忍者、説明をする
そんな感じで、王都の使者が帰るまでベルを預かることと相成ったのだった。勿論許可証も頂いた。
「な、何でアンタは私を置いて帰ろうとしているのよ……?」
森での鬼ごっこを終わらしたベルが、息を切らしながらも話しかけてきた。幸い追いかけてきた牙犬の数も少なく、すぐに撃破出来た。ベルは一体も斃せてなかったが。
「街が俺を呼んでいたから……かな?」
「ごめん意味わかんない」
「安心しろ。意味はない」
サムズアップを決めると、疲労を見せていたベルの表情に呆れの感情が加わった。
「アンタいっつもふざけてるわよね」
「余裕があると言ってくれ」
話しながらも迷宮の内と外とを分ける、フィルスの壁の方へと向かっていく。無警戒のように見えるかもしれないが、ここは壁近くにある人為的に拓かれた、広場のような空間。ここなら魔物が近づいてきたとしても、すぐに気づけるだろう。
「ジンさんとの訓練のご感想は?」
話し合いが終わった次の日から、ジンさんの訓練が行われている。日が出てからすぐに行われるそれには、ジンさんとベルは勿論のこと、俺も欠かさず参加している。
「はっきり言って地味ね。何なのよ? なんで何時間も同じ姿勢を維持させるの? それでいてキツイし」
筋肉痛が酷い、と小さくこぼしている。それも仕方がない。訓練が訓練だからな。
訓練初日。迷宮の屯所近くに俺たちは集合していた。
訓練が始まる前にジンさんが聞いたのは、何を身に着けたいのか、だった。未だ何も身に着けていないベルの方向性を決めようとしたのだろう。
『ジンさんが一番得意なものを教えて』
ベルの返答がこれだった。それを聞いたジンさんが頑丈そうな木の棒を持ってきたところから、ベルの槍の訓練は始まった。
ジンさんの指導は型を重視したものだ。
まずは準備運動を兼ねた素振り。中段の構えから、まずは突き、左右への払い、上下への振り下ろしと振り上げ、そして斜め方向への振り下ろしと振り上げを行う。薙刀で言う所の八方振りか。それをそれぞれ十本程度。姿勢に意識を向けさせ、一本一本しっかりと振る。姿勢が乱れたらジンさんがその都度指導しているので、常に正しい姿勢で打ち込むことが出来る。手の左右を入れ替えて、再び素振り。
問題は次からだ。中段の姿勢を維持したまま、ジンさんが用意した砂時計の時間だけキープするという訓練。
左右両方で行い、それを二セット。
こう言えば何の問題も無いように思えるが、あいにくとその内容には問題があった。
ただ維持するのではなく、槍代わりの棒の先端に紐でぶら下がった重りをつけて、それを出来るだけ揺らさないようにすること。そして砂時計の時間が体感でおよそ三十分。つまり合計で二時間この訓練を行うのだった。
重りを付けることにより、重心が棒の先端の方に寄る。さらには紐で吊るされているため、それに釣られて棒がぶれてしまう。その二つが姿勢を崩しにかかる。それに負けない様に力を込めて踏ん張らなければならないので、その消耗は相当なものだ。
砂時計の大きさも相当なものだった。少なくとも数分では落ち切らないと一目で分かる代物だった。それも意地の悪いことに、ベルの視界に入るか入らないかのギリギリの位置に置かれている。されどそれをしっかり見ようと意識を向けると、姿勢の維持がおろそかになり、ジンさんからの叱責が飛んでくる、という仕組みが出来上がっていた。
休みを挟んで次の訓練に移る。それには俺も参加する。それまでの間はひたすら筋トレを行っていた。
内容を簡単に言えば、鬼ごっこ。参加者は俺とベルの二人のみ。
当然普通の鬼ごっこではない。鬼にタッチされた方は腕立て腹筋背筋スクワットをそれぞれ一定数こなす。制限時間内にタッチできなかった方も同様である。いわゆる罰ゲームだな。先ほどの砂時計をそのまま使用しているから制限時間は約三十分。
先に行っておこう。俺は今まで一度たりとも罰ゲームをやっていない、と。
この訓練ではジンさんに言われたとおり、時間ギリギリまでベルを追い立て、そして時間いっぱいまで、逃げ切る。ここで注意するのは、ベルが避けれるギリギリの攻めをして、ベルが追いすがれるギリギリの逃げ方をすること。
