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人ぎらいの慣性ドリフト。  作者: 西薗上美
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一目惚れ。【改定済】

こんな日だ、そりゃあ雨のひとつも降るだろう。


どうして平然とこうして立ち尽くすことが出来ているんだろう?


昨日の今日でこうも心情というものは通常まで回復するものなんだろうか?


現実から目を背ける事にしても、視力はある。

自分以外の物は目を開いていれば見えるし、聴覚もある。

目を閉じてしまっても周りの雑音は聞こえてくる。

目を閉じ、耳を両手で塞いでしまったところで、心臓の鼓動の音が聞こえてくる。


そうだ、オレは生きているからだ。


今こうして生きている・・・。

違う。生きることを自ら選択しただけだ、そんな大それたことじゃない。


オレはそんな大した人間じゃないし、価値なんて無きにも等しい。

そもそも生死なんて全くの見当違いで、ここ最近の出来事に、ただ生きる気力を失くしているというだけだ。



「今日は一日雨ですかねぇ?」



端的に説明するのならば、高校時代から付き合っていた彼女に振られた、だけだ。


誰しもが経験することだろう、ありふれた事だ。

しかしオレのその経験には先がある。


音信不通、それだけならばまだ許容内。

消息が分からなくなってしまった。

この事に関しては、彼女の両親も本人と確認が取れていない。



「このあと、風も出てくるんですかねぇ?」



今思えば、別れを告げられたあの日、彼女は何か思いつめたような表情だった気がする。

「今思えば」「だった気がする」

なんてどうしようもないクズな考え方だろう。


以前に、彼女からその事についてはよく諦めているような注意を受けたこともある。

自分でも理解している。


オレは他人、というか根本的に人に興味がない。

それだけならまだしも、人が嫌いだ。



「困るんですよねぇ、港町のここでは海風が吹くとボディが錆びるし」



「・・・さっきから誰だよ!無視していることくらい気づけよ、オレがそんなに話しかけやすいタイプの人間に見えるのか?」


明らかな男の声だった。

今のオレの反応とは正反対のとても落ち着いた、それでいて余裕のある口調だった。


単なる八つ当たりだった。

それも、まだ顔も見れていない相手にしてしまった。


ここはオレの住んでいるアパートから徒歩五分のコインランドリー。


こんなにも前日起きた出来事を引きずっていると言うのに、定期的にしている洗濯をしに来ている。


なんとも大概な人間なんだろうと重々思う。

そんなところもあって、こんな対応をしてしまった。

生き恥を晒しているとしか思えない。


外はどしゃ降りの雨。


洗濯を終えたオレは、今朝の天気予報でのこの状況を予報されていたのにも関わらず、その時点ではまだ小雨だったこともあって、傘も持たずにどうせ洗濯する事になるのだから濡れても何ら問題ないと、どうでもいい気分で得に駆け足でもなく、普段と変わらないスピードでここに来てしまっていた。

