表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

英雄と呼ばれない男

作者: ガス

 この世界には勇者が居る。そして世界を征服しようとする魔王も居る。


 魔物が闊歩し、それらを狩る事で生計を立てる冒険者も居る。


 そんな何所にでもある、当たり前の世界。


 勇者は誰しもが憧れる存在だが、勇者を目指そうとする者は居ない。勇者とは、天から選ばれし者だからだ。


 どれほどの武力・知力を持っていても、天に選ばれていない者は勇者にはなれない。


 しかし、世の中には勇者に匹敵する力を持つ者達も居る。


 彼らは英雄と呼ばれた。


 人の常識を遥かに超える力を持ち、中には剣で山を割ったり、魔法で海を干上がらせたりする者もいるらしい。


 彼らは戦士だったり、魔法使いであったり、賢者であったり、商人だったり……。


 その肩書は様々だが、勇者に負けぬ程の名誉と栄誉が送られる。


 困難である事は間違いないが、勇者と比べれば、まだ現実的な目標と言えた。


 そんな中、どれほどの功績があっても英雄とすら呼ばれない者達が居る。


 それが、盗賊だ。


 彼らの中には、勇者とパーティーを組んだ者も居る。しかし、例えそのパーティーが魔王を討伐したとしても、盗賊は英雄になれない。


 何せ、盗賊は国の法を犯した者であり、国賊だからだ。


 例えば、大盗賊である石川五右衛門、鼠小僧、アルセーヌ・ルパン等々……もし彼らがこの世界に居ても、決して英雄とは呼ばれなかっただろう。


 だが、彼らには別の異名がある。


 それは、まだこの世界には存在しない言葉だった……。





 その日は、月が奇麗だった。


 本来、闇が深ければ深い程に仕事はしやすいのだが、贅沢は言っていられない。


 何時も通り、黒装束で全身を包んだオレは、大ケヤキの上からターゲットの屋敷を望遠鏡で見下ろしていた。


 ミリタリー系をモチーフにした黒装束には、細部に色々なアイテムが備えてある。


 今 手にしている小型の望遠鏡も、その内の1つだ。


 覗き込んだ先には、様々な武具で装備を固めた冒険者達が、豪勢な屋敷を囲んでいる。


 15人……いや20人は居るか……それ以外にも、お揃いの鎧を着た私設兵と思われる人影もある。


 総勢30人って所か……まぁ、何人いても関係ない。


 オレは手首の時計を確認する。そろそろだな……。


 3……2……1……


「ボンッ」


 オレの呟きと同時に、屋敷の敷地四方で爆発が起こり、月明かりを遮るように黒煙が立ち昇る。


 出入口の兵を除き、警備の者達が各々一番近い黒煙の元へ駆けていった。


 警備が分散する事で、僅かな死角が生まれる。


 オレは手持ちのボーガンを屋敷へ向け、屋根の一部へ打ち込むと、矢に繋いでいたロープを張り、ケヤキに結び付けた。


 こんな、マンガみたいな方法で忍び込む事になるとは思わなかったが、まぁ、それが最善なら仕方ない……。


 続けて油の染み込んだロープにタオルを掛け、ジップラインのように屋敷まで滑走する。


 そのまま屋根に着地すると、目の前の小さな窓を枠毎取り外し、屋敷の中へと侵入した。


 この屋根裏部屋が未使用なの事は確認済み。そして、この屋根裏部屋の端が目的の部屋と繋がっている事も。


 オレは部屋の隅でしゃがみ込むと、予め細工済みだった床板を外し、床下の部屋を覗き込む。


 外の騒ぎを聞いてか、随分慌てている様だ。


 警備は8人、その内7人は扉や窓の前を固め、1人は護衛として家主にピッタリと寄り添っている。


 目的の物は、家主である貴族がしっかりと抱え込んでいるのが見えた。


 そのまま逃げればいいのに、ありがたい事だ。


 オレは懐から金属製の筒を取り出すと、安全ピンを抜き、レバーを握ってから下の部屋へ放り投げる。


 途端に眼下の部屋が、白い煙に包まれた。


 そして聞こえる阿鼻叫喚の声。


 初お披露目の催涙弾は、上々の効き目だったようだ。


 ……っと、長々と眺めている時間はない……オレは防塵・防毒効果の有るマスク装着し、階下へと飛び降りる。


 目の前には、お宝を抱えた年老いた貴族様と、護衛と思われる長剣を担いだ大柄な男。


 周囲は催涙ガスで覆われ、まともに目を開けていられる状態ではなく、例えガスを防げたとしても、白煙で1m先が何とか見える程度の視界しかない。


 他の警備が増援に来るまで、時間が掛かるはずだ。


「何者だ! 誰かいるのか!」


 気配を察したか、護衛の男が、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら立ち塞がる。


「何者かって? わざわざ予告状を送ってんのに、寂しい事を言うなよ」


「ならば貴様がBBか!」


「そう言うこと」


 オレは素早く間合いを詰めると、相手の胸元に掌を押し当てる。


 瞬間、青白い火花が飛び散った。


「ぐぁあ!」


 男は、短く呻いて崩れ落ちた。


 眼は見えないが、危険は察知したのだろう、貴族様は尻餅をついて後ずさる。


「だ、誰か! 奴が……BBが居るぞ! 誰か助け……」


「はい、そこまで」


 オレは貴族様に向かって踏み込むと、その顔面を蹴り上げた。


