夢
人間、大なり小なり、個人差はあるものの夢をもっているものだ。
目標とは違って、大雑把で良し。具体的な必要なし。無責任当たり前。思うだけならタダ。それが『夢』だ。
口に出したところで大概無視されたり、感情の全く込もっていない空返事されるのが関の山。
それが『夢』。
「これで夢が叶ったんですかね、千歳は?」
だからといって、こうして軽率に使ってはならない。
この車はそこのところを分かっていない。
「どうしたんですか? 伝えてください。」
ほんと分かってない。
「なにか言ったんですか? 言ったんですね? なんて言ってるんですか?」
浅く、薄い、人生と呼んでは他の人に失礼になる時間を過ごしてきた俺にはここのところの判断は難しい。というか無理だ。
「・・・」
「どうしたんですか?」「どうしたんですか?」
シンクロした言葉が宙に舞う。
気づけば俺の周りの空気はそんな風にドリフトしてばかりの言葉ばかりが漂い、相手の発した言葉スピードの慣性力に任せて見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりしたものがギュウギュウ詰めになっている。
「夢ってあるじゃん?」
「は?」「え?」
シンクロせずとも同意味の疑問返答がさらに舞う。
「俺にも一応あるんだよね、夢。」
誤魔化すという行為自体俺は得意だ。
それなのに、どうしてこんな事を言ってしまったのか。
常に吐き吸いしている空気が淀んでいることを知ってはいても、毒だと気付けていないが故に、得意という勘違いを発症させられてしまった結果こうなっているのかもしれない。
「大丈夫なんですか? その話。」
エンジンはかけたまま。
店の入り口は開いてはいるものの申し訳程度で、このままではこいつの排気ガスでなにかしらの異常を体にきたすかもしれない。が、俺にはそれ以前に十分、体に支障をきたす指摘だった。
「どうしたんですか? 体調が優れないんですか? 顔色も悪いですし」
急な意味不明の俺の質問に何かしらの異変を感じたんだろうか、それとも、不安な気持ちにでもなってくれたんだろうか、千歳が運転席の窓から突然俺と目線の合う高さまで顔を下げて聞いてきた。
「顔真っ赤ですよ!」
覗き込んだその顔が唯一の救いになった。
ここで「原因は千歳だから」と、粋で、気の利いた、二枚目な、今の俺には程遠い正直な台詞でも吐ければ大人と言えるのかもしれない。
「まだまだですね。」
「うるさい。」
俺はエンジンを切った。
その日はあの車の復活であり、生誕とも言ってもいい出来事で俺の時間がなくなっていった。
なのに、「充実した日」そんな言葉が頭の中に残った。
あと・・・いや、このことに関してはまだ不確定だし、自分の気持ちも整理出来ていないし、得意な考察もじっくりしていない。
結論を急ぐのは得策ではない。
最も俺らしいことだ。
「疲れた。」
ほぼ一日ぶりの独り言だ。
「どうしてあんな事言ったんだろう。しょうがないか、あんなところに居ればどんなやつだって、俺みたいなやつだってそうなっちゃうだろうし」
バイト先と家との往復が普通で当たり前な人生。
確かに自分から自分の生活にイレギュラーを起こすことを避けてはいた。
でもそれは、大人でない子供の強がりにも満たない拗ねみたいなもので、そうでもしないと生きていけないような状況をどうしても認識したくなかっただけ。
「夢ねぇ・・・」
今思いだしても恥ずかしい。
「はあーあ、俺ってもしかして独り言多い?」
独り言くらい誰でも言うだろうけど、疑問を声に出して独り言を言い始めてしまってはいよいよかも。
「それにしても、もう異常事態だよ。」
誰かに聞かれてなくてもいいか、もう。
「可愛過ぎないか・・・」
年齢上だけでは大人な歳であろうと、いいや、大人だろうと子供だろうと、枯れ始めの中年おっさんだろうと、死にかけのジジイだろうと、この症状は一生治らないものだろう。