その挙げ句のこのあり様だ。

なのでこうして、店内にいる理由も特にないので、軒下で暇を消費している始末・・・。


過ぎたことを後悔してもしょうがない。


「すみません。ついカッとなって・・・。そうですね、オレも傘を忘れて来てしまって、こうして軒先で雨が止むのを待って無駄に時間を費やしてしまってる有様で・・・」


流石に面と向かって話す勇気は出なかった。

覗き込むことで雨に打たれることになろうと、この時はそのほうが楽と、オレは、ドシャ降りなガンメタ色の空へと顔面を向けた。



「歩いてここまで来たのですか?周りに『乗り物』になりそうな物はなさそうですけれど」



なんだか妙な会話進行だと思いながらも「はい」と受け答えることしか出来なかった。



「それならば、お送りしましょうか?」



「いやいや、そんなことまでしてもらうなんて。大丈夫です。時間にも余裕はありますし、自宅もすぐそこなんで、ダッシュで帰ればなんとでもなりますから」


思いもよらない申し出に、咄嗟に、その声のする方向へと顔を向けてしまった。


まず始めにその異常な出来事にオレの脳内は混乱した。


その声の方向には誰も居なかった。


声のした距離感的にはそんなに離れているようには思えない。


それに、こうしてどしゃ降りのなか、得に声を張って言葉を交わしていたわけでもなくお互い世間話をしているぐらいの声量だった。


けれど、そのこと自体が今こうして考えてみれば、こんな世間話が成立していたことへの異常性に気付く事になった。


「えっ、あの、すいません、えっと、その、どこですか?」


的を射ているようでそうでない。聞きたいようで聞きたくないような。その程度の間の抜けた質問しか、この状況では精一杯だった。


そんなことだからオレは声のした方向を見誤ることになった。


自分がコインランドリーの外に居るというこの状況下で、店の中にその声の主を探すという行為をしたことは、自分以外の誰かが出入りしていないことを理解できているとしても至極常識的な行為で、だからこその的外れな方向に質問をする結果になった。



「そっちじゃありませんよ。こっちです。こっち」



その声は、この雨の中またしてもハッキリと聞き取れた。


それでも常識の枠の中でしか考えを巡らることしか出来ていないオレは、声のした位置を正確に捉えることが出来ていなかった。


店の中には間違いなく居ない。となれば外のどこか。

オレの近くで、雨音に遮られることがなく、ハッキリくっきり聞こえる距離のどこかしかない。


キョロキョロと周りを見回す。どこにも誰も居ない。


そんな状況に思考は益々混乱してく。

幻聴の類じゃないのかと現実的逃避による非常識な考えに至るほどに。


「待て待て、オレはそんな奴じゃないだろう。落ち着け、声の主は最初なんて言っていた・・・?」


どうにか平然を取り戻し、聞き逃していた内容(というよりは聞こえていたその声をただ無視していただけだが)を思いだすしか手掛りは無い。


そうなれば聞いていたことは確かだ。思い出せ・・・。何か手がかりになることを言っていなかったか?


「たしか、雨・・・風・・・港町・・・海風・・・。んっ?海風?」


そうだ、おかしな事を言っていた。海風でボディが錆びるとかなんとか。

何らかの比喩表現なんだろうか?それに、『乗り物』になりそうな物はないようにみえるって言い方。

何かがおかしい。そんな言い方は二十一年生きてきて初めて聞いた。



「隣ですよ、隣の建物の中」



その自らの申し出に、反射的にその方向に視線だけではなく、体全体を向けてしまっていた。


確かにそこには建物があった。


何度もここには来ているが、今まで一度もその建物に気を取られることなんてなかった。


『城戸自動車』


五メートル強の建物の幅とほぼ同じ位の看板にそう書かれていた。


車屋ならそれなりの物音が聞こえてくるようなものだとは思うのだが、そこが車屋という事自体初めて気付いたくらいの寂れた店だった。


「この中か?どういうことだ、いよいよオレの頭がこのおかしな状況を当たり前だと思ってきてるのか?・・・まあいい、どっちでもいい、ただ呼ばれたんならそこに行くだけだ」


半分、いやどちらでもいいという選択をしている時点で、ほとんどヤケクソだった。


この寂れて、どう観ても営業しているようには思えない建物の中に、ただ確認しに行くだけだ。別にそのことで何か起きようが起こらまいが、オレにはどうでもいいことだし、どうせ・・・どうせだ。


シャッターと、とりあえず出入りが出来れば良いという感じの開き戸の二つの入口があった。

オレは迷うことなくシャッターの方を、ずぶ濡れになることも厭わずに両手でガラガラと勢いよく、そのシャッターを一気に押し上げた。


けれど、そこには誰も居なかった。


建物の中は外観からの雰囲気とは違い、綺麗サッパリというか何も無く、一瞬で車屋として営業出来ていないということが解る有様だった。


ただ、そのことと同時に『車屋』ということも一瞬で解る事になった。

何も無いその空間の中でオレの視線は一か所を見つめる事しか出来なかったからだ。


そこには車があった。

今となっては古い、だけど、とても綺麗な形をした、これこそスポーツカーだと言わんばかりの車がポツンと置いてあった。

その立ち姿は、寂しいとは無縁で、元気ハツラツな、今にでも喋りそうだと。何故かそう思った。


「まさか・・・ね・・・。」


土間コンクリートの床ということと、それ以外に目に付くような物が無いという事。壁に上のほうにある申し訳程度に付けられている窓から差す西日のスポットライトがこの車自体をとにかく綺麗に魅せ、まるで、モーターショーの展示ブースを観ているかのようだった。


