第9話
ゼインは深いため息をついた。
彼の鎧がガチャガチャと音を立てる。森に入った当初は音を最小限まで押さえていたのが、今は憂さ晴らしでもするように重低音を響かせていた。
「レヴィにもまいったもんだ。あれじゃいつか大怪我しても不思議じゃない」
彼の声色は明確にレヴィを案じるものだった。そして以前の会話ではレヴィのほうもゼインのことを知っているような口ぶりだった。
「レヴィとどういう関係なんだ?」
「……あいつは親友の娘だ」
アオイは「悪かった」と謝罪する。
わずかに声にこもった悔恨や苦痛を察知したからだ。
「勘のいい野郎だ。だが別に死んだわけじゃない、気にすんな」
これ以上、込み入った事情に踏み込む前にアオイは話題を変える。
「あんた何で反省室なんかいるんだ。いくら貴族が気に入らないっていっても他から引く手あまただろ。いい条件引き出せたんじゃないか」
「お前こそな」
ゼインはにやりと笑って返した。
「お前、本業は剣士だろ」
「何でそう思った?」
アオイが問うと、何でもないように答える。
「距離だ。普通の魔術師は前衛の間合いの中にいる。言い方は悪いが盾にするためにな。お前はその辺が無頓着だ。それでも大丈夫だっていう自信がある証拠だ」
なるほどと納得した。典型的な魔術師のアリスなどがいい例だ。前衛からつかず離れずの位置を保っている。それに対してアオイなどはパーティ全体をカバーするための位置取りを取るため、見る人が見れば魔術士らしくない動きに見えた。
「もしくはただの馬鹿だが、馬鹿に中級の無詠唱は撃てないだろ」
「さすがよく見てるな」
ゼインのその指摘は事実だった。アオイは魔術も問題なく使えるが、本来の比重からすると剣を振るほうが得意だった。
「理由があって剣士はやめた。聞いても面白い話でもないぜ。俺に興味があり過ぎて深く知りたいって言うなら話してもいいが」
結構だ、とゼインは薄く笑う。
「俺もたいした話じゃない。魔王が倒されてから、探索者からはすっぱり手を引いた。一回廃業したんだ。金はもう十分に稼いでたしな。良くある話だろ。んで2年ぐらい前に復帰してみればまさかの有り様だったわけだ」
「やっぱり離れられなかったのか」
「いや。もう一度、剣を取る理由ができたんだ」
かすかに視線がレヴィに注がれていた。
そんな彼を見てアオイが感じたのは羨ましさだった。アオイは昔から理由もなく剣を振るってきた人間だった。脳裏に父の姿が過る。
『我が一族の悲願を果せ。お前ならばできる』
彼は常々そう言った。アオイは父の欲に憑りつかれた瞳が苦手だった。
今はもう存在しない父の幻影を振り払う。極力何も考えないように脳みそを空っぽにして身体を動かしているとゼインがアオイを呼び止めた。
「少し休憩にしようぜ」
「まだ疲れるほど動いちゃいないだろ?」
当たり前のことだが休憩は非常に重要だ。なぜならシンを使い果たした者は強制的に気絶する。シンとは意思の力に直結している。それを失えば眠りに落ちてしまう。シンは休み休み温存しながら使うのが基本だった。
だが目一杯チンタラ動いているのでアオイに疲れはなかった。
「俺らは大丈夫だけどな」
ゼインは顎をしゃくる。よくよく見ればユリアの顔には疲労の色が現れていた。
新人の彼女には辛いだろう。いつもならば気づくはずの、こんなことに気が回らないほどに思考に耽っていたのだとアオイは遅まきながら自覚することになった。
「思ったより時間かかるな」
「道案内頼めば良かったですね。もう通り過ぎてるのかも」
「ちょっとルート変えて戻ってみるかね」
アオイの隣に座るアリスの周囲には水色の光球がゆらゆらと浮遊している。
それは神霊という物質に宿るシンを魔術で具現化した存在だ。水辺から呼び出したもので近くの水場へ引き合い導いてくれる。ただし、特定の湖を見つけて欲しいなど指定することはできなかった。それをする場合はその特定の湖から呼び出した神霊が必要になる。
休みの時間を無駄にせずアリスは装備の手入れを始めた。戦闘で使用したわけでもない古びた短剣を布で隅から隅まで磨いていた。かなり念入りに手入れをしているのに短剣には小さな傷も多く、使いこまれたように柄の部分はすり減っていた。
「大事なものなの?」
レヴィが問う。
「兄からもらいました。私が一緒に戦いたいと言ったら護身用にくれたんです」
「アリスちゃんも我儘言うんだねー。お兄さんも探索者やってるの?」
「今はもういません。兄は『女王の剣』でした。先の大戦で……」
