少女マンガが来たッ!!
「いっけねぇ! 遅刻、遅刻!」
そう言って玄関のドアを飛び出る。男子高校生ともなればこんな光景は日常茶飯事であろう。
深夜番組、ゲーム、今や動画サイトやそれらを楽しむ端末まで発展した世の中。退屈な時間を潰す方法などいくらでもある。
彼、真木 小希も昨夜はスマホで動画を流しながらゲームを夜遅くまでしていた。このような事になっても何一つ不思議は無い。
一軒家を今まさに飛び出し、道路に出たまさにその時、不思議は突然やってくる。
「どぁッ!?」
「ぐぎゃ!」
そう、遅刻しそうな彼は家の敷地を出る際に交差するように右手から走って来た誰かとぶつかり、地面
に転げた。
「イテテテテ……って、うわぁッ!! 汚ねぇッ!!」
身体を起こすと、小希の腹部には茶色い無数の豆とペースト状の何かが絡み付いていた。
「な、なんだコレ……なんだ、これ……」
間違いない、これは日本の朝食、まごうこと無き納豆だ。しかし突然の事に小希はそれが何か認識出来ないでいた。決して納豆を知らずに育った訳では無い。
「ちょっと! 何処見て歩いてんのよッ!!」
制服に、身体に絡みつく日本を代表する発酵食品に戸惑っていると、先に立ち上がった人物に声を掛けられた。
「って……志意!?」
ピンク色の髪の毛を肩口で切りそろえ、無事に手に残った分の納豆トーストを頬張りながらそう言った彼女は鹿島 志意。小希の真正面の家に住む幼なじみだ。
そう、正面の家に……
「なんで真正面の家に住んでるヤツが横から飛び出てきたんだよッ!? しかも何納豆トーストって! 遅刻しそうなヤツが食べるもんじゃねぇだろッ!! 何追加で納豆盛ってるんだよ!」
相手が志意と分かった途端、怒りがこみ上げて来たのだろう、小希はブレザーに付いた納豆をかき集め、握りつぶしながらそう訴える。
ぬちィ――――
不快感を覚える音が辺りに漏れた。
「何よ、日本人の心を忘れまいと、遅刻しそうになっても納豆を食べてるのよ、臭いとか一切気にせず」
「気にしろ! 仮にも女子高生だろ!」
小希はあまりの怒りに左右の手をすり合わせ、納豆を練りながら怒りの声を上げる。
正直、志意が女らしさの欠落した者である事に対してでは無く、自身に納豆が付いた事に対しての怒りだろうが、矛先を変え、とりあえず怒りたいのだろう。実に男子高校生だ。
その咆哮と手の中の納豆に怒りをぶつけた事で少し冷静になったのか、ハァ、と大きくため息を吐くと、左右の手を練り合わせながら落ち着いた調子で口を開いた。
「んで、納豆は分かったけどさ、なんでお前が家を横切るんだよ? お前ん家あっちだろ?」
そう言って小希が真っ直ぐ先を納豆だらけの手で指差す。
「うん」
志意は納豆トーストを頬張りながら志意も頷く。
「んでバス停はあっちだろ?」
小希が向かって右を指差させば、
「うん」
その方向を見て志意は頷く。
「じゃあ何があってお前は右側から走ってきたんだよ?」
「え? 時空の歪み?」
「時空まで歪ませて空間まで転移させるなんてずいぶん大仰な納豆トーストの食い方したんだなァッ!!」
残りのトーストを口に押し込みながら興味無さそうに言った志意。もはや彼女の奇行は今に始まった事では無い。あるいは納豆トーストには時空の歪みを発現させるほどの何かがあるのかもしれない。そう自
分を納得させ、遅刻は決まっていながらも、学校へと向かおうと小希が立ち上がろうとしたその時、
「一つ前の質問、私がお答えしましょう」
「あ、天使じゃん」
「天使ィッ!?」
目の前に現れたのは金髪眼鏡の、トガと呼ばれるローマ時代に流行った白い布を巻くだけの民族衣装を纏った、白い羽の生えた成人男性だった。そんなトガなんて民族衣装どうでも良くなるくらいのインパクトを放つ羽が、背中から生えている。
志意が目の前の成人男性を天使と勘違いしても仕方が無い事だった。
「いや、ちょっと天使とは違うんですけど」
しかしそれを訂正しようと手をパタパタと振りながら眼鏡男子が言うも、
「マジかよ……ちょっと小希、こいつただの変態よ」
「し! 変態を刺激すると何をされるか分からんぞ、志意……」
それが裏目に出、人の子である二人は後ずさりながらこそこそと耳打ちをし始める。
「そんな! 酷いですよ! 僕は天使じゃなくて、ただのこの世界の精霊なんです!」
「なんだ、それならそうと早く言ってくれればいいじゃない」
「いや、天使がNGで精霊はオッケーなお前の判断基準も随分謎なんだけど!」
そんな小希のツッコミを他所に、志意は何故か納得した様子で金髪眼鏡と握手を交わす。
「まぁまぁ、とりあえずは話を聞いてください。私は……」
そう言いながら笑顔を浮かべ、精霊を名乗る男が今度は納豆を食らってから倒れっぱなしの小希に手を伸ばし、
「………………」
一瞬固まった後、手を引っ込めた。
「で、何故志意さんが家とは別の方向から現れたのかと言うと」
「納豆が嫌だったんだろ! そう言えよッ!!」
突如真顔になり、手を引っ込めた自称天使に、嘆きの言葉を吐き出す小希。
あんまりにも絵面がアレなんで、との話になり、遅刻も確定していたので一旦小希は家で手を洗ってくる事にした。中々取れない滑りを食器洗い用洗剤で洗い、手がかぶれながらも何とか落とした小希はようやく話を聞きに玄関へと戻る。
「待たせたな」
「まぁまぁ、とりあえずは話を聞いてください。私は……」
そう言いながら笑顔を浮かべ、精霊を名乗る男が今度は納豆を食らってから倒れっぱなしの小希に手を伸ばし、
