星空の約束
その夜、食事の時間を終え人が閑散とし始めた頃、ガイアが酒場の戸を開いた。
「毎日来て悪いね」
「いいえ、嬉しいです」
シーナの態度が砕けたものになっていることに、いち早く気づいたのはラナだ。仲睦まじく話す二人を怪訝な様子で見つめる。
「シーナ、ちょっとこっちを手伝っておくれ」
「はーい」
ラナはシーナを呼び寄せてその表情の変化を見る。
「……あの客、よく来るね」
「そ、そうね。まあこの村には他に娯楽らしい娯楽もないし」
「そんな村にいつまでいる気なんだろうね」
「それは……」
シーナの動きが止まる。浮かれていたが、ガイアは旅人なのだ。ずっとここにいるわけではない。
「……そうだね」
彼がいなくなる日。自分はどうするのだろう。
彼に着いて行くのか、ここで待つのか。まだ何の決心もシーナの中では固まっていない。
隣からは大きなため息が漏れた。
「やっぱりあの旅人と何かあったのかい?」
ラナに尋ねられ、赤面したシーナは何も言えなくなる。気まずい空気はすぐに辺りに伝わり、カウンターの客が変な眼差しで二人に向けた。シーナが気まずさに俯くのと同時にガイアが近づいてくる。
「おかみさん。今晩、店が終わったらお話があるんですが」
ラナに対して真正面に立つ。真剣な表情に周りもざわついた。
「改まってなんだい」
ラナが茶化すように笑っても、ガイアは表情を変えなかった。
「改まった話をしたいんです」
ラナはため息をついて頷いた。奥手と言うよりは恋愛という名の感情を生まれるときに忘れてきたんじゃないかと心配になる娘だったが、まさか数日のうちにこんな年上の男とどうこうなるとは。
騙されているんじゃないかと一瞬心配が先に立ったが、話を聞いてみるまではむやみに判断も出来ないだろう。
「皆悪いね。今日は酒がきれたよ」
「なんだよ、ラナ」
「たまにはアンタたちも早く帰って家族サービスするんだね」
不満をこぼす村人たちも、この空気を察知したのか大人しく店を出て、ラナはなかば無理矢理店を閉める。それにはシーナもガイアもびっくりして言葉を告げられなかった。
*
「まあ飲みな」
コトン、とおかれたグラスには深い赤紫色の液体が入っている。
「酒は切れたんじゃなかったのかい、おかみさん」
「うるさいねぇ。さあ、一杯飲んで景気つけたらさっさとお話よ」
人気の無くなった酒場の四人がけのテーブルだ。シーナとガイアが並んで座り、その向かい側にラナが座っている。
「おかみさんはもう気づいていそうですけどね」
「それでも、男から言うのが筋ってもんだろうが」
「まあそうですね」
二人の会話の間中、シーナは一言も話せない。それまで恋愛とは無縁の生き方をしてきたのに、ここ数日でまさかの両思いから母親への報告まで。自分でもこの早い展開についていけない。
「お嬢さんを好きになりました。彼女と生きる権利を俺にもらえませんか?」
「でもアンタは旅人だろ。この子をどうする気だい? 連れて行くのかい?」
シーナは顔をあげ、戸惑いを称えたまままガイアを見つめる。ガイアは好きだが、この酒場を捨てる決意までは持てない。ここはラルフにとっても帰る場所だからだ。
「それは……仕事のきりがつくまで、彼女に待っていて貰えたらと思ってます」
「ガイア?」
ガイアは一度シーナに微笑みかけると、再びラナと向かい合った。
「俺の仕事は、意外と危険が伴うものなんです。だからシーナは連れていけない。でも、……俺は今の仕事にそれほど未練はないんです。もしシーナがここを継ぐというなら、それを一緒に手伝っていけたらと思います。今の仕事を片付けて、そして辞めてきます。そうすれば俺は自由になれると思うんです」
シーナはぼんやりと昼間のことを思い出した。着込んだ服の下に仕込まれた防具。ガイアの仕事は交易調査と言っていたはずだが、それにそんなに危険が伴う?
