第7話
時刻はお昼前、アオイは食堂に向かっていた。ユリアたちと落ち合う約束をしていたのだ。広々とした空間──しかも2階まである──にはかなりの数の人が見えた。席の半数以上が埋まりつつあり、そうでない座席も権利を主張するようにテーブルに荷物が置かれている。
どこか座ろうかと席を探していると、30代の前半の鼠色の髪の男が座席に腰掛けているのを発見した。ユリアの話の途中で部屋を出て行ったゼイン・ノイマンだ。
「よ」と軽く挨拶して隣に腰掛ける。「隣に座るな」とつれない返答だったが気にしない。詳しい話は知らなかったが、ゼインと正規とのいざこざは絶えないと聞いたことがあった。ゼインの大きな体躯では小さく見える鉛筆を持ってノートを捲っている。
それは探索者試験の勉強だ。
新たに作られた制度があるならば資格を取ればいいと誰しもが思うのは自明の理だ。しかし探索者試験では必須科目である8科目の座学、実技、人物鑑定、面接を通り抜けてようやく一握りが資格を得ることができるのだ。試験は半年に一度、難解な試験に高い倍率であることも手伝って、今や国家探索者とは超難関資格の一角に数えられていた。
そして試験を受けた元探索者のその大多数が壊滅した。諦めて別の職を探したものは多数、国を捨てた者もいる。しかし遺跡の入場制限は大国ティルタニアの一国だけではなくその関係国家まで右倣えとなっていた。そんな中でなんとか足掻きに足掻いて試験突破を目指していく者達がアオイら非正規なのであった。
「ユリアちゃんって新人みたいだけど、あの子ってなんか訳あり?」
問いかけるとゼインは勉強の手を止めてテキスト類を閉じた。
「この本社には決して近づいちゃいけないやつらがいる。当然、カルディア家の人間、カルディア家と関係が深いルーベント家やフェルノート家、カルディアの親族であるラスター家等々。カルディア派閥のトップツーの位置にいるグレナ家などだな」
ゼインの説明はまだ続いた。
「ミス・ロータスはまた特殊だ。誰も聞いたこともない貧乏貴族なのにどう見てもかなり高度な礼儀作法が身についてる。噂じゃどこぞのお偉いさんの愛人の子だなんて話も聞くぜ。しかもミス・ロータスの反省室配属を決定したのはあのルミナス・カルディア様だっていうじゃないか。なんかきな臭いだろ。まさかあの清廉潔白と名高いラルフ様の隠し子なんじゃないか、なんてな。まず間違いなく関ったら余計な諍いに巻き込まれる」
「実に分かりやすい事情説明をありがとう」
教育にはお金がかかるのだ、ユリアのその所作は洗練されており、発言からしても貴族としての教育を幼少から受けていることが一目瞭然だ。前途ある新人を反省室に送るなど本来あり得ない仕打ちだ。その事情を推察すれば、不仲や陰謀、貴族のお家の恥部など、それこそカルディア家当主ラルフ・カルディアの愛人の子供で長女のルミナスに疎まれているのではないかと、そうなる。
「ユリアちゃんがいい上司だと嬉しいんだがな」
ユリアからは大人しく生真面目そうな印象を受けた。ただしコテコテのかび臭い貴族主義のお題目を信じているような子だ、それがどう働くかは予想がつかなかった。
「ふん。貴族なんかどいつも一緒だ」
ゼインは鼻を鳴らす。やれやれだとアオイは内心でため息をつく。
問題児ばかりのチームに裏事情がありそうな新人の責任者、どんどんと不安材料ばかりが積み上がっていた。
無事に席を確保した食堂にて、ゼインを除いた全員が席についていた。食事をすませたあと、デザートを楽しんでいるところであった。アオイのオーダーはコーヒーだ。特に美味しくはないが中毒になっていて口が欲するのだ。大の甘党のアリスは見ただけで胸やけしそうなケーキを突いている。
ひと段落したところでユリアが口火を切った。
「それじゃあ、みなさん。あらためて自己紹介をしましょう。戦闘スタイルと趣味、探索者になった理由とかお願いします。強制はしませんが戦力を知る意味で実戦の経験年数あたりを聞いてみたいですね」
「学生みたいだな」
アオイの茶々を気にせず、まずは私からとユリアは話し始めた。