 軽々と吹っ飛び、気絶する貴族様。その手から、金色に光る彫像を頂戴する。


「そんじゃ、頂きます」


 目的の獲物を懐に仕舞い、周囲を確認する。


 いまだ室内の煙は晴れておらず、他の警備は喚くだけで状況を把握できていない。


 オレは右手で喉を抑えると、逆手でガラス窓に向かって拳大の石を投げつける。


「族が逃げたぞ! 外だ! 外へ向かえ!」


 ガラスが割れる音に続き、警備が部屋の外へ駆け出す様子が感じ取れる。


 声帯模写なんて久々にやったが、パニック状態の相手を騙すくらいは造作もない。


 人気がなくなった事を確認した後、素早く黒装束を脱ぐ。その下には、使用人の着用する燕尾服を着込んでいた。


 更に脱いだ黒装束を裏返し、組み合わせると、見た目はただのバッグへと早変わり。


 身なりを整えなおし、マスクを外すと、自分が作った催涙ガスにむせながら部屋を出る。


 屋敷内は上を下への大騒ぎ。


 その騒ぎに乗じ、オレは他の使用人に医者を呼んでくると伝え、正面玄関から悠々と屋敷を後にした。





 オレがこの世界に来た経緯は覚えていない。気が付いたら道端に座り込んで物乞いをしていた。


 名はジャック。年齢は12才。


 覚えているのは孤児である今の自分と、30半ばに死んだ日本人だった前の自分。


 この世界には珍しく黒目黒髪なのは、前世の影響なのか。満足に食事が取れていないせいか、同年代に比べ小柄で、頬もこけている。


 身に着けている物と言えば、ボロボロになったシャツと布切れを繋ぎ合わせただけのズボン。靴も拾った物でツギハギだらけだ。


 そんな、明日の生活すら保障されていない今のオレには、果たすべき使命があった。


 物乞いで、僅かでもお金か食料を調達する事。


 そうしなければ、孤児院で待つ弟妹達が飢え死にしてしまう。


 補助金が打ち切られ、もう三か月になる。孤児院の財政は限界だ。


 今日の稼ぎは無し…オレは焦っていた。


 だからこそ、思い出したのかもしれない。


 前世の自分を。


 そして、その日が今のオレの初仕事になった。


 成果は財布が3つ。


 何時もオレ達をゴミを見るかのように見下していた、街の顔役とその取り巻きの物だ。


 上手く人込みに紛れたおかげで、難なくスルことが出来た。


 実際の所、中身は大した事なかったけど、数日分の食糧費としては十分な額だ。


 その日は盗った金で食料を買い込み、街の外れ、スラムにある孤児院へ戻った。


 この街の名はベルジウム。


 王都からは離れているが、他の都市や領地間を結ぶ中継地点の役目を持ち、交易の要として栄えてきた。領土も王都に劣らない広さを持つ。


 だが栄えれば栄える程、それに比例して貧富の差は大きくなる。


 孤児院の有るスラムは、その底辺と言って良い。


 オレが両手いっぱいの食糧をもって帰ると、皆が目を輝かせた。


 涙を流して喜ぶ先生、久々のご馳走をウマいウマいと頬張る弟妹達の笑顔は、今でも鮮明に思い出せる。


 もちろん、盗んだ金で買ったとは言えない。


 窃盗は重罪。特にオレ達のような孤児が犯せば即死罪になる。


 それどころか、家族にまで被害が及ぶだろう。


 それだけは絶対に避けなければ……。


「ありがとう、ジャック」


 そう言ってオレの手を握ってきたのは、孤児院を纏めるリッカ先生だ。


 元は教会のシスターだったのだが、オレ達の為に立場を捨てて孤児院に住み込み、孤児達の世話をしてくれている。


 オレ達にとっては母親のような存在。


 母親と言っても、まだ20代。


 無造作に束ねた金髪も、化粧っ気のない素顔も、磨けば輝く素材である事は間違いない。


 ひいき目無しに見ても美人だと思う。


 こんな所に居なければ、もっと幸せな生活を送れていただろうに……。


「リッカ先生、今月も補助金は貰えないの?」


「ごめんなさい……領主様には掛け合って来たのだけど……」


 決して余裕のある額じゃないが、それでも三か月までは街から補助金が下りていた。


 それが理由もなく、突然打ち切られたのだ。


 リッカ先生が、領主に対して手紙を送ったり面会を求めているのだが、色よい返事は帰ってこない。


「サーシャとも連絡取れない?」


「手紙は出しているけど……彼女は世界を救う為に旅をしているはずだから……」


 サーシャとは、1年前に孤児院を出た2歳上の少女。


 栗色の髪と蒼い瞳を持つ活発な少女で、孤児院のリーダー格だった。


 1年前のある日、国王の使いとやらが孤児院に現れると、サーシャが今世代の勇者なのだと言って彼女を連れ出した。


 何でも、女神様の神託があったそうだ。サーシャは勇者になるべく、天からスキルを与えられた者だ……と。


 この世界にはスキルと言う物がある。ゲームなどで良くあるアレだ。


 多くの者は、生まれた時から最低1つはスキルを持ち、そのスキルを活かした職に就くことが多い。


 リッカ先生の場合は、簡単な回復魔法を使えたため、教会に勤めていた経緯がある。


 だが、中には大して役に立たないスキルもある。


 そうした外れスキルを持って生まれた子どもは、このような孤児院に流れ着くのが定番だ。


