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第2話

 アオイは起き抜けの重い頭を抱えて自室から出る。部屋からすぐのリビングは東方から取り寄せたタタミの部屋になっていた。乾いた草の匂いが鼻を通り気分は東方体験だ。


 テレビのスイッチを入れるとキャスターが淡々と原稿を読み上げた。冷蔵庫を漁り残り物のサンドイッチを取り出してさっさと平らげると、食後にコーヒを流し込む。味など分かりはしない、目を覚ますためのものだ。


『魔王の使徒を名乗る仮面の男がまたも事件を起こしました。不審者を見たらすぐに憲兵に通報してください』


 ニュースの中で一つの事件に興味が引かれた。未だに細々と活動を続ける魔王の残党による事件がまた起こったらしい。もう魔王が倒れてから4年も経過したというのに本当に迷惑なことだと思う。


「なんとも物騒だな」


「そうですね」


 ちょうど、アリスが部屋から出てきて言った。

 彼女は以前からコンビで活動している魔術師のアリス・ロンドだ。

 淡い青色の瞳と、明るい金髪の柔らかそうな髪とは対照的に、整った容姿に無表情を張り付けているところが無機質な印象を受ける。もはや前時代的なパーティは形骸化してしまったため、非正規の二人の関係はただの同業者となる。


「物騒と言えばつい昨日、任務中に帰った探索者がいるらしいですよ。恐ろしいですね」


「ふ、はは。酷い話だな」


 当然、アリスも昨日の出来事は知っているから、これはただの嫌味だ。

 アリスはまだパジャマ姿で少し眠そうに目を擦り、アオイのすぐ隣で正座した。珍しいなとアオイは目を丸くする。完璧主義者の彼女は起きたらすぐに髪をとかし顔を洗い、着替えてから食卓につくのだ。いったい何事だ、天変地異の前触れかと恐る恐るアリスを伺うと、彼女はぼんやり眼をアオイに向けた。


「アオイさん。早く出なくていいんですか? これ以上ルミナス様を怒らせるわけには」


「まだ全然大丈夫だろ。ゲート使えば」


 壁にかかった時計を確認すると8時ちょうどを示していた。やはりまだ大丈夫だなと頷く。長距離移動用転位装置──通称『ゲート』を使えば10分もあれば目的地まで到着する。ゲートとは名の通り設置された各地の門と門をつなげる大魔術であり、人々の暮らしを劇的に豊かにした三大魔法技術のうちの一つだ。


「今日は定期メンテナンスのせいで動いてませんよ」


「なに言ってんだよ。定期は明日だろ」


 寝ぼけるのは勘弁してくれよと笑う。ふふふ──アリスも寝ぼけることがあるんだな、人のことを言えないなというふうに。そう言うとアリスの無感情な冷たい瞳がさらにドロリと暗く澱んだ気がした。


「今回の定期は1日ずれるって前から言ってたじゃないですか」


 アオイはたらりと冷や汗を流して問いかける。


「……本当に?」


「本当です」


 こくんと頷いて断言。そしてアオイは一つの事実へと思い至る。


「もう僕は駄目かもしれない」


 それからのアオイの行動は速かった。コップに残った液体を一気に煽ると立ち上がり、装備を引っ掴みと玄関へと向かう。


「アオイさん。忘れ物」


 アリスは机の上に置きっぱなしだった見事な細工の指輪を放り投げた。


「あ、悪い。助かった」


「そんな大事なもの忘れないでください」


 アオイはそれを空中でキャッチすると慌ただしく礼を言って家を飛び出した。




「ふーぎりぎり間に合った」


 アオイは軽くかいた汗を袖で拭ってほっと一息つく。遠くに見える中央区の巨大時計塔が指しているのは約束の時間の少し前だ。正門を無視し、隣の建物から塀を飛び越えて裏庭に着地する最低のマナーを披露したが幸いにも周囲に人影はなかった。


 アオイの目的地はカルディア社。その名の通り大貴族のカルディア家が運営している探索事業の会社だ。カルディア領の本拠地とは遠く離れているが、ゲートで移動できるため問題はなかった。


 大貴族たちが軒並み探索業に手を染めているのは古代遺跡の探索によって莫大な富が生み出されるからだ。古代遺跡というのは各地に点在し、もはや忘れ去られた貴重な魔術の触媒やレアメタルが眠っていたり、世にも珍しい動植物の住処になっているものだ。探索業にて後れを取ることは財力にて遅れを取ることとほぼ等しかった。