「え、何? これ収録かなんかなの!? 地の文まで同じく繰り返された!」
戻るや否や、先ほどまでの続きが切り取ったかのように始まった事に思わず声を荒げる。この男、朝から随分と張り切れる男である。
「そんなツッコミしつつ、しっかり握手する小希って案外真面目よね」
「ですねぇ」
フフン、と腕組をしながらにやける志意に、にこやかな笑みを浮かべる自称精霊。挨拶代わりの握手を終えたからか、表情を元に戻すと、本題に入った。
「で、先ほどの出来事ですが……と、その前に自己紹介を、私の名前はピペット駒込」
「ピペット!?」
「駒込ッ……!?」
学生である二人は驚愕する。名前が理科の実験で使う道具とあまりにも似たり寄ったり。人間でなら芸人でもいるかどうかなセンスの名前だというのに、これで精霊だという。
「何か、ありましたか?」
二人の驚愕の表情を受けても、何がおかしいのか分からない、と言ったような顔をするピペット駒込。
「いや、うん……続けていいわよ……」
「ど、どうぞ……」
名前の事をあんまり言っても失礼だ、と踏んだ二人は暴れ出しそうな顔の筋肉を必死に押さえつけ、話の続きをするよう促した。
その言葉を受け、ピペット駒込は頷き、眼鏡の位置を直すと再び話始める。
「では続きを……何故志意さんがあらぬ方向から駆けて来たか……それは、この世界を少女マンガ界が侵食し始めた事が原因なんです」
「いや、朝メシに納豆トースト食べるヒロインとか無いわ……」
「ハハ、小希は疎いわね! 昨今の少女マンガのヒロインは頭に芋けんぴ付けてんのよ!」
「いや、あの驚きとか無いんですか……?」
自分が言った衝撃の発言に、疑いも無くあらぬ方向の訴えをする二人に、ピペット駒込は表情を引きつらせる。
「あ、待てよ! ってことは少女マンガの侵食が進めば、コイツも普通のトーストとか食べるようになるって事か?」
「あの、だからですね……」
「なんないわよ! 私の周りにイケメンが溢れるとか、やたら友達が援交始めるとか、あるとしたらそんくらいの変化じゃないの?」
「いや、お前納豆トースト朝から食ってるお前がメイン・ヒロインでは無い確率の方が高く無いか?」
「いやだから来てるんだって! 芋けんぴ付けてるくらいなら納豆トーストとか個性あるもの食べてるくらいの変わりばえぶりが丁度いいじゃないのよ!」
「話聞いてぇえええぇッ!!」
あまりにも本筋から外れた方向に行く二人に、ピペット駒込は泣きながらメガホンハンドでそう叫び、住宅街にその悲しみの遠吠えは木霊した。
「わ、悪かったよ……聞く! 聞くから泣くな!」
「そうよ、あんまり泣くと白地だから濡れてちくび透けるわよ?」
なんとなく励まされてる気がしない声掛けだが、とりあえず話は聞いてもらえる事になったのでピペットは泣き止んだ。色白の所為もあろう、乳首は透けてなかった。
「えっと……ですね。世の中には色んなジャンルがあるじゃないですか。少女マンガもそうだし、ホラー
ゲーム、推理小説、アクション映画、ハーレムアニメとかって」
「ふんふん」
「続けて続けて」
「けれど昨今、色々なジャンルに置いて、飽和状態といいますか、『あ~、これ前に似たようなの見たわ~』みたいな声って良く聞くようになりましたよね?」
「まぁ、一理あるな」
「そう言った側面もあるわね」
「で、居場所が無くなった別ジャンルの住人たちが! 他のジャンルの世界に攻め入ってくるようになってしまったんですよ! そして今この世界には少女マンガの世界から侵略者が来ている。その結果がさっきの志意さんです、知らず知らずのうちに、本来はしないような少女マンガ的な行動を取るようになってしまっているんです!」
「なるほど、メニューはともかくとして行動は確かに少女マンガ的かも知れないな。メニューはともかくとして」
うんうんと瞳を閉じ、深く、何度も頷く小希。
「つまり私は一癖あるメイン・ヒロインとして認められたという訳ね。まぁ、メイン・ヒロインと言えば無個性気味のボブカットと相場が決まっているものね。えぇ、私も分かっていてそうしている部分も無くは無いわ」
都合のいいように受け取り、小希と同じ様に頷く志意。
「え、えぇ、そうですね。と、いう訳で! 小希くんにはこの世界に侵入した異世界の住人達から力を奪って欲しいんです!」
あまり構っていられるヒマも無いとの事で、ピペットは志意の言う事に頷き、小希に本題を切り込む。
「おい、待てピペット。今私の事無いがしろにしたろ? メイン・ヒロインである私を?」
「メイン・ヒロインは精霊の肩を掴んでメンチ切ったりしないと思うんです……」
しかしそれを許さなかった志意に再び絡まれ、裏目に出る結果になってしまう。
そして志意とは別に自分に面倒事が押し付けられるとあっては小希も黙ってはいない。
「おいおい、ちょっと待て。志意のヒロイン資質の問題はともかく、なんで俺がそんな事しなきゃならんのだ」
ここに来てようやく小希が自分の役割に対しては疑問を口にする。確かにこの世界の数多いる人間の中から自分が選ばれ、面倒な事を押し付けられる。どの主人公もそうだが、こんな面倒な事、遊びたい盛りの高校生が本来請け負うはずが無い。
ここでもっともな理由を付きつけ、仕方なくその仕事を請け負うものだが……
「えっと、たまたま僕の近所に住んでたから」
しかし肩を捕まれたままの精霊が笑顔で言ったのは、納得するに出来ない理由だった。
