7話 『選択不可』
人生の選択を迫られてから、2つのグループに分かれた。
遊び半分、面白半分でエントリーしていた何の覚悟もしていなかった帰宅グループと、俺と同じように、人生の大勝負に出ようとしている人生崖っぷちグループだ。
俺も一人身で自由気ままに生きていたら、前者と同じように帰宅することを選んでいただろうが、結婚すると決めた以上、俺だけの人生ではない。
いや、人生は俺のものだけど、共に歩いてくれる人がいる以上無責任な行動ができないと言った方が正しいかもしれない。
俺は今まで、自分のやりたいことがあったのに、親父に大学に行けだの公務員になれだのと言われて、反抗することなく言われた通りの人生を送って来た。
結果的に、大学は中退したし公務員になれたわけでもなく、バイトと契約社員を行ったり来たりの堂々巡りをして来たわけで、何一つとして成果を得られていない。
20代前半のときは、ずっと親父のせいにして生きて来た俺だけど、結局最終的に決めたのは俺だし、全部の責任は俺にあった。
今回も俺は聖菜と結婚するためだと言っているけど、結婚式をしたいとか披露宴をしたいとか、聖菜に押し付けられたわけじゃない。俺が決めたことだ。
だから俺は、後ろに設置されている扉から帰っていく連中よりは、ちゃんとした覚悟を持ってここへ来たつもりだ。
なんてことを心の中で思いながら、帰宅する彼らの後姿を見送っているが、俺が求人誌を手にしてエントリーしたのは、興味本位でしただけだから、今尻尾を巻いてそそくさと帰っている連中と考えていたことは大差ない。
それでも俺は、聖菜と一緒に普通で良いから結婚式を挙げて、皆に祝福されて晴れやかな門出を演出したいのである。
それから5分ほど経った頃、帰宅グループは全員扉の向こうへと帰ってしまい、それ以上帰るものは現れなかった。一体どれだけの人間が残ったのだろうか。満員電車並みに密集していた人口密度も、過疎化が進む商店街並みに減ってしまっていた。
だだっ広い草原なだけに、俺が思っているほど減っているとは思えないが、ライバルがかなり減ってくれたようだ。
「さて、今ここに残っている者たちは、これから試験を受ける覚悟があると思ってよな?」
騎士が、試験のときを今か今かと待ちわびていた俺たちに対して訊いてきた。
もちろん、ここに残っている時点で俺たちの覚悟は決まっている。誰の顔を見ても、最初にここへ来たときとはまるで別人だ。これはかなり手強そうだ。
「よし、それでは今より我々の騎士団で、共に戦ってもらう勇士を見定めるための試験を開始する」
騎士がそう言うと、入れ替わるように爽やか残念イケメン君が前に出て来た。
「この場にお集まりの皆々様、先ほどは、誠に申し訳ございませんでした。これより試験内容について、ご説明いたします。あちらに準備いたしました扉をご確認ください」
――ん? ご覧くださいってどれのことだ?
爽やか残念イケメン君が指差した方を見たが、俺の目には果てしなく続いている草原と相変わらず美味しそうに食事を楽しんでいる草食動物の姿しか見えない。
「おい! あそこだ!」
上下迷彩服を着た男が双眼鏡越しに扉を見つけたらしく、大声で叫んでいる。ありゃあ、戦争オタクか単純に自衛隊員か、そういった類の人だろう。出来れば、前者であることを願いたい。自衛隊員なんていたら、日雇いだけして来た俺に勝てる要素なんてミジンコほどもないからだ。
双眼鏡を使わなければ見えないほどの距離に設置しているとは、一体何を考えているのだろうか。やっぱり何を見ても試験の内容なんて想像できない。
「可笑しな眼鏡の方、ありがとうございます。扉があることをご確認いただけましたところで、試験を始めて頂きます。試験内容はただ一つ、皆々様の覚悟に嘘偽りがないか示すために全力で生き延びてください」
爽やか残念イケメン君は、そう告げ終えるとパンッと、両手を打ち鳴らして試験開始の合図を送った。すると、ほとんどの人たちが一斉に肉眼では確認できないほど遠くにある扉に向かって走り出した。
当然、俺も後に続いて走り出すべきなのだが、こんなのどかな場所で生き延びてくださいと言うのは、腑に落ちない。無事に生き延びてくださいと言うのであれば、それなりに危険を伴うということだからだ。
何せ、俺の左腕がここへ来てからずっと疼いている。つまり、何かしらの危険があるということ。こんなことを人に言えば、ドン引きされるか、馬鹿にされて終わりそうだが、この左腕が疼き出したときは基本的に悪いことしか起こらない。