「ユリア・ロータスです。主に片手剣やレイピアを使います。子供っぽいですけど、英雄譚とか物語が好きで、絵巻を集めたりしています。この仕事をしているのはやっぱり勇者さまに憧れたのが理由です。魔物との戦闘経験はお恥ずかしながらありません」
口調の端々から、夢見る少女の穢れなきオーラがあふれ出ているようで、世俗に染まった男であるアオイはどことなく居心地の悪さを味わった。
「いいよねー。ロマンあるよね。ロマン。私も好きよ」
次は私ねとレヴィは続けた。
「レヴィ・レーゲンス。双剣を使うよ。趣味はなんだろうなー。魔物退治? 探索者やってるのはお金が必要だからなのと……ある魔物を追ってるから」
最後の一瞬だけ真剣な表情を見せたレヴィはすぐにまた笑顔になった。
「うーん。今3年ぐらいやってるかな」
次どうぞと隣のアリスにバトンを渡す。
「アリス・ロンド。魔術士です。ある程度なら近接もできます。趣味はお菓子作りです。探索者になった理由は国の安定と平和のためでしょうか」
「素晴らしいです」
ユリアは興奮で頬を染めるとパチパチと拍手を鳴らす。
意外と気の合いそうな二人だなとアオイは思う。
「実戦経験は6年ほどですかね」
「お若いのに凄いですね」
感心したようにユリアが何度も頷いた。
そして次にアオイが話の舵をとる。
「アオイ・グラントだ。魔術士だけど剣術もできる。天才肌でね。趣味は旅。探索者になった理由はお金が稼げて女の子にモテるから」
その言葉にアリスが目を細めて口を挟んだ。
「モテたいならもっと真面目に働けばいいんじゃないですか」
「だよねー。反省室にいる男の人はちょっとないなーって感じ」
同じ身分のレヴィも自分を棚に上げて言った。
「君らね。先輩をもうちょっと敬いなさい」
近々の若者は礼儀を知らない。などとアオイも人のことを言えた義理ではなかった。指摘するとレヴィは悪戯っぽい表情を浮かべ、袖口で口元を隠し「アオイせんぱーい」と甘ったるい猫なで声を出した。
「いいね。レヴィちゃんは話が分かる。できた後輩くんだ」
実に可愛い。うむうむと満足げにアオイは頷く。
「あー実戦は……今15年目だな。最初は6歳の時だったし」
「15年ですか。す、凄いですね。ほとんど私の人生分です」
ユリアは苦笑して口にする。世代の違いを如実に感じる一言だ。
これがジェネレーションギャップなのかと少し余計に歳を食った気分だった。
「大戦もあったから今それだけやってる人って珍しいよねー。確かゼインも同じぐらいかな、実戦に出たの18の時だったって言ってたし」
先の大戦を経て探索者には死亡者も多かったが、生き延び引退した者も多かった。激しかった魔物の脅威も鳴りを潜め、世界がいちおう平和になったのを機に引退となり、それに拍車をかけたのが資格制度だ。この結果、実戦経験5年以下の探索者がわんさかしていた。
「はーい。提案があります」
全員の話が終わったところでレヴィが機先を制して手を挙げた。
「みんなさ、堅苦しい呼び方やめない? ファーストネームで統一しよ。ほら~みんな歳も近い女の子だし、仲良くしちゃおうよ」
さらっと男たちの存在を省いていた。
「分かりました。レヴィさん」
「よろしく、ユリアー」
素直に頷いたユリア。それに対してアリスはすっと手を挙げる。
「はい。提案を却下します」
「しないでよ。いいでしょアリスちゃん。ほら飴玉あげるから」
「ありがとうございます。レーゲンスさん」
「うわ、これは手ごわい……」
結局、呼ぶ人が呼びたいようにすることになる。
若い女性陣の会話に口を挟むこともできずにアオイはただ聞き流していた。他愛ない世間話も終わったところでアリスが問いかける。
「これから、どういう方針にするつもりですか?」
「真面目にこつこつ依頼をこなすしかないですね。できれば上からの命令以外にも仕事をしていきたいのですが……ちょっと人数的な問題もありますね」
ユリアは言葉を濁したが要はゼインのことだ。上からの命令ではない場合は彼が参加しない可能性もあった。そうすると戦力的に問題が生じる。4人のうち1人が駆け出しで、もう1人がサボり魔で、もう1人が魔物を前にすると命令違反を繰り返す。
それならば、とアオイは提案する。
「どこか他のチームと共同でやったほうがいいんじゃないか」
「確かに。男性陣があてになりませんからね」