「「………………」」
それには少なからず期待していた志意と、そもそも引き受けたく無い小希は言葉を失うより他無かった。そして何気なしにスマホの画面を覗くと、
「……って、志意! お前、もう次のバス出るぞ!」
「あ、マジだわ」
気が付けば次のバスの到着時間が差し迫っていた。
「悪い、ピペット! 俺ら次のバス逃がすと授業にも遅れちまうから行くわ!」
小希が志意の後ろ襟を掴み、駆け出す。
「じゃあな、ピペット」
そして後ろ襟をつかまれ、襟が引っ張られ殆ど首が無い様な見てくれで引きずられながらも、志意はピペット駒込に手を振った。
「って、お前は自分で走れッ!!」
「仕方無いわねぇ」
「分かりました、では、後ほど」
眼鏡の位置を直しながら、ピペットは二人の背中を見送った。
と、そんな訳で、結局この世界に来た異世界からの侵入者云々の話はうやむやなまま、二人は学校へと辿り着いた。
「いやー、しかし参った……ブレザークリーニング出さないとな……」
納豆まみれになった小希はブレザーの変わりにカーディガンを羽織って来ていた。本来なら校則違反ではあるが、県立高校、県内中の下程度の普通科、鳳陽がくえんではそんな事では文句は言われない。
「まぁ、臭かったし丁度良かったんじゃない?」
「臭かったのはお前が納豆トーストぶちまけたせいだろ……」
バスに乗ってここまで来たが、時間が経とうが志意に反省の色は無い。
そんなやりとりをしながら二人が教室に辿り着いた頃、ホームルームはとっくに終わっていた。騒がしさがそれを証明しているのだが、どうにもクラスメイトの配置がおかしい。
普段であれば多少の塊方はあるにしても、各自散らばっていると思うのだが、今日に限っては一箇所に集まっていた。
「何? 私の席でも無いのにどうしたのかしら?」
「未だかつてお前の机にクラスメイトが群がっていた事など無いがな……」
そんな光景を見てもいつも通りの二人、その背後に現れたのは……
「あれがおそらく、異世界からの侵入者です」
「お、お前はッ!」
「ビーカーイワキ!」
「確かにそれも実験用具ですけどもッ!!」
振り向くと即座に志意につっこむピペット駒込の姿が。そして彼がここにいる事に加え、二人を驚かせたのはその格好だ。
「アンタ! 何処のブルセラショップでその制服を買って来やがったのよッ!? しかも男モノとかニッチねッ!!」
「いや、まずは入手経路じゃなくこの格好とコイツがここに居る事を驚けよッ!!」
そう、ピペット駒込は鳳陽学園の制服を身に纏い、ここ、鳳陽学園一年二組の教室前の廊下にいたのだ。
「イチイチ驚きを別のベクトルに持ってくのが好きですね、志意さん……」
「うん。あとさ、あんた背中の羽どこいったの?」
「あぁ、むしろあれ付けてただけなんで」
「確かに、今精霊っぽさ微塵も無いもんな……」
金髪碧眼の眼鏡男子……やろうと思えば誰でも出来るは出来る見た目に、ピペットも精霊という非常識な存在を信じて貰う努力をしていたのだなぁ、と小希と志意は少し不憫な気持ちになった。
「まぁいいや。とにかく、今あの人ごみを作っている人物、それこそが異世界からの侵略者です」
「な、何だとッ!」
「ッ!」
話半分で聞いていた事だが、実際に目の前にいるとなると二人の表情にも真剣味が増した。
「どうやらここへは転校生という事で紛れ込んだようですね。早速ヒロイン力を発揮して人気者になったようです」
「そうか、なら私が上履きに画鋲から始め、体育着に落書き、制服に納豆など……陰湿なモノを仕掛けつつ、友達としてその相談に乗り、最後は犯人は相談相手だったという絶望に叩き落してやるとするわ!」
「自称とはいえヒロインが口にする事じゃねぇッ!!」
口角を吊り上げ、魔女の笑みで陰湿さにまみれたアイディアを提案する志意に頭を抱える小希。しかしその様子を見てピペット駒込が焦ったように表情を歪めると、ゆびぱっちんをする。
「ん? 何してんのよ、ピペット?」
突然の行為に首を傾げる志意に小希。しかしピペットは真剣に話を続ける。
「志意さん、今一度やってきたヒロインにする仕打ちを想像してみて下さい」
「はぁ? 何度も言わせんじゃないわよ。どうしてもっていうなら三回廻って『牛丼、露だく牛抜きで、領収書お願いします』って言え」
メイン・ヒロインの発するその言葉を受けたピペットは大きなため息を吐き、首を横に振るとその場で三回廻り、
「牛丼、露だく牛抜きで、領収書お願いします」
と、言った。
「やるんかいッ!!」
「では、仕打ちをする事を想像して貰っていいですか?」
廻った事による眼鏡のズレを直しながら質問の答えを促す。
「しょうがないわね。上履きに納豆からはじめ、体育着には名前のところにひらがなで下の名前、制服の裏地には向かって左に虎の、右に龍の、そりゃ見事な刺繍をいれてやるわ! 全ての行動に納豆を擦り付けるという行動を付加してね!」
「って、あれ? 陰湿な事この上ないけどやり口がシュールになってる!」
「そうです。彼の人物の登場によって既に志意さんの思考にも影響が出てしまっているんです。先ほどのゆびぱっちんは志意さんをこちらの世界の頃の思考に戻させて貰ったものです」
「ぐ……そんな事が、なんか悔しいったら無いわね」
「ジャンルが変わっても仕打ちをするという思考回路に影響が無い事に安心して良いやら、良くないやら……」