 生後の経験により、天から新たなスキルを付与され、人生を挽回する者も稀に居るが、逆にスキルを全く持てない者も極稀に居る。


 その極稀な存在が、自分だったりする……。


 サーシャの持つスキルは「専門家スペシャリスト」。


 特定の武器や道具を、経験無しで使いこなす事が出来る能力。


 今までは、スキルの対象となる物が分からず、家族から出来損ない扱いを受けて、孤児院に追いやられてきた。


 そのスキルこそが、勇者の証だという。


 スキルの対象となる物が、勇者のみが扱えるという聖剣だったからだ。


 国王の使いは、当時の稼ぎ頭だったサーシャを勇者として迎え入れる代わりに、孤児院への補助金の増額を約束した。


 実際、暫くの間は食べるに困らない位のお金が貰えていたんだけど、なぜか少しずつ減らされ、今に至る……。


「仕方ない、明日も街へ行ってくるよ」


「無理しないでね、ジャック」


「大丈夫、リッカ先生も偶には休みなよ。そんなに荒れた肌じゃ、せっかくの美人が台無しだ」


「ちょ、ちょっと! どこでそんな言葉を覚えたのよ!?」


 ……前世の自分が出てしまった。


 今のオレには母親のような人だが、前の自分からすると年下の成人女性。照れて頬を赤らめるリッカ先生が、とても可愛らしく見えた。


「なに話してるの!」


 そう言って駆けてきたのは、最年少の妹アリエル。


 そばかす顔の赤毛少女は、小柄な体格に似合わぬ豪快なタックルを、オレの腰に決めてくる。


「おまっ! 何すんだ!」


「お兄ちゃん、一緒にゴハン食べよ!」


 そう言って腕を引っ張るアリエル。


 弟妹達と血の繋がりはないが、オレにとっては愛すべき家族。


 オレとリッカ先生は、苦笑いで食卓に着き、久しぶりに家族で温かい食事を囲んだ。





 初仕事から暫く。オレは細心の注意を払いながら稼ぎを続けていった。


 物乞いで稼げた日、または生活日に僅かでも余裕があれば良い。本当に切羽詰まった時にだけ「仕事」をしていた。


 前世の経験を考慮すれば、もっと大きな獲物を狙う事も可能ではあったが、万が一家族に迷惑が掛かってはいけない。


 今のオレに、正面から国や法を相手取る力はないんだ……。


 そんなある日、オレは「仕事」もせず、物乞いも早々に切り上げて、孤児院に向かっていた。


 先日、サーシャから手紙の返事があり、3日後の夕暮れには孤児院に戻っていろと通達されていたからだ。


 補助金に関して、関係者を集めて話し合いたいとの事。大人だけではなく、孤児院の子供全員からも話を聞きたいそうだ。


 サーシャは、孤児院時代から現場を仕切りたがる性格だった。本来は勇者の名で領主宛に手紙を出せば済ませられるハズだが、出たがりの癖が抑えられなかったのだろうか。


 オレは久々にサーシャと会える嬉しさもあり、裏道を通って最短距離を走っていた。


「おい! ジャック!」


 そんなオレを呼び止めたのは、ずんぐりした体系のヒゲ面爺。


 ドワーフの鍛冶師、ベルドだった。


 ヒゲにも頭髪にも白髪が混じっているので、それなりの年齢だと思う。


 小柄なオレより背は低いが、筋骨隆々で冒険者5人と喧嘩して勝ったなんて武勇伝も聞く、武闘派鍛冶師だ。


「ベルド爺か、なんか用?」


「用があるから呼んだんじゃ。お前、ヒマなら仕事してけ」


 ベルド爺さんは、時々こうして仕事を依頼してくれる。武具の納品や片付けの手伝いなど、子供でも出来る仕事だ。


 本当に必要な時にしか声を掛けてこないので、依頼は年に数回程度だが、オレ達にとっては貴重な収入源。


 そんなベルド爺さんだが、オレ達に同情して仕事を与えている訳じゃない。


 誰にでも平等だ、というだけの話。


 孤児に仕事を振るのも、然るべき場所に仕事を依頼するのも、結果が同じならベルド爺さんにとって違いはない。


 平等だからこそ、ここでベルド爺さんの依頼を断るのは得策じゃないだろう。付き合いを度外視し、単純に使える使えないで判断されるからだ。


 オレは西の空を見る。


 すでに太陽は傾きつつあるが、まだ日が沈むまでには余裕があった。


「……わかった、仕事は何?」


「最近忙しくてなぁ~ゴミが溜まっちまって……」


「掃除だね、了解」


 オレはベルド爺さんの返事を待たずに工房へ入ると、鍜治場以外を片っ端に掃除していった。鍜治場への立ち入りは禁止されているからだ。


 一度知らずに入って、激怒された事もあったな。


 火事場以外は、それ程広くはなく、道具置き場と居住スペースがメイン。掃除は以前にも経験があるため、要領は心得ている。


 程なくして、掃除とゴミ集めが完了した。


「流石に早いな、ちょっと待ってろ、今報酬を……」


「あ~……悪いベルド爺。今日は急ぎなんだ、報酬はまた今度貰うよ」


「忙しないな、お前が話してたアイテムの試作品も出来とるぞ」


「ゴメン、それもまた今度」


 他の依頼主ならともかく、仕事に関するベルド爺さんは信頼できる。オレは後日受け取りに来る旨を伝え、ベルド爺さんの工房を後にした。


 西の空はすでに赤く染まり、もう少しで夜を迎えようとしている。


 少し遅れたかもしれない。オレは全速力で孤児院へ向かう。


 やがて街の全てが暗闇に染まろうとする頃、ようやく孤児院に到着したオレは、息を切らせたまま勢いよく扉を開けた。


