地獄への扉
生きた屍、つまりはゾンビを相手にするとき有効なのはえてして火だ。
敵の動く力を、効率よく奪うことができる。
しかし、今回は濡れているのでこの手段は使えなかった。その場合は普通に武器で相手をすればいい。
近衛隊の面々はさすが精鋭だけあって、しっかりとゾンビを相手していた。特に中枢というものがなく魔力を流された全身に張り巡らされた神経が本体であるといえるゾンビと、敵の急所を突くことではなく敵の動きを奪い制圧することに重きを置いた近衛騎士の動きは相性がいいのかもしれない。
ネクロマンサーを相手するとき、もっとも厄介なのはその倫理が崩れていることだが、第二に警戒すべきことと言えばその物量だった。
彼らの魔法は微量な魔力で大量の兵士を量産できる。死体があればあるだけその数は増えていく。
しかし、これについては今回はあまり心配する必要がない。
先進的な国とはいえランザニアでも土葬がまだ一般的だが、同時に治安のいい王都だ。調達できる死体の数には限りがある。
私は飛び掛ってきたゾンビを切り捨てながら、そっと視線だけ動かして周りに現れたゾンビたちの姿を確認した。
下水を照らす光に反射して彼らのわずかに残った毛髪が光るが、そこに金色の光はない。
私はほっと息をつく。
それからまもなく、私たちは現れたゾンビたちを全員倒し終えた。
地面に転がる、遺体に戻った彼らを見つめる。
「どうしました?」
「いえ、なんでもないわ」
そう答えて、拡張された下水の洞窟のほうへ足を進めたが、心の中では思っていた。
(手馴れている…)
新鮮な死体ではないせいで動きは悪かったが、火では一気に殲滅されないようにぬれる場所に配置していた。
ネクロマンサーはその誕生から、時間が経てば経つほど進化していく。
魔法の研究は進歩し、討伐者を避けるための知恵を付けていく。
彼が失踪してから50年の歳月が経った。
その時間のほとんど全てを彼は禁忌を侵す者として生きてきたのだろう。
ネクロマンサーの研究は、決して光のある方向へとは向かわない。深みに嵌れば嵌るほど、奈落の底へと引きずりこまれていく。それでも彼らの本当の願いが叶うことは決してない。
この長い時間で、彼の研究はどれほど進歩を果たしたのか。彼の心はどれだけ狂気に蝕まれたのか。
まだ私にもわからなかった。
***
下水道を拡張して作られた彼の住処。
そこは今までの石壁でできた下水道とは違い、岩盤の壁がむき出しになっていた。あまり耐久力は無さそうだ。
高度な建築は不可能だったからだと思うが、もしかしたら大規模魔法の使用を封じる意図もあるかもしれない。
実際、この場所では高威力の魔法を発動するわけにはいかなかった。近衛隊の人間だけなら守れるかもしれないが、人質まで生き埋めとなってはなんのためにここにきたのかわからない。
近くを流れる水はさらに綺麗になっている。生体に働きかける魔法の応用で、バクテリアを活性化させているのかもしれない。
「アレスさま、光球に紫外線を追加してください」
細菌を攻撃に使われたら厄介だ。
毒を使った攻撃に供え全員に軽く結界を張っていたが、警戒しておくにこしたことはない。
「わかりました」
アレス殿下もすぐに察してくれたようで、光球が数回瞬いたあと色を変える。
実際のところ、不可視光なので色を変える必要はないのだが、わかりやすくという配慮なのだろう。殿下らしいといえば、殿下らしかった。
紫外線も生体にダメージがないわけではないが、悪性の感染症を食らって死にいたるよりはよっぽどましだろうと思うことにする。
紫外線は女の最大の敵だという下女の面々がいたら、絶叫するシチュエーションだが。
洞窟の中は蟻の巣のように、複数の分かれ道を作っていた。侵入者を迷わせて、足止めさせるための構造だろう。
「どうします?部隊をわけますか」
「いいえ、まだやめておきましょう」
私は首を振る。
まだ敵の手の内はわかってない。部隊を分けることには不安があった。
