5話 『試験会場』
扉を抜けると、雲ひとつ無い晴天の空と果てしなく続く草原が広がっていた。
国民的アニメに出てくる青狸が使っていた、どこにでも行ける扉じゃあるまいし、次から次へと違うところへ行かされても理解が追いつかない。
とりあえず、騎士が言っていたような、見れば分かる試験ではないことは確かだ。
「それにしても、綺麗なところだなぁ」
都会育ちで、高層ビルやらアスファルトやら、人工物ばかり見て来た俺にとって「ザ・自然!」という感じの光景は新鮮に感じる。
「……空気も美味ぇ!」
一旦、落ち着こうとして深呼吸したら、あまりの美味しさに涙が出そうになった。いつも、車の往来が激しい排気ガスだらけの場所で過ごしていたから、こんなに体に良い空気を吸ったことがない。
――こんなに綺麗なところだったら、聖菜も一緒に連れてきたいな。
なんてことを考えていたら、なにやら動く物体がいることに気がついた。見た感じはモフモフした白い毛並みをした羊みたいな草食動物っぽい。しかも、かなり美味しそうに草を食べている。
もしかしたら、異世界というだけあって結構美味しい草が生えているのかもしれない。空気も美味しかったし、試しに食べてみるか。
なんとなく興味本位で草を千切って食べてみようとした瞬間、草原しかなかった場所に次々と人が現れ始めた。
突然のことに俺は、ただただ呆然と見ていることしかできなかった。
「やっと採用試験か。何か月待たせるんだよ」
俺の横に現れた30代くらいのサラリーマン風の男が、少し苛立った口調で小言を漏らしている。男の言葉からして、急に現れた人たちは俺と同じく採用試験を受けに来たのだろう。
俺が最後のエントリーだったことを考えると、最初に面接を受けた人はどれだけこの日を待っていたのだろうか。早く安定した就職先を探して、躍起になっている人だったら、数か月も待っていられないし、普通に就職先を見つけていても不思議じゃない。
「急に招集するとはどういうことだ!? 社会人なら連絡の一つくらいするのが常識というものだろう! こっちは大事な商談があるんだ、早く帰してくれ!」
やっぱり、そうなるよな。どう考えても、就職先が決まっている人がいるに決まっている。そりゃあ、突発的に招集されたら怒るだろうに。
あっという間に、多くの人たちで埋め尽くされた草原で、大半の人々が文句を言い始めている。「早く始めろ!」と、やたら気が立っている奴らは、多分俺と同じで就職難民たちなのだろう。気持ちは良く分かるけど、ギャーギャー喚いてもみっともないだけだ。
それにしても、俺の見えている範囲には男しかいない。やっぱり【異世界求人ニーチュ】なんていう得体の知れない求人誌に手を伸ばすのは、「何歳になっても心は少年だ!」とか思っている俺みたいな男たちしかいないのだろうか。
そう考えると、何だか憂鬱になってきた。
「いい加減にしろよ! いつまで待たせるつもりだ!」
「そうだ、そうだ! 早くしろ!」
散々待たされた挙句に、ここへ来て誰も対応してくれないとなれば、怒りも収まらないよなぁ。
怒りに狂った人たちの様子を黙って眺めていると、
「静まれ!」
騒つく人々に図太い男の声が一喝した。
爆音のような一声は、人々の声を掻き消し、一瞬にして沈黙の状態を作り上げてしまった。
俺もかなり驚いて、体をビクッとさせてちょっと恥ずかしい思いをしたけど、誰も気づいていない。それはそれで、笑ってもらった方が良いんだけど。
しんと静まり返った草原に一段と大きな扉が現れると、そこから1人の男が現れた。
「貴様らが今どのような心境で、文句の一つや二つ言いたいことがあるかも知れんが、やる気がないのならば、即刻立ち去った方が身のためだぞ!」
再び、図太い声の男が話し始めた。
――さっきの怒号はあいつか、声もデカいけど見た目も全体的にデカいな。
身長2メートルは超えるのではないかと思うほどの大男。プロレスラー並みの大きな体に、厳つい鋼の鎧を身に纏っていて威圧感たっぷり。口調からして、結構体育会系っぽい感じはする。
「もう一度だけ言う! ここから先、貴様らの命の保証はない。中途半端な気持ちでこの場にいる者、命が惜しい者は直ちに立ち去れ!」
いやいやいや、これって採用試験だよね? 命の保証はないってどういうことですの?
確かに求人誌に書かれていた給料とか見ると、結構いい感じだったし、戦闘1回ごとに特別報酬的なのが書かれてあった気はするけど、本採用決まってないのに命の危険性アリって、どんだけぇ。
あまりの理不尽さに動揺して、かなり昔のギャグをぶちかましてしまったけど、絶対に普通じゃない。どこかで観たようなデスゲームをさせるつもりなのか?
