セシルの過去・1
川に沿うようにして真っすぐ進む。林を抜けてひらけたところに、確かにコルトの言うような建物があった。一件ただの山小屋のようだが、鍵のところに金属を使っていたりと要所要所の作りがしっかりしている。
コルトは誰も居ないのを外側から確かめると、少し離れた地面にラルフを寝かせ、手近に落ちていた石を拾って鍵を叩きだした。金属製の鍵は頑丈で手こずっていたようだが、十分も格闘した後コルトは満足気に入り口扉を開いた。コルトは再びラルフを背負って中へと入った。セシルも促されるまま中に入る。しばらく誰にも使われていないのかカビ臭い匂いがした。
山小屋は二部屋づくりになっていて、片方の部屋には四人分の干し草のベッドがしつらえてあり、沢山の毛布が重ねられていた。もう一方の部屋は食事用らしい。竈がしつらえてあり、その脇にうずたかく薪が積まれている。
料理と暖を取るのと兼用でできるもののようだ。
「とりあえずベッドに寝かせて、と。お湯がいるな。体を拭いてやらないと。セシル、川から水を汲んできてくれ」
水道の設備まではない。セシルは室内にあった一番大きな鍋を持って再び外へ出た。
外は数分ごとに薄暗くなっている。幸い、この山小屋は先程の川の上流にある。前のポイントに戻らずとも川水を得ることは可能だ。
逃げようと思えばできる。なのになぜコルトの言うことを聞いているのかと疑問に思わないでもないが、今のセシルには逆らうだけの気力も無かった。
思えばずっとそんな風に暮らしてきた。命令されて、実行する。それの繰り返し。
自分が奪おうとした命を助けているという矛盾が気にはなるが、望んでラルフの命を狙ったわけでもない。むしろラルフの命を救えという命令を出されたならば喜んで従っただろう。
――命令する人間がコルト先輩に変わったのだと思えばいいのだ。
セシルなりに納得できる理由をこじつけて再び動きのほうに集中する。
鍋スレスレまで水を入れ、運ぶ。細身の体付きとはいえ、常に鍛えているセシルは力も強い。水をこぼすことなく山小屋まで戻った。するとコルトは火を起こし終えていて、竈の中からは時折パチッという音がした。
「……本当に、逃げる気はないみたいだな」
戻ってきたセシルを見上げたコルトは、先ほどよりは幾分やさしい口調で水の入った鍋を受け取った。それを火にかけ、セシルにも火にあたるよう手招きをする。
「話を聞こうか」
コルトにボソリと言われて、セシルは戸惑った。別に話したいことがあるというわけではないのだ。
「何を話せば?」
「そうだな。聞きたいことは色々あるんだが。なぜラルフを撃ったとか、逆になぜ今まで撃たなかったのかとか。まあでも、なぜお前がスパイになったかから聞かせてもらおうか」
「なぜ……と言われても」
疑問に思うことさえ無かった。気がついたら当たり前だったから。
「以前、私が武器商人の娘だと言ったことがあると思うのですが、……あれは嘘なんです。本当は孤児で、気がついた時には、カルゼン公王が経営する孤児院に、兄とともにいました」
「孤児院?」
「ええ、孤児院という名のスパイ養成所のようなところです。字の読み書き、ザムザ国の歴史、生活習慣、……スパイに必要なことはすべてそこで習いました。鳥寄せもそのうちの一つですが、この技術は習得が難しいので、実際に出来るのは私たち兄妹と他数人だけでした。取り寄せができる人間は確実に他国に入っても連絡が取れるので私達は優先的にこの国に送り込まれたのです。スパイになったというよりは、他の生き方なんて最初から与えられていなかったんです」
セシルはポツポツと語りだした。自分でも驚くほどするりと言葉が出てきて、余計なことを言っていないかと焦るが、もう死ぬのだからいいかという気もしていた。
コルトならばきっと頼めば殺してくれるだろう。
他の誰にも思えなかったことを思って、セシルはどこか安心していた。
*
兄の名前はルシード。三歳ほど年上だったのだろうと思うが、性格な年齢も誕生日もお互いに知らなかった。
そもそもは、夫に捨てられ暮らしに困った母が孤児院の前に二人を置いていったのだという。兄にとってもそれはかすかな記憶でしかなく、歩き始めたばかりだったセシルにはもう全く記憶に残っていない。
「兄ちゃんがいるからな」
セシルにとってはいつも優しくそう言う兄が全てだった。孤児院の暮らしは食うには困らないものの厳しいもので、学ぶことも多ければ仕事も多い。それでも、一日の終りには兄が抱きしめてくれて、セシルは安らぎを得ることが出来た。孤児院の子供たちの中ではそれは恵まれた方だっただろう。
だからといって孤児院を出ることは直接死を意味していた。子供に働き口のある国ではない。出れば路頭に迷って獣に食われるだけだ。
鳥寄せのコツをセシルに教えたのはルシードだった。器用な彼は物事の習得が早かった。ザムザ国へ送り出されるのも時間の問題と言われていた位だ。これができれば、スパイとしては優遇されると知っていた彼は、妹の今後を気遣い、出来る限りの手をつくして妹にも伝授しようとしていた。
「ほら、こうやって口笛を吹いてごらん。そう、上手だな」
ルシードの指導は根気強く、丁寧だった。やがて、一羽のヤマガラがセシルの声に応えてくるようになると、自分のことのように喜ぶ。
厳しい訓練の中で、いつしか表情が凍りついてしまったセシルも、兄の喜ぶ顔を見た時だけは幸せな心地がした。




