表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜の国  作者: 小択出新都
1.夜の国の公爵さま
2/109

下女の仕事は大変です 2

 昼休みを終えると私はラティーナと別れ、朝の洗濯の続きをすることにした。

 担当の分を洗い終え、老人みたいに腰をたたきながら立ち上がったところで下女頭がやってきて。

「セリナが休んじまってね。今から庭園の掃除に入っておくれ」

 王宮の庭園といえば、数多の美しい花々が咲き誇る王宮の名物として有名な場所だった。そして美しいというのはその分たくさん花や木々があるということである。つまりそこから花びらや葉っぱが次々と落ちてくるわけで…。

 掃除をするものから言わせてもらうと、掃くそばからごみがどんどん落ちてくるという精神の修行場のような場所だ。

 しかしこの仕事、下女たちの間では超人気だ。

 なぜかというと、下女というのは基本的に王宮の表通りを歩けない。

 そこは王族や貴族たちの活動圏であり、そんな場所に身分の低い下女がいたのでは、高貴な人たちの目にとまるだけで失礼になるからだ。王宮で働いているとはいっても、私たちがいていい場所はその裏側。倉庫や、厨房の裏側、人目につかない水場、あとは良くて兵士たちの訓練所である。

 もし貴族たちのいる場所に紛れ込んだ下女がいたら、すぐに衛兵が駆けつけて怒鳴られ追い出されるのが落ちだ。

 そういう場所を担当するのは、この王宮の表側の存在たる侍女たちの仕事なのである。

 そして絢爛豪華な王宮の庭も、もちろん王宮の表側に位置するわけだが。

 しかしこの庭園、なにしろだだっ広い。しかも仕事をやると長時間、拘束されてしまう。

 宮殿の侍女たちだけでは手に負えないのだ。

 本当に仕方なく泣く泣くといった感じで庭園の中心部以外のそれほど人が来ない場所を選んで、私たちに掃除させることになっていた。下女たちにとってみれば唯一、憧れの本物の『王宮』と関われるチャンスなのである。

 玉の輿を夢見る子、ただただ貴族を見ていたいという子、貴族のファッションなんかに興味がある子。

 そんな若い子たちがこの仕事に殺到するわけだ。なのに今日に限って、代わりはいなかったらしい。

 久しぶりにはいった庭園掃除の仕事。私は洗濯という義務を果たしたのに、なぜこんな禅に目覚めそうな苦行をやらなければならないのか。

 イライラしながら、次から次へと落ちてくる落ち葉を集めていく。

 すると後ろから声がかかる。

「やあ、リゼル。ひさしぶりだね」

 まるで春風のようにさわやかな声に、私は内心げーっと心の中で叫んだ。

 振り返ると、そこには金髪碧眼に甘いマスクという、いかにも世の人が思い浮かべる王子さまという外見の男性がいた。

 その通り、彼こそこのお城の王子さまである。

 しかも、第一王子で皇太子という、容赦もへったくれもない王子さまだ。

 私はとにかく失礼にはならないようにと、ちょっと顔色を悪くしながらも頭をふかぶかとさげる。バイタリティ溢れる下女のメインストリームを担う女の子たちはともかく、一般庶民の私にとって王子さまというのは『緊張するから会いたくない…』というタイプの人種だった。