少なくとも部隊をわけるなら、生きた人質を見つけた後からだ。
***
私たちは事前に把握していた洞窟の全容から、なるべく中央を進むことにした。
大した理由はない。しいていえば、端を通るよりカバーできる範囲が広いからだろうか。
同時に、敵との接触が多いルートでもある。
もう結構な距離を進んだが、5回ほどゾンビの集団に襲われた。
ただ、騎士団にとってゾンビはもともと問題にならない相手だ。全滅したりする事例も報告されているが、それは自分たちの数の5倍や6倍のゾンビに襲われたからである。
今まで接触したゾンビたちは、どれも自分たちと同数程度しかいなかった。そうなると、ほぼ進行の障害にすらなりえない。 しかし、疑念が生じる。
(単調すぎないだろうか…)
相手は50年生きてきたネクロマンサーだ。死体を動かす以外の魔法の術も身に着けているはず。
それがゾンビを小分けにしてぶつけてくるだけなのだ。
あまりにも適当すぎる。
「あれはっ!?」
そのとき最前列を進む近衛兵が声をあげた。
「どうしたの?」
そう問いかけた私も、すぐに彼が何で叫んだのかわかった。
今まで私たちを襲ってきたゾンビの5倍近い数の集団が、通路の向こう側に見えたからだ。
しかし、私たちに向かってくることない。
同じ場所でずっと留まっている。
「何かを守っているのでしょうか」
副隊長が推論を述べる。
「あそこに人質がいるのかもしれないな」
隊長の言葉を聴いて、みんなが浮き足立つ気配を感じた。戦場で心を揺らすのは危険なことだが、彼らは浚われた人たちを助けるために、こんな場所まで来ている。そんな反応も当然だった。
「どうします?」
尋ねるアレスさまに私は答える。
「行くしかないですね」
もしかしたら罠かもしれない。
それでもいかなければならない。罠であろうと、人質がいる可能性があるのだから。
そのための正面突破だった。
「ただし罠には十分警戒してください」
そう一言忠告してから、私は攻撃の指示をだした。
私たちは一直線にゾンビへと向かう。
敵の数は多い、騎士団だけでは危険な数だ。もちろん近衛隊ほどの優秀さなら、互角に戦えるかもしれないが、こういうときは魔法を使ったほうがいい。
『極光よ。穿て!』
アレスさまがあらかじめ唱えていた大規模魔法の詠唱を解放する。
次の瞬間、まっすぐ伸びた光が、ゾンビたちの集団を横に一刀する。
光を腹に受けたゾンビたちは、その部分が黒く焦げ、そのまま崩れ落ちる。
高エネルギーの光を収束させ、一直線に打ち出す魔法。いわば光の剣とでもいうべきものだ。
その光に触れたものは、光が持つ強いエネルギーによって焼き切られる。
アレスさまの放った魔法は、洞窟の壁をも溶かし、その魔法の跡を残す。これだけ大規模な攻撃を行っても、その力のほとんどは熱エネルギーに変換され、運動エネルギーとなることはない。
崩落の危険のあるこんな場所では、最適な攻撃魔法だ。
変わりに威力にたいしての魔力の効率はものすごく悪いのだが…。なので、これだけの規模のものにはなかなかお目にかかったことはなかった。
「見事な魔法でした」
ぜぇぜぇと、さすがに肩で息をしている殿下に告げる。ゾンビの集団は、アレスさまの魔法のおかげで、半分ほどになった。
私も魔法を使う。
以前と同じ冷気の魔法だ。でも、威力は以前より弱めである。
ゾンビたちは気づきもしないし、気づける知能を持っていないが、冷えた空気は彼らの運動能力を静かに奪っていく。一方、近衛隊のほうは、周囲に張った結界のおかげで、ほとんど影響がなかった。
動きの鈍くなったゾンビを、突撃した近衛隊たちが切り伏せていく。
5倍近いゾンビの集団も、またたくまに倒されていく。私たちは五分と経たず、この場所も制圧することに成功した。
倒れ伏した大量のゾンビたちの背後。そこにあったのは鋼鉄製の扉だった。
今までの岩肌むき出しの洞窟とちがい、壁もきちんと整えられている。
