8話 『優柔不断』
さて、どうしたものか。
進むことも逃げることもできないとなると、この場で待機する以外に選択肢はないようだけど、これでは今までの俺の人生とさして変わらない。
逃げることもしないし、進むこともしない。現状維持をすることで精一杯。そうは言っても、現状維持すらできていないから、この有り様なわけで異世界なんかに就職しようと考えている。我ながら、情けない男に成り下がったものだ。
「ふう。こうなったら一か八か突っ込んでみるしかないか」
はっきり言って自信はない。それでも、こんなところで死ぬ気もない。ないない尽くしの俺だけど、帰りを待ってくれる人がいるからな。
「ん?」
サラリーマンの姿がない。俺が逃げ帰ろうとしているときに、先へ行ってしまったのだろうか。ちょっと辺りを見渡すと、サラリーマンの男は、試験官たちのいる扉の前にいた。
「あの人、何であんな所に?」
なんやかんやで、一歩を踏み出す勇気が持てなかった俺は、一先ず男のいる方へと向かった。
「試験官、あの生き物は?」
やっぱりあのサラリーマンは他とは一味違うみたいだ。確かに、相手がどんな生き物か分からないのに突っ込んでいくのは自殺行為か。
ここは便乗して情報収集でもした方が良さそうだな。
「俺にも聞かせてほしいです」
俺とサラリーマンは一度顔を見合わせて、試験官からの返答を待った。
「多少は利口な志願者もいたようですね。お答えしましょう。あの生き物は、アスモという名前の雑食動物です。基本的には草を主食としているのですが、食事を邪魔する者が現れると肉食化して、対象を追い回し捕食します」
そりゃないぜ。食事を邪魔したらって言っているけど、今ここにいる俺たち以外は全員追い回されているじゃないか。
「あの……、皆追い回されているみたいですけど」
「そうですね。恐らく、大勢が一度に向かって来たので自分たちが襲われると思ったのでしょう」
いやいやいや、どうしてそんなに冷静でいられるんだよ。
爽やか残念イケメン君は試験官だから、高みの見物をしているかも知れないけど、肉食動物に追い回されて、食い殺されそうになっているのに涼しい顔をしすぎだろ。
「なるほど、つまり刺激をしなければ殺されないということだな?」
おいおいおい、サラリーマンもサラリーマンでこの状況を冷静に分析しているけど、それはそれで人として良いのか。
「いぎゃあああ!」
普通に生活していたら、絶対に聞くことのない断末魔が突然、聞こえてきた。
声のする方を見てみると、大口を開けたアスモに頭から食いつかれて、上半身が口の中に入っている状態の人が、足をバタバタさせてもがいていた。
「うっ……」
本気かよ。これ本当はゲームでしたとかいうオチじゃないよな。いや、そうあってほしい。そうじゃないと、俺の目の前で人が食い殺されているってことになるんだぞ。
映画とかゲームとかで散々グロテスクなシーンを見てきたが、人が食われるシーンなんて実際に見たことがない。と、いうか見たことがあったら、結構ヤバいやつだ。
俺は見るに堪えないと、吐き気を模様して目を逸らした。
「やっと脱落者1人目ですか。残りは、300人弱といったところでしょうか」
――300人!?
結構な人数が減ったと思っていたが、2万人から300人にまで減っているとは思いもしなかった。
恐らく、さっき帰っていったのが面接合格者の半数以上だと考えると、面接通過者は1000人満たない。つまり、俺は倍率20倍を勝ち抜いていたことになる。なんたる幸運。そして、恐らくその幸運はもう尽きたに違いない。
残り人数に気をとられている間に、最初の脱落者はアスモの体内へと消えてしまっていた。そうこうしている内に、次々に体力の限界を迎えた人たちがアスモの餌食になっていく。
「それで、アスモという生物から無事に生き延びて、あの扉に辿り着く方法はあるのか?」
だーかーら! なんでこいつはこんなに冷静なんだよ!