「アレスさま、おひさしぶりです」

 後頭部から、アレスさまの苦笑いする気配が伝わってきた。

「そういうのはやめてくれないかな。できれば僕とは普通に話してほしいんだけど」

 これが普通ですよ。むしろこれ以外の対応は普通ではないのです。普通じゃないことをしたら、犯罪です。不敬罪です。

 なんて口答えしたら、それこそ不敬罪なので曖昧なひきつり笑いでごまかす。今の私はかなり挙動不審にちがいない。

 この王子さまやたらフレンドリーな人で、自分の部下たちや知り合いの貴族たちだけでなく、下働きの者や下女の名前も覚え話しかけてくるのである。

 優しく気取らない性格で国民から慕われ、おまけにこの国の宮廷魔術師に次ぐといわれるぐらいに頭がよく、さらに希少といわれる光魔法の才能を持っている。

 何の冗談かとおもうぐらい、完璧な人間なのである。

 なので私のような下女に話しかけてくるのも彼にとっては珍しいことではないのだけれど、私にとってはまったく別の話である。

 王宮の天上に近い人間が、王宮の底辺のスライムみたいな人間に話しかけてくるのである。何かミスをすれば、文字通り首が飛ぶ。職的にというより胴体の方から。

 アレス殿下は優しい人だからかばってくれるかもしれないが、しかしそれじゃあすまないときもあるだろう。

 この人に話しかけられると、爆弾を前にするような緊張感なわけだ。

 それでも王子様は、本当にいい人なのだからまだいいのだが…。

「きれいな花だね」

「おっしゃるとおりですね。とてもきれいです」

 王子さまがそういうのであればそうだろう。王子の完璧なイエスマンとなった私は、五分前にへし折ってやりたいとおもった牡丹の花へ賞賛を送る。実際のところ、私が見てるのは地面におちたその花の花びらであり、殿下がみてるのはその上に咲き誇る可憐な花々なので、まったく別のものを見ていたわけだが。

 そうやって地面を見ていると、殿下が眺めているすぐ横の木に落ち葉の吹き溜まりがあるのを見つけた。

 おっと、これはいけない…。

 私はさりげなく箒をすべらせ、吹き溜まりをちりとりに引き寄せる。その動き、わずか0.3秒。これなら、王子の鑑賞の邪魔をすることもなかっただろう。

 私はいい仕事ができたと、額の汗をぬぐった。

 しかし殿下の方を見ると、私を見つめながらちょっと困った顔で笑っていた。

 しまった鑑賞の邪魔をしてしまったか。速さが足りなかったか、もっとさりげなくすべきだったか。とにかく土下座してから考えよう、と私が決心したとき。

 アレスさまが言ってきたのは、まったく別のことだった。

「そういえば、君が結婚しているという噂を聞いたんだ。本当なのかい?」

 なんてことだ…。まさか王侯貴族の間にまで私が結婚しているという噂がひろまってようとは…。

 私は屈辱に打ち震えた。誰だよ、そんな場所までいち下女の噂をひろめていった奴は。というか、貴族の人間たちなんて、私の顔と名前なんて把握してないだろう。どうやって、そんな広まったんだ。

 とにかく王子の誤解をとかなくてはならない。

「違います!それは真っ赤な嘘です!同僚たちに変な噂ひろめられて困っているんです!」

 幸い誤解はすぐ解けた。

「そうか、良かった。安心したよ」

 あっさり納得してくれた王子に私もにっこり笑顔で同意する。

「はい、良かったです」

 本当に誤解が解けて良かった。王族にまで私の好みが犬耳ショタな少年だと誤解された日には、末代までの恥になりかねない。 

「それじゃあ、僕はそろそろ行かなきゃ。ちょっと今の時期は仕事が立て込んでてね。それじゃあまたね、リゼル」

「はい、それでは」

 私はちょっと唐突に庭園から去っていった王子を、頭を深々と下げて見送った。

 王族というのはきっととても忙しいんだろう。庭にいた時間もそう長くはなかった。ご自分たちのものであるはずの庭園も満足に楽しむことができないとは大変なことだ。

 そういうわけで、アレス殿下は本当にいい人なのである。会話中はかなり緊張しなければならないし、細心の気を遣わなければいけないし、やっている仕事の進みは遅くなる。しかし、さすがに私とてこれぐらいの理由で相手が現れた瞬間、「げっ」などと思ったりはしない。

 私が彼が現れたときげっと思ったのは理由があった。

 その理由とは…。

 後ろに人が立つ気配がした。

(やっぱり今日もだめだったか…)

 私はそう思いながら、後ろを振り返る。そこには無言でたち、こちらをにらみつけている三人の少女がいた。

 高級な生地ながらそれを気づかせないシックな黒と純粋な白で彩られた清楚なエプロンドレス。それを袖口までパリッと糊を利かせ着こなし、首元にはそこだけワンポイントに鮮やかな赤色のタイをつけ、襟元をきゅっとしめている。人目みただけでわかる、彼女たちの育ちの良さが表れた、整った出で立ち。