年齢という概念が亡きものと帰す。
「どうしたらいい、もう・・・可愛い。」
ここまでになってしまったのには確かに原因となるものが存在する。
久しぶりなこの感じ。
年齢差はある。
確かにありはするけど、二十歳そこそこと、女子高生というシチュエーションは今の時代なんら問題はないだろう。
ただし、俺という何年も自分をアップデートしていない人間にとってそれはなんだか遥か彼方、未来の意味と同等のことを指す。
「はあーーーー。」
この音。
溜息じゃないため息。
空気が振動しただけなのに、それは大切ななにかで、明らかに間違っていようとなんだろうと、未確認なものだろうと、大切ということだけは明らかに分かる。
「夢、になるかな。もしかしたら。」
今頃なにしてるのかと想像する。
その想像は、いつしか妄想となって、脳内麻薬としてその力を発揮する。
心地良く、いいや、そんな気取って端折った言い方は良くない。
少しずつ気持ちよくなっていって、普段と違う要素を含んだことによって、いつも以上の盛り上がりをみせる。
背徳感とかいう成分がそうさせるんだろう。
アップデートされていなくて良かったと一瞬思ったが、その考えが一気に現実へと引き戻すことになってしまった。
「あぶねー、良かったー」
言葉とは裏腹に一切焦ってはいない。自分に言い訳なんてことをしでかしただけの独り言+自慰訳というクズっぷりの終焉を迎えた。
「明日は・・・」
ガラケーを開く。
カレンダーを確認する。
「バイトか」
電気すら消す体力もない俺は、携帯も開きっぱしで就寝した。
夢が夢で見れますように。そう願いながら。
「それで、遅刻したと」
「はい」
「通用すると」
「はい」
「で、見れたのか? その夢」
「いいえ」
「バカが!!! それじゃただの遅刻と変わらないじゃないか!!!!」
ん? だとしたら、思惑どおり意中の内容が夢で実現出来ていたのならば怒られずに済んでいたのか?
突然頭に鈍痛が起こる。
「聞いているのか? え? クズが! どれだけ午前中忙しかったか、お前に分かるか、ええ?」
鬼だ。
鬼が目前に居る。
暴力が会話の一部になっている。まあいつものことだが。
経験済みはここまで。未知の領域に踏み込むのはこれからだ。とはいえ、踏み込まずとも未知という深淵は向こうからやって来ている。
時刻は昼を少し回ったくらい。
天気は晴天。
空きっ腹に怒号はなかなかで、犬も喰わないだろうと、俺の脳は全く回転していなかった。
本日2回目の鈍痛が起こる。今度は空きっ腹に。
「次くらったらお前、死ぬぞ」
恐い。
昨日と同じ性別が起こしている現象とは到底思えない、思いたくもない。
なんだよその言い方。初めて聞いた言い回しだよ。まるで、自分のしていることではなく、どちらかと言えば、第三者による助言だよ、それ。無責任にも程があるぞ。
どうやら、という風にしか言うことが出来ないが、どうやら午前中に何かしらの要因があって死ぬほど混んだらしい。
「この間言っておいただろうが、今日はサイン会があると」
そういえばそんなことを言われていた気がすることを、再度言われて今思い出した。
なんとかという、超が付くほどの売れっ子小説家のサイン会が、今にも倒壊しそうなこんなボロ雑貨屋で行われた。
正式な本屋でもなく、大手の会社相手でもなく、こんな古いだけが取柄のところでだ。
どうやらその小説家本人がかなりの変わり者らしく、この建物を何かしらで知って本人から直接申し出があったらしい。
「しっかし変わった奴だったなあ。あれで小説家なんて業界も末だな」
店長が「変わった奴」なんていうくらいだ、よっぽどの変人もしくは奇人の類いなのは間違いないだろう。
「そんなにですか。見てみたかったですね」
「そうだな、遅刻というなにものにも代えがたい行為さえしなければ、生きて実際お目にかかることも出来たろうに、なぁ」