レヴィはしまったという顔をした。
「……ごめん」
「構いません」
先にあった魔王との大戦の時には多くの者が大切な人を失ったものだった。
「でも女王の剣って凄いね。お兄さんの名前はなんていうの?」
女王の剣とは女王直轄の兵士たちであり、基本的には全国民の憧れでもあった。入れる者はその力を女王に認められし、50人からなるティルタニアで最高峰の部隊だ。それぞれの名が巷にまで通っている。
「リュカ・ウィルザーです」
「あの大戦の英雄の!」
ユリアは息を飲む。
それは先代勇者と一緒に魔王を倒した大英雄の名だったからだ。
「公式戦で負けなしの超凄い剣士様だよね」
「そうですね」
アリスはちらりと含みのある視線をアオイに向けた。
「はえー。アリスちゃんあのウィルザー家なのね……超のつく大貴族じゃん」
レヴィはあれと首をかしげる。
「……姓が違うような」
「私は養子なんです。普通の平民の出身ですよ。今は前の姓を名乗っています」
ウィルザー家は王家傍系の武勇にて誉れ高き家系になる。アリスの兄はそのウィルザー家だ。リュカはアオイとも親しく付き合いがあり、友人であったと言って良かった。今は亡き友人の姿が頭を過った。
「あーあ。もっと楽で割りの良い仕事がしたいぜ」
アオイは話題を強引に変えた。
硬い樹の幹に腰掛け、ふんぞり返って木々に覆われて暗い頭上を見上げる。やかましい虫の鳴き声が耳に届き芳醇な土や木々の香りがした。
「そんなこと言っちゃ駄目ですよ。頑張りましょう」
ユリアはアオイの態度に注意を促す。
真面目だなとアオイは思った。彼女は楽なことは悪いこと、辛くて面倒な仕事ほど率先してやるべきと思っている節がある。元々は貴族などで語られる、力ある者には責任があるという教育に起因したものだろう。だが派遣でしかも平民のアオイにまで、力ある者の責任を求められても困るというのが本音だった。
ユリアは貴族も平民も平等に分け隔てなく接する人間だ。だからこそ力ある者には貴族と同様の責任を求めるきらいがあった。
「でも実際そうですね。この仕事、報酬が安すぎます」
「え……そうでしたか? 安いんですか、これって」
ユリアの意外そうな言葉をアリスは肯定する。
「拘束時間と報酬を鑑みれば安いのは間違いないです。探索者5人も使うような内容じゃありませんからね。ダグラス様の嫌がらせでしょう」
やはり貴族のお嬢さまに銭勘定させようというのが間違っているのだ。
平民の懐事情など知るはずもない。
「でも、例えそうだとしてもです。我々は探索者なんですから、そういった仕事もきちんとこなすことが必要です。目先の利益にとらわれずに行動しましょう」
ユリアは近年の探索者の心得を述べ立てる。
彼女は本当に貴族らしくない、ある意味では真に貴族らしいとも言えるが。
「それは理想だな」
水分を補給しながらゼインは言った。
「あんたの考えは立派だよ。だけど俺らみたいな庶民はやっぱり金がなきゃ暮らせない。日銭を稼いでやっとっていうのだって少なくないんだ。あんたは大戦の頃の世界を知ってるか? どうせローザンドから出てなかったんだろ」
ユリアは言葉につまる。それは指摘が事実だということを示していた。
「ティルタニアの外の国は酷いもんだったぜ。探索者や傭兵崩れのやつらが村を略奪したり、食べ物も物資もなくて多くの死者が出た。たったパン1枚、銀1枚のために人を殺す世界があったんだ。金は大事に決まってる。遺跡探索で一攫千金ってのはそんなやつらの最後の希望だったんだよ」
ローザンドの生まれではないアオイもよく知っていた。貧しい地方では目の覆いたくなるほどの惨状があった。敵は魔物だけではなく一部の人間たちもそうだった。あんな光景は二度と見たくないと思う。
「……そうですよね。そんなこと当たり前ですよね」
ユリアは思い悩むように視線を伏せた。ぎゅっと手を強く握る。
「と言ってもあんたの意見は正しいよ。今はそうするべきだって言われてるんだからな。国のため人のため、それが悪いはずもない。問題はそんなの守ってる貴族がいないってことだ」
ゼインがフォローしてもユリアの表情には影が落ちたままだった。
「真面目だなーユリアは」
レヴィは曇った表情のユリアの頬をつんつんと突く。
ユリアが逃げるように小さく身じろぎするとレヴィはへらへら笑った。
進む中でふとアオイは一つの事実に気が付いた。
