弓の基本
アイシャさまの招待客不在のガーデンパーティーに現われた、うさんくさい金髪の男。
「げぇっ、ホルン伯爵…」
シャシャが嫌そうに呟いた声で、名前と身分は分かった。
見た目どおり、あまり歓迎できる人物ではないことも。シャシャが小声の呟きとはいえ、敬称すらつけていないことからもよくわかる。
セフィも声にはだしていないが、なんだか嫌そうな顔をしている。
セヴァンだけはいつも通りのポーカーフェイスで何もわからない。
「おひさしぶりです、ホルンさま」
アイシャさまだけは笑顔で応じたが、その笑顔も外行き用といった感じの作り笑顔だった。貴族の少女なら誰しも身に着けている技術だが、わたしたちの前では素の表情しか見せていなかったので、私は少し不思議な気分になった。
「いや~、私も運がいいですなぁ。たまたま別荘に静養に来たおりに、偶然にもあなたに出会えるとは!これはもう運命と呼べるのではないでしょうか」
「そ、そうでしょうか…」
ホルン伯爵はそんなアイシャさまや周りの反応に気づいていないようで、当人はきめ顔とでも思ってそうなきりっと仕切れていない表情でアイシャさまに一方的に話しかけている。
「よく言うわよ。こんなシーズン外れに別荘に来てるのなんて、私たちだけって知っているくせに」
シャシャがまたぼそっと冷たい表情で呟いた。
確かに高地の別荘といえば、シーズンは夏だった。あの伯爵がわざわざアイシャさまに会いにここまで来てるというのは、使用人たちの間でもばればれなのだろう。
恋愛とは複雑なもの。相手がまんざらでもなければ情熱的になる行為でも、相手が嫌がっていればストーカーである。
話しかけながら馴れ馴れしくアイシャさまの手を取ろうとしたホルン伯爵だが、さりげなくその前にセヴァンが立ち塞がったせいでそれは適わなかった。
明らかに気分を害した表情だったホルン伯爵だが、セヴァンは表情ひとつ変えなかった。
それどころか、ホルン伯爵をまっすぐ見返して言った。
「それで我が主へのご用件はなんでしょうか、ホルン伯爵さま」
「くっ…」
身分の差に臆することのない堂々とした対応。
私はメガネの性格にも良い部分はあるのだなぁっと感心した。性格が良いと言ったわけではない、危険な刃物が野菜を切るとき役にたつように、なんにでも用途はあるのだと言ったのだ。
セヴァンの鋭い目つきに一瞬ひるんでしまったホルン伯爵だが、第一印象どおりの厚かましさを発揮しまだその場に留まった。
「実は最近狩りにはまっていましてな」
そういえばここに来たときから、ずっと弓を二本と矢筒をからっていた。
私としては何故二本あるのかわからない。ボウガンではあるまいし、どんな怪力があっても弓を二本使うことは不可能だ。
「これがなかなか奥深いもので、すっかりはまってしまいましたよ。道具も職人に命じて、最高級のオーダーメイド品をふたつも作らせました。ほら、どうです?美しいでしょう。教えさせた狩人によると、私には凡人にはない天賦の才があるようでしてな。ほらっ、この通り…ぬっ、邪魔だな」
狩りの話にそれほど興味の無さそうなアイシャさまを前に、矢を取り弓にかけポーズを取ろうとしたホルン伯爵は、案の定、二本目の弓が邪魔になっていた。
どうするのかと思えば、近くにいた私に弓と矢筒まで何も言わずに放り投げてきた。邪魔だから持っておけということだろうか。
私は矢筒と弓を両手を使って受け止めた。
「ちょっと、大丈夫?」
顔をしかめたシャシャがちょっと心配そうに聞いてくる。
まあ抜き身の刃物ほどの危険度はないとはいえ一応は武器だ。投げて渡すのは推奨しない。
「平気」
でも、特に怪我はなかったので、頷いて返事を返しておいた。
「ほら、この通り!」
ホルン伯爵のほうはそんな私たちのやり取りなど気づく様子もなく、アイシャさまに弓を引いたポーズを見せ付けていた。特段下手でもないが、上手くもない、なんというか普通のポーズだった。
アイシャさまの反応は鈍い。
というか、先ほどから少し怒っているようだ。いつもの柔らかい顔が少し険しくなっている。ちらっと私に視線がきた。
もしかしたら興味がない狩りの話をながながとされて怒っているのかもしれない。
そして傍観しているだけの私たちをうらやましく思っているのかもしれない。
可哀想に…。
「なんかあんたの性格分かってきたかも…。今もの凄くずれたこと考えていたのは分かった…」
そんなことを考えていたら、シャシャがそんなことを言ってきた。
「リゼルのことを心配してたのよ、アイシャさまは」