アリスはちくりと当てこすり。
「反省室付きに協力してくれる人がいますかね」
ユリアは不安げで。
「行くだけ行ってみよー」
楽観的なレヴィとそれぞれの反応を見せた。
部屋の中には掲示板が多数並列し、大人二人が余裕を持って通れるぐらいの間隔で置かれていた。その掲示板の全てに依頼の書かれた紙が所狭しに留められている。アオイらは社内にある元冒険者ギルド、現在の探索者協会派出所に場所を移していた。
椅子が置かれた談話スペースも設置され、話し合いをする人影も見えた。依頼などは基本的にここで受注することになる。
「ほら、行ってきなよ」
機会を待って人々を遠巻きに伺っていたユリアの背中を押す。傍目から見ても分かるぐらいにガチガチに身体を硬くして向かって行った。その場にいた女の子のグループと二、三、言葉を交わすと、ユリアはしゅんと肩を落として戻ってきた。
「無理だって言われました」
仕方なしにアオイは近くの3人組の少年たちの輪に横から入った。
「君たち。俺らと一緒に冒険の旅に出かけないか? 今なら後ろの可愛い女性陣が手厚くもてなしてくれるサービス付きって、あ、ごめん嘘」
撤回した理由は背後から嫌な気配を感じたせいだ。
少年たちは互い互いに顔を見合わせて、申し訳なさそうにして言った。
「……すいません。ロータスさんはルミナス様と険悪だという噂が」
「あーははは。そんなの根も葉もない噂だって」
彼らは気まずそうに視線を逸らす。アオイが目を向けると、目が合う人合う人、さっと目を逸らしていく。その隙に声をかけた少年たちは、そそくさとその場から立ち去って行った。いつの間にか周囲からは人気がなくなり、シーンと静寂が訪れた室内にはただアオイたちだけが残されたのだった。
「まいったなこれ」
一同が立ちすくむ中でユリアは申し訳なさそうに肩を窄めた。
もっとも貴族との折り合いの悪さという観点から言えば、アオイも要因の一端を担っていそうだった。なんせカルディア家の長女を激怒させて反省室に送られた男なのだから。
一人の少女がカルディア本社の屋上に向かっていた。
そこは鍵がかかっており本来は一部の人間しか出入りできないはずの場所。そのため人気も少ないのだが、少女は尾行を警戒するように何度も背後を振り返る。
鍵を取り出して施錠を外すと扉を開ける。強い風に吹かれて栗色の髪がなびいた。少女はさらに人目がないことを入念に確認したのちハンカチを解いて髪を降ろした。ほぼ同時にその栗色の髪は白金に変わっていた。薄手の手袋をはめ、裏に隠しておいたレイピアと剣帯にさげたブロードソードを取り換える。
「これでよしと」
つけていた社員証をポケットにしまい、代わりの社員証を取り出す。
それを手に取ってちらりと眺める。
そこに刻まれた名は──ルミナス・カルディアであった。
ユリア・ロータスとはルミナスの変装した姿だった。
「さすが見隠しの指輪。誰にもばれてない」
ルミナスは人さし指にはめていた指輪を外して懐に大切にしまう。
それは国宝級の魔道具、見隠しの指輪だ。顔の造形が変わる類のものではないが認識をずらし、使用者を別人だと思わせることができた。
その効果で別人に変装して現場に潜りこむことで、ルミナスはカルディアの長女としてではなくて、一人の新人として生の現場を体験できると考えた。跡取りがいなく断絶してしまった貧乏貴族の名を借りている。誰も知らないような家名はちょうど良かった。
このことを知っているのは両親とその右腕として長年勤めたフェルノート家前当主、ラザル・フェルノートのみだった。ルミナスの腹心であるダグラス・ルーベントですら話していなかった。近頃は日中をユリアとして過ごして、それ以外の時間は深夜になるまで勉強にあてるという二重生活を送っているのだった。
ユリアとルミナスが不仲だという噂が流れてしまったことが誤算と言えば、誤算。しかし目論見通りユリアとして反省室の面倒を見ることになった。
集められたのは名の通る不真面目な人間たちばかりだった。
「私がしっかりと面倒みてあげます」
彼らを真人間に教育するのだ。
熱意に燃えたルミナスは並々ならぬ決意を込めて呟いた。
あらすじ変更にともない1話2話に少し加筆をしています。