これも先ほど同様に二時間程度。足が止まると、これまたジンさんから愛のムチが飛んでくるので、ろくに休むこともできず、全力で動き回っている。最初は口数も多く威勢もよいのだが、時間が経つと目に見えて元気が減っていき、最後は完全に無口になっていた。
訓練はまだ終わらない。僅かな休憩を取った後、再び素振りを行う。振り方は最初と同じだが数は十倍になっていた。しかも全身に溜まった疲労で体がぶれやすくなっているので、頻繁にジンさんの注意を受けていた。最初の時の振り方を思い出しながら、姿勢に気をつけながらノルマをこなした。これもまた終えるのに二時間ほどかかる。
これが初日の訓練風景であった。総計で八時間にも及ぶ訓練。日の出と共に始めたはずなのに、終わった時には太陽が昇りきっていた。ベルはへとへとになって倒れ込み、大地の温もりを全身で味わっていた。
これがベルが行う『ジンさん訓練メニューその一』である。
「明日になったらもっとキツくなるんだろうなぁ。筋肉痛」
ベルが訓練によって酷使した体を押さえる。
「少しは慣れたんじゃないのか?」
「少しはね。このアンタとの訓練が無ければ、もっと楽なんだけど」
「そう褒めるな」
「褒めてないわよ」
疲労の色は濃いが、それでもやはり初日に比べれば緩和されている。訓練と言うより、疲れそのものに慣れてきたという感じか。
風景を楽しみながらとりとめなく話していると、不意に質問が来た。
「確かに鍛えられている感じはあるんだけど、この訓練って意味あるの?」
自分が行っている訓練には果たしてちゃんとした意味があるのか、か。
「ジンさんに聞けばいいじゃん」
「聞きづらいのよ。何となく」
顔をしかめて目を逸らすベル。まあ教えてもらっている身分で、何の意味があるのかとか聞くのを躊躇うのは分かるが、一応お前王妹だからな?
それはともかく意味、ねぇ。
「槍を使う最低限の筋力を身に着ける、って意味も当然含んでるけど、どちらかというとその次の日の訓練のため、っていう方が強いかな」
「次の日の訓練って、明日やる訓練のこと?」
そう、明日やる『ジンさん訓練メニューその二』のための下準備だ。
といっても内容自体は簡単だ。アップのランニングの後、ひたすら素振りをする。それだけだ。
問題はその量で、『ジンさん訓練メニューその一』の最後にやった素振りを一セットとして、それを五セット。つまり総計九千本の素振りをするというものだ。勿論ジンさんの指導の下、正しい姿勢で振る必要があり、一日経って筋肉痛が酷くなる分、こっちの方が時間が掛かる。
「筋肉痛で厳しい回数が多いだけの訓練じゃないの」
「ここで大事なのは、その筋肉痛なんだよ」
それを聞いてもベルは首を傾げるのみ。まあこれだけじゃ分からんか。
「筋肉痛があるとき、動かすと体が痛むだろ。動かした部位が痛むということは、痛みによって何処の部位を動かしたかが分かるということだ。自分でも知らずに使っていた筋肉を、今度は意識的に使えるというわけ。ジンさんのおかげで、姿勢が崩れる心配もないしな」
それを説明してやると、やっと納得の表情を浮かべた。
それだけではなく、筋肉痛の状態でも体を動かすことが出来るというのを教え込む訓練でもあるのだろう。
基礎的な体作りと型の教え込み。基礎ゆえに地味ながらも最重要
正直良く作られている訓練だと思う。
「ジンさんの訓練については良く分かったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「それじゃあ、アンタとの訓練は一体何の意味があるのよ?」
納得を示したベルが、今度は俺がしている訓練に対して口を出してきた。その態度についつい溜め息が出てしまう。
「お前は少しは自分で考えないのか?」
「考えてもわかんなかったのよ! ただ迷宮の森を行ったり来たり。わけの分からなさならこっちが上よ!」
「師の教えに疑問を抱くなんて、十年は早いぞおチビちゃん」
「アンタと私って一歳しか違わないじゃない」