 テーブルに置かれた、ロウソクの明かりが照らし出したのは、白銀の鎧を纏い黄金の剣を携えた、栗色の髪をした少女。


 サーシャだった。


「サーシャ……」


 オレは一瞬言葉を失った。


 孤児院に居た頃から、容姿は悪くないと思っていたが、今のサーシャはまさしく、おとぎ話で語られる勇者に相応しい姿だった。


「あら? ようやく帰って来たのね、ジャック」


 オレに気が付いて微笑みかけるサーシャ。


「ちょっと、日暮れ前に帰ってろって伝えたでしょ?」


 微笑みながらオレの頭を軽く小突く。


 昔はオレがイタズラをすると、よくこうして叱られていた。


 オレにとっては厳しく、また優しい姉だった。


 幼い頃を思い出し、思わずオレも笑ってしまう。


「ゴメン……急に仕事が出来ちゃったから」


「計画性の無さは相変わらずね」


 サーシャはヤレヤレと肩をすくめると、席に着くよう促した。


 孤児院で一番大きな客間のテーブル。 そこには、誰も居なかった。


「あれ? リッカ先生は? アリエル達は?」


「もうとっくに話を聞き終えたわ。後はアナタだけ。だから言ったでしょ? 日暮れ前に帰って来いって」


「わ、悪い……」


「本当にもう…そんなんだから、ダメなのよ」


 サーシャが溜息をつきながら、オレに歩み寄る。


 その口角が、僅かに上がったような気がした。


「そんなんだから……みんなと一緒に死ねないのよ」


「……えっ?」


 瞬間、腹部に激痛が走る。


 サーシャが、手にした黄金の剣をオレの腹に突き立てていた。


「サ……サーシャ……」


「安心しなさい、皆は先に行って待っててくれてる」


「何……を……」


 サーシャが首を横に向ける。


 その視線を追うと、奥の部屋に何かが見えた。


 薄暗い空間に、赤黒く染まった何か……。


 それは、壊れた人形ように無造作に打ち捨てられた、血に染まる家族の姿だった。


 リッカ先生も、妹のアリエルも、弟のエルフィンも……みんなが目を見開き、虚空を見つめている。


 すでに事切れているのは、明白だった。


「サーシャ……なぜ………」


「あなた達は私の家族。大事な大事な家族……だから私の手で殺してあげたかったの」


 サーシャの瞳が暗く沈んでいく。


 それは家族に向けられるものじゃない。オレ達を、孤児を見下す街の奴等と同じ瞳だった。


「私は勇者。世界に平和をもたらす者。そんな私が薄汚い孤児だったなんて、後世に伝えられると思う?」


「……じゃ……あ……」


「昔の私を知っている人は邪魔なの……あなた達、家族も含めて…ね」


 サーシャが剣を引き抜くと、オレはその場に崩れ落ちた。


「私は、サーシャ・クオーレ。もう、ただのサーシャじゃないの。ボロをまとって、他人の食べ残しを漁る自分なんて思い出したくないの」


 出血で意識が遠のいていく。サーシャの声が、遠くから聞こえるような気がした。


「大丈夫、寂しくないわ。家族だけじゃない、スラムの皆も一緒だから……」


 サーシャはそう言って、オレの頬へ顔を寄せる。


「さようなら、ジャック……愛してる」


 薄れゆく意識の中、遠ざかる足音とパチパチと何かが爆ぜるような音が聞こえる。


 懸命に意識を繋ごうとするが、瞼は重く、もう痛みすら感じない。


 眠りに落ちる寸前、オレが見たのは、炎に包まれた家族の亡骸だった。





 アレから3年。


 オレは嘗てスラムだった場所に訪れた。


 焼け焦げた建物は破壊され、炭を敷き詰めたように真っ黒な更地が広がっている。


 いずれは、住宅街か商店街にする予定があるそうだが、多くの人間が焼け死んだ場所だ。進んで利用したいという人間も少ないのだろう。今はまだ、人の気配すら無い。


 あの日の事は、スラムの住民が起こした大規模な火災として周知されている。


 死者は数百人。


 スラムの中でも、貧民窟と呼ばれるエリアで生活をしていた人間、ほぼ全てが命を落とした。


 火災が起きたエリアの生存者は無し、そう伝えられている。


 オレは、その場で一輪の花を供えると、両手を合わせて祈りを捧げる。


 今のオレは無宗教なんだが、こういった時には前のオレが出てきてしまうようだ。


 暫くの間 祈りを捧げた後、オレは黒い更地を横切り、更に街の中心から離れたエリアへと向かっていった。


 そこはオレ達が住んでいた場所と同様、普通の住民が訪れる事のない街の暗部。


 同じスラムだが、極貧層が集まる場所……と言うよりは、表を歩けない犯罪者が集まった場所と言った方が良いだろう。


 街の警備隊も、おいそれとは手を出せない荒くれ者達の溜まり場だ。


 オレは、薄暗い路地をわざと遠回りしながら進み、とある廃墟へと入っていった。


 周囲を警戒し、床に隠された扉を開けると、そのまま地下室へと降りる。


 階段の先から薄明りが漏れ、鎚を打つ音が聞こえてきた。


「ベルド爺、戻ったよ」


「おう、ジャック…じゃねぇ、ジョーカーか」


「もう、いい加減覚えてくれよ」


「わりぃわりぃ」


 そう言いながら悪びれる様子もなく、再び手にした鎚を振り下ろすベルド爺さん。


 あの日、オレはベルド爺さんに助けられた。