「俺は君に、今までどおり生きていって欲しいんだ。仕事のキリがつく頃……そうだなあと半月ほど待っていてくれるか?」
いつの間にかガイアはシーナに向かって話をしていた。シーナは我に返ってただ頷く。それを見ていたラナが苦笑した。
「やれやれ、旅人ってのはせっかちなもんだね。ちゃんとシーナは納得してるのかい」
「大丈夫よ、母さん。……私、ガイアを待つわ。初めて好きになれた人だもの」
「だから心配してるんだけどねぇ。……まあ、アンタも大人だからね。あんまりグチャグチャいうつもりはないけど。困ったらいつでも頼っておいで」
「うん」
「こんな……一人にするようなタイミングで出会ったのも運命なんだろうよ」
ラナは自分が村を出て行くことを気にしているのだろう。
大きな反対もなく納得され、シーナもいまだ実感は伴わないまま、結果としてガイアとは結婚を前提としてお付き合いを始めることになる。
*
それから数日後、ガイアはいよいよ出発すると言い出した。
「今日は酒場はあたしに任せて。アンタは別れを惜しんでおいで」
ラナにそう送り出されて、シーナはその日一日ガイアとともに過ごした。昼は村の外を散歩し、夜は星見の丘に登る。シーナは夜に星見の丘に来たことはない。酒場の仕事があるからだ。だから、ここから満天の星が見えることも初めて知った。
二人並んで樹の幹に背を預け、今は村の方角を眺める。村の明かりもこうして集まると綺麗なものだなぁとシーナは感心する。
「運命だったのかもな」
「え?」
ポツリと言ったガイアの方を向くと、彼は暗い西の森を眺めている。
「俺の人生は、この森みたいに真っ暗なままだと思ってた。光のもとに出てくることなんてないって思っていたのに」
「ガイア?」
「ここで君の弟の話を聞いて、俺は無性に羨ましくなった。同じように両親を亡くして、どうしてこんなに違うのか」
一体どんな人生を送ってきたのか。婚約者となった今ならば聞いてもいいのかもしれないが、恋愛初心者のシーナにはそれも難しい。ただ心配していることを伝えたくて彼の手に自らの手を添えると、ガイアは握り返してきた。
「君は光だ。この村の明かりのような、この空の星のような」
「ヤダ、何言ってるのよ」
真面目に語りだすガイアに、シーナは驚く。何かがおかしいという疑念が消えない。しかし、彼から見え隠れする闇を問いただすには、一緒に居た期間も残された時間も短すぎた。
シーナはただこの時間が惜しくて。繋いだ手に力を込める。
「ごめんな。どうしても一度行かなきゃならないんだ。必ず帰ってくるから。……そしたら」
「うん?」
「そしたら、……俺と一緒になってくれるか?」
彼の眼差しがまっすぐにシーナに注がれる。シーナは彼の瞳の中に闇を見て、その後ろに広がる満天の夜空に一際輝く星を見た。
――どんなに闇が深くても、明かりがあれば迷うこともない。
であれば自分が光になればいいのだ、彼がそう言ったように。
ガイアに何かしらの闇があるなら、それを照らす光になろう。
「はい。あなたを待ってる」
シーナは覚悟を決めて微笑んだ。その瞬間に落ちてきた唇は、薄ら寒い夜の空気の中で最も温かかった。
「そうだわ、これ」
シーナは胸元から懐中時計を取り出した。父の形見だとラナがくれたものだ。
「これ、十年前の戦争で死んだ父の形見なの。ガイアに預けるから、必ず持って帰ってきて? 大事なものなの」
「そんな大事なものは……」
預かれない、と続けようとしたガイアの手に、シーナは無理矢理それをねじ込む。
「大事だから預けるのよ。必ず戻ってこれるように」
“別れ”はシーナにとってはトラウマだ。必ず帰ると約束したくせに、ラルフだって五年も帰ってこなかった。これ以上大切な人を無くすのはごめんだった。
「……分かったよ。必ず持って帰る」
必死さに押されて、ガイアは苦笑した。そして二人は別れを惜しむように、いつまでもそのまま寄り添っていた。
*
翌日、旅姿のガイアをシーナは森の入口まで見送った。
早ければ半月ほどで戻るという。ならば泣くのもおかしいと思うのに、シーナの瞳からは涙が止まらなかった。
それでも、最後の最後はなんとか笑う。光になるためには、笑えるようにならなければ。
森の緑の中に小さく消えていった彼の姿を思い出しながら、酒場でため息をついていると郵便屋がやってくる。
それは久方ぶりのラルフからの手紙だった。
『ラナおばさんに、おめでとうと伝えてください。今は昇進したばかりで休みを取るのが難しいのですが、来月の春休暇には一度帰ります。ちゃんとお祝いを伝えに帰るから、俺を待たずに結婚式は挙げてください。久しぶりに会えるのを、楽しみにしています』
――ラルフがやっと帰ってくる。
シーナは心がふわりと軽くなるのを感じた。
来月ならばガイアも戻っているだろう。
シーナは、ガイアのことをラルフに紹介する自分を想像して笑った。それは思ったよりも気恥ずかしい。
「これからはすべて上手くうまくいくような気がする」
シーナは窓を開け、そこから見えた青い空に微笑んだ。