「なぁ」という言われ方史上、最高で最強で最恐の、すでにそれは殺し文句だった。
「すみません。」
彼女のリーチ分後退しながら心から謝罪した。
「そっ、そうだ、なまえ、名前はなんて方だったんですか? 有名人なんですよね?」
「なんだお前、本なんて読むのか?」
「いいえ、漫画は好きですけど小説は生まれて一度も読んだことないです」
「なら聞くな。殺すぞ。」
言葉の上ではあったが、間違いなく決定打で、本人も決めて掛かっている。
「あ、でも、ラノベは読んだことあるかも・・・」
「つまらん噓をつくな、え? 相変わらずの名前負けだな」
付け入る隙が出来た。我ながら策士だと思う。
この話の流れはルーティンで、結果云々よりも明確で機械的な受け答えが返ってくることは太陽が東から昇るということよりも当然なことだ。
店長は、俺の名前で遊ぶという、それはすでに趣味と言っても過言ではない癖のようなものがある。
もうひと押し。
「名前は俺が自分でやったことじゃないですから。両親が勝手にしたことですから。だから、俺に向かってその言葉は使い方間違ってますよ。」
言い切る前に、遅刻を挽回すべく出来れば上手く誤魔化せれば良いと思った普段の何倍もの仕事量を熟すために迅速かつ的確に冷静を装って移動を始めた。
「ふー。今日は付き合わないぞ、この流れ。それに、さっきから一生懸命に仕事しているようだが、やらなくてもいい仕事ばかりで、それだけならまだしも、やるべきことひとつもやっていないからな」
呆れられた言われ方をして初めて気付いた。
今まで店長は俺に付き合ってくれていただけだった。
やっぱり大人はすごい。
その言葉を聞いて俺は何も言えずスゴスゴと逃げるように無言で、だらしなく、成す総べなくなって自分の居た場所をあとにするしかなかった。
俺は本当に子供のままだ。
そんな俺が聞いてはいけなかったのかもしれない。夢だなんて。
今の感覚であそこでそんなことを言ったなんて思うと正気を保てない。
それも。
「俺には夢がある」だなんて、カミングアウトしてしまった。
馬鹿だと思う。
ほんとに。
「おいおい、いいのか?」
「・・・」
「落ち込むのは勝手にしてくれ。そんなことよりも、自分から質問しておいて答えを聞かずに何処かに行こうとするなんて私は許さんぞ」
「すみません・・・。なんて名前なんですか?」
謝罪も質問もあったものじゃない。そんな感情を伴っていなければ意味が無い言葉を俺が言えるような状態ではない。
「・・・まあいいか。確か、えーっと、何だったっけかな」
何だよ、覚えてないのかよ。そういえばこの人、他人の名前覚えるの考えられないくらい苦手だった。
「んー、あっ!夢だ。」
「!」
脳内全て、体中の細胞全てが真っ更に、まるで生まれ変わったかと錯覚してしまうほど、喜怒哀楽全てが吹っ飛んだ。
「なんだ? 知っているのか?」
話の流れ的に、それが人名だというのは瞬間的に把握出来た。
けれど、その現実以上に俺には、アブノーマルなパワーワードという非現実でしか処理することが出来なかった。
「なんだ、ノーリアクションか。にしても「夢」だなんて。もしお前がそんな名前だとしたらそれこそ名前負けだな。」
全てを見透かされている気分だ。
いい大人はこんな能力がデフォルトで備わっているものなんだろうか?
皮肉なのか、まるで反省していないと思われての嫌味なのか、たとえそうだとしても俺には店長のその言葉がスッと、なんの抵抗もなく素直にそうだなと思えた。
いつもと違う、ルーティンという当初の思惑には到達することはなかったけれど、店長との日常問答が俺に気づかせてくれた。
「いまその人どこに居るか分かりますか?」
なんとなくでしか使えていなかった『夢』というもの。それの真の使い方を知るきっかけが夢という人名を持つ人間に会うことだと。




