忍者、忍び込む
「ふわあぁ~。ったく眠たくてかなわん」
「おい、気を抜くな」
「そうは言っても、こんな夜更けまで見張る意味があるのかねぇ? 森から魔物が出てくるわけでもなし。壁よじ登ってまで迷宮に入ろうとする馬鹿もいない。立っているだけ無駄だろ」
「もし見張りがいなくなればお前がいう馬鹿が現れるかもしれない。迷宮から魔物が溢れてくる可能性はゼロではない。それだけで理由は十分だ」
「そりゃ分かってんだけど、夜眠くなるのは人間の性っても……ん?」
「どうかしたか?」
「いや、さっき迷宮の方から音がしたような……?」
「なに? 確かなのか?」
「さてな。気のせいならいいが、魔物が入口近くにいる可能性もあるやもしれん。一応入り口の奴らに警戒を促してくるぜ」
「わかった。頼んだぞ」
コッコッコッ。
壁の内部の階段を降りる音を聞いたあと、俺は壁から離れ迷宮の奥へと侵入した。
夜が深まり、人々の大半が寝静まったころ、俺はベッドから抜け出し宿から飛び出した。俺の存在に気付いたものはいないだろう。町から抜け闇を駆け、迷宮の森へ向かった。
迷宮の入り口は頑丈そうな扉で封鎖され、その前には番兵が立っている。
壁は平ではなく凹凸があったため、よじ登って侵入した。登るときは問題なかったが、降りるときに僅かに音を立ててしまい、壁の上に立っていた見張りの一人に聞かれてしまった。
前世ならば音を立てずに潜入するくらい朝飯前だったが失敗するとは、プライドが傷つくな。訓練し直さなきゃ。
なぜ俺が迷宮に侵入したのかって?
昨晩も行った前世の技術との擦りあわせ、身体の鍛錬、そしてレベルというものの検証のためだ。
身体能力が高いと言っても、流石に前世の身体ほどではない。前世の十歳と比べたら断然こっちが優秀だがな。そして先ほども隠密行動中に音を出してしまったことから、技術も十全ではないということがわかった。そのためには完璧な身体操作が必要だ。前世では森で訓練をしていたので、感覚を取り戻すため迷宮の森は最適だと判断した。また迷宮でならレベルが上昇しやすいため、レベルの増加による変化を感じ取りやすいはずだ。
昼とは違う顔を見せる迷宮の森。大部隊での活動もあるため拓けた場所もあり、月光に照らされているが、それは森の中の暗さを際立たせることになる。迷宮という先入観のせいか、月の光を浴びている森は魔の森といえる怪しい雰囲気を放っているように見えた。
そんな森の中を俺は闊歩していく。いや、この表現は正しくないだろう。地面ではなく、木の枝を使って飛び回っているのだから。
光が遮られ視界不良な森の中で、一瞬の内に飛び移れる枝を見つけ、音を立てぬように枝を蹴り、次の枝へと移動する。静止することなくこれを繰り返す。その最中、アランが射殺した空を飛ぶ紙のような魔物、フィルティッシュ--宿で食ってた鶏肉の味がするキャベツはこいつの肉だったのだ--に襲撃されるので、すれ違い様に斬り伏せる。
これにより瞬時の判断力、不安定な足場での体勢維持と力の伝達、無音の跳躍と着地、僅かな情報を拾える五感など、様々な訓練を行える。
こちらの世界では初めての訓練となるが、いささか緊張感に欠けている。毒を塗られた矢が八方から放たれたり、ほぼ無味無臭ついでに無色の神経毒を散布されるとった罠などもないしな。
襲ってくる魔物も大きな音は立てていないが、それでも僅かな音まで消しきれてない。それを拾える耳を持っているのなら、不意打ちに気づくことが出来る。不意打ちされない限りフィルティッシュは敵ではない。戦闘訓練とすら呼べないだろう。訓練に集中はしてるがゆとりというものは存在している。
ゆえに考える。なぜ魔物は俺に気づくことが出来るのか?