このサラリーマンに対して抱いていた印象は白紙に戻そう。こんな冷酷で自分のことしか考えられない奴だとは、思わなかったぜ。
「そうですね。彼らは必要以上に追い回しますから、無事に辿り着くことは無理ですかね」
「ちょっと待ったあああ!」
俺は思わず、爽やか残念イケメン君に待ったをかけた。さながら、お見合い番組で意中の彼女へ告白に待ったをかけているような感じではあるが、俺の目の前にいるのは愛しの人ではなく、可笑しな人だ。
「どうしたのですか? そんなに大声を出して」
「無事に辿り着くことが無理って、そんな試験がありますか? しかも、生死に係わることですよ?」
「なるほど、それでお怒りでしたか。しかし、私は最初に申し上げたはず、皆々様の覚悟に嘘偽りないか確かめるために全力で生き延びてもらいます。と」
「だから、それが可笑しいって――」
――待てよ。試験内容も変だけど、何か引っかかる。試験と言うからには、クレリックとしての適性試験をしているはずだ。そうなると、どんな手段を使っても生き残らなければならない。犠牲者を増やさないためのサポート役として――
「――あの、何か、武器や防具とかはないんですか? 俺達丸腰であの中に飛び込んでも、逃げ回ってばかりで食い殺されるのを待つだけ、俺は絶対に死ぬ訳にはいかないんです」
クレリックとしてサポート役に徹するためには、誰よりも長く生き延び続けなければならない。戦い続ける戦士がいる限り、決して倒れることが許されない職業。
それが【クレリック】。
爽やか残念イケメン君は俺の言葉を聞いた瞬間、少しだけ口角を上げた気がした。
「なるほど、生きるためにはそれなりの準備が必要ということですか。素晴らしい判断です。お二人のお名前は?」
「ワイの名前は、リュウオウや」
うん。何となく、そんな気はしていたよ。多分、その似非関西弁と何となく聞き覚えのあるような口調は、あのデスゲームに出て来るキ○オウさんじゃないかってさ。
まあ、外見とかは断然この人がマシだし、清潔感はあるけど、もしキ〇オウ好きでその名前と話し方にしているなら、頭の中はかなり痛いやつ確定。しかも、どうせ似非関西弁を使うなら、ずっと貫いてくれ。中途半端過ぎると、後から色々言われるかもしれないぞ。
「えっと、俺はエルシドって言います」
「リュウオウさんとエルシドさん……。では、お二人にはこの防具と盾をお貸しするので、あとはお好きなようにして、無事に生き延びてください」
手渡されたのは見るからに初期装備といった感じの防具と盾だ。結構使い古されているところを見ると、廃棄予定のものか、あるいは戦利品として手に入れたものか。どちらにしても、耐久力はそれほどなさそうだ。多分、かなり強烈なのを貰ったら、一撃で粉砕されてしまうだろう。
簡単に数値化してしまえば、こんな感じかな。
防具:レベル1
防御力:1
耐久力:1/100
盾:レベル1
防御力:1
耐久力:1/100
※これらの数値は、ゲーム好きな俺が何となく想像しただけで、実際に数値は存在致しません。
冗談はさて置き、これだけの装備では一度だけ攻撃を凌げれば良いくらいなのは確かだ。結局は絶対に生き延びる保証はない。
俺とサラリーマンは、心許ない防具を装着し、盾を片手に並び立った。脳内妄想では、二頭の竜が並び立っているイメージだけど、勘違い似非関西弁サラリーマンと、幸薄でダメンズな俺がカッコつけたところで、危ないおっさんが二人で中世ヨーロッパ風の防具を身に付けて粋がっているようにしか見えない。
「お似合いではないですか。ただ、お二人が防具を装着している間に、残りは200人程度まで減ってしまいましたね」
早すぎる。たった数分で100人近く食われてしまった計算になる。このまま人数が減れば、いずれここにいる俺まで食われてしまう。
もう、あれこれ考えて迷っている暇はない。
こう言ってしまうのは悪いと思うが、囮になる人がどんどん居なくなるということは、俺がターゲットにされてしまう可能性がたかくなるということだ。
「行くのか?」
覚悟を決めて駆け出そうとしたのに、サラリーマンに声を掛けられてしまった。
「そりゃあ、行きますよ? 行かないと俺たち食われるのを待つだけですからね」
「もし良ければ、一緒に残らないか?」
「何を言っているんですか? 普通に嫌ですよ。ここに残って食われるよりは、今のうちに扉に近づいた方がいいですから」
「ん? どうして、扉に向かうんだ?」
こいつは何を言い出すんだ?
俺は驚きのあまりに声が出なかった。
採用試験を始めるときに、あの扉を指さしていたことを分かっていないのだろうか。
そうこうしているうちに、多くの人たちがこの世界、いやこの世から姿を消していく。
サラリーマンの一言が俺の行動を鈍らせてしまったおかげで、完全にチャンスを逃してしまった。
一通り、食い尽くしてしまったアスモたちは、次の獲物はどこにいるのかと、キョロキョロと辺りを見回したのち、俺たちの姿に気づいた。
鱈腹食べただろうに、アスモたちは美味いものを見つけたと言わんばかりに、俺たちの下へと突っ込んでくる。
いつもこうだ。
一瞬の判断の遅さ。優柔不断さ。人の話ばかり聞いて、自分の意見がなく行動に移せない性格。それらが災いして、いつも最悪な目に遭う。
知っていても直らないのが、人の性格と言うのなら、俺は自分の性格を呪うだろう。
――ごめん聖菜。俺、ゲームオーバーだ……。