「それにしてもカッコイイ車だな、こんなところにずっと放置されていたのか?その割には、今にでも動き出しそうな、なんというか、生命力に溢れてる?」


オレは何を言っているんだろうか。

車に対して生命力?いよいよ思考回路がヤバくなってきている。だけど、そうとしか思えなかった。


今の自分と正反対の生きる力に満ち溢れている無機質な存在を前にしているからこそ、生きる気力を失くしかけている今だからこそ、余計にその車に不思議な感覚が芽生えていた。


「そこまで見つめられると流石に照れますね。久しく感じることのなかったとはいえ、常に注目されてきた人生、いえ、車生でしょうか。クスクス、それにしてもあなたのような人間が私に気付くとは正直以外でしたね」


なんだこれ。

なんだよこれ。

本当に現実か?

待て待て、そんな問題じゃない。

現にこうして声だけが聞こえてしまっている。

周りに人間が居ないこの状況。それにさっきから聞こえていた声と同じだ。

そうなれば、話しかけられているとしか思えないオレへの『言葉』はオレにしか聞こえていないということなのか。なにがなんなのか訳が分からない。


「そうでしょうね。そうなることは当然です。けれども、それはこちらも同じです。まさか、私の声が聞こえる人がまたこうして目の前に現れる日が来ようとは」


目の前にって。目ってどこだよ。敢えて答えるのならライトの部分になるのか?

と、ツッコミを声に出さずとも考える事が出来ていたことと同時に、自分が思っている以上に平然を保てつつあることに驚いた。


オレはすでに、目の前の存在が『相手』になっていることを認識してしまっていた。

それならば、もう、この現状を、非現実的な現実を、出来事を受け入れるしかなかった。


「名前は?」

「えっ?」

自分のした質問に驚いた。そして、『相手』も驚くような質問をしてしまっていた。


「だから、名前だよ。一方的に喋られるのは気に入らないし、そっちが最初に喋り掛けてきたんだ、名乗らないのは失礼じゃないか?」


まだ単純に混乱していただけだった。

非常識なこの状況での常識的な指摘にはそれなりに理由があった。

やっぱり人間、非現実を受け入れるには自己暗示のような催眠方法でもって、平常運転の状態まで強制的にもっていく必要がある。

・・・車相手なだけに・・・。


「それは大変失礼しました。しかし、生憎私には名前と言われるものは存在しないんですよ。敢えて名乗らせてもらうのならばそれは、汎用的なその他大勢な名称しかありません」


なんとも車らしい返答(?)が返ってきた。

そしてさっきから言葉使いが異常に丁寧だ。


どちらが先に生まれたのか微妙な年齢(年式?)に、今までのオレの言葉使いを少し反省しながらも、この構図を今更変えることが出来なくなってしまった。


一つ、思い出した。


子供の頃、とはいっても物心ついたかどうかの時に同じような経験をしたことがあった。


その時も今日と同じどしゃ降りだった。

周りに人気の全く無い古ぼけた掘っ建て小屋に雨宿りしに、父親の背中に背負われながら寄った時だった気がする。

ほとんど記憶に残っていないが、その当時ですでに旧いと言えるほどの車と会話をしたことがある。そういえばその時の車種も、父の言うところによればスポーツカーだった。

その出来事以降、それが当たり前のように、なんの疑いもなく今と同じようにオレは、車と会話していた気がする。身近の存在である両親もそのことは知っていたようだが、すぐにその能力は消えて、オレの記憶からも薄らいでいった。