 ティルタニア国内ではこの遺跡の探索を行うのに資格が必要だと制限されていた。もし無許可で探索を行えばどうなるか、それは収穫物の没収が待っている。だから厳密に言えば遺跡探索以外の護衛や採集、討伐任務は今でも自由に請け負える。しかしその少ないパイを探索者と奪い合うことになり、結局はそちらも厳しい未来が待っていた。


 アオイは急ぎ4階建ての建物の2階へと足を運ぶ。階段を上って右手側の突き当りの部屋の扉をそっと開けて身を滑りこませると、音を立てないように慎重に扉を閉めた。

 気配を殺し、足音を殺し、呼吸を殺す……のも意味はなかった。


「遅かったですね」


 当然のように先客がいた。応接室のソファに腰を下ろしているのはアオイの予測通りの白金の髪の少女だった。太陽の光のように白いに近い金髪はきめ細かくて一本一本に艶がある。意思の強そうなコバルトブルーの瞳だが、雰囲気を柔らかく見せる垂れ目はパッチリとした二重だ。鼻筋は通り、小さな唇はしっとりして艶やかな薄桃色。すらりと伸びた手は薄手の手袋で、スカートの下は黒いタイツで覆われていた。


 彼女はルミナス・カルディア。ティルタニア王国4大公爵家にあたる名門中の名門のカルディア家の長女にして、現在16歳。彼女は14歳という年齢で探索者試験を一発合格した経歴を持つ才媛だ。ティルタニア王国の現女王であるミア・クリスティナ・ローズ・オブ・ティルタニアの従姉妹であり、その家柄と可憐な容姿も合わさって、新時代の探索者の象徴的存在となっていた。


 しかしアオイと彼女の関係はお世辞にも良好とは言い難かった。


「遅かったって、時間ちょうどですけど」


 その理由は単純明快だった。アオイが弁明を口にすれば……。


「10分前行動を心がけるべきですよ。アオイ君」


 杓子定規のお堅いこの態度だ。カルディア家はティルタニア正教の大司教を輩出する司祭の家系であり彼女も子供の頃から神のため、国のため、民のためと厳しく教育され、その温室育ちが故の清廉さはアオイには与しがたかった。


 それに加えて現カルディア当主が病気によって身体を悪くし、近い将来に家を背負って立つ立場になるルミナスは父のように立派に勤めを果さなければと息巻いていた。その気負いが良いようにも悪いようにも働いていると思えた。そしてすっかりアオイは彼女に眼を付けられてしまったようで、小言の毎日だった。


「年下のくせに君付けはないと思いますが」


「やはりアオイ君を指導監督する身として、特別にそう呼ぶようにしてるんです」


 ルミナスは幼さが残る甘い顔でつんと澄ましてみせる。 


「アオイ君。これでいったい何度目の仕事放棄ですか。首にしてくれという声が多数から寄せられています。庇うのも大変なんですよ」


 ルミナスは恩着せがましく言う。実際問題、恩以外の何物でもないのだが。


「感謝はしていますが、大変ならば庇わなくとも結構ですよ」


「どんな人でもきっと更生できるんだって。私は信じているんです。かつての女神様のように慈悲深い心をもって接すれば、きっとアオイ君も分かってくれると」


 ティルタニア正教における救世の女神を引き合いに出してルミナスは言った。あふれ出る純白なオーラに目を焼かれそうになって瞼を閉じかける。きっと彼女の言葉が聖属性を宿していてアオイの腐った心を焼いているのだ。


「お嬢さま。もっと楽で危険度が少ない仕事を回してください。もうやっすい給料であんな危険な仕事はやってられないんですよ。なんか簡単な採集系の仕事とかありませんか」


 派遣暮しの負の歴史が記憶の中に蘇る。割に合わない仕事はもうこりごりだ。探索者の任務は戦闘系ばかりではなく様々ある、荷物持ちとかその程度なら楽々だろう。


「分かりました。着いて来てください」


 ルミナスはそう言って立ち上がった。



 案内された先はとある一室、何人かの人間がデスクについて仕事にふけっていた。ルミナスは「はい。どうぞ」と書類の束が入れられた箱をアオイに渡した。彼女の説明では書類の計算に間違いがないか調べておけというらしい。