 オレが掃除中に片付けた道具の中に、緊急の仕事で使いたい物があったのだが、その場所がわからず、わざわざ孤児院まで聞きにやってきたのだそうだ。


 そして炎に包まれる孤児院の中で、腹を刺されたオレを発見。


 ベルド爺さんは、オレを崩れ落ちる孤児院から連れ出すと、胸騒ぎを覚えて工房には戻らず、この場所へやってきた。


 更にベルド爺さんは、闇医者を手配し、オレに治療までしてくれたらしい。


 ドライだと思っていたベルド爺さんらしからぬ話だが、自分の身の安全のため、オレから情報を聞き出したかったからだそうだ。


 それが本音かはともかく、オレとベルド爺さんは落ち延びたこの地、ミルナと呼ばれるエリアに身を置くことにした。


 幸いにもベルド爺さんの腕は裏社会にも聞こえる程で、仕事には困らない。


 街から出た方が安全だろうとも思えたが、オレは街を離れる気はなかった。


 ベルド爺さんだけでもと思ったが、なぜか頑なに街を出ようとしない。


 爺さんはスラムの住民ではなかったが、サーシャの事は知っている。


 サーシャの目的を聞かされたオレとしては、すぐにでも離れるべきだと言ったんだが……。


「ところでジョーカーよ、仕事は上手く行ったのか?」


「勿論だ」


 オレは、今回のお宝である黄金の彫像を取り出して、テーブルに置いた。


 仕事が一区切りしたのか、ベルド爺さんは鍛冶の手を止め、彫像を凝視する。


「間違いねぇな。これなら金貨100枚はくだらん」


 金貨は、前世の貨幣価値でいうと1枚100万円。リスクに対して考えれば、なかなかのリターンだ。


「じゃあ何時もの通りで良いな」


「ああ、頼むよ」


 美術品などを盗んだ場合、ベルド爺さんの伝手を利用し、金に換えて貰っている。


 当然、正規のルートじゃない。


「これでまた、貴族共の溜め込んだ汚い金が、世に還元される訳じゃな。めでたいめでたい」


 楽し気なベルド爺さん。


 世捨て人っぽい爺さんだが、民衆を苦しめる悪徳貴族達にはご立腹らしく、オレが仕事の話をしたら喜んで手伝ってくれた。


 腕時計も手袋に仕込んだスタンガンも、全てはベルド爺さんの作品だ。


 勿論、オレが持つ前世の知識を活かした物ではあるが。


「しかし、名を変えるのは分かるが……何で予告状にはBBと書くんじゃ?」


「前世……いや、他の国ではジョーカーの事をババって呼ぶんだよ」


 爺さんは小首をかしげる。まぁ、分かんないよな。


 正直、名前に大した意味はない。


 顔も変えているし、街の人間が今のオレをジャックと認識できなければ良い。


 死んだと思われていた方が、都合の良い事もある。2つの名を使い分けているのも、似たような理由だ。


 ただ、今のオレには相応しい名前だと思ってる。


 サーシャが勇者なら……民衆のヒーローなら、オレは悪人で……ヴィランで良い。


「あぁ、そういや前回のお宝は換金が終わっとるぞ」


「早いな」


 ベルド爺さんは、金貨の詰まった袋をテーブルの上に放り投げた。


「っで、今回はドコにバラ撒くんじゃ?」


「東区のスラムで伝染病の発生が噂されてる。事実だとしても、まだ初期段階だ。今ならまだ間に合う」


こ の街にあるスラムは一か所じゃない、他にも数か所、同類の場所が存在する。


「なるほど……領主の耳にでも入ろうモンなら、お前達の二の舞になりかねんのぉ」


 ベルド爺さんが朗らかに笑う。


 爺さんはデリカシーに欠けるようだが、裏表は無い。


 スラムで伝染病が発生したと知られれば、人間ごと焼却処分されるのは当然だろう。大規模な治療を行うより、安上がりだからな。


 スラムの住民には、銅貨一枚使いたくはないだろう。


「そういう事。パルーデ先生に頼んどいてくれる?」


「任せておけ。あのヤブ医者、金さえ積めば大抵の事は引き受けるからのう。腕も確かじゃし」


 酷い言われようだが、事実だから仕方がない。


 パルーデ先生は、いわゆる闇医者。金には汚いが、内科に外科に整形外科……新薬の開発から、時に精神科医のような治療までこなす、何でもござれなゴッドハンドだ。


 何らかのスキルを利用しているのだろうけれど、詳しい話を聞いた事はない。


 裏社会に住む者は、みんなスネに傷を持っている。相手を詮索しないのは、暗黙の了解だ。


「して、次は何を盗むんじゃ?」


「……そろそろ、狩りもしようかと思うんだ」


 ベルド爺さんの表情が曇る。


「本当にやるのか? お前の気持ちは分らんではない。決意が固い事も知っとる……だが、スキル1つも持っていないお前が、バルトゼルム家を相手にするなぞ……命が幾つあっても足りんぞ」


「スキル……ね」


 スキルは、天から与えられた物。この世に生を受けただけで、手に入る物だ。


 そして、そのスキルによって人生の大半が決まる。


 ふざけた話だ。


 そんな物があったから、オレ達は……サーシャは……。


「オレにとってのスキルは、自らの研鑽で身に付く物。誰かに与えられた物じゃない。ベルド爺さんだって知ってるだろ?」


「分かっとる……お前の力も知恵も。じゃが、バルトゼルムは……この街の領主は嘗て戦場で猛威を振るった、真の武闘派。スキルも3つ以上持つと聞く。昨夜 忍び込んだ、お飾り貴族とは訳が違うぞ」