侵入時には音を立てるという無様を見せてしまったが、そのためこの訓練中では音に関してはより一層気を付けている。
最初は少々音を出してしまっていたが現在は十分に消しきれているし、魔物がか細い断末魔を発した場合もすぐにそこから離脱している。音からではこちらを発見できないだろう。
フクロウのように夜目が利く? 木の洞に隠れたがすぐに見つかった。そもそも視線を感じていない。
ヘビみたいに熱感知ができる? 拓けた場所に火をつけた後、洞に隠れたがやはり見つかる。
イヌ同様、嗅覚に優れている? 着ていた服を少し離れたところに置いたが、惑わずこっちに来た。
コウモリと同じ超音波の反射? 木の洞を塞いでみたが、突破されてしまった。ばれていたようだ。
疑問は尽きないが一旦脇において、先にやりたいこともあるため地上に降り立つ。
剣を鞘に納め、目を閉じて他の感覚に集中にする。植物と腐葉土の臭いを嗅ぎ取り、肌で吹き抜ける風を触り、その風に転がされる木の葉の音を拾い上げる。
研ぎ澄まされた意識の中に、自然以外の存在が紛れ込む。上手く気配を殺しているが完全ではない。臭い、足音、そして独特な三つの呼吸音から、昼に遭遇した犬型の魔物、牙犬と断定。
背後に居た存在が近づいてくる。夜に一人、茫然と立つ俺は恰好の獲物に見えたのかもしれない。
かなりの速度、約三メートルの距離で跳躍、地と空から伝わる振動から首筋を狙っているのが判明。膝の力を抜き、牙を掻い潜る。中空に居るため牙犬は方向転換ができない。手刀を作り、その無防備な腹目掛けて解き放つ。
「「「ウォーーン!!!」」」
異口同音(?)で断末魔を発する牙犬。体内に入った手が幾つかの内臓を潰し、引っこ抜く。牙犬が着地、しよとし失敗する。立ち上がろうとするが、傷口からは腸が飛び出し、足に力が入っていない。体重と力を乗せて首を踏み砕き、命を絶った。
「ふむ、こいつはいい武器だ」
俺は自分の手を見つめて呟いた。正確にはその先端にある爪を、だが。この爪のおかげで、牙犬の弓矢を食い止める筋肉を貫けたのである。
獣人と言われているだけあって、体の構造が人間とは違う部分が多い。NECOMIMI、いやタイゴンだからKEMOMIMIか、とにかく耳なんかその最たる例だ。言ってはなかったが小さい尻尾みたいなものも生えている。
その一つとして爪がある。昨晩体術の確認として貫手をしようと軽く力を籠めたら、ちょっと爪が伸びたのだ。力を入れたり抜いたりすると、それに合わせて爪が伸び縮みするため、昨晩はゾ〇ディック家の三男坊の物まねをして遊んでしまった。
昼ごろ俺の夢をぶち壊す出来事があったため、爪の性能確認のついでに、気晴らし兼ねて犬の心臓を盗もうと思ったが、犬の心臓の位置など知らないため頓挫したのだ。手に入ったのはぐちゃぐちゃの内臓と血液のみ。気分転換失敗! むしろ気持ち悪くなった。
とにかく本来の目的である爪の性能を調べることはできた。普通の爪より鋭さがあり、獣人の力に耐えれるほど頑丈である。人間の爪じゃ剥がれてしまうような使い方も可能だろう。
新しく手に入れた武器を評価していると、周りを牙犬に囲まれてしまった。その数実に十二。
先ほどの断末魔が引き寄せたのだろう。その牙犬が等間隔で位置している。
剣を使った戦闘訓練を行いたかったのでちょうどいいというか、わざわざ待っていたわけで。
ゆっくり剣を引き抜き、敵を迎え撃つ。
群れの中から三匹が飛び出してきた。俺から見て一、五、九時の方向から迫ってくる。先ほどと同様三メートル程の距離で跳躍してきたが、狙いがそれぞれ頭、右腕、足と別れている。もともと群れていたのか、よく連携が取れている。頭と足を狙う犬に注意を集め、その隙に一番視界に入らない五時の犬が、武器を持つ右腕を使用不能にするのが狙いだろう。同士討ちを回避するため飛びかかるタイミングを僅かにずらしている。非常にいい流れを作っている。だからといってその流れに乗る必要はないけどな
回転し、右手の剣で五時の犬の首を刎ね、左手に持った鞘で一時の犬の横っ面を叩く。跳躍し九時の犬の噛みつきを躱し、首を踏み砕く。
跳躍を隙と見た他の五匹が接近する。最初に接近した牙犬の首を跳ね飛ばし、次の犬の右目に当たる位置の口に鞘を突っ込む。牙で噛みつかれて侵入は阻まれるが、構わず犬ごと振り回し三匹目にぶつける。四匹目は横にステップして回避し、五匹目の右前脚を斬り捨てる。
足を斬り飛ばされバランスを崩した犬を蹴り飛ばし、四匹目の犬にぶつけた。錐もみしている二匹に近づき、刃を突き立てる。
仲間があっさり殺られたため、様子を窺っていた残りの四匹は背を向け逃走した。
そんなこんなで迷宮で様々な訓練をこなしていった。そろそろ夜も明けるため帰る準備を始める。
手や剣に着いた魔物の血を洗いながら、魔物についての考証を続ける。魔物がどうやってこちらを察知しているのかという疑問についてだ。
どれも確実な検証ではないが、一応は否定できるとは思う。ではどうやってこちらの存在に気付いたのか?
そこで思い当たるのは、この世界にあって元の世界にはないもの。すなわち魔力だ。この世界の生物なら誰でも持つという魔力。これを感知しているのでは?
前世にもありえたものなら大半は対処できる自信がある。視線には気づける。音は消せるし気配も溶け込ますことが出来る。匂いも体温も誤魔化す方法もごまんと知っている。道具さえあるなら、音波も問題なくなるだろう
だが、魔力はどうしようもない。魔力というものが存在しなかったのだ。当然魔力に関する訓練法も知らないし、対処法など知っているわけもない。だから現在勉強してるのだし。
もしこの仮説が正しいのなら非常に厄介だ。魔物に出来て人間に出来ない道理は存在しないし、俺は完全に気配を殺しているつもりなのに、実はモロバレということがありうるのだ。
嫌だよ俺。『ほう、この俺に気づくとはやるな貴様』『いや、魔力ダダ漏れですやん』なんてやりとり。
そんな取り留めないことを考えながら迷宮から脱出する。今度は音を出さなかった。