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家族・2

 男たちは戦場に駆り出されて、村人は皆終わらない戦争に不安を抱えて暮らす。そのせいもあり、ラナの酒場には夕刻から酒を飲むものも酒を飲まないものも次々と集まる。皆できるだけ大人数で話して、不安にとらわれないようにと必死なのだ。

 ラルフとシーナが酒場の扉を開けると、そんな常連客の視線が一斉に集まった。カウンターの奥にいるシーナの母親であるラナは、二人の姿を確認するとすぐに指示を飛ばす。


「遅かったねぇ。シーナ、裏から酒瓶を取ってきてくれないかい。ラルフも一緒に」

「はーい」


 ラナは人使いが荒い。と言っても、シーナはもう慣れているのかそれを不満に思う様子は無かった。ラルフも、最初にこの店を手伝うことになった時には驚いたが、今ではもう慣れたものだ。むしろ慌ただしい方が他のことを考えなくて済むからいいとさえ思うようになっている。


 休むまもなく小一時間ほど動きまわると、ようやくラナが二人を手招きした。


「ありがとうね。お腹すいたろう。ほら、ここでご飯を食べな」


 二人がけの小さなテーブル席に食事が用意されていた。戦時中、食料はあまり手に入らないが、村人が作る野菜や大豆を使っての工夫された料理は絶品だ。腹ぺこだった二人は、喉を鳴らしながら「いただきます」と言うと食べ始めた。


 勢いよく食べ続けたラルフの頬に、細い手が伸びてくる。頬を拭かれて驚いて顔をあげると、シーナが笑っていた。


「ラルフ、ほっぺに一杯ついてる」

「だって。美味しいもん。俺、腹減ってたし」

「こぼしたら勿体無いよ。ゆっくり食べなよ」

「でも温かいうちに食べたいし……」


 会話の途中で、荒々しく入り口の扉が開いた。ざわめく村人の声にラルフも視線を移す。振り向いた途端に血の匂いが鼻についた。村人たちが生け垣のように連なって立っているのでよく見えないが、どうも怪我人が数人店に入ってきたらしい。ラルフはもっとよく見ようと近付いて、その中に知った顔を見つけて目を見開いた。


「ルークおじさん?」

「あ? ああ。ラルフ」


 ルークが、ラルフを見つけ痛ましそうな顔をする。その表情にラルフは嫌な予感がして一歩後じさりした。


「なんだい。ルークじゃないか。どうしたんだい、あんた戦争にいってたんじゃ……」


 ラナが村人をかき分けるようにして近づく。彼女が言い終わらないうちに、ルークは端的に現実を告げた。


「やられた。俺達の救護所が敵の襲撃を受けたんだ」


 ルークの腕にも顔にも切り傷が一杯あった。拭き取られることもないまま固まった血液は浅黒く服に染み付いている。


「救護所だって? どうしてそんなところを。戦場じゃないじゃないか」

「ああ。敵方はもうルールなんて守りゃしない。夜中の停戦時間を狙っての襲撃だ。これはもはや惨殺だ」

「待ってよ。救護所って……」


 シーナがラルフの脇で震える声でつぶやいた。ラルフも彼女の腕を握る。救護所では、ラルフの母親が医師として働いているのだ。


「……ラナ、すまん。あんたの旦那のシータも、ラシッドもファルナもみんな…」


 ルークから続けられる言葉は、ラルフから血の気を奪っていく。ラシッドは父親、ファルナは母親の名前だ。


「みんな、死んじまった。すまん、すま……っ」


 ルークはそのまま泣き崩れ、周りにいた村人は彼を励ましたり、自分の身内の安否を聞きだそうルークを取り囲んだ。ラルフはそれをまるでどこか遠い世界の出来事であるかのように遠巻きに眺める。


「ウソだ……」


 自分の声もどこか現実感がない。ラルフはそのおかしな感覚のまま立ち尽くしていた。


「奥の部屋で休むといいよ、ルーク。部屋を準備する。シーナ、ラルフ、手伝っておくれ」


 ラナは気丈にルークをはじめとする生き残りの人たちの為に動き出した。シーナもラナの声に瞬発的に動く。しかし、ラルフは一歩も動けなかった。


「ウソだよ」


 ラルフのつぶやきは、この騒がしさと慌ただしさで誰にも届かない。足もとがフワフワして、まるで夢の中にいるような気分がした。そうだこれは夢だ、だからここから抜け出さなければ。そう思って、ラルフは足を動かした。

 一歩前に出すのに、ひどく苦労して、それでも二歩目は最初よりは早く動いた。やがて正常なリズムを取り戻した足は今度は止まらなくなり、ラルフはそのまま店を飛び出した。


「ラルフ、どこに行くの?」


 シーナの声が聞こえたけれど、ラルフは返事もできなかった。夢だ、夢だ。こんな酷い夢からは早く抜けださなくちゃ。その想いだけで、走り続ける。



「……はっ、はあっ」


 じきに息が切れて胸が苦しくなってくる。そのことに、今が夢ではないことを思い知らされて、ラルフはそのまま走り続けることができなくなった。


「夢、……じゃない」


 立ち止ったその場所は、つい何時間か前に夕暮れを見ていた星見の丘の上だった。空には星がきれいに光っている。


「嘘だろ、父さん。帰ってくるんだろ? 母さん」


 はっきりと見えていた一等星が、ゆっくりと滲んでいく。ラルフは自分が泣いているのだとそこで気付いた。


「嘘だ。死ぬなんて。だって俺は」


 信じない。父も母もこの手を握って必ず帰ると約束した。約束は必ず守る誠実な両親だった。だからこんな結末が訪れるはずはないのに。



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