ユリアのことだ。ずっと調子が悪そうに見えた。実戦慣れしていないのか、緊張しているようだった。青ざめた顔で落ち着きなく視線を周囲に巡らせる。警戒するポイントが分からない新兵にありがちなことだが、それにしても動きが硬い。身体に力が入り過ぎていては疲労も早い。しっかりサポートをしなくては、いらぬ手傷を負いかねなかった。
「どう考えてもおかしいですね。教えてもらった場所が確かならもう見つけているはず」
アリスの発言によって一向は足を止めた。みな彼女と同じことを考えていた。
「もしかして遺跡にあるって本当に遺跡の中なんじゃないか」
「可能性はありますね」
地図を頼りある場所へと足を向ける。生い茂る森が開けて平地が現れる、そこには崩れかけた古代遺跡の跡地が広がっていた。サルフェスト東の森には千年近く前に滅んだとされる古代の都市があった、その名残が今もなお残っている。石像などは見る影もなく崩れさり、住居であったはずのコンクリートでできた建物は植物の蔓に覆われていた。
目的地には強い光を放つ発光体があった。それはシンの力が溜まった力場だ。
先頭にいたアオイが光りに手を翳して一定の波長でシンを流す。すると眩い光が世界を包み込み、一瞬の後には時代を遡ったように滅んでいた遺跡が蘇っていた。周囲の森が綺麗になくなって崩れた外壁は元通りになり、空には現存しない種の魔物が飛び回っていた。
「わあ」
ユリアは歓声を弾ませた。
「ユリアってもしかして遺跡入るの初めて?」
「はい。凄いですね」
「私は結構来てるからねー。もう慣れちゃった」
そうは言ってもレヴィも血が疼いているのか心身に気が満ちていた。
これらは全てこの地のシンに残る記憶が再現されているに過ぎない。ただし幻ではない。現実世界と霊的世界の狭間にある場所。言わば半現実だ。魔術の作用と同じく世界や人々のシンがそこにそれが「ある」と認識すれば、それは現実となる。
強力なシンの塊が指向性を持ち一つの町などを再現して成り立たせる。
これが無資格者が立ち入りを禁止される『遺跡』になる。
ごくまれに憎しみや怒りなどの強烈な思念が世界に残ることがあり、それは精神世界に深く刻み込まれて周囲にシンのたまり場を作る。それがある水準を超えると周囲を巻き込んで遺跡となり風景を保存する。遺跡とは核となる何者かの強い意思によって起因されていることが多かった。
一度遺跡として安定すれば、もはやその中の存在は現実となんら変わりはなかった。外の世界に持って帰ることも可能だ。これが遺跡が莫大な富を生む理由だった。
「もしかしてあれか」
遺跡に入って目と鼻の先に目的地であろう水が湧き出る湖があった。透き通るほど透明な水が太陽の光を眩く反射した。
「ここで間違いないと思います。お金がいっぱいありますから」
目を凝らすユリア、同じくアオイが湖を覗き込むと硬貨の影が水中に確認できた。貨幣は欲望の象徴、それを対価に望みを引き出す一種の儀式になっているのだろう。
「それで、どうします。誰か願ってみますか?」
アリスがそう言いながら軽く指を振ると浮かんでいた神霊が溶けるように消え去った。
「はい。私やってみる」
いの一に名乗りあげたのは、やはり元気の有り余っているレヴィだった。ポケットを漁って硬貨を取り出そうとするレヴィの肩をゼインが掴んだ。
「待てレヴィ。やめとけ」
「なんで?」
不満気にレヴィは取り出した硬貨を掌の中で遊ばせる。
「変な呪いだったら危ないです。逆に危害を受ける可能性もありますから。ちゃんと叶えてくれるなんて思わないほうがいいですよ」
「う、それはやばいね」
レヴィが警戒心を顕に身を引いて、じゃあどうするのか──みながお互いに顔を伺う中でアオイはポケットに用意しておいた硬貨を取り出して指で弾く。ぽちゃんと音がして水面の底に沈んでいった。そこでパンと掌を合わせて叫ぶ。
「可愛い女の子となんかいい感じになれますようにっ!」
瞬間、ぱああ! と強い光が揺らめく透明な水面の奥から生まれる。湖全体が発光している。白色の輝きが世界に満ちて、しばらするとそれは納まった。目を眩ませる光が音すらかき消してしまったように不気味な静寂が訪れ、それを破ったのは二つの声。
「えええ! 大丈夫なの!?」
「そうですよ! 呪いだったら!」
レヴィとユリアが口々に言う。
「とりあえず正体は分かりました」
二人を落ち着かせようとアリスが水中を指差す。揺れた水面の奥には焦点がぶれた像が浮かび上がっている。まだ僅かにどす黒い光が湖の中には漂っていた。
「あれは魔王の力……彼のシンの反応です。それもとても大きな」