「……ルミナス様。もしや私の要望をお聞き逃しあそばれましたか?」


「あのですね。アオイ君」


 物わかりの悪い子供に教えるようにルミナスは人さし指を振って説明する。


「いいですか。国家探索者の心得です。探索者たる者、清き誠実な心を持って人々に向き合い、他者の模範となるべく心がけること。アオイ君はまだ探索者のランクがG、最低です。我が社の名誉を傷つけることをされては困りますので任せられる仕事が限定されてしまうんです。その少ない仕事をことごとく突っぱねて来たのはアオイ君ではないですか。ようやく探索者が見直されてきたのに、また野盗みたいに人の家の箪笥を漁ったり高級な壺を割られでもしたら堪りませんもの。おとなしく計算でもしていてください。分かりましたね?」


 彼女の口ぶりから分かる通り、実は探索者たちは民衆から嫌われていた。その要因はかつての探索者たちのとある行為だ。家に忍び込みタンスを漁る。貯蔵しておいた秘蔵の薬を盗んでいく。しまっておいた大事な一品を掠め取る、などという魔王討伐を大義名分に掲げた探索者崩れの者たちによる悪辣行為や、魔物討伐のために手段を問わない過激派たちの蛮行が大きく問題視され、非難されたという経緯があった。

 そのため新探索者というのは人物鑑定により人柄の良さが重視される結果になった。いくら勉強ができてもその素行の悪さによっては不合格が待っている。例えば禿げ頭に刺青を入れた筋肉モリモリマッチョマンなどは増々のご活躍をお祈りされることになる。


「ほら、お仕事ですよ。頑張って」


 週末には聖歌を謳う彼女のソプラノの声には多くの者が聞き惚れるという。だがアオイには頭痛しかもたらさない。アオイはこの野郎と内心で悪態をつき──野郎ではないが──割り振られたデスクに着く。


 派遣は基本的に自分から依頼に名乗りを上げる。だが会社から直接指名で依頼を斡旋されることもある。それを受けるか断るかは当然自由……とならないのが社会というものだ。会社からの直々の指令を一度でも断ってしまえば仕事を回されにくくなるというのが専らの噂だった。その仕事は戦いから雑務まで多岐にわたり、今回のように経理や事務の空があると、そこを穴埋めさせられたりと様々な用途で便利に使われていた。


 たまにはいいかと仕事を開始するのだが……進捗はどうにも芳しくなかった。特に計算が苦手なわけではない、だがしかし、アオイは探索者、今まで魔物と戦って生きてきた人間であり、決して得意な分野ではないこともまた事実。


 完全にやる気を失ったアオイは仕事をしているふりをして時間を潰す。しばらく室内に視線を散らしているとルミナスの傍に控える護衛と目が合った。


 当然だが大貴族カルディ家の長女であるルミナスの傍には常に騎士の称号を持つ完全武装の護衛が控えている。みなが仕事に勤しむ室内でいつも直立不動で口一つ聞かず、人件費の無駄ではないかと思いたくもなる。しかし珍しいことにその騎士が今日は人間らしい動きを見せた。ルミナスになにやら耳打ちしたのだ。


 そして突然「アオイ君」とルミナスからの呼び掛けがあった。

 彼女は用事を告げる──「お茶」と。

 アオイは続きを待って佇むが、既にルミナスは手元に視線を落していた。


「お茶をどうするんでございますか? 私はエスパーではございませんよ」


「ルミナス様はお茶を淹れてこいと言ったんだ。それぐらい察しろ。使えない派遣め」


 ルミナスの横に座る、彼女の補佐役の男がふんと鼻を鳴らした。三白眼で眼鏡をかけた彼は冷たい印象を受ける。実際、彼は典型的な偉ぶっている名門貴族の長男だ。名をダグラス・ルーベントという。現在は26歳でルミナスの仕事の補佐している。補佐というよりも仕事を教えているといったほうが正しいか。


 彼はカルディアとの関係が深い名門貴族家であり正規の資格を保有し、カルディア者の正規の中で上からトップ5に入る実力者だった。


「さようでございましたか。これは失礼いたしました。ただいまお持ちします」


 アオイは慇懃に挨拶すると、にこやかに給湯室まで行く。通常の作業でお茶を用意すると最後にティーポットの中にコーヒー用の砂糖をどばっと投入して、何食わぬ顔でルミナスと先ほど暴言を吐いた男、ダグラスの席に運んだ。