二人は別の部分に心配を覚えつつも、この問題に向き合わなければ、大変な事になるという実感は持てたようだ。
「兎に角、ここまで本格的な介入を受けた以上、小希くんには頑張って頂きます。まずはこれを」
そういってピペット駒込が得意げに取り出したのはガラケー型の折りたたみ式端末。小希に手渡したそれの画面には何やらメモリのようなものが表示されている。
「これには対象の異世界色に染めるエネルギー、アナザーワールドエナジーが表示されます。なので私は穴沢爺と名付けました」
「響きだけでくっつけたから近所の年寄りみたいな感じになってるじゃねぇかッ!」
「このゲージを消費しきれば、相手は逆にこの世界の色に染まり、侵食する力は無くしてしまいます」
「なるほど……名前はともかく、ルールは把握した。けど、どうやったらそのアナザーワールドエナジーは消費させられるんだ?」
「確かにそうね? 逆立ちしてパンツ丸見えになりながら足の裏パチンパチンさせて『アンダルシアの夏! アンダルシアの夏!』とか白目むかせて言わせればいいのかしら?」
「イエス! 志意さん、ぱーふぇくッ!!」
「イエス! アイム、ぱーふぇくッ!!」
「え!? そんな難易度たけぇのッ!?」
互いにウインクをしながら、肩を跳ね上げサムズアップする二人。しかし当事者である小希からすれば一介の女子高生にそんな事をさせる事の難しさに目を白黒させる事に。
そんな小希にピペット駒込はキチンとした説明をする。
「いえ、先ほどの例は極端な例です。ようは相手側のキャラクター性から外れたこと、即ちこちらの世界らしい行動をさせれば言いのですよ」
「ちょっと待て! 逆立ちしてパンツ丸見えになりながら足の裏パチンパチンさせて『アンダルシアの夏! アンダルシアの夏!』って白目剥きながら言う事がこの世界らしいって、一体この世界がどんな世
界なのかが心配になるぞッ!!」
「え? 普通にギャグ小説の世界ですけど? 気付いてなかったんですか?」
「「は??」」
その言葉を聞いた途端、小希と志意の二人が固まった。
「やれやれ……そもそも納豆トースト食ったファンタジーでも無いのにピンク髪のヒロインとか、ギャグ以外にありえなく無いですか? 精霊にメンチ切るし……お二人の行動を鑑みればお分かりかと思ったんですがねぇ……ほら、ギャグ小説ってあんまり無いでしょう? だから空きがあるってんで他の世界から攻め入られている訳で」
「ピンク髪には淫乱ピンクって日常系の枠にも何人かいるだろうがッ!!」
「自分を淫乱とか貶める時点でギャグ世界とは言えメイン・ヒロインの資格があるか怪しいと思うんですけどォッ!!」
自分の幼なじみのはみ出方は世界の所為なのか、あるいは彼女が世界をこうしてしまったのか、そんな哲学的ともいえる苦悩に苛まれながらも、これが自分の役目だと言わんばかりに小希はツッコミを辞めなかった。
「まぁ、様は少女マンガらしからぬ、ギャグテイストな行動やあるいは小希くんのようなツッコミをさせるのでも構いません。あるいは精神的なダメージを大きく与えるか……兎に角侵略者にこの世界らしい行動を取らせるのが手っ取り早いかと。それと、ですが……相手側にこちらの正体がバレないように行動するように心掛けてください。笑わないぞ、と思っている人間を笑わせるのが難しいのと同じように、警戒心を持たれてはやり難くなるのは必至です。くれぐれも、そこに気をつけて……」
真剣な表情でそう言い、小希と志意の目を見つめ言い聞かせると、最後に初めて小希の家の前で出会った時のような微笑を見せる。
そこに外野から声が掛かる。
「おーい、駒込ッー!! 次理科室だぞー!!」
「あッ、ごっめーん! 忘れてたわッー!! 先行っといて!」
「って、お前ガッツリここの生徒だったのかよッ!!」
「え、まぁ。お二人より一つ上の二年生ですけどね!」
ウインクを一つ残し、ブレザーをヒラヒラと躍らせながら駆けて行くピペット駒込の背中を、小希と志意は見つめていた。
「あいつ、出席取る時も先生に『ピペット駒込ー』って呼ばれてんのかしら?」
「な、理科の授業とか絶対みんなクスクスするよな……」
呆然としてしばらく二人ピペットの背中を見ていると、廊下を走っていたところを先生に見つかり、普通に注意を受けていた。
ピペット駒込が授業に行かなくてはならない、という事は当然小希達にも授業はあるという事で、二人は席へと着いた。
しかしそこで衝撃の出来事が……
(なんでよりにもよって隣なんだよ……)
「あ、ホームルーム、来てなかったよね? 突然でびっくりしたと思うけど、私、早乙女 絵々(さおとめ かいえ)。昨日この町に越して来たの、よろしくね!」
そう眩しいまでの笑顔で言った絵々。言っちゃなんだがやはり住む世界が違うだけあって、かわいいとか綺麗とかの前に、纏うオーラ的なものが別物だと理解させられる。
「あ、俺は真木 小希、よろしく」
不覚にも顔を赤らめ、普通な挨拶を交わしてしまう小希だったが、幾らかの人の壁を挟んだ斜め前、そこから凄まじい殺気を感じ、その発信源に視線を向ける。
「……………………」
そこにはピンク髪の悪魔がいた。かつて視線で呪いを掛ける事を邪視と言ったらしいが、全く読んで字の如く、邪悪なる視線と呼ぶに相応しい視線とばっちり目を合わせてしまった。
ある意味それで気を取り直せたという事に本来は感謝すべきなのだろうが、小希は絵々と志意を比べ、あまりの差に志意が不憫に感じてしまった。
