・・この子と、本当に?」


そう言った千歳の顔は、さっきまでの大人の女性な表情とはまるで違って、まるで幼稚園児が欲しかったおもちゃを目に前にして、お預けされているような、一気に精神年齢が下がってしまった表情だった。

そんな顔に変化したことを確認できてしまった時、オレはどうすることも出来ずに、ただ、ある人物と重ね合わせる事をしてしまっていた。

まるでじゃなく、完全に子供そのもののようなあいつと・・・。


「出来るんですね!本当に!信用しても良いんですね、その感覚を共有しても良いんですね?」


堰を切ったように、千歳が、オレとのズレをスリ合わせようとしている。本来の千歳が一気にオレの事を信用しようとしてきていた。

それがオレには『気持ち悪かった』。


「感覚を共有、ね・・・」


普通の人間なら、自分に興味を示してくれたとか、酷い妄想力を持ってしまっているようなヤツなら、ワンチャン、好意を寄せているかもしれないと思うヤツもいるだろう。

何を思ったのか、自身のキャパシティを超えてしまったことに畏怖して一歩引いてしまうビビリもいるかもしれない。

責任逃れの適当な言い訳で、その場凌ぎのような言動をするような卑怯な輩もいるだろう。

けれど、そのどんな人間の心情にもオレは結びつくことはない。

俗世界で言うところの、『世間体』や『常識』といったものの類と同意義だ。


「お前、どうしてそんな風に急に態度を変えられるんだ?」

「へっ?」

「だって、お前さっきまでオレのこと不法侵入の変質者呼ばわりしてたじゃないか。可笑しくないか、それ」

「え?だって、そ、その、あなたがこの車と喋れるって、信じてくれみたいなことをいうから・・・その・・・」

「こいつの二人称は『この子』だったんじゃないのか?」


オレは再度こいつのハンドルを右手でポンポンと叩く。その力具合はさっきよりも優しくそうした。


「『車じゃないから』そう言ったよな・・・。」


ここらへんで良いんだろう。

このくらいで十分なんだろう。


「お前が一番コイツのこと機械だと思っているんじゃないか。考えてもみれば当然だよな。コイツを修理したのはお前なんだし」


別に、言う必要の無いことだ。。

オレの嫌いな、低俗な揚げ足取りな会話だ。


「小学生の時からずっと一人で、誰にも頼らずに、辛かったり楽しかったり、けれどそんな環境を誰とも共有せずに、ただずっと独りで生きてたんだろ。そんなものオレからすれば、悲惨でしかないよ」


酷いことを言っている。

今目の前のこの、どこにでもいる、清楚で、聡明で、清純で、正常な女子高生の存在を嗜虐している。

言葉で呵責している。


「・・・似てるんです・・・」


どんなに罵倒されたところでオレへのダメージは皆無だ。

こんな状態になってしまうような人生をオレは送ってきてしまった。


オレは『壊れて』しまっている。


自分がそう思ってしまえばそこで終わり。価値が失くなる。人間だと認識しなくなってしまう。


「あなたと『この子』は・・・」


あーあ、もうここにも来ることは今日限りないだろうな。

コイツとの関係だって、鍵まで入手しておいて後は、いざエンジン始動のうえで、ドライブにでも行けたかもしれないのに。


運転《会話》したかったなぁ。


目の前のこの子には本当に悪いことをしてしまったなぁ。


オレなんかと関わりをもってしまったがあまり、気分を害されるなんてものじゃなく、人生という括りで言えばたいして歳が離れている訳でもないような男に自分を否定されることを言われて。

本当にオレは、性根が腐ってしまっている。


「悲惨ついでに言わせて貰えば、オレのほうが悲惨だから。コイツ以外の生き物をロクに相手してこなかったお前と違ってオレは・・・」


オレも一緒だ。


いや、それは違う。オレの方が多分マシだ。


この娘は、千歳にはコイツしかいない。

両親が死んで、天外孤独の身。それに、その時千歳は小学生だ。

悲惨。ふっ、どの口が言ってるんだ。まったく。全くもって信じられない。こんなもの、オレの思っていた『壊れる』とは全然違う。

ただの天の邪鬼だ。

なんの考えもなしに・・・ろくでもない。


「・・・その。確かに私はこの車と会話は出来ません。だから当然この車の性格なんて知りません。でも、私は喋っていましたよ、この車を修理すると決めた時から、ずっと・・・。」


何を急に言っている。それに、さっきなんて言っていた?

