家族・3
「ラルフ」
突然の後ろからの声に、ラルフは体をびくつかせて振り向いた。数メートル先にシーナが立っている。ゆっくり歩いて近づいてきた彼女は、静かにラルフの隣に立った。赤い目をしていたが、泣いてはいない。
「父さん、あの星になったのかな」
シーナがぽつりと言う。その途端、ラルフは全身の力が抜けて座り込んだ。
シーナは自分の父親の死を認めているのだ。だったらそれは本当のことだ。ラルフにとってはシーナは現実なのだから。
「ラルフ、大丈夫?」
「……どうしよう」
不意に記憶が蘇ってくる。大柄な父親は剣術の相手もよくしてくれた。ラルフはたいてい負けて、医師である母親の世話になって。怪我をしても楽しかった毎日。それが消える。跡形もなく。
涙がラルフの瞳から溢れだした。気遣うように背中を撫でてくれるシーナに、ラルフは泣きながら吐き出した。
「俺、もう一人ぼっちだ」
夜の暗闇が急に大きく感じられて怖くなった。ラルフは震えて地面にうずくまる。どうして一人取り残されるのかという不安と苛立ちが絶望を招いた。
その時、ふわりと何かか覆いかぶさり、背中が温かくなる。目を瞑ったラルフには温もりがまるで光のように感じられた。
「……シーナ?」
「一人じゃないよ、ラルフ」
抱きしめてくれたのはシーナだ。シーナの方が一回り体が大きく、ラルフは彼女の柔らかい体に包まれる。涙は今も止めどなく流れていく。だけど、脳内に広がるものは絶望だけでは無くなっていた。
「私もいるし、母さんもいる」
シーナの声も体も震えていた。そこに来て、ラルフはシーナの父親も同時に死亡したことを思い出した。自分だって悲しいはずなのに必死でラルフを励まそうとしてくれるシーナに、驚きを隠せなかった。
「私ね。ラルフのこと本当の弟みたいに思ってる。一人なんかじゃないよ。……これからも一緒に暮らそうよ」
「シーナ」
ラルフはなんとか涙を押しとどめ、返事をしようと口を開く。けれども乾いた空気しか吐き出せなかった。すると更に後ろから声がした。
「その通りだよ」
足音と共に、大きな手が二人を包んだ。
「ラナおばさん」
「母さん」
ラナは、ラルフとシーナのそれぞれに頬をくっつけた。
「私たちは家族だ。三人で亡くなった人の分まで生きないといけないよ。……シータも、ラシッドもファルナも、きっとそう願ってる」
「おばさん」
「今は泣いてもいいよ。でも諦めちゃダメだ。生き残ったものの使命はね、死んだ人間を弔ってやることだよ。彼らの描いた未来を、私たちが掴まなきゃダメなんだよ」
「母さん」
シーナがようやく力が抜けたように泣きだした。ラルフもつられるように再び泣き出す。二人が泣き終えるまで、ラナはずっと抱きしめてくれていた。
泣くことはひどく体力のいることだった。重たい体に鞭打って、三人は帰路についた。暗闇のなか、ラナはシーナを支えるようにして先を歩いている。その背中に誓った。
――一人になった俺を投げ出さずにいてくれた二人を、一生かけて守っていこう。何がっても、二人の家族でいよう。
**
翌日、村では葬儀が行われた。死ぬと肉体は大地に還り、大地神タクタが魂を空へと運んでくれると言われている。そのために葬儀の際にはタクタに祈りを捧げる。
祭壇には櫓がくまれ、そこに火がたかれた。村人たちは櫓を囲むようにして立ち祈りを捧げる。
――どうか、父さんや母さんがこの大いなる大地から空に還って、俺たちを見守ってくれますよう。そして父さん、俺に力をください。シーナやおばさんを守る力を。
ラルフは指が痛くなるほど力を込めて祈った。あまりに力を入れすぎて、指の節の辺りが痛くなるほどだった。
そして顔をあげた時、隣にいたシーナが見たこともない懐中時計を手に持っているのに気づいた。
「シーナ、それは?」
「母さんにもらったの。父さんが若いころから使ってたものなんだって。戦争に行く前においていったらしいんだけど、これくらいしか形見になるものがないからって……」
まだ赤い目のシーナが、力を込めて時計を握り締めた。その姿にシーナの悲しみが見て取れて、ラルフはいたたまれない気分になる。
シーナだって思い切り泣きたかっただろうに、ラルフが先に泣いてしまったから慰め役になってしまったのだ。
「俺、強くなるからね」
「え?」
シーナが顔をあげてラルフを見た。キョトンとした表情には驚きが隠れている。
「いつかシーナを守れるくらい、強くなる。そして、戦争なんか終わりにしてやるんだ」
「へぇ。かっこいーね。期待してるよ」
シーナが茶化すように笑ったのが、ラルフには少しくやしかったが、やがて二人揃って笑い出す。一人じゃないと思えて、ラルフは心底救われた気持ちになった。
そして、それからもラルフはシーナとラナと共に暮らした。強くなるという決意は本物で、ラルフは学校と酒場の手伝い以外の時間は剣術の練習や体力づくりに明け暮れた。
やがて一年ほど経ち、疲弊してきた両国は休戦協定を結ぶこととなる。そのニュースはあっという間に国中を駆け巡り、ラルフたちの住む村にも届いた。
「ようやく戦争が終わるのね」
「これで、無駄に人が死ぬことは無くなるな」
「良かったよ。ラルフが戦場に行ったら困るもん」
シーナはそう言って笑い、ラルフもつられるように笑った。
これからは徐々に平和になっていくのだと、二人は信じて疑わなかった。