「ど、どしたの……あの、子? ず、随分君に興味を持っているみたいだけど……」
流石の絵々もそれを見てニコリとは出来なかった様で、張り詰めた顔の筋肉で持ってむりくりに笑顔を作り、頬を白く細い人差し指で掻いた。
そんな反応に志意には無い女の子らしさを感じつつも、その志意の女の子らしさを感じない視線に恐怖を感じ、何かしらアクションを起こさなければと思い至る。
「あぁ、あいつはさ……ちょっと、複雑なんだ」
「ふ、複雑?」
小希の言葉に、絵々は表情を曇らせた。
「あぁ、あいつは生まれてすぐに森に捨てられたんだ。実の親にな。そして一人孤独に泣いている所を、ウミウシに拾われ、育てられた」
「えぇ! 森なのに!?」
曇らせたその表情、しかし突拍子も無く語られた志意の過去に驚き、思わず授業中だというのに、絵々は声を荒げてしまい、慌てて両の手で口を塞ぐ。
しかしここぞとばかりに小希は周囲に聞こえない様、話を続ける。
「あぁ、知らないか? 陸ウミウシ。まぁ発見されて間もないからな……ほら、見てみろよ、あいつの髪、ウミウシみたいだろ?」
「え、えっと……う、うん、言われてみればウミウシみたいに……派手だけど……」
「それがあいつの出生を証明している。考えても見てくれ、もし逆に早乙女が突然、ウミウシだらけの学校に放り込まれたら? あぁもなるだろう?」
「いや、まずウミウシだらけの学校とか想像付かないよ……」
時限を超越した小希の話に付いて行けず、双眸を手の平で多い俯く絵々。少女マンガのヒロインがここまでつっこんでいたら大したものだろう。
「いや、気にしなくて良い。しかし、これだけは分かってやって欲しい。自分をウミウシと思っている志意が、人間に囲まれたら、あんな風に敵意をむき出しにする事もあるって事を」
そしてその話が終わると、小希が板書をノートに写し始め、頭の中がハテナで埋め尽くされた絵々も、気を落ち着かせるためにノートを取ることにした。
その内容が頭に入って来たかは分からないが。
「って、事があってな」
「って事があってな、じゃねぇッーー!!」
「ふぉごォ!!」
先ほどの授業中の事を廊下に出、合流した志意に説明すると、小希に見事なボディブローが決まる。
「てめぇ何メイン・ヒロインの事ウミウシにしてくれてんじゃッ!!」
「す、すまん……それしか、思いつかなくて……」
フラフラとロッカーに手を突き、ぶれる視線をなんとか固定し気を失わないよう勤める。
「いや、むしろウミウシなんて良く思いつきましたね。正直それが咄嗟に出る小希さんに引きますわ……」
休み時間という事で、一年二組前の廊下にはピペットも訪れていた。
「とりあえずその間違いについては気を和ませるためのジョークって感じでちゃんと訂正しておきなさいよ?」
「そうですよ? 陸ウミウシは擬態の対象に土を選んでいるので、体の色は茶色です。だから志意さんの髪色には関係ないですから」
「私が訂正しろって言ってんのはそこじゃねぇーんだよッ!!」
「間違いは正さないといけないと思うのですぅー!!」
見当違いの方向に訂正を捉えていたピペットには蹴りツッコミが入り、ピペットは綺麗に飛び、リノリウムの廊下に倒れこむ。
それで気が済んだのか、志意は大きくため息を吐くと話を切り替える。
「んで、穴沢爺はどうなってんのよ?」
「お、おう、そうだったな……」
先ほど渡された端末で絵々のアナザーワールドエナジーを確認する。すると……
「ほほぅ、しっかり減らせていますね」
「本当だ!」
立ち上がったピペットと確認すると、確かに二割に満たない程だが、確かにゲージは減少していた。
「おぉ、このままウミウシで引っ張れば!」
「えぇ、やれますよ、小希くん!」
「だからそれは訂正して来いって言ってんでしょうがァッ!!」
二人して握り拳を作るも、やはり志意は譲らなかった。世界の命運がかかっていたとしても。
「と、とにかく、なんとかこのまま彼女のエナジーを削りきってください……きっと少女マンガ的発想の声掛けが多いと思うので、それをことごとく明後日の方向に返してやればいずれ力尽きるはず」
そんな話をピペットがしていると……
「真木くん!」
「ん……あ、あぁ、早乙女か」
振り向けばそこにターゲット登場。小希は勿論の事、志意とピペットにも緊張が走る。
「えっと、さっきの子と一緒にいるみたいだったから……自己紹介、まだだったよね? 私、早乙女 絵々、朝のホームルームいなかったみたいだったから、これからよろしくね!」
「え、あぁ……鹿島 志意です、よろしく」
丁寧にご挨拶に来た絵々に、思わず丁寧に挨拶を返す志意。それを見てお前は普通に挨拶するんかい、とピペットと小希が思ったのは言うまでも無い。しかしあれだけの暴力を受けたあとだ、そこに口を挟めるはずも無かった。
「えっと、さっき小希くんに面白い冗談を聞いて……だから志意ちゃんに興味が沸いたっていうのもあるんだけど、髪色、かわいいよね!」
わざわざ否定をせずともウミウシの件は冗談と分かっていたのか、少女マンガスタイルの屈託の無い笑みでそう聞いてくる。
「あぁ、これね! すあまばっか喰ってるとこうなるのよ!」
「そ、そうなの……? アハハ……」
頑張って絡みに来た転校生に対してこの答え。普通なら最低な女であろうが、目の前のこの女子力高めなこの少女は異世界からの侵略者なのだ。
「そうそう、ザリガニって鯖食うと体青くなるじゃん? あれと同じでー。けどここまでするのめっちゃ大変だったよー!」
