1話目 無自覚ストーカー
ーーーここは『勇者様はあなただけ!』という小説の世界。
「あの私………誠くんの事が好きなの!」
「皐月………俺もお前が好きだ」
校庭にそびえ立つ大きな大きな桜の木。
その木の麓で、この小説の主人公である誠とヒロインの皐月は晴れて恋人同士になった。
この話はイケメンな恋愛の勇者である、誠をめぐるハーレムストーリーである。そして今はこの小説のクライマックス。桃色に染まった二人の空気は誰も近づけまいとしている。
しかし、不運な事に一人の厄介者が2人の後を付いて来てしまったのだ。
「俺の皐月ちゃんが………皐月ちゃん皐月ちゃん皐月ちゃん」
この男、佐々木悠太は木の陰に隠れて繰り返し呟いている。一応皐月の元カレであり、別れて以来皐月のストーカー化としている。いや、別れる前からそうだったが。
そして彼はこの小説世界には存在しない異質のキャラクターである。限られた人間しか持たない、アレを持った人なのだ。
そんなストーカー男、悠太はこれまで何度もストーリーの妨害をしている。そもそも設定上、皐月の元カレのキャラ自体存在しないのだ。
そんな彼はこの世界に抗える唯一の人と言えよう。
「待って、皐月ちゃん!」
木の陰に隠れていた悠太は堂々と出てくる。皐月が誠の手を取って二人だけの世界に行こうとしている中でだ。
しかし心だけは勇者な悠太。うじうじしているのが気に食わない性格だ。
「悠太!なんでここに?」
皐月は振り返り、信じられないような目で悠太を見ている。いや、どうしてここにいるの!邪魔!と目で必死に訴えている様にも見えるが。
「皐月ちゃ〜ん………いや皐月!もう一度話し合おう!」
デレた表情から一変、真面目な顔で悠太は言う。
そんな悠太に愛想よく微笑みもせず、皐月は新恋人の手を掴み、ズンズク歩いていく。
いまの皐月にとって悠太は毒である。悠太は視野にすら入れてもらえないのだ。
しかしそんな悠太を無視しこの場を離れようとする二人に話しかける人物がいた。
「皐月、ちょっと待ったら?悠太くんの話も聞いて見たらどうかな?」
「美香………」
メガネの美人姉さん、荒木美香。美香は皐月の友人なのだ。
(はっ?誰だよ、あの女キャラ………)
悠太は突然登場してきたキャラクターにびっくりする。今の悠太にとっての唯一の助け舟なのだから。
悠太は黙ってて美香の事を観察し始める。
(推定身長158cm。全体的に凹凸のある体つき。ゆるく二つに結んでいる紫色の髪がまたいやらしい。そして胸が大きい………)
「大きさは多分Eカップ!」
「ちょ、ちょっと、あんた黙ってて」
頬を真っ赤に染めた美香。案外可愛いじゃないかと悠太は感心する。皐月ほどではないがと付け加えて。
「それより皐月!ちょっとやばい奴だけど、もう一回くらいこいつの話聞いて見たら?」
「絶対嫌。こいつ、私をストーカーしてるんだよ。メールは毎日30通以上。『好き』としか書いてないし。普通に私の後はついてくるし。もう何もかもが気持ち悪い!」
本気で嫌がる表情を見せる皐月。美香の中で悠太の価値がズンズン下がっている。
そんな事気にも留めない悠太は元気よく返す。
「これも愛情表現だ!」
ドヤッという効果音もついて。
自信満々な悠太に美香はちょろっと呟いた。
「えっ………引くわ。もうちょっとましな奴だと思ってたけど、あんたって最低な野郎だったのね」
と心からの拒絶反応。
「え?ねえ、皐月!待って!紫のおっぱいも待ってよ!ねえ!」
悠太の必死の叫びは背を向けた3人の心にはもう響かないであろう。
なんたって、ストーカーなのだから。
「皐月ぃぃぃぃぃ!!!」
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「悠太!いい加減起きなさい!」
リビングからだろうか、母の声が家中鳴り響く。悠太は最悪の目覚めだと思いながら、大きな欠伸をする。
「ふぁあ………待ってくれよぉ〜皐月ぃ〜………」
窓から射し込む太陽は悠太の敵である。悠太は自室の布団に包まって、ぶつぶつとつぶやいる。
「んー、あーもう嫌!二度寝できない!」
窓からの光に耐えられなくなった悠太はパチパチを目を瞬きしながら体を起こす。
彼の枕の隣には一冊の小説が置かれている。『勇者様はあなただけ!』の1巻である。未読のため、ビニールカバーさえ付いている。と、表紙にのってある皐月の姿を見て急に恋しくなった。
(ああ、この皐月の描写も良いな。あー………皐月………)
悠太がこんな変人なのは、他でもないアレが理由なのだ。アレとは、枕元に置いた小説の世界に夢の中で入れる能力だ。このため、小説を買って枕元に置いて寝れば、夢の中で映像として流れる。
便利といえば便利だが、欠点もある。それは自分自身はその小説自体には存在しない事であった。いくら読み返してもその小説に悠太という人は登場しないし、悠太が誰かに成り替わる訳でもない。完全なオリジナルキャラクターになるのだ。なので夢の中の話と実際の小説の内容は少し変わってくる。
この謎の能力、名前は「ノット イグジット」である。悠太はこれを"のーいぐ"と呼んでいるが。というか、この名前はセンスのない能力名は、悠太が心の中で勝手に呼んでいるだけだが。
のーいぐを使って、皐月との恋に破れた事を思い出した悠太はどんよりした気持ちで部屋を後にした。
「あー、どうしよ。皐月と今後どう向き合えば………」
悠太は真剣な面持ちで、リビングのドアを開ける。朝食の準備をしている悠太の母、春子はそんな息子を見ていつもの事かとため息をついた。
「降りてくるの遅かったじゃない。で、今日はどうしたの?」
「皐月にフラれた」
「まーた、妄想彼女と恋愛ごっこ?今日から高校二年生にもなるんだから、厨二病は早く卒業してよ」
「別に妄想彼女じゃないし」
(夢彼女だし………)
悠太自身、親にはのーいぐの事を隠している。というか言っても信じてもらえないと思っている。
「あれ?兄貴は?」
「もう行ったわよ。悠太もさっさと朝ごはん食べて、学校行きなよ。佳代ちゃん外で待ってくれてるんじゃない?」
へーい、とやる気のない返事をして悠太は家を出た。
「あっ、悠太やっと出て来た。遅い!インターフォン鳴らそうか迷ったよ」
そう言って、困ったような顔をするのは尾崎佳代。悠太の幼馴染であり、二人の通う咲亜学院の首席生徒でもある。
栗色のショートヘアーが似合う、幼さ残る顔立ちである。微笑むと浮かび上がるえくぼが、また可愛らしい。
「あー、遅れて悪かった」
「もう、全く悪気のない顔してる!今日は始業式なんだから早く行くよ!」