第6話
ティルタニア王国は西寄りに首都であるローザンドがある。
そして首都からだいたい東西南北の方角に四つの公爵家の領地が存在した。東に国内最強の軍団を持つスパーダ家、西に商業ギルドの黒幕アルマイヤー家、南に魔術師ギルドの代表を務めるバストゥニ家、北にはティルタニア正教の神殿と関わりの深いカルディア家だ。それを四大貴族と呼ぶ。
権力も権威も財力も絶大だ。そんな貴族を怒らせるなど、まともな人間ならば死を覚悟して荷物をまとめて逃げるほどである。幸か不幸かまともな人間ではないアオイは何食わぬ顔で今日も出勤を果していた。
「はあ、やってられんぜ」
「やってられんぜなのは私のほうなのですが?」
アオイの呟きに返答したのはアリスだ。
彼女はアオイに虚ろな視線を突き差しながら言った。
「四大貴族の跡継ぎに喧嘩を売るっていったい何を考えてるんですか? 頑張って伝手を作ってる私への嫌がらせなんですか?」
「わ、悪かった。悪かったって昨日散々謝っただろ」
「反省室に入れてくれなんて頼み込んだら変な顔をされました。でも仕方ないですね。アオイさんには監視が必要ですから」
問題児ばかりが集まる反省室、そこに優等生で通っているアリスも一緒に行くことになった。彼女が自主的に志願したからだ。近くで監視しなければアオイが問題を起こすと思っているのだ。そしてそれは概ね間違ってはいなかった。
歩き続けるアオイたちを遠巻きにして視線が集まっている。
それは主にアオイではなくアリスに向けられたものだ。兄代わりとして身元を引き受けている者の贔屓目を差し引いたとしても彼女は人目を引く容姿をしていると思う。少し背が低いことを気にしているのも可愛いところだ。
もっともそれは人目を引く理由の半分ぐらいで、もう半分の理由がある。
彼女は数か月に一度あるカルディアの実力測定にて魔術部門でトップの成績をおさめた。正確にはおさめ続けている。このように優れた一部のものには逆に正規のほうから助力を願い出るものだ。特に彼女はカルディア序列一位のチームに直々の指名をされるほどだった。そのため名前が通っていた。
すれ違う人々の会話から、かすかに耳に届く賞賛の言葉。
「さすが優等生。人気だな」
それと同時にあるのが何であんなやつといつも一緒にいるんだ、という声。
だからこそアオイの言葉を受けてアリスは微妙な顔を見せた。
「真面目にすればアオイさんは私より強いのに。あの『銀の弾丸』の方々よりも」
その名は序列一位のチームのことだった。
他人に聞かれたら問題になりそうな発言だ、アオイは周囲の人間に十分に注意を払う。もともとアリスがそんなへまをする可能性は非常に低かったが。
「強さというのは絶対的ではないのだよ。アリス君」
「いいえ、そうじゃなきゃ困ります。アオイさんは私の兄さんに勝ったんですから」
アリスは多少むきになったように言った。
実は彼女はかなりのブラコンの気がある。
アリスの兄はアオイとも友人であり大戦の時に亡くなった。妹の面倒を見てほしいという彼の最期の願いによってアリスとは同居生活を送っているのだった。
「とにかく、私がいる以上は真面目に働いてもらいますからね」
アオイは胸に宿る哀愁を呼気とともに吐きだし、空に指を向ける。
「アリス。あの空を見ろ」
「はい?」
アリスはポカンとした顔で指差したほうに目を向けた。
「俺はあの澄み渡る大空のように自由なんだ。あの空に対してもっと真面目に働きましょうなんてはたして言うか? 君の言っていることはそういうことだ」
アリスの瞳が冷気を宿したため、アオイはぴたりと口を閉ざした。
カルディア社は首都ローザンドの中央付近の大変いい立地にある。出自確かな貴族のご子息が大量に通うため、敷地は2メートルほどの塀で囲まれて、唯一の出入り口である鉄の開閉扉の門は武装した守衛が固めていた。広々とした敷地は目的地に向かうのに長い通路を歩かねばならなかった。
多くの人が吸い込まれるカルディア本社を通り過ぎ、さらに歩いた離れには半ば物置代わりに使われている寂れた小さな棟があった。その中に反省室は用意されている。守衛などいるわけもなくフリーパスで中に入り、使われていない椅子や雑多な道具類が置かれた玄関を抜ける。
とある一室の前には「反省室」とでかでかと書かれた紙がテープで止まっていた。室内に足を踏み入れれば既に先客がいる。アオイと同じく反省室行きとなっている派遣だった。今回はかなり濃い面子が集まっていた。
魔物退治に変質的な執着を燃やし現場を混乱させる少女、レヴィ・レーゲンス。度重なる正規への暴言や命令違反をおかす壮年の戦士、ゼイン・ノイマン。それにサボりの常習犯のアオイ・グラントが加わる。アリス以外はみなが素行不良として社内にいれば耳に届くほどの面々だった。今回集まった非正規は4人になるようだ。
歩くたびにすり減った床がぎしぎしと鳴る。部屋の中の古びた木製の椅子や机は埃を被り、窓ガラスにはヒビが入っていた。最低の環境だ。
特に会話もなく一同が時間を潰していると、集合時間のきっかり10分前に反省室の扉が開かれ、小柄な人影が室内へと足を踏み入れた。
「みなさん、お待たせしました」
軽く会釈して挨拶したのはカルディア社の制服を着用した、まだ年端もいかない少女だった。16から18の歳の頃であり、栗色の髪をポニーテールのようにハンカチを使って結いあげている。瞳は深い青色だ。かなり整った容姿で優しそうな雰囲気といい、男子からの人気が高そうだった。