分かっていても回避できないところが、とても残念なことなのだが、こういう時は不用意に動かない方が良い。
そして俺は一つだけ思いついた。
恐らく、今皆が必死こいて走っているあの場所には――
「――地雷が仕掛けられているかも知れないな」
ちょっと待て、それは俺が思いついたことだぞ。せっかく俺の知的かつ勘の良さをアピールするタイミングだっただろうが。
俺と同じく、走り出さずに留まっていた似非関西弁で捲し立てていたサラリーマンが、得意げな顔をして、俺のセリフを掻っ攫って行った。
「地雷とは言っても、地雷の代わりになる何かを忍ばせているに違いないだろうな。ここの世界にどれだけの技術があるか分からないが、恐らくそうだろう。君もそう思わないかい?」
「え? ああ、そうですね。俺も地雷っぽいものがあるんじゃないかなとは思いますけど」
言われてみれば、個々の世界の技術力がどれだけ凄いのか知らないな。あんなハイテクな求人誌を作るくらいだから、相当な技術を持っているに違いないと思うのだけど、地雷の代わりになるものとはなんだろうか。
これだけ広いのと、採用試験までに数か月を要していたことを考えると、原始的な落とし穴とか、そこら辺だろう。
とにかく今は、様子を見てみるか。
「邪魔するな!」
「うるさい! お前が邪魔だ!」
何となく予想はしていたけど、ライバル同士の足の引っ張り合いが始まってしまった。
採用人数が20人ということを考えれば、必死になるのも頷けるが、他人は蹴落としてでも上に上がろうという、現代社会の構図を見ているような気がして、少し萎えてきた。
「みっともないな」
「同感ですね」
サラリーマンの独り言っぽいけど、見ている以外に特にすることがないから返事をしてみた。さっきの勇敢な行動をしていたサラリーマンは、状況もしっかり考えているし、あの行動で発言力がある事もアピールできている。そう考えると、一歩リードしているの、このサラリーマンだろう。
俺が上司なら部下にしたくないけどね。
まあ、あの言い方をされると扱いにくい新人とか言われて、煙たがられそうな気もするけど、文句をぐちぐちと言っているだけの連中よりは高評価か。
「う、うわあああ!」
サラリーマンに気をとられていると、早速何かが始まったようだ。爆発音も聞こえなければ、落とし穴に落下したような落下音も聞こえない。正直言って、嫌な予感しかしない。
恐る恐る前を見てみると、絶叫しながら逃げ惑う人たちと、それを楽し気に追いかけている草食動物の姿があった。
いやいやいや、確かに追い掛けられたら逃げるのも分かるけど、相手は羊みたいな草食動物でしょ? あんなに絶叫して逃げることないでしょうに。
「……君にはあの動物が何に見える?」
サラリーマンが何やら青ざめた顔をして訊いてきた。
「何って、羊とかそんな感じの草食動物に見えますけど?」
「草食動物にあんな鋭い牙があるのか?」
「え?」
俺は慌てて、人々を追いかけ回す草食動物の顔を目が飛び出そうになるくらいに凝視する。少し遠くて見えづらいが、モフモフとした体毛の先にある顔は、狼のそれだった。ガパッと大口を開いて追い掛け回している様は、草食動物とは程遠い、肉食動物。
「何だよ、あれ……」
無理だ。あんな化け物が隠れる場所もないだだっ広い草原で、放し飼いにされているなんて逃げ切れるはずがない。試験官たちは何を考えているんだ。
ここで俺が考える選択肢は3つ。
1.この場に留まる
2.みんなが囮になっている間に、全力で駆け抜ける
3.まだ後ろに残されている帰宅用の扉から逃げ帰るか
この場に留まれば、試験を終わらせることができないし、皆を囮にして全力疾走するとしても、あんな遠くにある扉まで体力が続く自信はない。そうなれば、帰宅用の扉から逃げ帰るしかない。
――よし、俺は生きることを最優先するぞ。こんな無謀なことに命を懸けて死ぬ訳にはいかないからな。
俺は、後ろ髪を引かれる思いで帰宅用の扉へと向かう。引かれる後ろ髪はないけど。
しかし、振り返った俺の目に映ったのは、帰宅用の扉に群がる化け物たち。
モンスターバトルゲームで勝ち目のない相手に対し、「にげる」を選択したのにも関わらず、「このバトルから逃げることはできない」と、絶望的な返しをされたような気分だ。
――どうする? どうすんの、俺?!