しかしそんな事に心も痛める輩でも無いのも事実。平気な顔で、明るく、元気に志意は嘘を吐いている。
それを見て男二人は、「ウミウシあれだけ否定してたのに、ザリガニと同列はいいのかよ」と思ったのは言うまでも無い。
この休み時間の間、見た目には楽しそうに話していた志意と絵々だが、その実体は絵々の無理に作った笑顔と、志意の嘘だけで成り立っていたのだった。
あれから二限、三限と進み、徐々にではあるがエナジーの減少も見られたが、徐々にその減り方がなだらかになっていった。
そんな状況に頭を悩ませつつ、小希と志意の二人はまたも廊下のロッカーに寄りかかりながら作戦会議を開いている。
「芳しくないな」
「そうねぇ……」
それもそのはず、ファーストインプレッションというヤツは非常に強力で、不意打ちでウミウシの話などされれば、もちろん効果はてきめんなのだが、変わった人、という認識からつっこみを楽しんだり、面白い事を面白い事と受け止め始めてしまったのだ。
「ここで何か手を打たなきゃならんなァ……」
腕組をし、考えを巡らせる小希。そこへ、
「小希くん、志意さん!」
ピペット駒込が姿を現した。
「ちょっと、あんたさっきの休み時間は何やってたのよ?」
そう、一時間前の休み時間、ピペットは姿を現さなかった。一時間前は居ても居なくても気にしなかった二人だが、減りが悪くなってきた一コマ前の授業中から徐々に不安になってきて今になってピペットに責任を問う。やはりこのヒロイン、実に図太い。
「あぁ、すみません。体育の授業があったもんで」
しかし当のピペットは申し訳無さそうに苦笑いながら手を合わせ謝罪をすると、そこから続けた。
「しかし! 手は打ってあります。小希くん達、次の授業が体育ですよね?」
「え、あぁ……そっか、言われてみればそうだ」
「そうよ! 早く着替えなきゃ!」
穴沢爺の事が気になり、すっかり忘れていたが、二人はこの後体育の授業があり、この休み時間で着替
え、校庭まで出なくてはならないのだった。
「悪い、ピペット! 俺達着替えなきゃならんからまた後で!」
「早く着替えないと外周追加されるわ!」
そう言って教室へ戻ろうとした二人。しかし休み時間もそこそこに過ぎており、中から既に着替えを終
えた男子生徒が数人出てきた。
「なッ……!?」
「ちょ! あんた達、何着てるのよッ!?」
二人が驚愕したのも無理は無い。なんと男子生徒たちは体育着では無く、女子用のスクール水着に着替
えていたのだった。
言葉を失った小希はさて置き、つっこんだ志意の言葉に振り返った者、曰く。
「え、何言ってんだよ? 次は体育だろ? お前らも早く着替えて校庭出ないと遅刻で外周追加されるぞ?」
と、さも当たり前かのようにそのスクール水着姿で言ってのける。
当然女性用なので股間の辺りはみっちりとしており、少し無茶が感じられる。そしてなにより股を彩る毛の群が汚ねぇ事極まり無い。
「「………………」」
唖然とする小希と志意を置いて、男子生徒一向は階段へと姿を消していってしまう。
「どうです? まずは小手調べに、この世界の体育着の概念を変えてみました!」
とサムズアップするピペット。
「じょ、冗談じゃねぇ! って事は俺もあれ着て校庭行くのかよッ!!」
「えぇ、当たり前じゃないですか。この世界ではあれが普通なんです。逆に一人で普通の体育着着てたら、それこそ変態扱いですよ? 今僕が改変したこの世界ではスリングショット、所謂V字水着着て体育
やるのと同義な危険行為です」
「なぜそこまで体育着の存在を貶める必要があった!?」
そうこうやり取りしているうちに、別教室から女子が出てくる。
「あぁ、女子はスイムスーツなのね」
「えぇ、高校生くらいになると発育が良いですからね。逆に全身隠れている方がラインが丸見えでいいんじゃないかと思いまして」
「なんで志意は納得してるんだよ! スクミズだろうがスイムスーツだろうが水着だぞ、水着! なんで水着で体育やらなあかんのやッ!!」
頭を掻き毟りながら反り返って立ちブリッジまで持っていく程に羞恥心を刺激されたのだろう。
小希がそう叫んだが、それを受けてピペットはニヤリと笑みを浮かべて言った。
「そう、そこなんですよ、小希くん。普通であればおかしい、しかし、それをおかしいと感じるのは僕の力の影響外にあるお二人。あるいはこの世界の外の人間という事なんです」
お決まりの眼鏡の位置を直す仕草で得意げに答えるピペット。
「そしてその小希くんがここまでの羞恥心を覚えるという事は、同じく異常と感じる早乙女 絵々も同じだけのダメージあるという事です」
「そ、そうか……なら、やってみる価値は、あるな」
自分に言い聞かせるようにそう言い、頷いた小希。覚悟を決めたのだろう、着替えるために教室へと入って行く。
「さぁ、志意さんも授業へ。上手く行けば次で決着がつくかも分かりませんよ」
「フ……そうね」
そう言って志意はロッカーから体育着だったスイムスーツを取り出し、特別別の教室に着替えに行く。
その後姿を見ながらピペットは、何故志意は嫌だとも言わず、あまつさえ「スイムスーツなのね」と安堵した様に受け止めていたのだろう? 変態なのかな? と疑問がピペットの頭に渦巻いていた。
そして授業が始まると……
「はァい、みなさん! 楽しい体育の授業の始まりだぜッ!!」
何故かジャージに着替えた、メジャーリーグのキャップを被ったピペット駒込がメガホンを構えて校庭に現れた。