 この世界、多くの人間は1つのスキルで生涯を終える。


 2つ持っているだけで、かなりレア。


 特に2つ目以降のスキルは、勇者程ではないが、天に認められた証でもある。


 その者の半生に関わる、より有益なスキルが与えられるらしく、孤児が持っているような外れスキルはない。


「わかってるさ……」


「言っても無駄……か」


「……悪い」


 ベルド爺さんは、大きな溜息を付く。


「頼まれた物は当日までには仕上げておく、それまでシッカリと休んでおけ」


「あぁ、ありがとう」


 オレはベルド爺さんに礼を言うと、奥の自室へ向かい、ベットの上に倒れこんだ。


 まずは一つ目、失敗は許されない。


 体力の回復も、立派な仕事だ。


 これが勇者様なら、お付きの癒し手辺りが、魔法であっという間に回復してしまうんだろう。


「……上等だ」


 オレは目を閉じると、無理やり頭の中を空っぽにして眠りについた。





 今日の空は、おあつらえ向きに星一つない。


 今世で神に祈った事などないが、大一番を前に神様が気を利かせてくれたんだろうか。


「んな訳ないか」


 オレは爺さん作の望遠鏡を覗き、領主の屋敷を観察する。


 煌々と松明で照らされた庭先。警備している人数は、確認できるだけで30人程度。全て同じデザインの鎧をしている事から、全員が私設兵と思われる。


 敷地面積を考えれば、思ったよりも多くない。


 盗人如きに冒険者の手を借りるなんて、武闘派領主様のプライドが許さないといった所か。


 しかし、屋根にまで警備を配置してる辺り、情報収集はしているようだ。


 続いて屋内を確認すると、ひときわ明るい部屋が見付かった。


 下調べ通り、お宝である女神像の有る部屋だ。予告状も、ちゃんと読んでくれていたらしい。


 窓から見えるのは一部だが、私設兵の総数を考えれば、警備は10人程度が配置されているだろう。


 ベルド爺さんの言ってた通り、領主のバルトゼルムは武闘派だ。


 嘗ては一兵卒として戦場で猛威を振るい、「戦斧の狂戦士」などと呼ばれていた。


 世に言う英雄の一人だ。


 性格は勇猛果敢、立ち塞がる敵は全て己の力で排除してきた。


 今日も、そのつもりなんだろう。


 オレは望遠鏡を仕舞い、バルトゼルムの屋敷へと音もなく忍び寄る。


 警備の位置と動きは把握している。


 その中で、唯一警備が行き届いていないルートがある。


 屋敷の外にある、小さな小屋。


 この小屋にある隠し通路が、屋敷のとある部屋に繋がっているのだ。


 勇猛と言われるバルトゼルムだが、そういったヤツに限ってイザという時の備えは抜かりがない。


 自身が狙われる可能性を自覚しているのだろう。


 問題は、隠し通路の存在を知っているのがバルトゼルムだけではなかった事。


 そして、隠し通路を知っている人物を、バルトゼルムが処分していなかった事だ。


 領土からの追放はしていたが、流石に通路の工事に関わった人物を全員を殺害するのは、領主と言えどもリスクが高かったのだろう。


 何せ相手はスラムの住民じゃないのだから……。


 探し出すのに時間は掛ったが、金で解決出来る仕事は楽で良い。


 オレは小屋に入ると、買い取った見取り図通りの位置にある、小さな隠し扉を開けた。


 予め下調べは終えている。


 バルトゼルムが、新たな罠などを仕掛けている可能性も考えたからだが、それは杞憂に終わった。


 領主様の事を買い被りすぎたか……そんな事を思いながら、オレは隠し通路に侵入した。


 明かり一つない通路だが、ルートは覚えているので問題無い。


 可能なら暗視ゴーグルでも欲しい所だが、流石にこの世界では再現が難しい。


 ベルド爺さんが、フクロウ型モンスターの眼球から似たような物が作れるかもと言っていたが、一度真剣に考えてみるか。


 せっかくのファンタジー世界だ、科学に固執する必要もないだろう。


 最も、今回の仕事が無事に終われば…の話だが。


 やがて隠し通路の終着地点が訪れ、オレは慎重に出口の扉を開ける。


 人気のない、薄暗い部屋。


 窓から、庭の かがり火の僅かな明かりが差し込み、何とか部屋の輪郭が見える。

 

