家族・1
刃のような鋭さを持った冷たい風が、丘を下るように吹き付けている。十歳になる少年ラルフは、その風に立ち向かうようにして丘の上を目指していた。少し癖のある柔らかい茶色の髪は風に吹かれて後ろに反り返り、寒さの為に赤く染まった頬はかさついて痛みさえ感じるほどだ。ラルフが息を切らしながら星見の丘に上ると、それまで丘の陰に隠れていた夕日が少年の全身を赤く染めた。
ザムザ王国辺境の村モニール。それがこの村の名前だ。隣国カルゼン公国との長年にわたる戦争の為、村に残っているのは老人と女子供ばかりだ。
ラルフは走ってきた道を振り返る。この星見の丘に立つと村全体が見渡せた。今は夕日に赤く染められ、まるで血で染められたようにも見えた。ラルフは軽く身震いをして、再び向き直る。丘の向こうに広がる森林、その先に広がるのは敵国であるカルゼン公国だ。
「父さんも、母さんも、無事だよね」
少年の心は、今不安で一杯だった。
ラルフの父親が、徴兵されて戦線へ行ったのは三年前のことだ。なかなか終わらない戦争に、兵は疲弊し、救援部隊の出征を余儀なくされる。次に招集がかかったのは、村で医者を営んでいた母だった。ここから一番近い合戦場付近にある救護所の医師が倒れ、急遽、代理にと呼ばれたのだ。それも、今からはもう三ヶ月前のことになる。
両親が不在の間ラルフを預かってくれたのは、母の友人のラナだ。彼女の夫も戦場に行っていたので、ラナと彼女の一人娘のシーナ、そしてラルフはラナの経営する酒場で、身を寄せ合うようにして暮らしていた。
シーナはラルフより三歳年上で、ラルフが一緒に暮らすことになった時には喜んだ。まるで弟ができたみたい、と。それ以降、シーナは母親のような甲斐甲斐しさでラルフの面倒を見た。こんな風にラルフの帰りが遅いというだけで、心配して迎えにやってくるほど。
「ラルフ、こんなところにいた。もーう! もうすぐ六時だよ。お店はじまっちゃうよ」
息を切らせて、両拳を腰に当てて仁王立ちする。まだ幼さの残る顔に大人の女性のような仕草はアンバランスだったが、ラルフは見慣れていたので違和感を感じなかった。一つに縛られた長い茶色の髪は、風の吹く方へなびいている。
「シーナ。ごめん」
膨れ顔の彼女に、ラルフはおずおずと謝罪する。ここで謝らないとゲンコツが飛んでくるのだ。
「私たちだっていなきゃ母さんは大変なんだから。ほら、早く行くよ」
シーナは自然にラルフの手をとって走りだす。引っ張られて、意識は解消するあてのない不安から手の方にうつった。
目の前で揺れる茶色の髪。あの日もこんな風だった。ラルフがシーナの家に預けられ、不安で泣きそうになっていた時。
「ラルフ、平気よ。私と母さんがいるもん」
戸口で固まっていたラルフを引き入れてくれたのはシーナだった。迷いを振り払う勢いで強く引っ張られ、ラルフはつんのめって転んだが、嬉しかったし安心した。母親が戦場に行くと聞いてから、初めて笑えたのもこの時だ。
「シーナ、見てよ、夕日」
ラルフの声に、シーナが振り向いて足を止めた。
「真っ赤だ」
「……うん」
ラルフの顔もシーナの顔も、夕日に照らされて赤くなる。シーナはきゅっと唇を噛みしめると首を振った。
「綺麗っていうよりは、なんか怖いね」
「だよね」
ラルフはシーナが自分と同じ感想を持ったことで少し気が晴れた。不安な気持ちになるのはきっとこの夕日のせいだ。そうに決まっている。
「行こう、シーナ」
不安を振り払うように、二人は走って丘を下り、この村唯一の酒場へと向かった。