旅の男・1
酒場にはいつものように常連客が溢れていた。シーナは客の求めに応じてせわしなくグラスを往復させていた。その時、ギィときしんだ音を立てて扉が開いた。
「いらっしゃいま……」
反射で声をかけつつ、扉から現れた男にシーナは目を奪われた。背は高い。おそらくラルフと同じくらいあるだろう。髪は黒、瞳は青の精悍な初めて見る青年だ。脇に剣を指しているところを見ると旅の剣士なのだろう。
「いらっしゃいませ。こちらのお席にどうぞ?」
「果実酒をいただけるかな、お嬢さん」
剣士は目尻にシワを寄せて笑った。穏やかそうな顔にシーナは警戒を解いた。と同時に男を観察する。全体的に骨太な印象で、自分よりは年上だろう。
剣士は足を伸ばして、疲れたように溜息をついた。
「はい、お待たせしました」
シーナは果実酒の入ったグラスをカウンターテーブルにのせ、サービスのナッツを近くに置いた。
「お食事は?」
「いや、まだいい」
男はグラスと傾けるとあっという間に飲み干してしまう。
「悪いがもう一杯もらえるかな」
「はい。すごい飲みっぷり! お客さん強いんですね」
果実酒は案外酔いが回るものだ。それを水のように飲む人間を見たのは初めてだった。
おかわり注いでいると、ラナが男の方に向かった。
「お客さん、旅の人かい? この村はどうさね」
「のんびりとしたいい村だな。名産はなんなんだ?」
「そうさね。花は街に出荷するほど有名だよ。アンタはどこからきたんだい?」
ラナは世間話ついでに男の素性を探ろうとしているようだ。国境の村であるここには時折カルゼン公国からの旅人も来る。今更過去の戦争のことを蒸し返してなじるつもりはないが、トラブルの種になるかどうかを判断しようというのだろう。
これからは自分もそうしていかなきゃならない。
シーナは母親を見ながら決意を新たにする。
途中常連客に呼び止められ、剣士の注文を出すのが遅れてしまった。
「すみません。お待たせして」
「いいよ。忙しそうだね」
「あまり見ない方ですけど、旅のお方ですか?」
「ああ、東の方からね」
「東? 首都の方ですか?」
「いや? もっと海の方からだよ」
男は、シーナの知らない東の町の話をユーモアを交えながら聞かせてくれた。情報収集のつもりで話しかけてみたのに、シーナはあっという間に剣士の話に夢中になってしまった。
果実酒を数杯飲んだ後、剣士は食べ物を注文し他のお客とも話をし始めた。周りの村人がいつの間にか彼を中心にして集まっている。人懐っこい人なんだな、とシーナは思った。
あっという間に時は過ぎ、徐々にお客も帰り始めた頃、剣士もその大きな体を持ち上げた。
「なあ、おかみさん。このあたりで泊まれる所はあるかな?」
「村の真ん中に一応宿はあるよ。あんまり遅くなるとあの爺さん寝ちまうから、宿をとるなら早くいきなよ」
「わかった、ありがとう。また来るよ」
剣士は微笑んで酒場を出て行く。その時去来した感情にシーナは首をかしげた。
――寂しいなんて、思うのは変じゃない?
*
翌日の仕事開始前に、シーナは市場のおかみにラナの店を継ぐことを決めた。おかみは、眉を寄せてシーナの肩を叩く。
「まあいつかはそう言うだろうとは思ってたけど。それにしても残念だわ。あんたが売り子してくれてると売れ行きがいいからねぇ。……じゃあ、いつまでできる? 最低でも明日まではお願いしたいんだけど」
「わかりました。大丈夫です」
自分が仕事を覚えるのは早ければ早いほど、ラナは自由になる。そう思ったシーナは市場での仕事を最短で辞めることにした。
この日は早くもシーナが辞めるという噂を聞きつけた客が何人も来て、果物も野菜も勢い良く売れた。昼を過ぎた頃にはもう売るものが無くなってしまったほどだ。
「シーナ、あがっていいよ」
「はーい」
売上金を手渡し、シーナは市場を出る。あまりにも早く終わったので、寄り道していくことにした。考え事をしたいときに必ず行くのは、星見の丘だ。ラルフがいなくなってから、シーナはよく一人でここに来る。ここから村の全景を眺めるのが好きだった。
大きな木の根元に座り込み、ポケットにいつも忍ばせている懐中時計を取り出した。父親の形見の品だ。
「父さん、母さん隣村に行っちゃうって」
シーナは時計に話しかけた。もちろん、返事が返ってくるわけではないがいなくなった父親と話したくなるとシーナはこうする。実際、シーナはあまり父親のことを覚えてはいない。肖像画なんていう高級なものは持っていないので姿さえおぼろげにしか思い出せない。ただ、優しく大きかったことだけが記憶にある。
「許してあげてね。母さん、ずっと頑張ってたんだから」
あの戦争の後から、必死に生きてきたラナ。一人きりになったと泣いたラルフ。
二人共、それまでとは違う生き方を見つけてしまった。
自分だけ何も変われないまま。
そう思うと自然にため息が出た。なんだか無性にせつなくなって、シーナはゴロンと寝ころぶと目を閉じた。
風が体を撫でていき、陽の光が温めてくれる。自然の癒やしを体中で感じていると、そのまま意識まで飛んでいった。