残念。前世も含めると二十年ほど違うぞ。
「逆に質問するけど、どんな意味があると思う? ちなみに考えることも訓練のうちだからな」
「強引に話を戻したわね。んー、そうね。魔物を相手に実戦訓練をしている、とか?」
「それもないとは言えないけど違う。他には?」
この一言に考え込んでしまった。うんうんと悩んではいるが。行軍に慣れるためやら森道に慣れるためやらといった答えばかりで、正解は出てこない。少しは誘導してやるか。
「最初に、俺とジンさんがお前に訓練を施しているのは何のためだ?」
「それは……敵国の人間に襲われても大丈夫にするため?」
「正解。ではもしそうなったとき、ベルは何をするのが一番いいでしょうか?」
「鍛えてるんだから当然、その力で追い払うに決まってるでしょ」
両腕を掲げ、力強く答えるベル。その腕は心持ち引き締まっているように見えた。
僅かなれど力を身に着けた以上、そういう回答に至るのも分かるが、よろしくない傾向である。
「それは一番最悪の場合。ジンさんはそれを想定して教えてくれているけどな。だがそこに至るまでに、真っ先にするべきことがある。それは……」
「それは?」
某クイズ番組のように、間を長く取る。それに煽られたように、ベルが首を伸ばして耳を寄せてきた。その瞳には何か期待のようなものが含まれている。
人差し指を突き出して、その答えを言い放つ。
「逃げることだ」
「……いや、それ、当然じゃない」
期待から一転。蔑んだような瞳で俺を見つめて、いや睨んでいた。当然と言えば当然だ。だが実際問題、そう簡単にはいかないだろう。
「俺との訓練初日、さっきと同じように牙犬の遭遇した時、お前はどうしてたっけ?」
「そっ、それは……」
歯切れ悪く言い淀む。何を隠そう、急に飛び掛かってきた牙犬を見たとき、ベルは突然の出来事による驚愕と、間近に見た牙犬への恐怖とで完全に棒立ちとなっていて、その状況に全く対応できていなかった。その時は俺がすぐさま斬り伏せて事なきを得たが、もし俺が居なかったのならベルはその場で死んでいただろう。俺が居なければその場面に遭遇することもなかったけど。
「分かっただろ? いくら肉体を鍛えようとも、恐れや驚きなど精神面の問題によって、体が固まることなんて多々ある。急に襲われた時も同じだ。動けないのに急に逃げたり、ましてや武術で倒すなんて、どう考えても無理だ」
何の気構えや訓練もなしに、突発的な事態に即座に対応できる人間はそうはいない。ましてやどれだけ口が悪かろうが、こいつはまだまだ子供。先の王位継承争いも、常に兄であるリュークと言う存在が側に居たから大丈夫だったんだろうが、リュークが国王となった今となっては、そういうわけにもいかない。少なくとも四六時中一緒ではないはずだ。
だが今は違う。
「けどさっきお前は牙犬に襲われかけたときでも、恐れていたし驚きもしていただろうが、それでも走り続けていただろ。つまり危険が迫っていても、走って逃げることが出来るようになっているってことだ。しかも青々と茂っている森の中で、地面が平らでないにも関わらずにな。それはベルが冷静に、障害物が少なく、走ることが出来る地点を判断しながら走っているからに他ならない」
この訓練の最中、魔物と遭遇したこと数知れず。つまりその数だけ、ベルにとっては修羅場を経験したということだ。
その経験は、ベルに逃げるという選択肢を与えてくれるだろう。
「じゃあ、アンタの訓練は、その、逃げるための訓練だっていうの?」
「そう。俺の主眼は逃げるための訓練。例え襲われても冷静にすぐさま逃げ出せることが出来るようにするっていうな。己の身を守るには、危険を払いのける力を身に着けるのではなく、危険そのものから離れるのが一番だからな」
君子危うきに近寄らず。これは真理だからな。危険に近づかないことが究極の護身であると『ストライカー牙刃』にも書いてあったしな。
というより、素人に毛が生えた程度の実力しか持たないベルが、殺しの訓練を積んできた刺客たちを撃退できるとは思えないしな。現状では最善かつ唯一の対処法だ。