「良かったらですけど、この出会いの記念に、私に名前をつけては頂けないでしょうか?」


初対面でそんなことを赤の他人に頼んで来るなよ。

そんな事はオレが結婚して、親になった時に子供にすることであって、見ず知らずの機械にすることじゃないだろう。それに、そんな資格、今のオレには絶対に無い。


現在、喧嘩別れの形で実家を飛び出し、こうして一人暮らしをしているのだが、その原因は母親が死んだことにあった。

子は鎹とは言うものの、母がオレの家族のそれだった。

オレの母親は、絵に書いたような天然で、いつも、ヘラヘラ笑っているような、天真爛漫をそっくりそのまま擬人化したような人だった。そんな母親がどうしてあんな父に惹かれ、結婚したのか、物心ついた頃から不思議に思っていた。とにかく、なんにせよ、母は人間がとても好きだった。


また一つ思い出した。

生前母は、オレが高校生になり、初めて好きな人が出来たことを相談した時に、自分と父との馴れ初めのようなことをちらっと話してくれた。

その時、オレはここぞとばかりに、父を好きになった理由を聞くことにした。

「ふふ、お父さんのこと本当に好きなんだね。それなら、聞くこともないし、私の口から言うこともないでしょう。だって、今の気持ちがそのまま母ちゃんの気持ちと同じなんだから」

その当時、予想もしなかったそのトンチンカンな答えに、軽くあしらわれたような、それでいて、その頃から顔を合わせれば喧嘩していた父親のことをオレが好きだと思っていた母親に、何を言っているんだろうと、そこで結局会話を切ってしまったことがあった。

それから間もなくして母は入退院を繰り返すようになり、会話は殆ど無いものの、父親と喧嘩をすることも少なくなっていった。結局、その答えを聞くことは母ちゃんが死んで、この先一生聞けることは無くなってしまった。


人が死ぬっていう出来事はその時初めて経験したことだった。


最初のうちは人が死ぬ、それも、身内。両親が死んだという事は少なからずオレに変化をもたらすと思っていた。

けれど、そんな事は全く無かった。

そして、その時初めて理解出来たことがある。それは、死んだ人は自分以外のために死んだんじゃないということだ。

それからオレは一匹の猫を拾って育てるということをした。

もしかしたら、その理由は、自分の大切な何かが無くなった時、今度はちゃんと考えれるのか、その再確認をしたいが為にそうしたのかもそれない。

自分勝手甚だしい。


自分のことばかりこうして考えていると、急に恐怖が襲ってきた。

あの時の感覚が今になってどうして蘇ってきたのか。

しっかり、ハッキリしていて、明らかな、目の前の旧いスポーツカーとの会話に、本質のところで、本能のレベルで、起こり得ることだと、懐かしいことだとさえ思ってしまっていることに。


気がつけば、オレは自宅へとその場から逃げるように走り去ってしまっていた。


自宅に着く頃には、洗濯して綺麗サッパリだったはずの洗濯物はびっしょり濡れてしまっていた。

当然だ、その行為自体が間違っていて、その延長なのだから。


その夜には、自分の取った行動に後悔をしながらも、車が喋るという事を冷静に分析していた。

経験したことのある事象に分析と言うには稚拙な考えばかりが頭をめぐるだけで、最後には、あの車の言っていた名前を考えることにオレの脳内はフル回転する始末だった。


「どうして今頃・・・。母ちゃんが死んで三年か・・・。んっ?今日って」

オレは徐ろに出かける際によく使っているベルトに通して使えるように穴が横に二つ開いている十五センチ角くらいの小さなサイドバックと言ったら良いのか。そこから、現代じゃ未だに使っていることが珍しくなった世間的にガラケーと呼ばれてしまっている携帯電話を取り出すと、待受画面にしている愛猫の画面からカレンダーの表示へと切り替えて、今日の日付を確認した。


「そうか、今日は母ちゃんの命日だった」


忘れるなんて絶対にしない今日という日だった。

オレは完全に忘れてしまっていた。


画面のカレンダー表でそのことを確認すれば、数字の横にスケジュール有りと黒い点で表示されている印に、いつ付けたのだろうと不思議に思いながらも、と同時に一軒の着信履歴がある事に気付いた。