「「なんでお前がここにいるッ!!」」
思わず声を揃えてつっこんでしまった小希と志意。しかし周囲の生徒はそんな二人の反応にザワザワと
疑問を口にし始める。
「なんだー、先生にその態度はぁ? ちょっとこっち来いッ!!」
そう言って呼び出され、再び三人集結。
「おい、ピペット。お前何やってんだよ?」
「そうよ、思わずつっこんじゃったじゃない」
「いやいや、すみません。万全を期して挑もうと思いまして……この時間だけは僕のかわりに体育の鬼瓦先生は変わりに僕が出るべき授業に出てもらっています」
声を潜めてそう会話をするスクール水着(女子用)姿の小希とスイムスーツの志意。春先の校庭で見る光景では無い。
「分かった、ここでけりをつけるんだな?」
「はい、授業は飛びきりの内容を用意しています。それに……見てください、彼女のあの表情を」
そう言ってピペットが顎でしゃくった方向を二人して見ると、
「既に周囲がこの格好に動揺していない事に疑問を感じ、先ほどまでお二人と話していた僕が体育教師として出てきた事にも気付いていません」
「よし、分かった。俺らはあくまでお前を先生として接すればいいんだな?」
「えぇ、頼みますよ」
「仕方ないわね、付き合ってあげるわ」
そう納得し、二人はスク水とスイムスーツの中へと戻っていった。そして体育委員が前に出ると準備体操が始まり、次はランニング。グラウンドを二周し、さぁ授業となるのだが、そのランニング中に志意に
声を掛けて来た人物が。
絵々だ。
「ね、ねぇ、鹿島さん?」
「ん? どうしたの? スイムスーツの下の下着が蒸れて来たの?」
「ちッ、違うよ! こ、この学校って、ずっとこのスイ……体育着なの?」
格好もあいまってか、赤面しながら志意のセクハラ発言を否定し、ずっと気になっていたであろう事を問うてくる。恐らく囲まれ、やいややいやと話した相手は居れど、きちんと自己紹介を個人に向けした志意に聞こうと思って隣に並んできたのだろうが、色々な意味で相手が悪かった。
その質問を受けるや否や、軽く俯き気味になり、ピンクの前髪で表情が見えなくなる。
「えぇ、そうよ? けど……」
そうして棒読みと云って差し支えない、感情の消えた声でそう言いながら、その面をギギギギと音がしそうな位ゆっくりと上げ、首を真隣の絵々に向け、目を見開き言った。
「あなたはなぜ、そんな当たり前の事を聞くのかしら?」
「ッ……!!」
あまりの迫力に、絵々はスイムスーツの下の肌が粟立ち、背筋が凍った。純粋に志意の言葉、そして行動が恐ろしかったのもあるだろう。しかし彼女は昨日今日この世界に来たばかりのよそ者なのだ。
そんな彼女がこの世界の常識をおかしいと感じ、それを口にした途端にこの反応。自分の存在を疑われていると捉えてもおかしくは無い……
そして徐々にペースを落とす絵々を置いて、志意はゲスな笑みを浮かべランニングを続けたのだった。
「はァい! それじゃあ、今日はみんな大好き、野球の時間だぜぇッ!!」
ランニングを終え、ピペットの元へと戻って来た生徒らを持ちうけていたのはバットを両手に構え、天に向けクロスさせたポーズを取るピペットだった。
この精霊、語尾にだぜと付けるのを体育教師と勘違いしているのだろうか?
バットとキャップ以外に野球の要素が見当たらない。そう、普通なら……
しかし、
「「「「「いぃぃやほォォオオォゥウウウゥッ!!」」」」」
それを見、聞いた生徒達は校舎全体に響くような歓声を上げる。乗り遅れているのは小希と絵々だけだ。何故か志意も狂気染みた舞を踊り出すほどに喜んでいた。
「それじゃあ、チームは出席番号の奇数と偶数で分けるとしましょう。先行は……うーん、今日が奇数の日なので奇数先行で!」
それを受け生徒達は普段野球部が使用しているグランドの端へと移動を開始する。その間、何気なしにピペットに接触を図る小希。
「なぁ、ピペット、様子はどうだ?」
「えぇ、ばっちりですよ……ほら」
そう言ってピペットはポケットから穴沢爺を取り出す。
「うっわ、もう消えちゃいそうじゃんか……」
「えぇ、何故か先ほどランニング中に突然急激にゲージが落ち込みまして……様子を見ていたのですが、志意さんが何かしたようだったんですよね」
「あいつ……いったい何をしたんだか……それより野球って随分普通だが……ここからどうするつもりなんだよ?」
「まぁ、楽しみに見ていてください……あ、安心してください。小希くんと志意さんには、順番が回ってこないよう、先攻後攻を決めましたから!」
確かに小希と志意の出席番号は共に奇数だった。何も考えていないようで、中々に策士なピペットに安堵する小希。そして一同は野球部のベンチに辿り着き、後攻の生徒達は守備へと付く。そして出席番号一番の青木くんがバッターボックスに入る。
当然全員が守備には付けないが、絵々はなんと折角だから、とみんなの誘いを断りきれず、なんとあろう事かファーストに陣取っていた。
凄まじいプレッシャーとスイムスーツで立っている事の羞恥心からだろう、目を回しながらなんとか立っているような状況だった。
「それでは、プレイボール!」
ピペットの声にピッチャーの表情が引き締まる。それに対しバッターもバット握り直す。空く水姿で。そして……
ピッチャーの手から白球が放たれ、それを見事にバッターは打ち返し、乾いた音が周囲に響いた。
そしてバッターが駆け出す!