「ふぅん。てっきりジンさんが体を鍛えてくれるから、反対に心とか目とか耳とか鍛えてくれてるとかも考えたんだけど、違ったんだね。心はちょっと合ってるかもしれないけど、大きな目的としては--」
「--お前、時々鋭いよな」
「え?」
小首を傾げるベル。自分の発言が正鵠を射ているというのに、何のことか理解出来てないんだろうなぁ。
「いいか? 逃げるためには、ある大前提が存在する」
「大前提?」
「そう、気づくことだ」
気づかぬうちに背後まで接近されていたり、火や水難に気づかなかったりすれば、どれだけ逃げる能力が高かろうが無意味になる。迫りくる危険に気づいてこそ、逃げることが出来るのだ。
「そして危険に気づくために磨くべき能力は、敵を察知する感覚だ」
「感覚?」
「そうそう。こんな感じに」
ベルをその場に制止させ、ベルから距離を取る。その時大袈裟なほど足音を立てて移動する。不思議そうな目で見ているベルが何をしているのかを聞こうとするのを、口の前に人差し指を立てるジェスチャーで押し留める。やっといて何だが、異世界でもこのジェスチャー通じるんだな。
それはともかく、距離をとってもなお、俺はその場で飛び跳ねて、足を踏み鳴らす。そんな俺を可哀想な物を見るような目で見ていたベルだったが、何かに気づいたように俺の足元に目を向けてきた。
地中からごく僅かに響いてきた振動が、徐々に大きく、そして近づいてきた。
俺の足元まで近づき、そのすぐ後、何かがそこから飛び出してきた。俺の体に向かって、地面を突き破って襲い掛かってきたそれに、カウンターさながらに爪を突きだし、その頭を貫く。
振り払うようにして投げ捨てたその体は、まさにモグラだった。
「これは確かモグモグっつう魔物だったっけ。土を食いながら地中を進んで、腹に鉱物なんかを溜め込んでいるっていう。量自体は少ないけど、魔力を含んだ鉱物は高く買い取ってくれるから、牙犬の牙や毛皮を引っぺがすより効率良いわな」
絶命したモグモグの体をそのままアイテム袋の中に収めた。鉱物を含んでいるからかずっしりと重いが、それすらアイテム袋の中に入れれば問題ないのだから、本当に優秀なアイテムだこと。
「さっきモグモグが姿を現す前に、気づいていたよな。訓練を始める前のベルだったら、姿を現す前に気づくなんてことできなかったろうな」
「それが、この訓練の賜物だったってこと?」
「そういうこと」
行軍のために開かれた場所ではなく、常に森の中で訓練をしたのは正にこのため。木々によって視界が制限され、せせらぎの音のみが耳たぶを打つ森の中で魔物に気づくには、視界のみではなく木の葉を踏む音や臭いなど、魔物が発する僅かな情報を逃さずに拾う必要がある。必然的に五感は鋭くなっていく。
さらには違和感に気づく力、いわゆる注意力というものを鍛えるにはもってこいだ。
「まとめるとだな、逃げるための心構えと、気づくための五感や注意力、つまりさっきベルが言ってた要素を鍛える訓練だったんだよ」
いち早く異常を察知して、速やかに逃げる。まだ戦えないベルが持つ、唯一の選択肢
「……それに気づくって、私ってもしかして、天才?」
「んー? ああ、まあそうかもしれんね」
こんな安っぽい言葉でも、ベルの機嫌は上々になった。鼻歌とステップを刻みかねないほどに。褒められてここまで喜ぶとは思わなかったが、やはりここら辺はまだまだ子供だな。
「じゃあ迷宮から出たら、人体構造について学ぶぞー」
「えぇっ!?」
勉強が嫌いなところも、な。大人になっても嫌いな奴は多いけど。
「い、いやぁ、今日は別にいいんじゃない? たまには、さ」
「そうだな。たまには人体構造の勉強は休みにするか」
「そ、それじゃあもう今日は終わりってことで」
「代わりに、そのあとやる予定のユナさんによる魔法の勉強会の時間を倍にしてやろう」
「ちょ、ちょっとまって」
「あ! そういえば魔物の身体構造についても調べといたほうがいいな。ちょうどモグモグの体も確保したことだし、明日はジンさんの所でその座学でもしようか」
「いやぁぁっぁあああーー!!」
青空に、ベルの魂の叫びが鳴り響いた。