自慢じゃないが、オレには電話をくれるような連絡を頻繁に取り合っている友人は居ない。


「・・・誰だろう、珍しい・・・。こんな日に電話を掛けてくるなんて・・・」

すでに、今日の出来事をなかったことにすべく、就寝体制を取って布団に横たわっていた体をその着信履歴の相手を確認したことによって、一瞬で叩き起こされることになった。

薄々は感じ取っていたんだろうその相手は、喧嘩絶縁状態の父親からだった。


結局その日はほとんど睡眠を取ることはなかった。

車に話し掛けられるという非現実的な出来事に、母ちゃんの命日に父親からの電話と、精神的に参ってしまったにも関わらずだ。


久しぶりの徹夜に、昨日までの大雨が嘘のような燦々とした日の出が、否が応でも時間が過ぎたことを認識させられ、逃げることでしか対処が出来なかったオレは、時間が解決してくれるという綺麗事は現実では成立しないという当たり前のことを只々思い知らされるだけだった。


体は正直で、モヤモヤとした眠気と言うには心地の悪い感じと、体全体が薄い膜にでも覆われてしまっているような感覚に、しばらく動かせることの出来たのは頭だけだった。

このままでは物理的な問題が起きてしまうという現実に、無理矢理にでも否が応でも行動を起こす他なかった。

普段の夜明けの瞬間はいつも退屈だったというのに・・・。


「着替え・・・はもう残ってないよな。ちきしょう、面倒くさくて昨日まで洗濯物を溜め込んだことがこんな風に仇になるなんて、全部昨日起きたことが原因だ。くそっ!」


矛先のはっきりしていない、よくも分かっていない怒りが沸々と湧いてきていたが、結果的にそのことが原動力になり、オレは昨日持ち帰ったまま籠に入れっぱなしだった洗濯物を再度あのコインランドリーへ持っていくことを決意した。

一瞬、洗濯物を籠さら持ち上げた瞬間、微妙に乾いていたのをそれを見て、持っていくことを躊躇したが、母の命日を忘れていたことと、自分の責任をどこかに擦りつけようとしている考えに、戒めの精神がそのことをすぐに脳内から排除していた。



こうやって洗濯物がコインランドリーならではのドラム式タイプの大きな渦の中で回っているのを見続けていると、昨日の混乱していたオレの脳内を具現化しているようだった。

横回転しか見たことがなかったことが、縦に回ってしまっているという、アップデートされていないオレの機械的脳を正に表していた。

昨日の今日でと焦っているのに、ここに来る時自分があの車屋の前を通らないように回り道した根性無しで、永遠に回り続けろとこの物体を見つ続けてしまっている。


「もしかして、こうやってじっと洗濯機のことを見てたら、今度はこの洗濯機の声が聞こえてきたりして・・、いやいや、待て待て、これ以上グチャグチャになったら今度こそパンクする」

そんなことを考えながらもある程度の身構えすることにした。


そもそも洗濯をするというのは二の次だ。

本題はあの車に再度会うこと。

そして、今と昨日の自分を亡き者にすることがほとんど、いや、全てだ。


「そういえば、名前・・・。考え付いてなかったよな」


昨日うちに帰ってからずっと眠れなかった時間、何もしていないということもなかった。

あの車の型式名称からスペック、当時の人気や、プロのレーサーによるインプレッション記事まで、じっくり調べてしまっていた。


「結構人気もあって、評価も高い車だったよなぁ、あいつ。確かに名前を聞いたところで汎用的な型番のような名称で答えるしかなかったか。だとしたら、あんな返答をしている時点で自分が意思のある、車という括りを逸脱してるってことを、あいつ自信が理解出来ているってことだよな・・・」


またあいつに会いに行くということを決意している今ならこんな考えは、非現実的なことへの期待、執着と言っても良いのかもしれない。それに、少しの興奮さえも感じるほどだ。

そんな、無駄と十分に言えるほどの考えを巡らせていれば、勢いよくグルグル回っていた眼の前のこの機械も、機械そのものという無機質な必要以上の音量で、自分の仕事は終わったと、そのことをオレに知らせてきた。