お宝の有る部屋とは遠く離れた、バルトゼルムの寝室だ。


 見取り図から、家具等の位置も凡そ検討をつけていたが、ほぼ予測通りの位置にあった。


「さて、始めますか……」


 オレは懐から1本のボトルを取り出し、寝室の扉を薄く開けると、誰も居ない事を確認し、寝室の前に手にしたボトルを転がす。


 扉を閉めて数秒、屋敷全体が振動する程の爆音が鳴り響いた。


 耳栓をしていても、鼓膜が破れそうだ。


 オレは隠し通路の扉を開けると、暗闇の中に身を隠した。


 隠し通路の外が、どんどん騒がしくなって行くのがわかる。


 バルトゼルムの怒鳴り声と、慌ただしく踏み鳴らされる足音。


 領主様の寝室が、あっと言う間に殺気と喧騒に満たされた


 だが隠し通路に身を隠してから暫くすると、人の声と足音が次々と遠ざかっていく。


 部屋の中に、少しずつ静けさが戻ってきていた。


 族の姿が見えない事から、別の場所へ警備を回しているんだろう。


「そろそろかな……」


 オレは扉を開け、再び寝室へと侵入する。


 薄暗い空間に、1つの人影が見える。


 オレは、その人物と目が合った。


「やっぱり残ってたか、領主様」


「き、貴様!」


 無骨な金属鎧で身を固め、巨大な戦斧を背負った大柄な男。


 バルトゼルムは壁に掛けられた絵画に手をかけ、取り外そうとしているように見えた。


「本当に大事なお宝は、その絵の裏みたいだな」


 バルトゼルムの表情が、更に険しくなる。


「何の事だ……」


「しらばっくれるなよ、その中にあるんだろ? 3年前に送られてきた書状が」


「貴様……目的は、広間の女神像ではないのか……」


「それも勿論頂くさ、その書状のついでにな……」


 バルトゼルムが絵画から手を放し、背負っていた戦斧を構える。


「……どこまで知っている?」


「さあな、領主様が3年前のスラム大火災に関与している事。それが上からの命令だった事。読んだら処分しろと指示されていた書状を、今も大事に保管している事……くらいかな」


 喋り終えた直後、巨大な刃が襲い掛かってきた。


 オレは戦斧を掻い潜ると、懐から取り出したナイフでバルトゼルムの首を斬り付ける。


 だが行き成り急所への攻撃が通るはずもなく、小さな切り傷を付けただけ。


 オレはバルトゼルムと距離を取り、戦斧の届かない位置でナイフを構えなおした。


「薄汚い盗人にしては、なかなか良い動きだな」


「それはどーも。領主様も噂に違わぬ剛腕ぶりで」


「ふ、当然よ。貴様如き虫けら、俺自身の手で醜く潰してやろう」


「俺自身の手……ねぇ」


 オレが含み笑いを浮かべると、バルトゼルムは般若の様に目を吊り上げた。


「何が可笑しい!」


「他人には頼れないんだろ? 書状の事も、隠し通路の事もバレたくないもんなぁ。アンタは誰も信用していない、書状を処分しなかったのも、後々利用できると思ったからだろ?」