 私の着ている制服なのか未だも謎の灰褐色のワンピース、しかも袖口は洗濯のしみで色が変わってよれよれ、とはまったく違っている。

 何を隠そうというか、ぜんぜん隠してないのだが、彼女たちこそ王宮の顔と呼ばれる侍女たちである。

 彼女たちは仁王立ちで私をにらみつけてくるばかりで何も話さない。仕方なく私の方から話しかける。

「お嬢さまたち、何かございましたか?」

 下女と侍女、なんだ同じ召使いじゃないかと侮るなかれ。その身分には大きな隔たりがある。

 彼女たちはれっきとした貴族のご息女なのだ。つまり単純に言えば貴族なのである。そうでない子もたまにいるが、その場合は貴族以上に金持ちな商家の娘だったりする。私たちのような頭の先からつま先まで平民な人間とは まったく毛並みの違う人間なのである。

 その上に、王宮の中で国の中心にいる貴族たちと接することを許された侍女たちと、その戸口を踏むことすら許されない下女は、認められている身分にも雲泥の差があるのだ。

 なので彼女たちを呼ぶときは、お嬢さまと呼ぶことになる。その関係性は、上司と部下というよりも、彼女たちが仕えている主人とあんまり変わらないものだからだ。

「なんであなたみたいな下女がアレスさまと話してるのよ!」

 そういう人たちに、敵意むき出しにされると本当にこまる。

「話しかけられた場合、返答しないと逆に失礼になってしまいますが」

 それこそ不敬罪になってしまうではないか。

 しかし、私の超正論は彼女たちには通じなかった。

「ふざけないで!あなたみたいな下賎な女に、アレスさま自ら話しかけられるわけないでしょ!」

 じゃあ、いったいあなた方は何を見ていられたんですか…。ずっと会話中、監視してたでしょう…。

 あの人はそこいらの下賎なものにもフレンドリーに話しかけてしまうお方なんです…。現実見てください…。

 そんな言葉が喉もとまで浮かびかかってくるが、前回ちょっと言い返したらさんざんに罵倒された経験を思い出し口に出すのはやめた。

 私が殿下に会うたび、げんなりする理由がこれだった。

 なぜか彼女たち、私が殿下に粉をかけていると思い込んでいるのだ。そんな恐ろしいことできるわけないのに…。

 そして殿下と話し終えたあと、決まって私の前に現れ、罵声をぶつけてくるのだ。

 私たちとは比べ物にならない立場の侍女に目をつけられた私は、ただでさえそれほど交流のなかった下女たちからも、敬遠されるようになった。これは私のほうも悪かったかもしれないが…。

 中には彼女たちの言葉を真に受けて、身の程知らずに王子を狙う賎の女と敵視してくるものまでいる始末。

 おかげさまで私は下女仲間からも、一部の人たちを除いて、絶賛孤立中である。

 どうしてこうなった…。

 とにかく彼女たち、私が何か反論しようものなら、物凄い勢いで怒鳴り返してくるのである。

 なのであんまりしゃべらないようにしてるのだが、そうするとますますヒートアップして怒鳴ってくるのである。つまり、どうあっても私は怒鳴られるわけだ。

「いいこと!殿下はあなたがどうこうできるような身分の方ではないんだからね!」

 十二分に承知しています。なのであちらから話しかけられると、どうもこうもしようがないでしょう。

「だいたい若くして男と結婚してるくせに、ほかの男に手をだすなんて、さすが賎の女はふしだらだわ」

 もうどんなに罵倒してくれても許すので、ショタ犬と私を結びつけるのだけはやめてくれませんか。

「殿下があなたに話しかけてくださるのは、あんたのような貧しい女を哀れんでのことなのよ!調子にのらないで頂戴ね!」

 さっき殿下からは話しかけてないって言ってたじゃないですか!もう支離滅裂ですよ!

 しかし反論は許されない。下っ端の辛いところである。

 もう禅の心で聞き流すしかない。

「ちょっとあなた!何、勝手に掃除再開してるのよ!」

「シゴトデスノデ」

 ひたすら地面を見て掃除しだした私を見て、お嬢さまたちが怒りだす。

「ちょっとこっちを向きなさい!」

「ゲセンナオンナナノデ、カオガアゲレマセン」

「私たちのこと舐めてるの!」

「ウヤマイオシタイシテオリマス」

「きぃー!この狸女!」

 そこからも罵詈雑言の嵐だったが、私がひたすら目もあわせず掃除しているのを見て、しばらくしてから「覚えてなさいよ!」と捨て台詞を残して去っていった。

 私は彼女たちがいなくなってから、ようやく箒を止め青いため息をつく。

「あー、もう疲れたぁ」

 一心不乱にやったせいで、私の担当の区域だけやたら綺麗になってしまった。

 下女の仕事は大変なのである。だだっぴろい王宮(裏側)の掃除、野菜の皮むきや水洗い、大量の洗濯物。やることはいっぱいあるのに、なぜか下々のものにまでフレンドリーな王子さまがやってきて、その後に侍女たちが毎度、嫌がらせに来る。同僚との関係も、一部を除いて、うまくいってるとは言いがたい。

