ここは夜の国です 1
しばらく遠くに現れた城をぼーっと見ていると、私の足もとに唐突に小指の先ほどの光が現れた。
「げ、やっぱり来たか…」
わかっていたこととはいえ、面倒くさいという感情は変わらない。同時にちゃんと着替えていてよかったという感想が胸に浮かぶ。
現れた光は地面すれすれを飛びながら、光の文様を描いていく。魔力を持った文字<ルーン>と図形<リニエ>の集合体、魔法陣である。
そしてそこに描かれている魔法は見慣れたものだった。
転送陣。
はるかに離れた場所から別の場所へと瞬時にものを移動させる、幻とも言われる高位魔法だ。
私が何も言わずとも、魔法陣はどんどん勝手に完成していく。私は腰の紐に剣を刺すと、普段着を隠すようにマントの前を閉じる。
光がついにその円を完成させると、あたり一面が一瞬白い光に包まれた。
そしてその光が収まると、私は『あの』城の前にたっていた。遠くからでも巨大にそびえ立って見えた城だが、ここから見るとたいした大きさではない。そうはいっても、私が勤めていたランザニアの城ぐらいはあるのだが、まあ常識的な大きさだ。
仕掛けはここが内郭の城であるということだった。外から見えるあの巨大な城の上部には、広大な庭と壁がありもうひとつの城が構成されている。ここから振り返って降りていけば、外郭部分へと行けるはずだった。
城の上部にある庭と言いがたい広い敷地の上に立つ私の足元には、これまた長々と石畳の道がお城の前まで伸びている。
そしてあまり認識したくなかったのだが、さっきからその道の左右にずらっと一列になり人が並んでいた。
城まで続く道を人垣で構成したようなその列は、城の扉まで整然と並んでいた。いったい何人の人が立っているのだろう。侍女の格好をした女も侍従の格好をした男も、直立不動で身じろぎひとつせずに立ち、その姿は兵士かとおもうぐらいに様になっていた。
そして彼らは私が光の陣をまとって現れたのを確認すると、一斉に頭を下げ唱和した。
「「おかえりなさいませ!公爵さま!」」
みだれもずれもひとつもない完璧な礼と掛け声だった。
私は彼らに気づかれないようにげんなりしたため息をつくと。
「出迎えご苦労だった」
ひとつ頷き、労いの声をかけてから城への道を歩き始めた。
彼らが頭をあげることはない。私が城に入らなければ、彼らはその格好のまま動こうとしないのだ。自然と足が早足になるのを感じる。
扉の前までくると、左右に控えていた男たちが扉を開けてくれる。
城に入ってもその光景はあまり変わらなかった。
城の中にもたくさんの人がいる。あれだけの人数が出払っていても、この城にはまだ多くの人が残っていた。書類を運んだり話し合いをしている彼らは、私の姿を見とめると、手を止め道を開け頭を下げる。
私ができることは、それに頷くぐらいである。
さらに足の回転がはやまるのを感じた。全力で私は目的地を目指す。城の最上階へと。
しかし、今日は珍しく呼び止められてしまった。
「『公爵』さま」
穏やかな男性の声に振り返ると、ひと目見ただけでわかるほど高貴な雰囲気を漂わせた初老の男性がいた。金色の髪は白髪が少し混じりながらもなお美しく輝き、青い瞳には叡智と人目で人の心を掴む光をそなえている。その少し痩せた細面は今でも十分にかっこよく、若いころはさぞかしハンサムだったろうと思わせる。
私の額に汗が少し浮かぶ。
私はその男性に見覚えがあった。
だって、私の国の国王様なのだもの…。
見覚えあるに決まっているではないか。
下女な私にとって直接お目にかかれた機会はまったくないが、肖像画を見たり王都のお祭りなんかで遠めに拝見したりすることはある。
陛下は私が足を止めるのをみると、頭を下げて一礼した。
「およびとめして申し訳ありません。お話ししたいことがありまして」
「どうしましたか?」
私の言葉は国王に対する話し方ではないが、周りも陛下も気にした様子はない。
「私もそろそろ年になりまして、夜国士族の責務をまっとうするのがきつくなってまいりました。なので、今日から息子に夜国の爵位と仕事を引き継ごうと思います。なので公爵さまにも、一度お目通りをと思いまして、呼び止めた次第でございます。アレス、来なさい」
「はい、父上」
そう呼ばれて現れたのは、もちろんあのアレス殿下だった。
こちらまできびきびした動作で歩いてきたアレス殿下だが、私の姿を見た瞬間呆けたように固まってしまった。
私はぎくりとするが、陛下はその姿をみて苦笑いをしながら言った。
「これっ、アレス。挨拶しなさい。申し訳ありません。息子はあなたの英名に憧れていましてね」
そう言われてアレスさまもはっと立ち直ると、慌てたに頭をさげた。
「大変失礼しました。新たに夜国士族として伯爵位を引き継がせていただいたアレスといいます。まだ見習いの身分ですが、どうかお見知りおきを」
その言葉に私は、ほっと肩を見えないように落とした。
「まだ未熟者ですが、息子のことをよろしくお願いします」
再び国王陛下にまで頭を下げられる。私は思わず身じろぎしてしまったが、幸いにも全身を覆い隠すマントがその動作を隠してくれた。
「了解しました。こちらこそ、よろしくお願いします」
私は動作が不自然にならないように苦労しながら首を縦に振ると、別れを告げまた歩き出した。