「死ぬのはごめんだ!」「馬鹿馬鹿しい!」「ぼく……帰らせてもらいます」
周りの人たちはどんどんリタイア宣言し始めた。誰でもそうするに決まっている。もちろん、俺だって願い下げだ。結婚資金を貯めるためとはいえ、採用されるかどうかも分からない状況で、命を張る訳にはいかないからな。
「まったく……、君って人は少し脅かしすぎじゃないですか? また、志願者が居なくなったらどうするつもりです?」
リタイア宣言しようとしたら、大男を諭すように扉から現れた別の男が話しかけたせいで、タイミングを逃してしまった。
眼窩にはめ込むタイプの片眼鏡を着用している如何にも秀才という感じの男。単細胞筋肉馬鹿っぽい大男と比べると、知略タイプの頭脳戦が得意だろうと俺は推測した。
だみ声の俺と違って、結構爽やかな声をしているし、顔も結構イケメンっぽい。暑苦しい大男よりはモテそうだし、トータル的に考えても爽やかイケメン君に軍配が上がるな。
大体、こういう正反対の2人は仲が悪いっていうのが定番だけど、この2人はどうだろうか。
「知った事か! やる気の無い奴らは必要ない! 一番中途半端なのが迷惑だ!」
「確かにそれは一理あるかもしれないですけど、僕がどれだけ素晴らしい作戦を考えても、良い駒が揃わなくては、勝率が下がってしまいます。まあ、僕がいる限りどんなに使えない駒だったとしても、敗北はあり得ない話ですけど」
「なんだ、なんだぁ? 次の作戦に失敗した時の言い訳に聞こえるのは気のせいかぁ?」
「君の方こそ、ここにいる全員を守り抜く自信が無いから、脅している様にしか見えないですけど、何か反論できますか?」
「なんだと?」
「なんですか?」
予想的中。互いの額を押し付け睨み合っているところを見ても水と油のような関係に違いない。
それはそれで良いけど、俺もこれから日雇いの仕事があるし、喧嘩をするなら他所でやってもらいたい。
「いい加減にしなさい!」
丁度そこへ金髪美女が現れ、見事な開脚から2人の脳天へ踵落としを決めた。角度が悪くてパンツは見えなかったが、かなり綺麗な足をしている。脚フェチという訳ではないが、そう思えるほどの美脚だ。近くにいる人たちを見ても、さっきまでの怒りはどこへ行ったのかと思うほどに鼻の下を伸ばして、金髪美女に釘付けになっている。
聖菜には悪いと思いつつ、滅多にお目に掛かれない美女がどうするのか、じっくりと見させてもらうことにした。
「何であなた達は、いつも顔を合わせる度に喧嘩になるの?」
「す、済まない。今日は君のその美しい瞳に免じて、この臆病者を許してやってもいいよ」
金髪美女の手を取り、真っ白な歯を輝かせ、爽やかな笑顔で言っているところを見ると、爽やかイケメン君は予想外にプレイボーイかもしれない。ただ、頭に大きなたんこぶを作って涙目になっているのは、かなりカッコ悪い。それに比べると、大男は凄い。同じように強烈な踵落としをくらったはずなのに、たんこぶがないどころか、全然痛そうにしていない。見た目通り打たれ強いみたいだ。
「誰が臆病者だって? この色ボケ眼鏡!」
「色ボケ眼鏡って、僕のことを言っているんですか?」
爽やかな笑顔を引き攣らせ、目尻をピクリとさせている。もしかすると、「色ボケ眼鏡」と言われるのは本気で嫌なのかもしれない。なんとなく、残念な感じがしたから、爽やかイケメン君改め、爽やか残念イケメン君と命名することにした。
「お前みたいな色ボケ眼鏡がいるから、腑抜けた志願者ばかりが集まるんだろう?」
「僕のせいですか?! あなたが脅すから、また人を集めないといけなくなったんですよ!?」
せっかく金髪美女が止めに来てくれたのに、結局振出しに戻って喧嘩を始めてしまった。このまま金髪美女を眺めていても良いとは思うが、俺には時間の余裕がない。
本当なら、命の危険性があると大男が大袈裟に言っていたかもしれないから、試験内容を確認して、受けるか止めるか決めるつもりだったが、これ以上は茶番に付き合っていられない。
「時は金なり。金髪美女の美脚も拝めたし、命あっての物種だから元の世界に帰らせてもらいますか」
元の世界に帰ろうと扉を探していると、俺の横にいたサラリーマン風の男が人混みを掻き分けて3人の下へ歩いて行くのが見えた。もしかしたら、あの人が話を進めてくれるかもしれない。
こういう場面で発言する勇気がない俺は、最後の望みを勇気あるサラリーマンに託して、その勇姿を見届けることにした。