「さて、行くか。」


決意はすで出来ていた。この言葉はそのことを今一度自分に言い聞かせ、確認し、その決意をした自分の凄さを称賛するが為の行為だった。


今日は晴天。快晴だ。洗濯済みの衣服が再度びしょ濡れになることはない。

昨日と全く同じ格好に、同じ時間帯、同じ流れでオレは、あの車屋『城戸自動車』の前に立っている。


そんな天気にも背中を押されて・・・なのかしらないが、昨日とは全く違う心持だ。

これから起こそうとしていることへの不自然さ、理解不能などんな出来事も、それが当たり前だという考え方で処理する。

その決意表明という意味(別に誰かが見ているという訳ではないが)で、昨日とは違う方法である、申し負け程度に設けられている、その行為が常識といえる開き戸タイプの入り口から、静かに、ゆっくり、慎重に、それでいて、別にビビっている訳ではないと、背筋をピンっと伸ばし、「良し!」と独り言では成立しない声量で言って、恐らく営業はしていないであろう店内へ入店した。


「お邪魔しますっと」



店内に入ると、昨日気づかなかった事にいくつか気付くことになった。

例の天候による物理的な日差しが所々入り込んでいることによって細かな店の状況が鮮明にオレの目に写った。

勝手に営業出来ていないと判断していた考え故に、それと昨日のどしゃ降りな天気が相まって、ただガランとしているということしか理解出来ていなかった。

二回目ということもあるのかもしれない、が、その異様な、というか、当たり前とも言えるところに気が付けた。


「人が出入りしているとは思っていなかったけれど、だとすればこんな事は有り得ないだろう・・・。ホコリを被っているところが全く無い。もしかして営業しているのか?」


不自然でいて店舗としては当たり前なチグハグさに、周りをキョロキョロ再確認するように注意深く、昨日とは真逆で慎重にあいつの目の前までゆっくり移動していった。


「こうしてじっくり見ていると、やっぱり綺麗な車だよな」


勿論、昨日と同じ場所に、同じ状態でその車は存在していた。


こうして再度会いに来てしまっている時点でオレの無意識に放ってしまっていたその言葉は、コイツとの会話をしたいという本心に溢れていた。


自分のしていることが正解なのか、見当が当たっているのか、そんな常識で正当化しようとかする目的は全く俺には無い。オレは、オレ自身のしていることが率直に興味のあることへの近道だと、そう思っているだけだ。



「・・・・・」


「んっ?どうした?」


それが当たり前と、当たっている思っていた。

良くも都合よく、自分勝手な考え方をしていたんだと気付かされた。

警戒していたとはいえ、ほとんど拒絶しているような状態だった昨日。


「・・・そうだよな。そもそもそんなことが実際あったなんて、嘘のような本当の出来事みたいなことだったんだよな・・・」


自分の考えがコロコロ変わる事に、何よりもこの車が喋らない事に、心底がっかりして、次の瞬間にはイラついてしまっていた。


「誰?ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ!」


突然の声。


オレは一瞬、また目の前のコイツが話掛けて来たのかと期待してしまった。が、その声は明らかな女性の声だった。それも張りのある、昨日聞いた落ち着いた口調とは逆の、ハキハキとしていて今の心情が手にとるように解る、気持ち良い若い声だった。