「おのれ……」


「大方、今は護衛も遠ざけているんだろう。愚策だね。まぁ、そのおかげでオレはアンタとお喋り出来てる訳だが」


 バルトゼルムの額に、血管が浮き出ているように見える。


 噂通りの通り、直情型だな。


「アンタが脳筋で助かったよ」


「おのれぇああ!」


 バルトゼルムが吼えると同時に、大柄だった体躯が更に膨れ上がる。


「貴様はただでは殺さん! 俺のスキル「狂乱マッドネス」によって、粉微塵にしてくれる!」


 身体強化か。確か筋力増強だけでなく、脳内麻薬の分泌も促し、痛みすら感じない狂戦士になれるとか。


 脳筋らしいスキルだね。


「死ね! 汚らわしい盗人が!」


「あーもうちょっと待ってくれる?」


「な、何?」


 急に気の抜けた声を出した為か、バルトゼルムが動きを止める。


「ん~そろそろなんだけどなぁ……」


「貴様、何を言って……っ!」


 バルトゼルムが呻き声を上げると、手にした戦斧を落とした。


「な、何だ……体が……体の力が……」


「効いてきたか」


 バルトゼルムは膝を折り、しゃがみ込む。


「貴様……何……を……した」


「筋弛緩薬って知ってる? それを知り合いの医者に頼んで、オリジナルで作って貰ったんだ」


 そういって、バルトゼルムにナイフを見せる。


「バカな……俺に……毒など……」


「知ってるよ、アンタ毒耐性のスキルを持ってるんだろ。おまけに受動回復効果を増やすスキルも」


 2つのスキルにより、バルトゼルムに毒攻撃は効かず、また他者からの回復魔法や薬草等での体力回復効果を通常よりも大幅に高める事が出来る。


 体を張って前衛で戦う戦士タイプにしたら、有用なスキルなんだろう。


「だから色々試したんだよ、毒耐性には反応せず、受動回復効果だけ高めてくれる、絶妙に加減された薬をね」


 薬とは、使い方次第で毒になる。


 逆に言えば、毒も使い方次第で薬になる。


「まぁ、筋弛緩薬になったのは偶々なんだけど。薬品代に被験者への謝礼、ヤブ医者への報酬……かなり奮発したよ」


「ひ……ひきょう……もの……が」


「卑怯で結構。オレは盗賊さ、仕事を達成する為なら何でもする。そうだろ…英雄殿」


 跪いたバルトゼルムを片手で押すと、そのまま仰向けに倒れた。


「あ……あ……」


「もう喋る事も出来ないか」


 オレはバルトゼルムに跨り、手にしたナイフを眼前にかざした。


「コレが何か分かるか?」


「せ……ゆ……」


「そう、勇者様の持つ聖剣を模した物さ。サイズは違うが、良く出来ているだろう」


 あの日、家族の命を奪い、オレを死に追い詰めた……正義の剣。


「アイツが今ドコにいるのか知らないが、何時かきっと気付いてくれると思うんだ」


「あ……う……」


「オレの存在にな……」


 オレはバルトゼルムの首に、勢いよくナイフを振り下ろした。


 名工の鍛え上げた短剣がバルトゼルムの喉仏を貫くと、鮮血が飛び散り、オレの黒装束を赤黒く染め上げていく。


 暫く間、目をギョロギョロとさせていたバルトゼルムだが、やがてその瞳から光が消えた。


 オレは刺さったナイフをそのまま残し、ゆっくりと立ち上がる。


「さて、予告通り女神像も盗らなきゃだし……忙しいな」


 まず書状を盗り、遺体を発見させ、騒がしくなった所で女神像を……。


 今後の動きを脳内でシミュレートしていると、オレは血に染まった己の両手に気が付いた。


「前世でも、殺しはやらなかったんだけどなぁ……」


 不思議と何も感じない。


 多少の背徳感位は感じるかと思ったんだけど……。


「まぁ、悪役だしな……」


 オレは、妙な納得をして仕事を再開した。


 ココで捕まったら笑い話にもならない。


「帰るまでが遠足です……てね」





 元英雄である領主の暗殺事件は、あっという間に近隣の領土にまで知れ渡った。


 オレが送った予告状が世間に漏れた事もあり、事件は憶測を含んだ噂として急速に広まって行く。


 噂話は民衆の娯楽。


 貧しき者達が、バルトゼルムの圧政に苦しんでいた事もあり、オレの存在は善悪入り混じった存在として伝えられている。


 時には突拍子もない脚色を含む物もあったが、特に問題はない。


「本当に良いのか? 隣町じゃ、BBは6本腕のモンスターにされとるぞ」


 ベルド爺さんが腹を抱えて笑う。


 薄暗い地下室、オレとベルド爺さんは顔を突き合わせ、決して豪華とは言えない食事を楽しんでいた。


「良いさ、アイツは その程度のフェイクに騙される程バカじゃない」


「サーシャ……か」


「アイツが今どこで何をやってるかは分からないが、知ればきっと気が付くだろう」


「その為に、ずいぶんと危ない橋を渡っている様に思えるがのぉ」


「無駄な事だと思うかい?」


 実際、サーシャへの恨みだけならば、アイツの居場所を見つけ出して、直接復讐をすれば良い話だ。


 きっと、今のオレを動かしているのは、単純な復讐心だけじゃないんだろう。


「オレにとって、サーシャが自分の意志でこの街に来る事が重要なんだよ。アイツが全てを捨てた、この街に…」


「難儀じゃのぉ」


「ベルド爺さんには、付き合わせて悪いと思ってるよ」


「んなこたぁ、どうでも良いわい……おっと、そう言えば」


 ベルド爺さんは何かを思い出したように、後ろの引き出しから何時もの袋を取り出した。


「アレだがな、金貨200枚で売れたわい」


「へぇ~流石だな」


「んで、コレはどうするんじゃ?」


「今回は出費が激しかったし、経費分は残して、残りは隣町の極貧層に回そうと思う」


「なるほど、この街のスラムにばかり使うと、変に目を付けられるかもしれんからな」


「そうだな」


 オレのとばっちりで、スラムの見知らぬ誰かが疑われても気分が悪い。


「そう言えば聞いたかジョーカー、あのヤブ医者、出向いた先でBBの事を触れ回っとるらしいぞ」


「はぁ? 何勝手な事してんだよ、あの人は……」


「カッカッカッ! アイツは金にならない面倒事は大嫌いなタイプじゃからな。おおかた出資者の事をしつこく聞かれ、喋っちまったんじゃろ」


「だからって、依頼主の情報を簡単に漏らすなよ……喋った分、次の報酬は減額だな」


「まぁまぁ、多少は大目に見てやれ。そのおかげで、BBはスラムの一部じゃ英雄扱いらしいぞ」


「BBは盗人で人殺しだ、英雄になんて成れないよ」


「そうかのう?英雄とて人を殺める事もあるじゃろ、戦地で敵の備蓄を奪う事もあるじゃろうし」


「それが国を統治する者にとっての正義であったなら……ね」


 立場が変われば、正義の解釈も変わる。


 少なくとも、オレの仕事を正義として認めたくない者が国の上層部に居る限り、オレが英雄と呼ばれる事は無いだろう。


「どの道、オレはBBの呼び名なんて興味はないよ」


「何じゃ、つまらんのぉ」


 ベルド爺さんが、心底つまらなそうな顔をする。


 偶に子供っぽい所があるんだよな。長寿種族のくせに……。


 その時、ふとある言葉が脳裏に浮かんだ。


 私怨で人を殺めたオレが、その言葉に相応しいかは分からないが……。


「まぁ、どうしても何か付け足したいのなら……義賊とでも呼んでくれ」


 それから暫くして、この国で「義賊」という今まで存在しなかった言葉が認知されるようになった。


 噂とは不思議なもので、あやふやだった人物像が、たった一つの言葉で形を成し、加速度的に拡散されていく。



 闇夜に溶ける程の漆黒を纏い、摩訶不思議な魔道具を操る、貴族だけを狙う盗賊。


 どれほど強固な防壁も、彼の者を拒む事は出来ず、狙った獲物は確実に奪う。


 時にその標的は、貴族自身の命にも及ぶという。


 奪い取った財宝を、貧しき者に恵みとして分け与える、慈悲深き罪人。


 それが、残滓ざんしの義賊・BB。



 その名がサーシャの耳に届く頃、オレはどうなっているのだろう。


 この街は……世界はどうなってるのだろう。


 前世の記憶を取り戻したのは、はたして偶然だったのだろうか。


 スキルを持てないオレが、勇者となるサーシャと出会ったのは……。


 そんな湧き上がる疑問も、いずれ全ての答えが出るのだろう。


 オレが、あの日を忘れない限り……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