 苦労は山の如しなのに、もらえる給金はほんのちょっと。

 なぜこれで他の同僚たちは、貴族と出会えるかもなどと目を輝かせていられるのか。

「若さってやつか…」

 夕暮れの中、私は箒のもち手に額をつけ、またため息を吐いた。


***


 夕暮れ、私は倉庫への道をちょこちょこ急ぐ。

 倉庫のひとつには私たち下女の待機所があり、そこに荷物を置いたり、着替えたりするのだ。

 侍女に比べての下女の仕事の利点は、シフトがあるということだろう。泊り込みで貴族のお世話をしなければならない侍女と違い、下女は勤務が終れば裏門から出て家に帰れるのだ。

 朝番と夜番があるのだが、私は朝番しか入らない。日が落ちる前には帰宅できる。

 しかしお嬢さま方に思いのほか絡まれたせいか、今日は大分、遅めになってしまった。

 太陽は山のふちにその足をかけ始めていた。

(ちょっと急がないとね…)

 倉庫に向かう途中、下女頭と会った。

「ああ、もうあがるのかい」

「はい、おつかれさまです」

 私はぺこりと頭を下げて、また走り出そうとした。

「あんたもたまには夜番に入りな」

「あはは、都合がつきましたら」

 私はあいまいな笑みで受け流す。今後も私が夜番に入ることはないだろう。

 更衣所に入ると、同じくもうあがるらしいラティーナも着替えていた。

「おっ、今日は珍しく遅いわね。いつも時間通りに帰る、あんたにしては珍しい」

「お嬢さま方に絡まれてね」

 げんなりした顔でいった私に、ラティーナも「あぁ~」と言った感じに苦笑いする。

「たまには晩御飯たべにいこうよー。スーナの通りの裏に美味しい定食屋さん見つけたの」

「また今度で」

 ラティーナの誘いを無碍に断る。

「今度っていつよー。いつもそう言って誘ってもこないじゃない。だから、ますます下女仲間から敬遠されるのよ!」

 うっ。痛いところを突かれるが、こっちも仕方ない。もともと付き合いのいい性格ではないことは認めるが、それ以前に事情があるのだ。

「まあ、家に大好きな旦那がいるんだから……、ごめんなさい…」

 殺気をつけて睨み付けると、黙ってくれた。

「それじゃあ私帰るから」

「はやっ」

 ラティーナがしゃべっている間に着替え終え、荷物をまとめてしまった私は手をあげ更衣所を出る。

 空を見上げると、夕日はもうその顔を山の影に隠しかけていた。あたりは薄暗くなりはじめている。

(ああ、もう城から出てたら間に合わないか…)

 私は裏門に向かうことをあきらめ、人目がないことを確認して、木々の茂みの中に入っていく。

 そしてまわりから見えない場所までやってくると、バッグからあるものを取り出した。真っ黒な生地で作られた長いマント、同じ色をした目深にかぶれは顔がかくれてしまほう程のつばの大きな帽子、そして目元を覆うマスク。

 それを羽織り、被り、つけて、最後にバッグの底から銀色の鞘に入った剣を取り出す。

 何のコスプレかと思うが仕方ない。これが正装なのだ。

 それを急ぎ気味に身に着けた私は、西のほうを見上げ日が落ちるのをまった。

 大きな赤い夕日が、山の影に身を隠す。やがて地上に届く明かりが消えうせ、あたりは暗い闇に覆われていく。

 夜の時間の到来だ。

 それと同時に私の視線の向こうに、まるで蜃気楼のように大きな建造物が出現した。

 遠く離れたこの場所からでもはっきりと見える黒く巨大な城。それは大陸で有数の大きさを誇るランザニアの城が、まるで小屋のように見えてしまう大きさだった。

 それは『夜の国』と呼ばれる王国の城だった。

 この世界の半分、夜の時間を支配する王国。

 これより、すべての国は夜の国の支配下へと入る。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