セフィもそんなことを言ってきた。
そうなのだろうか。
そんなことなのだろうかと一応、アイシャさまに視線を返し「大丈夫」と頷いておくと、アイシャさまの表情が緩んだ。
そんなことだったのか…。
ただ矢の入った矢筒と弓を投げられただけである。むしろ、あんな変な男を相手にしなければいけないアイシャさまのほうが大変なのではないだろうか。
貴族というのは厄介だ。身分に人格が伴わないものがいても、ある程度は丁重に扱わなければいけない。
それは平民特有の苦しみかとおもっていたけれども、アイシャさまを見ていると貴族同士の付き合いも大変そうである。
「おやっ、あれは!」
誰も興味を示さない弓を引くポーズを続けていたホルン伯爵が、突如大きな声をあげた。
そちらを向くと、そこには庭の草を食んでいる小さなウサギがいた。
ここらへんは自然溢れる場所だ。別荘地の周りは、豊かな森に覆われている。そこから可愛い小動物のお客さんたちがやってくることもあると、アイシャさまたちは楽しそうに語っていた。
何を思ったのか、ホルン伯爵はそのウサギに弓を向けた。
「ちょっと、何をなさってるのですか!?」
アイシャさまもさすがに無視できず、ホルン伯爵に問いかける。
「ふっふっふ、あなたのためにあのウサギをしとめてみせましょう」
意気揚々とわけのわからないことをのたまった伯爵は、アイシャさまが止める間もなく狙いを定め矢を放った。
「「「きゃあっ!」」」
女性三人が悲鳴をあげる。
矢羽が風を切る音、そしてそれが何かに突き刺さる音がした。
「えっ…?」
誰かが声を出す。
矢はうさぎの近くの木の幹に突き刺さっていた。しかし、それはホルン伯爵の放った矢ではない。
ホルン伯爵の放った矢は、その木の根元でまっぷたつに折れて転がっていた。
ホルン伯爵の矢は運が悪いことにまっすぐにうさぎへと向かったのだ。彼にとっては会心の射撃だろう。
それとは別の角度から放たれた矢が、ホルン伯爵の矢をはじき飛ばし、木の幹に突き刺さった。
うさぎはのんきにまだ草を食んでいる。
私は構えた弓を戻して、腕を下ろした。
「えっ…え…?リゼル…?」
シャシャが何故か呆然としたようすで私の名前を呟く。
驚愕の表情で固まっていたホルン伯爵が、私を見て叫んだ。
「き、きさま何をしたんだ!?」
何をっていわれても見たらわかると思うが。
「アイシャさまは動物好きな方です。目の前で動物を射殺されても喜ぶどころか、トラウマになるだけかと思います。だから失礼ながら矢を撃ち落させていただきました」
失礼にならないように、一応頭をぺこりと下げておく。
アイシャさまの部屋には、動物の写真がたくさん飾られていた。だから間違いないと思う。
動体射撃は弓の基本中の基本だ。これなしでは弓は扱えない。
これぐらいなら見せても、ちょっと弓の経験がある程度ですむはずだった。
これと相手の逃げる方向を予測して撃つ予測射撃。それから相手の回避動作を誘導するためのフェイント。この三つが揃って、はじめて弓は実戦で扱えるレベルになる。
……私はそう習ったのだ。
しかし、まわりの視線をみるとなんか違う感じがする。
セヴァンまで私を驚いた表情で見ている。急に居心地が悪くなってきた。
「えっと…、これぐらいできますよね…?」
不安になった私は思わず、ホルン伯爵に尋ねてしまった。
ホルン伯爵の表情が呆然としたものから、徐々に何故か紅潮していく。
「なっ…なっ…、もっ…もちろんできるとも。ははは…、私をからかわないでくれたまえ!で、出来て当然さ。それぐらい。さて!私はいそがしい身なのでこれで帰らせていただくよ!」
そしていそいそと私から弓と矢筒を奪い帰ってしまう。
うさぎはいつの間にいなくなっていた。
「あんたやるじゃん!」
ホルン伯爵がいなくなると、シャシャが嬉しそうに飛びついてきた。私は思いっきりよろけた。
「うん、とってもかっこよかったわ!」
アイシャさまお嬉しそうに笑った。
なんか不問になりそうな雰囲気である。良かった…。
「でも、あんな弓の技、誰に習ったの?」
セフィの質問はあまり聞いて欲しくないことだった。
「えっと、知り合いのおじさんにちょっと…」
「へぇ~!」
セヴァンだけは何も聞いてこなかった。
もしかしたらセヴァンはなんだかんだで出来るのかもしれない。私に弓を教えたのも執事の男だった。
そういえばよくこうも言っていた。「執事であれば、これぐらいは基本です」と。
執事に何故弓術が必要かはよくわからないが、私はそういうものかと勝手に納得することにした。