「いや、別に、得に・・・、ぶっ!」

明らかな挙動不審ぶりに、自分で自分のしている事に、吹き出してしまった。


こちとら昨日の今日だ。

その声の主を確認するという行動を決して軽視していた訳ではなかった。

けれど振り向きざまの不意な吹き出し笑いは、二つに意味で失態でしかなかった。

より一層変質者に磨きをかける結果になったからだ。


「気持ち悪い。なんですかあなた?うちに何か用でもあるんですか?」


声の主は一目で年齢が解ってしまう容姿だった。

数年前までその環境に自分も身を置いていたにも関わらず、数年経てばその格好は女性をより一層魅力的に魅せるものだという結論に誰もが至るであろう。

要は、オレの趣味による変態的で至って健康的な、それでいて欲情する感想と感覚を抑えることが出来ない・・・世に言うセーラー服というやつだった。

生憎、顔までは、ここぞとばかりに例の日差しからの妨害工作でその是非を確認するまでには至らなかったが。


「ごめん。その、なんというか、うーん。今からここにオレが居る理由を説明するけれど、気持ちわるがらずに聴いてくれるかい?」

すでに語尾が気持ち悪かった。


「気持ち悪い。どこからどう見ても不審者、不法侵入者、変質者、その全てでしょう」


どう見てもこっちの話を聞いてくれるような状態ではなかった。

それに、今から話そうとしている内容が内容だ。

この状況がマズイことをジワジワと、心の臓がゾクゾク、ドキドキ、モヤモヤ、そのどれでもであって、そうでないものを感じ取ってしまった。


この感じ、生きてきて何度か経験がある。

そうだ、他人と深く関わることになる時だ。正確には関わり合いになってしまった時・・・だ。



「不審者じゃないから。そうだ、ここに居るということは、君はここの関係者なんだろう?それならば聞きたいことがあるんだ。そのことがここに入ってきてしまったことに関係しているから。・・・教えて欲しい」


苦し紛れにしては、中々の対処が出来ていた。苦肉の策でもあったが。


この質問を皮切りに、順序よくマイルドに昨日のここで起こった異常な出来事を話していくことが出来そうだ。うまく説明が出来ない以上、そっくりそのまま正直に話すことが精一杯で唯一の方法なのだから。


オレには底力の類は全く無い。



「なんですか、聞きたいことって?」


思っていたよりも素直な娘で良かった。こっちの言い分を聞いてくれる姿勢に変わってきた。未だに言葉のイントネーション的には全くこちらの信用は皆無だけれども、さっきまでの暴言スタートの台詞からすればかなり緩和された気がする。


「まずはじめに、ここって営業はしているのかい?」

「さっきからなんですか、その気味の悪い喋り方は。そんなこと、他人のあなたには全く関係のないことですよね?要件はそれだけですか?用が済んだのならさっさと出ていってもらえますか」


・・・前言撤回だ。

気持ち悪がられいることが、この状況への事に対してだけだと思っていた。が、実際はオレ自身への単なる軽蔑だということが、その返答から唯一教えられたことだった。


女の勘は怖い。


店から出て行くことが、どう考えても最善の選択になるであろうこの状況。保身に全力を注ぐべきだと。そうオレの理性が言っている。

そう言ってはいるが、そういう訳にはいかないと、反論しなくてはと、自分でそう決めて、腹を括った以上、やり抜かねば。本能でそう思ってしまっているオレもいる。


「要件がこんなことだけならば、いちいち不法侵入してまでここにもう一度来ようとは思う訳がないだろう。始めにって言ってるじゃないか、君から聞きたいことはないのか聞いておいて最初から聞く気なんてなかったんだろう?いいよ、そんなことなら要件を教えてやる。オレはこの車ともう一度話たくて、ここに来たんだよ!」


高校生、それも、女子高生に、曲りなりとも一年以上大人をやっている立場にありながら、本気でムキになってしまった。


この先の会話進行上、不利にしかならない要素しかない対応とも呼べない行動は、大人になりきれていない、もしかしたら、なろうとしていない、オレらしい行動なのかもしれないが・・・。


「もう一度?」


そのクエスチョンマークを入れて五文字の言葉に、全ての考察は急ブレーキを余儀なくされ、計画していた段取りは大幅に脱輪し、その事に気づいた事で、そのどれでもであってそうでなかった心臓の鼓動は回転数を上げ、血液の水温上昇によってオーバーヒートし、自滅という結果だけを残すことになった。


「・・・このまま、これ以上オレがなんのかんの説明したところで、君には信用してもらえないだろうから端的に、完結に、正直に、目的を言わせてもらっただけ・・・それだけだ。」


中空で、全くもって馬力を失った、ここぞとばかりのその言葉に、なぜか彼女はなんの反応も、反発も、反論もしてこなかった。

それどころか、こちらの動向、一言一句を聞き漏らさないよう、静かに、けれど、明らかな熱量を持って集中しているようだった。


『もう一度?』

相手の言動を分析することは無意識に出来ていた。

その疑問の言葉に、感情の起伏は感じ取れていたし、相手は高校生。考え方の浅さはつい最近までオレがそうだったように、心のキャパシティは分かっているつもりだ。

だからだろう。

そこのところの微妙な誤差や、ほんの少しチリが合っていない、そして、それがどこなのか、なんに対してなのか理解出来ていない恐怖や不安に、沈黙ということを頭で思い描いて、書いてみて、意味を考えることをして、必要以上に痛感させて、体現してしまった。