「今だぁ! 追えぇええぇッ!!」
「「「おォォオオォッ!!」」」
直後、ピッチャーが叫び、内野の面々が咆哮で答える。そしてダイヤモンドを駆け出したバッターを追いかけ始める。
「ちょ! どうなってんだよッ!?」
「ちょっと野球のルールを変えさせて貰いました。バッターが打ち、走り出したら追いかけるように!」
「それで何をどうすれば得点が入るんだよ!?」
「………………」
「考えて無かったんかい!」
そうこうしている間にもランナーは絵々の待つ一塁へと迫っていた。そしてランナーを追う内野陣も。
「な、何……なに何々なにッ!!」
自分の方へと駆けて来るスクール水着の団体(男子)。それを見て当然恐怖を覚え、絵々は後ずさる。
そして、
「こ、来ないでぇエエぇッ!!」
ランナーから逃げるように走り出してしまう。それも錯乱からか、二塁へ続くダイヤモンドラインを。蟻が自分たちのフェロモンの残る道しか歩けないように、焦った人間というのは引かれた線の上を走ってしまうのかもしれない。
それを眺めていたピペットは手元の穴沢爺を確認。絵々のアナザーワールドエナジーが示す値は点滅し、もう数ミリという所まで来ていた。
「そろそろ、ですね」
そう眼鏡を直しながら言ったピペットに、小希はずっと気になっていた事を訪ねた。
「なぁ、そう言えば異世界から来たヤツらはその力が無くなるとどうなるんだ?」
「そうですね……いや、説明するよりも、その目でどうなるかを見た方がいいでしょう。もうじき……もうじきですよ」
そう言ったピペットの視線の先、ランナー、ならびに内野に追われながら走る絵々は目を回し必至に駆けている。
そして今まさにランナーが追いつこうとしたその時、変化は訪れた!
「サード! なんとしても止めるわよッ!!」
突如瞳に覇気を宿すと、ランナーに負けじと速度を上げ、そしてサッカーの競り合いよろしく、ランナーの前に手を伸ばし我先にと体をねじ込む。
そしてあろう事かランナーに抱きついた!
「サード! バックアップ!」
「任せろ!」
すると待ち構えていたサード(スク水)が絵々に加勢、ランナーを力ずくで押し返そうとする。
「よし、ランナーが捕まった! 加勢にでるぞッ!!」
その光景を見て攻撃側、つまりは小希達のチームのベンチから声が上がり、皆三塁目掛けて走っていく。スク水が、スイムスーツが駆けて行く。
「え? 何、おい、ピペット! こりゃどうなってんだ!」
「あぁ、これは彼女の変化では無く、私が改変した野球のルールです。ほら、小希くんも行きますよ!」
そう言って手首を掴まれた小希はピペットに連れられ、三塁付近で組まれたスクラムへ巻き込まれる。
先ほどまでランナーを追っていた内野手達も、絵々側に参加し、三塁へ向かうランナーを止める為に押し返そうとする姿がその中にあった。
「ほら! 皆! ここで押し返さないと、三塁まで進まれたら先制点取られるよ!」
そう叫んだのは絵々だった。何がどうしてこうなったのかは分からない。しかし彼女が美少女である事には変わり無い。その声を受けた守備側の男達は、
「「「「おォオオォッ!!」」」」
雄たけびを上げ、必至に小希達攻撃側を押し返すのだった。
そんな中で小希が思ったのは豹変した絵々の事よりも、これのどこにボールを打つ要素が必要なのかが全く分からないという事だけだった。
「それでは、礼ッ!!」
「「「「「ありがとォあざっさしゃァー!!」」」」」
ピペットの声に合わせ、両チームがホームベースを挟み礼をする。スク水にスイムスーツで無ければ実
に清々しい光景だろう。
結果的にどうすれば点が入るのかも曖昧で、どちらの勝利かも分からないまま幕を閉じたこの勝負。し
かしそれはもう授業内で繰り返されたスクラムの押し合いへし合いで、小希はどうでも良くなってしまっ
た。
「つ、疲れた……」
そう言って小希はその場に倒れこんでしまう。
「ちょっと、だらしないわね」
そんな小希に声を掛けたのは志意だった。
「仕方ないだろ……あんなめちゃくちゃなスポーツ、やった事もねぇのに……」
「いや、そうじゃなくて股間からはみ出てるちぢれ毛の事なんだけど」
「仕方ないだろ! スク水なんてめちゃくちゃなもん、着た事もねぇんだからッ!!」
そんな事をスイムスーツを着たヤツが言うのもなんだと思うが、そんな二人の下に満足気なピペットが近づいてくる。
「いや、それにしても上手く行きましたね!」
「まぁ、殆どはお前のめちゃくちゃなルールの改変のお陰だったけどな。で、妙にテンションが高くなっ
たけど、あれがエナジーを使い切った証なのか?」
「えぇ、本来彼女の持つ少女マンガエナジーが無くなり、この世界の住人になった。その証拠に僕の改変
した野球のルールを瞬時に把握していたでしょう?」
「なるほど、エナジーが切れたやつは自然とこの世界のルールを把握して、環境に溶け込むって事か」
「えぇ、それと過去の記憶を無くす訳ではなく、整合性を持たせ、元いた世界の事自体は忘れるものの、
その時の記憶はこちらの世界で起きた事、と上手く辻褄合わせまで出来るようになっています。これにて一件落着ですね!」
「そうだな」
出合った今朝から初めて、小希がピペットに笑顔を見せた瞬間だった。そして握手を交わす二人。
「ピペット、どうでもいいけどこの格好と体育教師と入れ替えたその立場、ちゃんと元に戻しておけよ?」
結果はどうあれ、もうスク水はこりごりだと思う小希なのであった。
そして一日が終わり、小希は帰宅する。沢山のイレギュラーな出来事があり、あまつさえスクラムの連続で身体的な疲れも溜まった体をソファに沈め、ようやく落ち着く事が出来た。
「はァ……とりあえずテレビでも見るか」
リモコンでテレビを付けると野球のナイター中継がやっていた。ピッチャーが投げた甘いストレートをバッターが打ち返す。歓声があがり、バッターが駆け出す。
そして、内野手達はランナーを追いかけ始めた。
「野球のルール、戻し忘れてるじゃねぇーかッ!!」
そして組まれるスクラム、テレビの中の客席は中々に盛り上がっているのだった。




