生の境界
世界でも先進的な建築技術をもつランザニアでは、王都の地下に下水道が張り巡らされている。
土の魔法使いの力と、優れた建築者の技術、そして王宮魔術師『賢者』の助言によって、それは形作られている。王都全体で使えるそれは、街を清潔に保ち、人々の暮らしに利便性を与え、また汚水処理などの予算の効率化などで、国の財政にも良い効果を与えている。
私たちはロッテシブ元伯爵が潜んでいる場所に近い入り口から、下水道の中に進入した。
「きれいだな」
「ええ、定期的に清掃し、合流前に浄水機能をつけているとはいえ、これは異常です」
殿下の作ってくれた光の魔法により、あたりは照らされている。
私たちが中に入った下水道は、やたらと綺麗だった。
壁や天井は石で作られ、同じく石畳の狭い通路の横を水が流れている。
本来ならそれは汚水であるはずなのだが、今流れている水は底が見えるくらい透明だった。
石畳の通路も、定期的に清掃が行われているとはいえ、それでも下水道に人が入るのは、三ヶ月に一回ほどだ。
それが今歩いている石畳には、汚れがほとんど見えなかった。
「下水局はいったい何をしているのだ。こんな異常があったのに報告しないとは」
「仕方ないわ。おそらく現場の作業員が、幻覚魔法をかけられていたのね」
「ネクロマンサーはそんな魔法も使うのですか?」
「得意分野よ。人間の肉体にかける魔法は彼らの専門。魔法で幻影を作り出すのではなく、相手の視神経に干渉するの」
おそらく他の神経にも干渉して、判断力や思考力も鈍らせていただろう。
この薄暗い場所は、そういう魔法を扱うのには絶好の場所だった。
言い終えると、彼らは何か聞きたそうな顔をしていた。私がそれを許すように目を合わせると、一人が口を開いた。
「われわれはネクロマンサーとの戦闘経験がまったくありません。いったい、ネクロマンサーとはどういう存在なのですか」
なるほど。
確かに私の語るネクロマンサーの話は、一般のイメージからちょっとずれている。
戦闘前に敵のことを知りたくなったのだろう。
「基本的に、巷で抱かれているイメージ通りで間違いないわ。ただし、死体を動かすのは、残った神経や筋肉を魔法で動かしている。幽霊のほうは、幻覚魔法ね。スケルトンだけは嘘ね。あれは神経も何も残ってないから、彼らには動かせないわ」
「手ごわいのですか?」
次に質問してきたのは殿下だった。
彼としては、つい先日あった魔人との戦闘を思い出すのかもしれない。
「はっきり言って、魔法使いや騎士団の敵ではないわ。戦闘訓練を受けたものなら、きちんと準備をして戦いを挑めば必ず勝てるはず。彼らは技術者であって戦士ではない」
だからこそ、彼らは影に潜む。
私の言葉に近衛隊の人たちの顔に、安堵の色が混じる。
彼らはきっと殿下から、魔人との戦いの話を聞いていただろうから不安だったのかもしれない。今度の相手も化け物かもしれないと。
ネクロマンサーは魔人とは比べ物にならないほど弱い。それは事実だった。
「でも、ひとつだけ注意して欲しい」
しかし、私は彼らにひとつだけ告げなければいけなかった。
「な、なんでしょうか」
私の声の雰囲気に、再びみんなが緊張した表情に戻る。
「何があっても、正気を保つこと」
「正気ですか…?」
彼らは、何のことかわからないという風に首をかしげる。
それはそうだ。口で言って伝えることができるのなら、それは心の中にある常識的なことなのだ。それならば、わざわざ警告する必要すらない。
「冷静に心を乱さず、すべてのことに対応して欲しい」
それでも私は言わざるを得ない。
「彼らの実験は、人の禁忌を侵すもの。私たちは今から、彼らの狂気に触れる。だから正気で…、正気でいること、それが一番大切なの」
きっと十分の一も伝わらないだろう。でも、理解できないのならそれでいい。
できることなら、戦いが終わるまっても、それを理解しないでくれていればいい。
「来るわよ」
すでにあちらも下水に普段にはない人数が侵入したことは気づいていたのだろう。
幻影魔法については、あらかじめ防御しておいた。
水の中から、何人もの人影が立ち上がってくる。ネクロマンサーの配下たる動く屍たち。
戦いの火蓋が切られた。
※2015/11/11
戦いの火蓋が切って落とされた→戦いの火蓋が切られた
に修正させていただきました。ご指摘ありがとうございます~。
ぜんぜん知りませんでしたおはずかしいっ。