似てるって言ったのか?誰と誰が?


「この車とあなたは似ているんです。」


はっ?

なんだって?

だって今、コイツの性格は知らないって・・・。なら、どうしてそんな事を言える?


千歳は重そうに四角い箱のようなものを両手で大事そうに持っていた。

まるで自分の今の全てだと、最優先される物だとオレでも分かってしまうほどに。


「似てない!コイツとオレは直接喋ってる。コイツはオレなんかよりもずっと大人なで、言葉遣いも丁寧で、相手のことを考えて喋るようなやつだ。性格だって、格好だって、オレよりも何倍も良いし」


「ありがとう」


「なっ!?」

そんな、礼を言われたのか?オレに?なんで?どうして?


このシチュエーションで最も適さない言葉だ。それに、それ以前に、オレに向かって放つような言葉じゃない。

もし本心ではなく、皮肉の類の台詞なら、それはそれで成立するのかもしれない。

そうだとしても、千歳自身がオレに対して一番言いたくないはず。

オレの捉え方がプラスに働けば意味を成さない捨て台詞でしかないはず。


「なに言ってんだよお前。なんだよ『ありがとう』って」


『ありがとう』、口に出したのはいつぶりだろう。

それも、この場合、オレの「ありがとう」には意味はおろか、透明で、重さの無い、空気を振動させた事が奇跡な、音でしかないのだけれど。


「ありがとう、なんて・・・、どうして・・・」


千歳は良い子だ。

そして、この良い子にはコイツが居る。

オレはこの二人は幸せ者だなと思った。


オレはコイツと喋ることが出来る。

千歳にそれは出来ない。

けれど、千歳はコイツと喋り続けた。

オレは、コイツと喋るが好きだ。

なんだか同じベクトルのようで違う。

だけれど、オレと千歳はコイツのことが好きだということだけは確実なんだろうな・・・。

そう思った。


「ごめん・・・。コイツの前で・・・、ほんっとに、ごめん」

「いいえ。はっきりしましたから。いろいろ・・・。この車を、」

「その事もごめん。無理にその呼び方しなくてもいいから」

「すいません。・・・この子のことを考えてのことのように聞こえたので。あなたも、その、気にしなくても、いいです。」


やっぱりこの娘は良い子だ。

でも、だからか、良い子すぎる?

自分の現状をボヤけて認識してしまっていないだろうか?自分を見失ってはいないだろうか?


いや、そうじゃない。

この子は高校一年生の、コイツの言うところの、『清楚で、聡明で、清純な女の子』。

普通なら、自分の事で精一杯、もしくは、好きな男子のことなんかで頭の中がいっぱいになったりするのがもっとも正常な学生だろう・・・。


違う、違う、そうじゃない。

オレが千歳の事を良い子と思ってしまっている時点でおかしいんだ。

そう、この娘は良い子なんかではない。

勿論、悪い子なんかでも決してない。

ボヤけてなんていない。千歳は、自分の事はしっかりと認識出来ている。

うん。そうだ、千歳は良い子なんかじゃない。


この場所には今三人居る。敢えて言えるのなら、男二人、女一人という図式になるんだろう。三角関係だ。

でもそれは、一般常識でいうところのそれではない。歪で異質な関係だ。


名前が無いくせに、けれど格好良く、慇懃で、客観性を持ち、オレの考えの7つ先くらいを常に走っているやつ。


高校生という歳で、壮絶な人生を送り、その事を飲み込んでしまったが故に、自分の信念を貫き通そうとして、人生をこじらせようとしているやつ。


何も変わらないと、人生達観している風でいて、ただ弛緩しきってしまって時間という残滓を燃料に生き続けてしまっている俺。


オレは、良い子が嫌いだ。

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