あとは呼び止められることはもうない。ただどう見ても、貴族や王族の雰囲気を漂わせた人間が頭をさげてくる。
そしてようやく目的地についた。
この城の最上階にあるもっとも広く立派な部屋。
私がその扉の前に立つと、扉はひとりでに開く。私は足を踏み出し、部屋の中に入った。
部屋の中に入ると、まず赤く伸びる絨毯が目に付いた。
その絨毯の先、一人の男が椅子に座っていた。王座にしては、あまりに簡素すぎる椅子。
この城でもっとも高い場所。最上階の王の間のさらに一段と高くなった場所。そこに悠然と座る男は王以外には存在しまい。
まるで夜の闇のように光を映さぬ黒い髪と漆黒の瞳を持った、まだ年若い二十歳ぐらいの男。
それがこの国の王だった。
***
部屋に入ると、王の瞳が私を捉えた。
その表情は笑みを浮かべているが、感情を読み取ることはできない。
私は王の足元まで歩み寄ると、頭を下げ…るわけがない。
思いっきり被っていた帽子を相手に向かってたたきつけて怒鳴り散らした。
「いきなり呼び出すんじゃないっていったわよね!あの変な出迎えもいらないっていったでしょ!」
それから変なマスクも、これは飛びが悪いので、絨毯の方にたたきつける。
私が投げた帽子は、憎らしいことに王によってキャッチされ、指先でくるくると回される。
「はっはっは、なかなか出廷してこないお前が悪いんだろ。それにあの出迎えは部下たちに評判いいんだぞ。なかなか見れない公爵の姿が見れるってことで、希望者が殺到してくるんだ」
表情を読ませない笑みから、普段のむかつくにやついた顔に変わる。
「私の方がストレスで死ぬわ!」
毎度受けるトラウマ級の挨拶攻勢を思い出し、私は地団駄を踏みながら訴える。
「はっはっは、馬鹿いうな。夜国の最上位である公爵がそんなことで死んでたまるか」
「嫌がらせか!やっぱり嫌がらせか!」
「扉がまだ開いてるのに、あんまり大声で騒ぐなよ。お前に憧れる人間は多いんだ。本性が知れ渡ったらみんな悲しむぞ。おーい、リゾ。扉を閉めてくれ」
「はい、了解しました」
王が手をひらひらさせながら言うと、その横に青年が現れ、扉がひとりでに閉まる音がした。
美しいはアクアグリーンの髪を持つ美青年だが、どこか線が細く弱々しい印象を受ける。
青年はこっちを見ると、申し訳なさそうな上目遣いで謝ってきた。この動作がものすごく様になってるのは、彼にとっても周りにとっても幸いなことだといつも思う。
「申し訳ありません、リゼルさま。王の命令とはいえ、無理に呼び出してしまって」
彼こそ私を魔法で呼び出した、稀代の移動魔術の使い手だ。転送陣をあれだけの精度、あれだけの距離、そしてあれだけの速度を持って行使できる人間を、私はまだ見たことが無かった。
扉の開け閉めぐらいは簡単なものだろう。というか、そんな用事にこの稀代の魔法使いを使うなと、私はこの王に言いたい。
「気にしないで、リゾ」
彼の場合、何か言われたらショック死してしまいそうな雰囲気なので、攻めの言葉を向ける気なんて起きない。
代わりにこの王の方はどんなに罵詈雑言を向けられようと、毛の先ほども動じない心臓の強さである。本当にバランスが悪い。
「俺にも気にしないでといってほしいものだ」
言ってる傍から…。
「あんたは少しは気にしろ!」
残念ながらもう投げつけるものがない。マントは脱ぐと面倒だし、剣はほら、仮にも王相手に投げるのは度胸がいる。私、へたれ…。
「俺も王の責務として仕方なく呼び出したんだよ。平等に扱ってほしいものだね」
「身分制の権化が平等とかいうな!」
さきほどのように城の中を歩けばわかるとおり、この国は各国の王族や貴族たちを部下として従えているのだ。彼らを士族として置き、その頂点にこの男が立つことでこの夜の国は成り立っている。
ありていに言ってしまえば、この男、条件付ではあるものの世界で一番えらいのである。人格はまったく伴っていないが…。
「はっはっは、この国で二番目に偉いやつに言われたくないな」
「あんたに押し付けられたせいでしょうか!」
そして何の因果か。私はこの国で公爵ということになっている。
十大国と呼ばれるランザニアの王族でさえ、伯爵位なのだ。その権威の高さは並みのものではない。
おまけに現状、公爵位を叙されているのは私しかいない…。
わかるだろうか。王族や名のある貴族がひしめき合うこの王宮で、そんな場違いな位につけられた私の気まずさを。
それもこれも、そして今日のあれも、全部この男のせいなのである。
「あんた私をからかうのが面白いからって公爵にしたでしょ」
その言葉に王は一瞬真顔になると、次の瞬間にこっと笑っていった。
「やっぱりわかるか?」
「このくそ王があああああああああ!」
ついに理性の限界を越えそうになった私に、あわててリゾが止めに入る。
「リゼルさま!リゼルさま!落ち着いてください」
泣きそうになりながら言うリゾに、仕方なく心を落ち着ける。一方、王の方は涼しい表情でこちらを見ていた。
たぶん性格の悪いこの男のことだ。リゾが泣きながら止めに入るのまで計算に入っていたのだろう。
「で、この呼び出しは何?からかうためとか言ったら、さすがにリゾが止めても切れるわよ」
「さっきのは冗談だ。この国の公爵をやれるのは、お前以外におらんだろ。それで呼び出した用件だがな」
それから表情を本当に真剣なものに変えると私に告げた。
「魔人が現れた」