 それをまずは護衛が安全を確認し、安心が担保されたことでダグラスは湯呑に口を付けて「ぐ」と呻いた。ごほごほと咳込んで眼鏡を曇らせる。


「ふざけるなっ! こんな甘ったるい茶があるか!」


 力強く机を叩いて彼は立ち上がった。瞳に怒りを灯している。


「貴様あ。こんなものを出すとは。ルミナス様を侮辱するつもりなのか」


 自分の怒りをルミナスの怒りへと転化して、ダグラスはアオイに告げた。部屋の空気に緊張が走り──そんな中でルミナスはのん気に湯呑に口をつけて一言。


「意外と美味しいですわね。偶にはいいかもしれません」


 その言葉でダグラスはぴしりと固まった。

 じわじわと額からは脂汗が滲み出していき、無言ですとんと座った。


「……そ、そうですよね。私も今更ながらそんな気がしています。たまにはいいですよね」


 ダグラスは一転して、年下のルミナスに恥ずかしげもなく胡麻をすった。


「さっき不味いって言ってませんでしたか?」


「派遣は黙ってろ。くそ馬鹿が、死ね」


 ダグラスはアオイを罵倒するが、言動の不一致は如何ともしがたい。もはや行動で示すしかないと、彼はがっと湯呑を掴むと一気に中身を飲み干した。 


「うむ。美味いな。たまにはいい」


「あ、じゃあもう一杯どうぞ」


 カップにもう一杯、なみなみお茶を注いだ。そんなに美味しいなら、もっと飲みたいだろうという親切心だったのだが、ダグラスはもの凄い形相をしてアオイを睨んだ。


 気にせずアオイが席に戻ろうとしたところでルミナスが呼び止めた。ルミナスはアオイを部屋の外、廊下の隅に連れて行く。彼女は周囲に人がいないことを確認すると、わざとらしく腰に手を当てて口を開いた。


「アオイ君。子供みたいな嫌がらせはやめてください。何ですかあの態度」


 ルミナスは威厳がないと気にしている、垂れ目を精一杯つり上げた。彼女がよく個室で鏡と睨めっこしているという情報を女性の事務員から聞いたことがあった。


「私はお茶を頼んだだけじゃないですか」


「お嬢様は人にものを頼むときのお言葉を学ばれなかったのですか?」


「仕事をサボっている人にものを頼むときの言葉は残念ながら教わりませんでした」


 アオイが嫌味を言うと、逆にちくりと釘を刺された。

 アオイはやれやれと息を吐く。


 結局この一連のやり取りも一種の示威行為だ。ルミナスはしっかりと下をまとめることができるのだと証明するために一番反抗的なアオイに目を付けた。そしてことあるごとに雑用の命令をするのだった。結局のところ最初の出会いが良くなかった。アオイが資料室にてサボって寝ていたのをルミナスが見つけたのが初対面の顔合わせになる。


「私みたいな駆け出しの子供にあれこれ指図されるのが嫌なのも分かります。確かに実戦は知りませんけど、私だってちゃんと一人前のつもりです。カルディアを背負って立つ、後継者なんです。他の部下の手前、軽んじられては困ります」


 平民のアオイにここまで馬鹿正直に向き合う辺りは、聞こえ高いカルディア家の人間らしかった。普通の貴族ならば命令して終わりだ。逆らうやつは問答無用で従わせればいいのだから。アオイは貴族もお偉いさんもその殆どが嫌いだ。その例に漏れずルミナスも同様ではあるが、本気で疎んでいるわけでもなかった。


「俺はもっと他の仕事がしたいんだよ」


 はあ。とルミナスはため息を付いた。


「分かりました。具体的にはどんな仕事を?」


「えーっと。工場で流れてくるポーションの瓶が倒れてたら直す仕事……を真面目にやってるか監視する仕事がいいな」


「ダ・メ・で・す! どんな仕事ですか」


 ルミナスは少し待つように言ってどこかに消えてしまった。

 しばらくして戻ってきた彼女は手に看板を抱えていた。それをアオイに手渡す。


「道案内と警備でもしててください。この看板を持って。いちおう身体を使いますし、安全です。文句はないでしょう?」


 アオイは渡された『カルディア社正面入口はこちら→』と書かれた看板を、生まれて初めて見た不思議な物体であるようにしげしげと眺める。


「ううむ。お言葉ですがルミナス様。この看板めは地面に刺して欲しいと申しております」


「普段は看板に悪戯されるから撤去してるんです。世の中には看板を見れば試し切りだなんだと切り刻む危ない輩がいますからね。でも人がいたら安心ですよね」


「え? 代わりに切られるのがいて安心ってこと?」


 アオイの発言を完璧に無視してルミナスは言った。


「アオイ君。もう力が全ての時代は終わりました。新時代に生きるなら適応してください」


 壊れた絡繰り人形のようにアオイはガクンガクンと頷いた。

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