時刻は感覚になってしまった。

建物に差し込む日差しの方角とその色が、経過時間を憶測でしか確認出来ず、今が夕方と言って良い感覚になっているだろうということが、雰囲気で感じるしかなかった。


「・・・・・何を言っているんですか。」


彼女の正々堂々な言葉は、真っ向から静寂を破り捨ててきた。

沈黙って、物理的な概念でもって破壊出来るんだと初めて知った。

だって、オレにはその言葉が『ビリビリ』や『バリバリ』といった効果音にしか聞こえなかったからだ。


「今時、その辺の園児だってそんな下手くそな言い訳しないですよ。というか、言い訳にもなっていませんし」


いや、もう少しこの初体験の感動に浸らせてくれよ。


「お前、人の話し全く聞かないタイプだろう?そんな生き方してると友達なんて絶対にいないだろう?空気読めないなんて言われたりして」


オレは大人である。けれどそれは、時間というもので確立しているアドバンテージでしかない。

大人をアドバンテージだと思ってしまっている時点で、それを武器のように錯覚してしまっている時点で、オレは大人ではないが・・・。


現時点でのその考えは、人として崩壊してしまっているのかもしれない。彼女の言う通り正に園児以下、いや、それ以上なのかも、いや、園児以上ならそれは、今のオレでも成立するということで・・・。なんだか、マイナス1✕マイナス1が1になるような話しになっている。


オレはバカだった。



ここまで言い争いをしていれば日も沈んでいく。


その光を維持していても、時間が過ぎればそれは無情に問答無用に消されてしまう。それはまるで、オレそのものだ。

別にオレは、太陽ように明るく、みんなを照らし続けるような、そんな大きな人間では決してない。

「でも太陽ってバカみたいじゃないか?」

そう思ってオレは静かに笑っていた。


進んだ時間は太陽の光を亡き者にしようと角度を変えさせる。


その影響は、今まで見えていなかった言い争い相手の女子高生だと思われる彼女のその顔を確認できるきっかけになった。


はっきり見えてしまった彼女の顔。

なのに、すぐにはその顔で判断することをオレはしななかった。

瞬間的な思考や、感想を持つことにブレーキをかけた。


その原因が、言い合っていた事によるテンションのせいなのかもしれないし、自分がどんな程度の人間なのかなんとなく分かってしまったことによるショックが原因かもしれない。

今の自分の基準で彼女の顔の評価、そのすでに、一番解明したくなってしまっていた答えを導くことを我慢した。


「このまま言い争いを続けても仕様がありませんね。訳のわからないことを言うだけ言って、その上私の言っていることには突っかかってくる始末、どう見ても年上ですよね、大の大人の男が、私の格好を見て分からないんですか?」


彼女もかなり混乱しているのだろう。最後の質問のところなんかは、その粋を表していた。

それに今のオレにはここまでの貶しも、これからの蔑みも、そういった類は全く効かないだろう。

当然だ、こんな現実を目の当たりにして、我慢なんてことをしなくてはいけなくなってしまった時点で、そんなことどうでも良いことだった。


その元凶が、死にゆくことを余儀なくされた恒星と思われるものからの気味の悪い赤色な光が差し込んだ事によって、彼女の血色の良い、健康体そのもの、寂しげな顔が晒されたからだった。


「なんですかそれは?今度は急にだんまりですか?全く、自分よりも年下の、それも女子高生に言い攻められて反論すら出来なくなってしまうなんて、もしかしてドMですか、あなたは」


良いように言われてしまっていることは分かっていた。それでも、そんなことなど帳消しなってしまうほど、オレにとっては彼女のその顔は衝撃だった。


「名前は?」

「は?」


そう聞くことがこの時のオレにとって最も重要なことになった。

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