「やっぱりだ!」
人質がここにいるに違いないと思った近衛兵たちは、現れた扉に飛びつくようにして駆け寄った。
「はやく開けよう!」
攫われた少女たちが心配だったのだろう。すぐに扉を開けようとする近衛兵。
鍵もかかってなかったのだろう。扉は彼らが焦るまでもなく、すぐに開け放たれた。
中を見ると、汚れてくすんでしまった金色の輝きが見えた。そして死者にはありえない、血色の良い肌色。
部屋の中にはまだ年若い少女たちがいた。
「見つけたぞ!」
「やった!」
歓喜の声が洞窟に響く。
少女たちは鉄の錠をはめられ、壁に縫いとめられるようにして座っていた。監禁生活による消耗のせいか、近衛兵たちが部屋に入っても、ぐったりと俯いてはいたが、体に怪我はなさそうだった。
ついに彼らは攫われた少女たちを見つけたのだ。
「我々はランザニアの近衛隊だ!君たちを助けにきたぞ!」
近衛兵がひとりの少女の方へと、うれしそうに駆け寄っていく。その顔にはようやく助けられたという安堵と喜びの感情が見えた。
俯いていた少女の顔が上がる。丸い瞳が駆け寄ってくる近衛兵の姿を見つめる。彼女のやわらかそうな頬が、笑みを浮かべたようにみえた。
(おかしい…)
その瞬間、強烈な違和感が私を突いた。
「待って!」
そう言っても止まる距離ではない。助けようとしていた少女たちが目前にいるのだから。
近衛兵は彼女のもとへとたどり着き、やさしくその体を抱き上げようとした時。
私は彼女の左腕を切り落としていた。
白くか柔らかな左腕が飛び、部屋に鮮血が飛び散る。
「こ、公爵さま!?」
「いったい、なにをなさるんですか!?」
一気に部屋中がパニックになる。アレスさままでもがわけのわからないという瞳で、私を見つめる。
しかし、その視線はすぐに変わった。中の感情ではなく、向けられる対象が変わったのだ。
私に左腕を切り飛ばされた少女が立ち上がったことによって。
「き、君だいじょっ…」
呆然としつつも、彼女への心配を口にしようとした兵士の言葉は途中で止まる。人間をはるかに上回るスピードで彼女の顔が兵士の頭部へと迫り、そのまま食いちぎろうとした。
(やっぱりっ!)
今度はためらわなかった。私は今度は彼女の首を切り落とした。
さらに大量の血液が宙を舞う。どう見ても生きた血が。
しかし、首を切り落とされた少女は、生きた人間には見えなかった。首を切り落とされてなお、じたばたと動いている。切り落とされていた左手は、誰かの首を絞め殺そうとするようにうごめいていた。
「なんだ…これは…」
誰かの乾いた声が響く。
「生体ゾンビ…、死んだ状態ではなく、生きた状態で人間を傀儡にする呪法よ…」
「生きた状態、じゃあ!」
まだ混乱した近衛兵は、私にくってかかろうとする。彼女がやっぱり生存していた思ったのだろう。
「脳の八割は破壊されている。人間としてはすでに死んだと考えるべきよ」
生きているのは体と、それをコントロールする運動野だけだ。
だからやたら血色が良かった。何日も監禁されていたというのに、やせ細ってなどいなかった。暗い部屋の中、閉じ込められていたというのに、アレスさまの光魔法をまぶしがる気配すらなかった。
それでも人によっては生きていると言うかも知れない。でも、私はその感情を拾ってやることはできないのだ。
カタカタと、少し視界がゆれるのを感じた。
剣を持ち彼女を切り裂いた手が震えていた。
私はその腕に力を入れなおす。
「うわぁあああ!」
「な、あっあっあぁ…」
部屋の中に悲鳴が響く。もはや近衛隊は恐慌状態に陥っていた。
囚われ座り込んでいた少女たちが全員立ち上がり私たちを取り囲んでいた。ゆらりと、人間にはあまりにも不自然な動作で。
錠から無理やり抜き取った彼女たちの手には、赤い血が流れていたが痛がる表情は微塵もない。
まるく開いた瞳孔が、こちらを見つめていた。
感情のない顔で。何も写さない表情で。死んだ、瞳で。
私たちを殺すために。