「私はユリア・ロータスと申します。今年からカルディア社に入った新人ですが貴方たちの面倒を見ることになりました。よろしくお願いします」
見るからに貴族らしきユリアだが、平民の派遣らに律儀に頭を下げて挨拶をする。育ちがいいものはたいてい平民を蔑むことも多かったが、育ちが良すぎるものはこのように誰にでも丁寧な応対になるものだ。かなりの育ちの良さを感じさせた。
「よろしくー」
一番最初に反応したのはレヴィ・レーゲンスだ。親指を立てて元気に挨拶を返す。アオイが戦場で垣間見た風貌からすると意外にもフレンドリーな雰囲気だ。と言ってもアオイが彼女を見たのは一回きりだったが、その時は魔物の返り血を浴びながら瞳を爛々と輝かせていたのを印象深く覚えていた。
これより反省室の人間は正規であるユリア・ロータスの管轄下に入る。だが奇妙なことだ。基本的に問題児の責任を押しつけられる窓際のポジションであり、新人が配属されることは珍しいを通り越して初めてのことだった。
何か裏でもあるのかと、アオイはユリアの姿をつまびらかに観察する。だが肌荒れや日焼けのない綺麗な指先といい、手入れの行き届いた艶やかな髪といい、やはり見るからにいいところの貴族のお嬢さんだった。
「あんた貴族だよな?」
「はい。ロータス家です」
わずかに緊張を滲ませる声からは大人しさが分かり、それでも真っ直ぐ合わせてくる瞳からは秘めた意思の強さが、丁寧な口調からは生真面目さが伺えた。
「けっ。貴族の下で真面目に働けるかよ」
「こら、アオイさん」
アオイの不躾な態度を見かねたアリスがたしなめる。
「すいません。続けてください」
アリスが先を促し、ユリアも気を取り直して話を続けた。
「常連さんは知っていると思いますが、あらためて説明します。派遣というのは本来、自分たちで任務を選べると思いますが、反省室の場合は基本的に上から与えられる命令に従うことになります」
アオイも聞いたことのある内容をつらつらと述べた。
反省室にはとにかく面倒くさくて安い仕事などが回される。それが不満ならば辞めてもらっても構わないということだ。もちろん自主的な活動も許されているが、長期間拘束される任務などは制限されていた。
「依頼の成功によって貢献度がもらえ、それが月の最後に一定以上の数値であれば試験を受けられますので、それに合格すれば反省室から解放されるという流れになります。試験は倫理問題ですね。探索者の心得教本から出題されます。もしどうしても分からないという人がいたら私が教えますので後で申し出てくださいね」
細かい知識を問う問題や、難解なひっかけ問題の数々が出題される反省室名物の魔の倫理問題である。これを合格するには倫理教本をかなり読み込まなくてはならない。合格した暁には教本を破り捨てたくなるほど倫理観が高まると囁かれるほど。
ユリアは説明が一通り終わると鼓舞するように言う。
「きちんと働けばすぐに反省室からあがれます。みなさん頑張りましょう。今日は初日ということでお仕事は入っていません。良かったら自己紹介でも」
ががと椅子が引かれた音がして視線が集まる。その音源はゼインのもとだった。彼はふんと鼻を鳴らすと自分の荷物を手に取った。
「仕事がないなら帰らせてもらう。入ったら連絡してくれ」
「な! ど、どうしてですか」
「特に貴族のお嬢ちゃんと話すこともないしな」
「ここで真面目にやらないと首になってしまいますよ」
「首にしたけりゃすればいい」
警告の言葉を受けてもゼインの強気は崩れなかった。
素行不良にありながら解雇されていない、それはそれだけ腕が立つことを示している。それだけ彼らの腕は惜しまれているのだ。ゼイン・ノイマンの名はアオイも知っていた。かつて暗黒の時代に名を馳せた一流の戦士であった。
「待ってください!」
ユリアは去りかけたゼインを呼び止める。
「貴族の何が悪いんですか。私はこの血と家に誇りを持っています。貴族として民と国に対して責任をはたし、人々を守る盾であり剣として──」
演説が途中で止まる、ゼインが笑い声をあげたからだ。
ユリアは気分を害して眉をしかめた。アオイも気持ちは分かった。話してる最中に笑われたら誰だって頭にくるだろう。そして同時に貴族の下で働きたくないという思いも理解できないことはなかった。
「なにがおかしいんですか?」
「今時そんな夢みたいな話を信じ込んでる貴族がいることがだよ。よっぽど大事に育てられたんだな。あんた」
貴族のあり方や正規探索者の心得、多くの貴族はそんなものが建前に過ぎないのだと分かっている。守ろうともしていない。よほど温室で純粋培養された箱入りのお嬢さまとしか思えなかった。
結局ゼインを止めることは叶わず彼は出て行った。ぴしゃりと扉が閉まる。
アオイは横から睨みつけてきたアリスに手を振って弁解する。
「いや俺のせいじゃないよ。彼の自由意思だって」
隣からざくざくと責める視線が刺さり、逃げるようにアオイはそっぽを向く。
その先には頬杖をついて一人ご機嫌に鼻歌を歌っているレヴィの姿があった。片側だけ髪を括ったサイドテールで暗い金髪、ダークブロンドの女の子だ。表情豊かで目が合うとぱっと笑顔を見せた。
「あんたは行かないのか」
「私は魔物殺せれば誰の下でもいいしー。それに同世代だから友達になれそうだしね。ゼインはもう短気で困っちゃうよねー」
レヴィは快活に笑う。どうやら普段はかなり友好的な人柄らしかった。
こうして反省室のメンバーの初めて顔合わせは終了した。一つだけはっきり分かったことは、どうやらかなり苦労しそうだということだけだった。